桜の大樹の媛巫女。
私は野道 咲。極々普通の15歳の高校1年生。因みに三月九日生まれのO型。…私の『咲』って名前、誕生日から付けたんじゃ…って思った事は一度や二度じゃありません。因みに名付け親は父方のお祖父ちゃん(洒落が好き)です。更に言えば、良く名字を野道、名前を咲に間違えられます。
…って、今はんな事どうでも良いんです。良いんですよ。私は、普通に高校からの帰り道を普通に歩いて帰ってきて、普通に家の玄関のドアを開けた筈なのに…何と、ドアの先には満開の大きな桜の樹がありました。
…あっれ〜?私、幻覚でも見ているのかしら〜?私の家って、普通の二階建ての一軒家だったんだけど…。
「って、何じゃこりゃぁぁぁぁあ!?」
え〜っ!?ないだろ…ないだろ!?いきなり玄関のドア開けたら桜の大樹がコンニハとかないだろ!?何それ、どんなファンタジーな展開なの!?
と、取り敢えず、ドア閉めよう。そして、深呼吸しよう。
ドアを閉めようと引いた手は、カスッと空を切った…って、え?何でドアノブ消失してるの?ドアノブもだけど、何でドアもドアが填まっている枠みたいなのもなくなってるの?て言うか、なんで後ろには大自然豊かな…って言うか、若干鬱蒼とした森が広がってるの?
試しに、頬っぺたをギュッと捻り加えながら摘まんでみたが…頬っぺたからは、摘ままれている感触と痛みしか感じなかった。要するに、これは夢ではないと言うことになる。
「え…えっ…えぇぇえ!?」
叫びながら、ふと昔読んだファンタジー小説を思い出した。
「え、もしかして…こ、ここって…異世界?」
その言葉を口にしたとき、頭の奥がスゥゥって冷えて、真っ白になってくる感じがした。周りの、風で草木の葉が擦れ合う音が、自分の少し早い鼓動が、やけに大きく感じる。体は冷えていくのに、体を巡る血液だけはそのまま体温を保っているのが不思議だった。
「………ヒュッ…!?」
不意に、変な呼吸音が耳に届いた…あ、コレはヤバイ。
「ヒュッ…カハッ!!…ヒュッ、ヒュッ。」
あー、こりゃ過呼吸だなぁ…っと、苦しくなる呼吸とは裏腹に、無駄に冷静に理解した。
正直過呼吸になるのは初めてではないし、何より…パニックも一周回れば何か冷静になるモノと言うのも、以前の経験から理解している…ただ、頭で理解しても呼吸は苦しいままなので、取り敢えずしゃがみこむ事にした。立ったままでは、酸欠でフラフラしてきた時に倒れてしまうかもしれないから。
しゃがみこむ時、咄嗟にと言うか反射的にスカートを地面に着かないように膝裏に巻き込む様にしたのが、冷静な赤の他人がこの光景を見たら笑うだろうなぁ…っと思えて、笑える状況でも、笑える気分でもないけど、声を出さないで口角を吊り上げるだけ笑ってみた。
「ヒュッ…ヒュッ…かふぅ…ヒュッ!?」
やっと一息吐けたかと思ったら、問答無用でまた呼吸が乱れる…生理的な涙が頬を伝い、飲み込めなかった唾液が口の端から一筋垂れ、酸欠により手先がジワジワと痺れてきた…あ、コレは本格的にヤバイかもしれない…。
命の危険をヒシリと感じたので、酸欠でボンヤリし始めた頭に鞭打ち、意識して大きく深呼吸をする事にした。手先がジワジワ痺れてくるような過呼吸の時には、私はこれで大体どうにかなる…今回も、きっとこれでどうにかなる筈だ。
「ヒュッ…はぁ…すぅ…はぁ…ヒュッ…。」
吸って吐いて、呼吸がちょっと乱れる…を暫く繰り返したら、何とか呼吸が正常に戻ってきた。
「はぁ、はぁ…本当に、ここドコだよ。異世界にしろ、地球上のどこかにしろ、何かしらあるだろ…特徴とか。」
目尻や目頭に残ったままの涙を制服の上から着ていたカーディガンで拭ってから、唾液をどうしようかと考え…ポケットから取り出したポケットティッシュで拭き取り、拭ったティッシュを再度スカートのポケットに仕舞いながらぼやきつつ…並々ならぬ存在感を放っている桜の大樹を見上げる。…うん、取り敢えず桜の咲き具合から見て三月下旬から四月上旬と見た。良く見たら、満開じゃなくて八分、九分咲きぐらいだし…って事は、ここアジア系?でも、最近はドコの国にも桜の樹があるし…一概には言い切れないか。
…ああ、こんな状況じゃなかったら、素直に花見出来たのに…いや、まだ花見って季節じゃないけども。どちらかといったら桜よりススキや十五夜とか柿や栗が似合う季節だけど…。
…でも、それでも、一人ぼっちで、知らない土地とか勘弁してくださいよ、もう。
桜の大樹を見上げながらはぁ…っと溜め息を吐き出し、目から溢れ出てきそうな、先ほどの涙とはまた違った涙をグッと堪えている時だった。
不意に、後ろからパキッと…乾燥した小枝を踏んだ時の様な小気味良い音が聞こえた。…だ、誰か来たのかな?それとも…や、野生動物!?
