ヒロインだって、悪役令嬢を助けたい!
風が吹いた。
桜の花弁が一斉に舞い、視界が塞がれる。
――わたし、知ってる。
沸き起こる既視感。わたしは、この景色を見たことがある。
花吹雪が収まったら、目の前にひとりの男の子が立っているはず。
彼は驚いたように桜を見上げて、そしてわたしに気が付くんだ。
ふたり、見つめ合って――
グラリと視界が回る。強烈なめまい。
同時に走馬灯みたいに脳内を駆け巡る、数々の場面。どれもこれも見たことがあるものだった。
桜吹雪が舞う高校の入学式、球技大会の真剣な彼の横顔、夕焼けの教室、クリスマスパーティ、悪事がばれて悔しそうに顔を歪める黒髪の少女、そして優しいキス――
瞬きの間に切り替わる絵に、わたしは焦った。
待って、走馬灯って生死のピンチの時に思い出を振り返るやつじゃなかったっけ?
これ、わたしの過去じゃないよ。
だってわたし、今日が高校の入学式だもの!
混乱の中、急に視界が暗くなって膝が崩れる。
意識を失う寸前に、わたしは思い出した。
わたしは、桜坂学園を舞台にした乙女ゲームの――主人公だ。
「というわけで、作戦会議です」
お気に入りのクッションを抱えて宣言したわたしを、従弟の涼平は「はあ?」と言わんばかりの目でチラ見。すぐに興味を失ってテレビに視線を戻した。
「りょーちゃん、話を聞いて!」
お願いします、とわたしは彼の腕にすがりつく。
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乙女ゲームと言っても、世の中には細かなジャンルがあって多種多様。そんな中、桜坂学園で繰り広げられるのはベタベタに王道なセレブ生徒会系だ。
桜坂学園は幼稚部から大学院まであり、まるでお城のような豪華絢爛な佇まいをしている。それもそのはず、ここは上流階級のお子様達が多く通う名門学校だった。
攻略対象は皆お金持ちでイケメンなのは当たり前。俺様でカリスマに溢れた生徒会長、笑顔仮面の敬語副会長、チャラ系の軟派会計、堅物で眼鏡な風紀委員長、ホストのような色気の担任教師と、隠しキャラの金髪オネェ保険医は学園の理事長を兼ねてる裏の権力者だ。
物語は入学式の桜吹雪から始まる。主人公の立花 雛姫が生徒会長に見初められた瞬間だ。その後、学力優秀な特別奨学生である主人公は生徒会書記に抜擢されて生徒会長と再会を果たし、生徒会役員を始めとした攻略対象者たちと出会う。
主人公は陰湿な犯罪紛いのイジメや妨害を掻い潜り、攻略対象者たちと学園生活を満喫、最後には悪役を断罪してハッピーエンドという流れだ。王道、実に王道。
ゲームタイトルは忘れてしまったし、何でわたしがこの記憶を持っているのかもわからない。
ただ気がかりなのは、どの攻略者とのエンドを選んでも――選ばなくても。ひとつの未来が確定していることだった。
その未来は、一枚の場面で思い起こされる。
煌めくシャンデリアの華やかなダンスホール、礼装に身を包んだ生徒達、綿雪を飾ったクリスマスツリーを背景に、気の強そうな顔立ちをした黒髪の少女が顔色を失って膝をついている。
それを取り巻くように見下ろす攻略対象者たちと主人公。顔をしかめた彼らは、誰一人として彼女を助け起こそうとはしない。
クライマックス手前の断罪のシーン。
ここで罪を暴かれた彼女――生徒会長の婚約者であり、女子生徒の最大派閥トップである 木崎 絵里華に手を差し伸べる者はひとりもいない。なぜなら彼女は学園の有力者たちを敵に回た結果、学園からの追放を宣言されている。すでに親の経営する会社は倒産し、家の没落が決まっているのだ。
そして主人公は、甘く微笑む攻略対象者と抱き合って――めでたしめでたし。
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いやあああああああああ。
なんでそれがハッピーエンドなの? 無理、ありえない!
