竜のゆくところ ~変わった宛先~
北西街道の先に、家々の屋根が並んでいた。
道沿いには店が並び、朝早くから荷車が行き交っている。夏の朝の日差しが白い道を照らす。街道脇の草を揺らす風が、町の中まで吹き込んでいた。
その向こうには、北部配送集約基地の大きな屋根が見える。
一頭の赤い飛竜が翼を広げ、朝一番の荷を積んで空へ上がってゆく。
その先には、白い入道雲が大きく立ち上がっていた。
北部配送集約基地の朝は早い。
木箱、麻袋、小包、手紙。各地から届いた荷が次々と運び込まれ、職員たちの手で行き先ごとに分けられていく。
リエラは手紙の束を抱え、仕分け台の前に立っていた。
ハルザ村。
王都ヴァルセラ。
魔王軍北方支部。
一枚ずつ宛先を確かめ、籠へ入れていく。
何枚か進んだところで、ひとつの封筒に目が留まった。
子供の字だった。
大きくて、不揃いで、宛名の最後だけ妙に大きい。線はところどころ曲がっているのに、迷いなく紙の上を走っている。
差出人の住所は、ハルザ村。
宛先も、ハルザ村。
名前からすると、女の子から男の子への手紙だろうか。
封筒を裏返し、表へ戻す。
隣の仕分け台にいた年上の女性が、荷札を確かめながら横目を向けた。
「また何か見つけた?」
「ハルザ村から、ハルザ村です」
「あら。それなら直接渡した方が早そうね。まあ、出した以上はこっちの仕事だけど。竜は荷札に従うってね」
ハルザ村で出された手紙は、一度ここまで運ばれてくる。仕分けを済ませてから、また北西街道を戻っていく。
ずいぶん遠回りだ。
宛名の字は、楽しそうに見えた。
リエラは封筒をハルザ村行きの籠へ入れた。
次の手紙が来たのは、秋の気配が近づいた頃だった。
同じ女の子から、同じ男の子へ。
しばらくして返事も届いた。
男の子の字は女の子のものより乱れていて、右へ傾いている。急いで書いたように見えた。
返事を書いて、とでも催促されたのかもしれない。
冬になると、また女の子から手紙が来た。その返事も少し遅れて届いた。春にも、同じように二人の名前が仕分け台へ現れた。
季節が巡るうち、リエラは二人の字の癖を覚えていった。
女の子の字は、ときどき最後の一画が楽しそうに跳ねた。
男の子は、急いで書いた時ほど右への傾きが強くなる。
中身を読むことはできないのに、字を見ていると勝手に物語が浮かんだ。
昼休み、リエラは食堂の隅で手帳を開いた。
途中まで書いた恋の物語が、何本もある。
出会ったところで止まったもの。喧嘩をしたところで止まったもの。ようやく気持ちを伝えそうになって、その先が書けなくなったもの。
一つも最後まで書き上げたことはなかった。
向かいに腰を下ろした同僚が、パンをちぎりながら頁を覗き込む。
「また恋の話? 今度こそ読ませてよ」
リエラは手帳を自分の方へ寄せた。
「やです。まだ途中なので」
「いつも途中じゃない」
同僚はパンをひと口食べてから、リエラの手元へ目をやった。
「人の恋ばっかり書いてないで、自分の方はどうなの」
「探してます」
「そのうち、って言うんでしょ」
リエラは頬を膨らませたまま答えず、頁へ視線を戻した。
今の仕事に不満はない。
ただ、昼休みに手帳を開く時間も好きだった。
いくつか季節が巡った。
女の子の字は次第に行の中へ収まるようになり、男の子の字からも幼さが薄れていった。それでも、それぞれの癖は残っている。
ある春、女の子から届いた封筒の住所が変わった。
ハルザ村ではない。
テルミナ。二番標に近い辺りだった。
宛名は、これまでと同じ男の子だった。
リエラは女の子の新しい住所を目でなぞった。
「今度は何があったの?」
隣の女性が訊いた。
「引っ越したみたいです。この子」
「もう知り合いみたいね」
リエラは否定しなかった。
テルミナへ移ってから、女の子の手紙は増えた。
季節が変わるのを待たずに次の一通が来て、その返事も以前より早い。
二番標近くなら、ハルザ村から会いに行けない距離ではない。それでも毎日のようには会えない。
その距離を埋めるように、二人の手紙は行き来した。
封筒も厚くなり、ときには小さな包みが混じるようになった。
誕生日だろうか。何かのお祝いだろうか。
リエラはそんなことを考えながら、二人の便りを仕分けていった。
テルミナの名も、いつしか珍しいものではなくなった。
北部配送集約基地へ届く荷の中に、その町の住所が増えていく。
一つで足りていたテルミナ行きの籠は、いつの間にか二つになり、街道を走る荷車の数も増えていた。
二人の字も変わった。
紙いっぱいに広がっていた女の子の文字は細くなり、きれいに行の中へ収まるようになった。それでも、名前の最後が跳ねる癖は残っている。