恐る恐る振り返ってみたら、そこには…黒いフード付きのマントみたいなのを着た人が居た。フードを目深く被っていて、目元が見えない。
や、野生動物じゃないだけマシだけど、もしかしたら野生動物以上にヤバイかもっ!?
バクバクと暴れる心臓をどうにか落ち着かせながら、精一杯の笑顔を作った。
「……は、初めまして。」
「…初めまして。」
あ、良かった。言葉通じるっぽい!!
「あ、あの…私は、野道 咲と言います。咲が名前で、野道が名字です。えっと…えっと、信じて貰えないかも知れませんが、私…。」
「…この大樹に『喚ばれた』のですね。」
私の言葉が終わる前にフード付きマントを着た人が口を開き、そう言った。…え、『大樹に喚ばれた』?この桜の大樹、意思でもあるの?それともこのお兄さんがイタイ人なだけな…ゲフンゲフン。いけない、いけない。初対面の人相手に何て事考えてるのよ…。
「私はエトワール・ガルディアン。この森の守り人をしています。大樹の媛巫女様。」
…ちょっと、待て。媛巫女とか…何だその中二病拗らせたみたいな呼び名…やっぱりこの人、イタイ人なのかな?
「ちょっと待ってくださいっ!!私はただ本当に、気が付いたらここに来ていただけで…。」
「大樹は稀にこの地と異なる世界から媛巫女を喚ぶ場合があり、喚ばれた媛巫女達は大抵自身が喚ばれた理由を知るりません。…媛巫女様は、この大樹の目の前に喚ばれたのですよね?」
「は、はぁ…そうですが。」
「この森の入り口は一つしかなく、しかも特殊な結界が張ってあります。その結界から中に入る…つまり、森の中に入るには我々守り人の許可なく入る事が出来ないのですが、媛巫女達は大樹の目の前に直接送られるので…入り口からの侵入以外なら媛巫女様しかいないのです。」
ううん、何だかイマイチ納得出来ん…ただ、何が納得出来ないってのも分からなくなってきた…ああ、頭がグルグルする。
「…取り敢えず、その媛巫女様って呼び名と敬語を止めていただけませんか?私の名前は、咲ですから。」
「…いや、でも…。」
「…エトワールさんは、何歳なんですか?」
「…今年で20になりました。」
「私は15歳です。…まぁ、誕生日をまだ迎えていないってだけですけど…取り敢えず、身分もへったくれも分からない、四・五歳も年下の娘に、そんな敬語を使うのもアレでしょう?」
影で敬語を使われないよりかは、堂々と敬語を使わない方が私も気が楽ですし。
「…はぁ、分かった。敬語も止めるし呼び名も変えるから、そんなに眉間にシワを寄せるな。痕になるぞ。」
そう言うと、エトワールさんは私の眉間を人差し指でグリグリっと解し始めた。おう…知らぬ間に寄っていたみたいだ。…あ、エトワールさんの手…と言うか指がヒンヤリして気持ち良い…。
「…おい、サク。何かお前、随分熱いが…って、おいっ!?」
フッと体から力が抜けて、エトワールさんに倒れ掛かってしまった…アレ、何か…体が熱くて、目がトロンと重くなってきて…た、立てれない…?