自分が関わってどん底不幸になる人を横目に、幸せに笑う自信なんかこれっぽっちもなかった。
生徒会長の婚約者である木崎さんが裏で派閥の生徒や生徒会親衛隊の女の子たちを操り主人公に仕掛けるイジメの数々も、えげつないものではあるんだけれどね。
桜坂学園に通う一流子女の親が経営するのは、テレビで毎日コマーシャルを目にするような大企業。その会社が倒産するなんて、新聞の一面記事を飾る大ニュースだ。社員やその家族、関係する取引先も含めてどれだけの人に迷惑がかかるんだろう。
しかも木崎さんのお父さんの会社が、世界を相手に取引をしていたらその影響は日本だけに留まらない。普通のサラリーマンをやってるうちのパパだって、年に何度か海外出張をしてるくらいだもの。そしてもちろん大会社が国内だけの仕事するわけもない。……経済被害は世界規模だ。
――怖い、そんなの嫌すぎる。背負いきれない。
わたしは掴んだ涼平の腕をバシバシと叩いた。
「絶対にやだ、ムリ。耐えられないよー!」
隣に座る涼平が、迷惑そうに顔をしかめて腕を振り払う。
「急に発狂すんな、暴れると埃が立つだろ」
「掃除してるもん! って、そうなじゃくってっ」
反射的に言い返してから、喧嘩してる場合じゃないと気が付いた。だって、今はもう冬。クリスマスパーティも近づいてきている。
わたしだってただ手をこまねいて過ごしてきたわけじゃない。
生徒会入りを担任から言われた時には強く辞意を出した(特別奨学生の義務と言われ断れなかった)し、球技大会は病欠を画策した(クラスの子が足を怪我して人数合わせが必須になってしまった)し、夏休みは隣県の図書館に籠って攻略対象者たちと会わないよう細心の注意を払った(行き帰りでばったりハプニングはあった)。
何よりも、親密になりすぎないようにごく薄ーい生徒会役員同士の付き合いに配慮して、親衛隊の皆さんを刺激しないようにしながら時折彼らの軽い個人情報を流してみたり、生徒会役員と親衛隊の交流お茶会とかも企画した。
友達になれば木崎さんの行動も悪化しないのではと仮説を立てて、さりげなくアプローチもしてみたけれど、残念ながらこっちの方に芳しい成果はない。木崎さんの普段のツンケンした態度と、生徒会長とふたりっきりにしてあげた時の素直じゃないお礼の言葉を思い出す。あの時はギャップが可愛くて驚いたなー。
思い出してひとりニマニマしてると、涼平が胡乱な目で見て来た。
「何なんだよ、さっきから……薄気味悪ぃ」
「りょーちゃん、困り果ててるお姉さんにそれはないんじゃなの」
「誰が姉だ」
涼平が本当に嫌そうに顔をしかめる。
わたしと涼平は従姉弟と言っても、生まれた差は10か月の同学年。ちなみにわたしのママと涼平のママは双子の仲良し姉妹で家がお隣同士なので、わたしたちも従姉弟というより双子みたいに育った仲だ。高校生になった今でもママ達が仕事でいない日はどちらかの家でご飯を食べるのが習慣で、今日は涼平が我が家に来ていた。
保育園から小・中学校も当然一緒。わたしが高校を桜坂学園にしたのも、先に涼平のスポーツ推薦が決まっていたというのが大きい。桜坂学園はわたしが狙う高校の中で一番学力が高かったし、特別奨学生になれば学費は免除だし。何より制服が可愛い。ママ達が「同じ学校だと保護者会とか楽でいいわー」て言うから、それも一理あるなあって思ってのこと。
とは言っても、わたしたちだってもうお年頃。思春期を迎える頃には双子の姉弟から従姉弟兼幼馴染みくらいになって、今では夕食を一緒に食べることはあるものの近所の親戚程度の距離感になっている。
特別奨学生で進学コースなわたしとスポーツ特待生の涼平ではクラスも違うから、学校内での接点は皆無に等しかった。
小さい時はわたしと双子姉妹に間違えられるほど可愛らしかった涼平も、中学から始めた部活の影響か、タケノコみたいにニョキニョキと育って今では見上げるくらいに背が高いし。叔父さんに似たキリリとした面差しは十分にイケメンの部類だ。
「……で?」
テレビ画面を観たまんまの横顔で、涼平がぶっきらぼうに声を出した。
「この間からずっと、何に困ってるんだよ」
ああ、声もずいぶんと低くなって叔父さんに似てきたなぁ。なんて、しみじみしてる場合じゃなかった。そうでした。
「そう! 作戦会議をはじめます!」
わたしはガバリと身を乗り出すと、勢いに引いてる涼平にかまわず今までの経緯を解説した。
乙女ゲームの主人公なんです、だなんて突拍子もない話だってことは自覚してるけど。
ごめんね、りょーちゃん手加減はしてあげられない。
エンディングまで、もう猶予がないんだもの!