男の子の字も、もう子供のものではない。
右へ傾く癖だけは、昔と変わらなかった。
リエラは、そんな変わらないところを見つけるのが好きだった。
ある年、男の子の住所が王都ヴァルセラに変わった。
今までで一番遠い。
それから、二人の手紙が届く間隔は長くなった。次の一通が来る前に、季節がひとつ進むこともある。
その代わり、届く封筒は以前より厚かった。
会えないぶん、書くことが増えたのだろうか。
遠く離れたぶん、伝えておきたいことが増えたのだろうか。
そんなことを考えながら、リエラは王都行きの籠とテルミナ行きの籠の間を行き来した。
それから何度か季節が巡った頃、女の子から男の子へ、小さな木箱が届いた。
荷札には酒類を示す印があり、箱の側面には陸竜のシルエットが描かれたラベルが貼られていた。
あの大きな字で手紙を書いていた二人が、もう酒を贈る歳になったらしい。
持ち上げると、中で瓶が小さく鳴った。
リエラはそのまま、王都行きの荷へ回した。
翌年、王都ヴァルセラから一通の手紙が届いた。
差出人は、あの男の子。
宛先は、あの女の子だった。
手に取った瞬間、いつもとの違いに気づいた。
薄い。
字も、いつもとは違っていた。乱れているわけではなく、一画ずつ迷わず置かれている。
何かを決めてから書いた字に見えた。
二人の関係に、区切りをつけるための手紙なのかもしれない。
封筒を持ったまま、しばらく仕分け台の前に立っていた。
中身は読めない。
やがて、その手紙をテルミナ行きの籠へ入れた。
それを最後に、二人の名前は来なくなった。
最初のうちは、仕分け台に積まれた封筒を見るたび、あの右へ傾いた字を探していた。
似た筆跡を見つけて手を止めることもあった。けれど、差出人も宛先も違う。リエラは封筒を決められた籠へ入れ、次の一通を手に取った。
春が過ぎ、夏が来た。ハルザ村からは相変わらず手紙が届き、テルミナ行きの籠も毎日のようにいっぱいになった。
それでも、二人の名前は見つからなかった。
ある日、昔から隣で仕分けをしていた女性が、荷札を見たまま何でもないことのように言った。
「そういえば、あの二人の手紙、もう来なくなったわね」
「……そうですね」
その夜、リエラは新しい恋の物語を書き始めた。
大きな街へ出ていった男の子と、故郷に残った女の子。最初のうちは届いていた手紙も、少しずつ間が空いていく。
やがて男の子は帰らなくなり、女の子だけが手紙を待ち続ける。
書いているうちに、目の奥が熱くなってきた。
リエラは鉛筆を置いた。
別の終わり方も考えてみたが、どれもしっくりこない。
その話も、結末は空白のまま残った。
翌朝も、リエラはいつもの仕分け台に立った。いっぱいになった籠を運び、空いた場所に次の束を置く。王都行きが片づけば、今度はハルザ村行き。そんな毎日のうちに、見慣れた筆跡も少しずつ増えていった。
ある朝、ハルザ村から届いた封筒を手に取って、リエラはふと思い出した。
以前は、この村の名前を見るたびに、あの二人のことを考えていた。
いつからそうしなくなったのだろう。
少し考えてみたが、思い出せなかった。
封筒を籠へ入れると、次の束を手元へ引き寄せた。
五年が過ぎた。
北部配送集約基地のまわりにも、いつの間にか家々が増えていた。
以前は荷車が行き交うばかりだった道沿いに、倉庫や宿が建っていた。そこから新しい枝道が延び、その先にも家が並んでいる。
配送基地へ向かう人や荷車の姿も、以前よりずっと増えていた。
その日遅番だったリエラは、いつもよりゆっくり家を出た。
夏の日差しが白い道を照らし、テルミナの町にはいつもの賑わいが広がっている。
七日市広場の周りには店が並び、食堂では人間の店員が椅子を出している。向かいでは角のある商人が木箱の蓋を開けていた。
その横を、小さな陸竜を交えた竜運の一団が通り過ぎていく。
広場の先には、温泉から引かれた湯を使う入浴施設の屋根が見えた。湯上がりらしい客が暖簾をくぐり、その脇では荷車が行き交っている。
途中の文具屋で足を止める。
店先に、小さな手帳が積まれていた。
今使っているものにはまだ頁が残っていたが、何となく一冊手に取った。
店の奥から主人が顔を出す。
「お姉さん、それならこっちの方が紙がいいよ。鉛筆でも引っかからない」
二冊を開き比べ、すすめられた方の紙を指でなぞった。
「これにします」
「毎度」
新しい一冊を鞄へ入れ、北部配送集約基地へ向かった。
基地が近づくと、大型荷物の受付では商人たちが荷車から木箱を降ろしていた。
