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灯台守の灯台

作者: 雨宮 沙奈
掲載日:2026/02/03

 私は独眼の巨人だ。

 頭部に巨大なガラスの目玉を持ち、海という名の暗黒に向かって、光の矢を放ち続けている。

 私の目は、フレネルレンズと呼ばれる何層ものプリズムの集合体だ。

 中心の光源から放たれた小さな灯火を、屈折と反射によって増幅し、数十キロ先の沖合まで届く強力なビームへと変換する。


 グルン、グルン。

 水銀槽の上に浮かぶレンズが、重力に従って回転する。

 一分間に三回。

 正確な周期。

 光、闇、光、闇。

 それは私の呼吸であり、海上の迷子たちへの「私はここにいる」というモールス信号だ。


 私は岬の突端に立っている。

 風が強い。

 潮風が私のコンクリートの肌を叩き、塩の粒子を擦り込む。

 波が岩壁に砕ける轟音が、私の足元から這い上がってくる。

 寂しい場所だ。

 陸地の果て。海の始まり。

 背後には松林が広がり、前方には死と深淵が口を開けている。

 私はその境界線に立つ番人だ。


 「今日も荒れるな」

 灯台守の爺さんが、螺旋階段を登ってくる。

 彼は私が建てられた時から、ずっと私と共にいた。

 毎晩、彼は私の目の掃除をする。

 アルコールを含ませた布で、レンズを丁寧に拭く。

 一点の曇りも許されない。

 指紋一つ、埃一つが、光の到達距離を縮め、船の運命を変えてしまうかもしれないのだ。

 「頼むぞ」

 彼の手は節くれ立ち、皮膚は鮫肌のように荒れていたが、レンズに触れる時だけは、赤子を撫でるように優しかった。

 油の匂い。タバコの匂い。潮の匂い。

 それが彼の匂いだった。


 私は船を見たことがない。

 正確には、彼らと「会った」ことがない。

 彼らは水平線の彼方、光の届くギリギリの場所を通過していく点に過ぎない。

 彼らは私の光を見て、「ああ、あそこが岬だ」「陸地だ」と安堵し、そして遠ざかっていく。

 私は近づいてはいけない存在なのだ。

 私に近づくということは、座礁を意味する。

 私は彼らを愛しているが、彼らを拒絶することでしか守れない。

 パラドックス。

 だから私は、一方的に光を送る。

 届いてくれ。気づいてくれ。そして、無事に帰ってくれ。

 片想いの恋文を、一晩に何千通もばら撒く。


 ある日、「近代化」という波が押し寄せた。

 電球はハロゲンからLEDに変わり、回転装置はモーター制御になった。

 そして、無人化が決まった。

 「これで俺も御役御免か」

 爺さんは寂しそうに笑った。

 最後の夜。

 彼はいつものようにレンズを磨いた。

 「お前は一人でも大丈夫だ。立派な灯台だ」

 彼は私の鉄の手すりを叩いた。

 泣いていたようにも見えたが、暗くてよくわからなかった。

 

 翌朝、彼は荷物をまとめて去っていった。

 白い制服姿の背中が、松林の中に消えていく。

 行かないでくれ。

 私を一人にしないでくれ。

 自動制御装置なんていらない。

 私は君の手で光りたかった。


 それから、長い時が流れた。

 私はオートメーションの機械として、淡々と光を放ち続けた。

 掃除に来るのは、月に一度の点検業者だけ。

 彼らは事務的で、私に話しかけたりはしない。

 レンズは汚れやすくなった。

 光が少し弱くなった気がする。

 あるいは、私の心が曇ったからだろうか。


 嵐の夜。

 雷鳴が轟く。

 停電。

 陸地の灯りが全て消えた。

 街も、港も、闇に沈んだ。

 だが、私には非常用バッテリーがある。

 ウィーン、という音と共に予備電源が起動する。

 私は消えない。

 この世の全ての光が消えても、私だけは光り続けなければならない。

 それが王としての義務。


 光の筋が、暴風雨の闇を切り裂く。

 その光の中に、私は見た。

 一隻の小さな漁船が、波に揉まれているのを。

 必死に舵を取り、港への入り口を探している。

 迷っている。恐怖に怯えている。

 「こっちだ!」

 私は叫んだ。

 回転を止めて、その船を照らしてやりたかった。

 でも、それはできない。

 私は規則正しく回ることしかできない。

 グルン、グルン。

 ほら、ここだ。

 岩場はあそこだ。港は右だ。

 諦めるな。


 船上の男が、顔を上げてこちらを見た。

 光が彼の顔を照らし出す。

 その顔は、あの灯台守の爺さんの息子だった。

 ああ、彼もまた、海に生きていたのか。

 

 船は私の光を道標に、大きく舵を切った。

 大波を乗り越え、岩礁を回避し、安全な湾内へと滑り込んでいく。

 助かった。

 私は安堵のあまり、フィラメントが焼き切れそうになった。

 

 翌朝、空は嘘のように晴れ渡っていた。

 私は白亜の塔として、青空にそびえ立つ。

 誰も昨夜の私の戦いを知らない。

 それでいい。

 賞賛はいらない。感謝もいらない。

 私はただ、そこに立っているだけでいい。

 

 私は沖合を見つめる。

 水平線の彼方。

 見えない誰かが、私を頼りにしている限り。

 私は回る。

 光を送り続ける。

 この孤独こそが、私の光の燃料なのだから。


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