「はふ…ん〜…ん?」
重い瞼を頑張って持ち上げて、フワフワした視界、意識でまず最初に見えたのは…木の温もりを感じる天井だった。
「あ、サク…気が付いたか。」
「エトワールさん…?」
少し視線を動かすと…艶やかな黒髪に、黄金色の切れ長な目を持った、神秘的な雰囲気のお兄さんがそこに居た…え、エトワールさんってフード付きのマントを脱いだら結構なイケメンさんなんですね…。
「こちらに来た反動が出たのか、それとも単に体調を崩したのかは分からないが…相当高い熱が出ている様だ。」
あ〜、だから意識も視界もフワフワするのね…。
「一応薬持ってきたが…飲めれるか?」
「薬飲む前に、何か軽く食べたい…です。」
お粥って贅沢は言わないから、すり下ろしたリンゴとかが食べたい…いや、単に食前よりかは食後の方が胃が荒れないよなぁ…って思っただけなんだけどね。
「…そうだな。じゃあ、リンゴを切ってこよう。」
そう口にして、エトワールさんは部屋から出た。…異世界でもリンゴってあるんだ…何か感動。
妙な感動を抱きつつも、ダルい体に鞭打って、何とか上体を起こす…お〜、グワングワンする。
部屋を見渡したら、ベッドと簡素な作りの机と椅子、簡素な作りの…アレだ、日本で言うタンスみたいなのの洋風版の…チェストだっけ?まぁ、そんな箱、後はベッドの隣にあるサイドテーブル、サイドテーブルの上に置かれた花瓶(カスミ草に似た花が生けてある)ぐらいだろう。…ヤバい、またちょっと頭がグワングワンしてきた…。
あっ…と思ったときには、私は目の前のお布団にボフリと上体を埋まっていた。
フワフワ意識の中で、何か…柔らかいモノが唇に触れる感触がして、その直後に息苦しさとリンゴの甘い香りと風味が口の中いっぱいに広がって、息苦しさは感じるけど何だか幸せな気分になっていたら、ふと息苦しさがなくなり、その直後に再度息苦しさと…今回は苦い味が口の中に広がったので、思わず眉間にシワを寄せてしまった。
暫くその息苦しさと苦味と戦っていたら…苦味はまだ口の中に居座っているが、息苦しさは遠退き、代わりにまたリンゴの甘い香りと風味が口の中に広がった。先ほどの苦味を上書きするように広がった甘味にすがるように、少しだけ自分から口を開けて舌を使って甘さを求めてみた。
そこ辺りから、フツリと意識は途切れた。
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先程よりかは幾分かマシな顔色になり、呼吸も落ち着いてきた目の前の少女――サクに目をやり、少ししてまた目をそらした。
サクの言う通り、薬を飲ませる前に何か胃に入れた方がいいと思いリンゴを自身の口の中で噛み砕いてから口移しをし、それで薬を飲ませるためとは言え、意識のない女性の唇を奪ってしまったと言うのは、俺、エトワール・ガルディアンにとっては背徳と罪悪の感情しか湧かない…筈だった。
薬を飲ませた後の苦し気な顔がいたたまれなくて、もう一度リンゴを自身の口の中で噛み砕いてからサクに口移しをしている時だった。
不意に彼女が自ら口を少し開け、軽くだが舌を絡めてきたのだ。
その時、サクの突然の行動にただただ唖然としてしまったが…それより、ドクンッと自分の中の何かが脈打ち、疼く感覚を覚え、その疼きに何故かその時は身を任せてしまい…本能のままに舌を絡め…はたと気付けば、サクに対して濃厚な口付けをしてしまっていた。
唇を離して、サクの顔を覗き込めば…肩で息をしつつ目尻に少し涙を溜め、先程より赤くなった頬を見ていたら、いたたまれなくなり視線を下げたら…サクのリンゴのように紅く染まった唇に目が止まってしまい…再度顔を近付けようとしてしまった自分に嫌気がさした。
「……バカか、俺は…。」
最初の方は…まぁ、ギリギリ大丈夫としても、これでは寝込みを襲っているようではないか…。相手は自分より四・五歳年下の娘で、大樹の媛巫女で……何より、サクとは今日初めて出会ったと言うのに。
丁寧にサクをベッドに寝かせ、布団を肩までしっかり掛けてから、俺は近くの椅子に腰かけて頭を抱えた。…耳に微かに、キスをしたときのサキの艶かしい息遣いや声が残っている辺り、明日サクとどのように接するべきか悩んでしまう。
幾ら呼び名や敬語をなくしたとは言え、サクはあの大樹の媛巫女と言うのには変わりがない。…その媛巫女に色事やらかしたとかなると…ご先祖に顔向け出来ない所か、人様に顔向け出来ない。
別に、媛巫女と色事が出来ないと言うわけではない。媛巫女は大樹の世話をし、大樹から発せられる力をこの土地と同化させる力を持っているが、他者と交わっても力が落ちたり大樹から拒絶されるとかはない。現に、過去の媛巫女の何人かはこちらで結ばれ、子を生んでいたりする。
と言うか、一番最初の媛巫女がそれをやってしまっているから…大樹は色々と、懐が深い。
しかし、これは俺の中で決めていた掟みたいな物で…好きな相手でなくても、寝込みを襲うとか男として恥…と思っていたのだが…。
目の前の少女を見てしまうと、どうもその掟がグラグラと揺れて自制が利きづらくなるようだった…。
それから暫く、サクを寝かせている部屋から外に出て、頭を冷やすためも兼ねて剣の鍛練をし、汗を軽く拭いて服を着替えてからサクの様子を見に行って冒頭に戻る。
健やかな寝息をするサクの様子からは、先程濃厚な口付けをしたとは考えられない…いや、それをしたのは俺なのだが。
今回の媛巫女は、とんでもない人が来た…っと、俺は一人溜め息を吐くのだった。