その横では、新しく作られた一般向けの窓口に、手紙や小包を持った人が並んでいる。二人の受付職員が、順番に荷を受け取っていた。
リエラが建物の脇にある従業員入口へ向かっていると、一般窓口の方から幼い子供が飛び出してきた。
「待って」
後ろから女性の声が追う。
子供は勢いのまま数歩走り、足をもつれさせて転んだ。
リエラはすぐにしゃがみ込み、手を差し出した。
「大丈夫?」
子供は驚いた顔で見上げたあと、その手を握った。
立ち上がると、自分で膝の砂をぱたぱたと払う。
追いついた女性が子供の肩へ手を置いた。
「すみません。ありがとうございます」
「いえ」
リエラが道を譲ると、子供は何事もなかったような顔で女性の手を握り直した。
二人は七日市広場へ続く道を歩いていった。
着替えを済ませ、仕分け場へ向かう途中、受付の裏を通りかかったところで声をかけられた。
「リエラちゃん、ちょうどよかった。これ、仕分けの方にお願い」
差し出されたのは、一通の封筒だった。
「間違ってないか確認したんだけどね。それで合ってるって」
受付の女性が封筒を指で軽く叩いた。
「変わってるわよね。差出人も宛先も同じ家。受取人さえいれば別にいいけど……」
リエラは封筒を受け取った。
北部配送集約基地の近くまで伸びた住宅地の住所が書かれている。
ずいぶん遠回りな手紙だった。
差出人の名前を見た瞬間、息が止まった。
最後の一画が、わずかに跳ねる。五年経っても残っていた、あの字だった。
宛名には、もう一つの名前がある。
同じ住所に、二人の名前が並んでいた。
リエラはもう一度、差出人と宛名を見た。
次の瞬間、涙が一気にあふれた。
「ちょ、ちょっと、リエラちゃん。どうしたの?」
手紙を渡した女性が、そっと肩に手を置いた。
もう一人の受付職員も、驚いたようにこちらを見る。
リエラは片手で目元を拭ったが、涙は止まらない。
「……嬉しいんです」
二人が顔を見合わせた。
リエラは封筒から目を離せないまま、もう一度だけ言った。
「すごく、嬉しいんです」
あの薄い手紙で、一度は終わったのかもしれない。
どこかでまた会ったのかもしれない。リエラが勝手に終わったと思っていただけかもしれない。
中には、何が書かれているのだろう。
改めて、末永くよろしく。
そんなことが書かれているのかもしれない。
「……変わった子ねぇ」
手紙を渡した女性が、小さく言った。
休憩になると、リエラは食堂の席で出勤途中に買ったばかりの一冊を開いた。
まだ何も書かれていない最初の頁を一枚めくり、次の頁に鉛筆を置く。
あの封筒を見た時の気持ちを、どう話せばいいのか分からなかった。
リエラは書き始めた。
知らないところは想像すればいい。この話なら最後まで書けるような気がした。
向かいに、いつもの同僚が腰を下ろした。
新しい手帳を見つけると、口元を上げる。
「また書いてる。今度こそ見せてよ」
リエラは鉛筆を止めた。
反射的に手帳を閉じかけて、その手を止める。
「……書き上がったら」
そこまで言って、迷った。
「読んでくれる?」
同僚が目を丸くした。
「どうしたの。急に自信ついた? それとも彼氏でもできた?」
リエラは頬を膨らませた。
「そっちはまだ募集中!」
同僚が吹き出した。
リエラは頬を膨らませたまま、頁へ視線を戻した。
休憩が終われば手帳を閉じ、仕事のあとでまた開いた。
翌日も、その次の日も続きを書いた。
これまでは途中で別の話を思いつけば、そのまま放ってしまうことが多かった。
けれど、この話は続いた。
終盤まで書き進めた時、題名をつけていなかったことに気づいた。
その日の仕事を終え、北部配送集約基地を出た。
日はもう落ちていた。
西の空には、日の名残を溶かしたような紫色が残っている。
七日市広場へ続く道では、店の明かりがひとつ、またひとつと灯り始めていた。
リエラは道の端で立ち止まり、鞄から手帳を取り出した。
空けておいた最初の頁を開き、題名を書く。
変わった宛先
書いた文字をしばらく眺めた。
その時、遠くで翼の音が重なった。
顔を上げると、夕暮れの空を三頭のワイバーンがこちらへ向かってくる。
一頭、また一頭と高度を落とし、大きな屋根の向こうへ降りていった。
リエラはその姿をしばらく見送ってから、頁へ目を戻した。
そして、さきほどの題名の上にもう一行を書き足した。
竜のゆくところ
〜変わった宛先〜
その題名を眺めているうちに、次の話が浮かんできた。
手帳を閉じて鞄にしまい、七日市広場の明かりへ向かって歩き出す。
風が街道を渡る。
小さくなっていく背中の向こうで、テルミナの灯りが揺れていた。