話を聞いた涼平の感想と言えば、
「漫画のあらすじか? そうじゃなければ、勉強のし過ぎで熱でもあんのか」
わたしの額に手を当ててくる。だよねー。
「うん、わたしがりょーちゃんでもそう思う。そう思うよ」
当然の反応だけど、困り果ててる時には落ち込んでしまう。わたしは重たいため息をついた。
「とりあえず、わたしの正気は置いておいて。クリスマスパーティどうしよう? 誰の誘いを受けてもダメなんだけど」
困っているのは、来月に控えたクリスマスパーティのこと。
上流階級のご子息ご令嬢が多く通う桜坂学園は、そりゃもう立派なホールがあって。体育の授業にはしっかりとワルツが組み込まれている。しかも必修科目。生徒たちは思い思いに着飾って、生演奏の室内楽の調べに乗せて軽やかに踊り、今年最後のパーティを楽しむのだ。そしてこのパーティでラストダンスを踊った人と末永く結ばれるっていう乙女的な伝説もしっかりきっかり用意されていた。うん、王道。
そしてなぜか、攻略対象者の皆さま方からエスコートの申し出をいただいてしまったわたし。
もし貰った誘いを受けたら……脳裏に浮かぶのは、あの場面。悪役令嬢断罪の絵だ。
誰の手を取っても取らなくても、この断罪のシーンだけは常に変わらない。わたしの目の前には、そんな重たい事実が横たわっている。
何より、わたしは木崎さんのこと嫌いじゃないんだよね。むしろ、女王様然と派閥に君臨する凛とした姿は美しいし、意外と面倒見の良い姉御肌な所は憧れている。そんな人が会長を前にすると途端に乙女モードになってしまって、それを隠そうと一生懸命な姿はいっそいじらしいと思うわけで。
そんな人を路頭に迷わせて自分は幸せですって言える、そんな強い心は持ち合わせていなかった。
乙女ゲームの主人公って、心の強い人じゃないと務まらないよね……何でわたしなんだろう。
さらにクッションを抱き潰してため息をつくわたしに、涼平も何か察するものがあったらしい。額に置いていた手でくしゃりとわたしの前髪を掻き混ぜた。
「……まずは、事実を確認させろよ」
涼平は、全部を信じることはできなくても、わたしが困っていることはわかってくれたようだった。頭を撫でる手が優しくて――久しぶりの感触にほっとする。
「まず、雛姫はクリスマスパーティに出たくない。それはどうして?」
涼平の声が優しい。わたしは自分で思っていたよりも無理をしていたらしい。たったひとりで考えなくちゃいけない現状から涼平が味方になってくれるかもという小さな希望が見えただけで、ちょっとだけ泣きたくなった。泣かないけど、おねーちゃんだから泣かないけど。
「わたしのドレスがカッターナイフで切り刻まれて、それを見咎めた生徒会役員が婚約者を公開裁判するから」
「そこは事実じゃねぇよ、未来妄想だ」
簡素にまとめた答えに、涼平は広い肩を竦めて首を振った。
「それよりも前。クリスマスパーティ、誰かに誘われてるのか?」
涼平はわたしの目をじっと見た。
そう。目の前にある回避不能な壁がそれだ。言いにくくて視線をそらしてしまう。
「あの、ね。嘘みたいな話なんだけど、生徒会長と副会長と会計から誘われてるよ。あと、担任の先生と保険医からも、それっぽい話があって……」
悪役令嬢没落のルートを閉ざすために、ひとりの攻略対象者に関わり過ぎてゴールインしないないよう気を付けてたのに。まさかソレが逆ハーレムルートだったなんて詐欺だ。つい遠い目をしてしまう。
「ほー」
「女の子たちの嫉妬浴びて、ドレスのひとつやふたつ刻まれそうな状況だよね。あはははは」
はぁ、とまた溜息。
「生徒会長からは、告白……も、されてるんだ」
ボソリと付け加えたのは、家族相手でも普段は話さないコイバナ。従弟と言っても学校では接点がないわたしたちの間では、こういう話題は初めてだった。でもさ、もうこうなったら包み隠さず、と告げたそれは涼平にとっても驚天動地の言葉だったんだろう。
ぽかんとして聞いた涼平は、言葉を脳内で反復する時間を置いてから目と口を丸くあける。
「えぇ!?」
わかる、わかるよその気持ち。
わたしはうんうんと頷いて、涼平の驚きに同意を示す。
そのまま少し、ぽかんと沈黙の時間が空いて。テレビのコマーシャルだけが軽やかにリビングを流れる。あ、これ木崎さんのお父さんの会社だ。わたしが画面に目を奪われた時、唸るような低い問いが投げられた。
「――お前は、どうすんの?」
「クリスマスパーティ?」
「と、告白」
「クリスマスは出席日数に関係ないし、病欠するつもりだったんだけど……会長の方が困ったよねぇ」
本当に頭の痛い話だ。
「……ヒナは、会長のこと好きなのか?」
ヒナ。昔、わたしと涼平が双子みたいに暮らしてた時の呼び方だ。わたしはその頃のまま、彼をりょーちゃんと呼んでるけど、涼平の方はいつの間にか「雛姫」って呼び捨てになってたんだよね。
懐かしい呼び名に涼平を見上げると、彼は何かをこらえるように顔をしかめていた。
……まさか、笑うの我慢してるんじゃないでしょうね、りょーちゃん。疑惑を持ちつつも相談に乗って貰えるだけでも大変ありがたいので素直に首を振る。
「ううん、乙女ゲームの主人公でも、わたし自身は会長に恋心を抱いてるわけじゃないし」
「乙女ゲームとかは置いといても。……他に、好きなヤツがいるとか?」
涼平はコタツに頬杖をついてわたしの顔を覗き込む。嘘がないかを見極める時の彼の癖だ。ババ抜きであっさりと負けて来たわたしには馴染みのある仕草。
なのでわたしもしっかりと彼の目を見て答えた。
「乙女ゲームじゃないと、この状況は説明つかないでしょ?」
「……そっち?」
「え、どっち?」
「いや。説明つかないってのはどういうことだよ」
「だってだって。あの生徒会長だよ? 文武両道眉目秀麗、オマケに大財閥の御曹司! なんでわざわざわたしなの」
「そういう理論で来るか」
「そう! それに、副会長と会計もだなんて、本当に意味がわからない。担任の先生と保険医なんて生徒に言い寄って職を失う気なのかって、まぁあの人たちは教職じゃなくても余裕だろうけど」
教職員なんてやってるけど、ふたりとも大層なお金持ちで身の振り方はいくらでもあるだろう。邪魔になった教え子との過ちなんて、握りつぶせるだけの権力も十分だった。怖い。
「まぁ、確かに」
「ゲームの強制力が働いてるんじゃなければ、なんで普通の家で普通に育った、ちょっと特別奨学生なだけで可愛くもないわたし?」
耳にタコができるくらい聞きなれたフレーズは、生徒会の親衛隊の皆さんにも散々言われた台詞。だけど、わたしも心からそう思うんだ。
「会長に至っては、婚約者のご令嬢の方がよっぽど美人でスタイル良くて、可愛いし。男の人から見たら、そっちの方が良いでしょ?」
力強い頷きが返ってくると信じて求めた同意には、けれど意外な答えがあった。
「――俺は、そうは思わねぇよ」
涼平は頬杖をついた手のひらを口元全部を隠すように広げて、目線だけは真っ直ぐにわたしを見返した。
束の間、視線の強さに引き込まれるように涼平を見てしまう。りょーちゃん、ずいぶんと大人の顔になたんだなあ。まじまじと見つめた従弟の顔は、まるで初めてみる男の人だった。
「解決策、やろうか」
「えっ、あるの!? 欲しい欲しい!」
ふたりで入ったコタツの上、ぽんと手の平が差し出される。
大きな手の平だった。指先がまるでおいでおいでと言うように誘い動くから、蜜柑を置いたら速攻で振り落とされて、次案でテレビのリモコンを置いたら同じく拒否。
「ちっげーよ、あほヒナ」
もしかして、と恐る恐るお手をするように手を重ねる。正解を褒めるように、ぎゅっと指先が握り込まれた。
「俺と一緒に行けばいいんじゃねぇの、クリスマス」
なるほどわかりやすい作戦だった。攻略対象者の誰の手を取っても断罪ルート一直線なんだから、別の人と一緒に行けば問題はないだろうし。
「会長の方は、断れよ。好きな人と一緒に行きますって」
「ええと、そうするとりょーちゃんがわたしの好きな人になっちゃうよ?」
驚いて見上げると、涼平は何てことないように肯定する。ついでに、涼平の好きな人もわたしになっちゃうから、それは彼が困るんじゃないかなあ。
「問題ねぇよ。今まで近くにいすぎて気が付かなかったって言っとけよ」
「……完璧な理由。りょーちゃん策士だね」
完璧すぎて、ちょっとそわそわしてしまう。……まるで、どこにも作り事がないみたいな?
「ただの事実だしな」
もう一度、今度はゆっくりと繋ぐ手に力が入って。
じわじわと恥ずかしさが込み上げてきた。ちょっと、なにこれ。熱いよ、気温上がってるよっ。
「これで、解決だろ?」
少しだけ、不安そうな声。手は放したくないと言ってるように、ぎゅっと握られて。なぜだか顔を見ることもできずに頷くしかない。
「うん、お願いシマス」
そんな作戦で、クリスマスパーティは無事に私的成功を果たしました。