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カリテスの恋路  作者: 野神 真琴
ロネパニア帝国 遠征編
9/27

2-3 異変

 グリーンラインを外れると一気に悪路へ変わる。揺れる荷台と大袈裟な音を立てる車輪は、皆を神経質にさせてしまうが、中でも耳が良い人にだけ聞こえる、ライアの小さな祈りは、ミアを苛立たせるには十分だった。


「ライア、黙れ!」


 ミアが叫んでも馬が少し反応しただけだった。ライアは覚えている範囲の教義に、恨みやら嫌味やら混ぜた言葉を、ミアに怯む事なく唱え続ける。体制はさっきよりも丸くなっており、ライアはこのまま赤子に戻りたいと切に願った。


 ミアは大きな舌打ちをして、足の指先を起点にして片足を小刻みに揺らす。サールは何かを言おうとしたが、口を開く事すら面倒だったので、今日の晩御飯に思いを馳せながら外の景色を見た。


 馬車内の雰囲気とは違って、外側に広がる空気は澄んでいた。グリーンラインのように、行き交う馬車によって起こる砂煙はなく、馬車一台がギリギリ通れる小道の左右には、手入れの行き届いていない森が広がっている。木々の隙間から射す木漏れ日は、まだ太陽に力が残っていると訴えかけ、湿った苔や葉っぱ達は冷えた空気を作り出す。


「少し、馬を休ませても構わないですかね?」

「村までもたないか?」

「どうにも馬がバテちゃって。普段よりも騒がしいからですかね?」


 馭者は馬車を止めて降りた。サールは馭者が急いで馬に水をやっているのを眺め、ライアは未だに蹲って小さな声で何かを言っている。ミアは何かを思い出したかのように立ち上がり、馬車の縁に足を掛けて身を乗り出し、辺りを探るように顔を動かす。


「いい男でも見付けた?」


 サールの冗談をミアは無視したが、代わりに馭者が「わしゃあ、既婚者ですぜ」と返した。ミアは眉間の皺を深めたり、鼻を大袈裟に鳴らして匂いを嗅いだり、耳に手を当てたりしている。サールや馭者の冗談に付き合っている暇はなさそうだ。


「意外ですねぇ」

「嬢ちゃん、そりゃあどういう意味だい?」

「嫌だなぁ、冗談に冗談を返しただけですよぉ」


 馭者とサールが笑っていると、ライアがようやく起き上がった。真っ赤な目は二日酔いのせいなのか、静かに泣き腫らしたせいなのかは判然としない。ライアは馬車から降りて気持ちよさそうに伸びをした。


「気持ちのいい森ですね」

「もう怒ってないの?」

「ずっと怒っていても仕方ありませんから」


 ライアの言葉を聞いたサールは安心した。ここまで切り替えが早いのだから、いっそのこと帝国へも一緒に来ればいいのにとサールは思ったが、纏まった話が再び散らかるのは面倒なので黙っておいた。


「主は仰いました」ライアは人差し指を立てる。「怒りの正体は、感情ではなく思考であると。神様が我々に与えてくださった心と感情、それとは別の次元から来るのが怒りなのです。怒りは美しい感情を乱す醜い思考であります。考えるから怒りが現れる。頭を空にして、心で物事を感じるのです。この美しい森と澄んだ空気を前にしては、わたくしの愚かな思考など無意味でしょう。勿論、わたくしをこんな所まで攫ってきた貴女方に天罰が下るのは当然ですけどね」


 ライアは立てていた人差し指を下げて、体の動きまで使って深呼吸してみせた。よく空気が綺麗だとかいう言葉を耳にするが、それの意味が全く解らないサールには、ライアの行う動作が嘘臭く思えてしまう。


 サールが周りを見ると、ミアは目を閉じて耳に手を当てており、馭者までもがライアに触発されて深呼吸をしている。自然とやらの良さが全く解らないサールは、こんな虫の多い所に居ないで、早く馬車を出して欲しかったが、それを言えるような雰囲気ではない。


「やばいな」

「そうです、自然とは本当に凄いです」


 ミアの小さな呟きにライアが同調して、馭者も黙ったまま頭を振って肯定する。サールは肌寒く感じてきたので、荷物から何か服を取り出そうと決めた。


「不味いぞ……」

「そうです、この空気は本当に美味しい。王都の空気は汚れて不味いですからね」


「サール」ミアが急に叫んだ。「今すぐに火を焚け。おっさんは荷車と馬の連結を離せ。ライアは燃えそうなものを集めろ」


 ミアの言葉を聞いても誰一人動かなかった。突然の指示に動けなかったのだ。ミアは舌打ちをしてから、躊躇う事なく馬車の一部分をへし折って、即席の棍棒を作ってみせた。ミアの簡単な力でへし折れる程度の強度だ。武器として利用するのは難しいだろうし、相手が人間ではない事は確かだ。そこでミアは自身が少し混乱している事に気付く。


「動け」


 次に叫んだのは馭者だ。元々は冒険者をやっていた事もあり、少しくらいは危険を察知する能力もある。馭者はミアの行動を見て察する事は出来たが、自身に何の危険が降り掛かろうとしているのかは全く解っていない。


「ちょっ……」

「えっ?」


 ライアとサールは戸惑いから出た、言葉ではない声をそのまま漏らす。ミアは「何かが来るぞ」と言いながら、俊敏に馬車から降りて地面にある石を拾い始める。


「火を見て逃げてくれれば幸運、荷物に気を引いてくれればマシ。だけど、もし俺達を狙う猛獣ならば、馬一頭づつバラけて逃げろ。組み合わせはおっさんとライア」


 ミアは端的に説明しながら、大きな石を集めていく。馬車が止まるまで気付かなかったが、森が異様に静かだったのだ。ミアはレンジャーではないが、冒険者の依頼では森での仕事も多く、こういった異常な雰囲気は直ぐに察知出来る。逃げた動物が残していく静けさや、植物が作り出す異常な雰囲気などが、近くに大物が居る事を示唆している。もし、猛獣ではなく魔力を纏って魔法を行使する魔獣ならば、全員が生き残るのは難しいだろうとミアは考えている。


 ミアは自分の直感を大事にしている。冒険者は感がよくないとやっていけないというのが彼女の持論で、感がいいから生きて来られたと思っている。今回の旅では何かが起こる気がしていたし、だからこそ出来るだけ武装を整えておきたかった。そして、いま近くにいる猛獣が大物だと感が伝えているし、戦闘を避ける事は出来ないと感が教えてくれるのだ。中でも、嫌な感は往々にして当たるものだ。


「ちょっと、それ、私の大事な服よ」

「丁度いいです。よく、燃えそうじゃないですか」

「よくないわよ!」

「いいのです」

「ちょっ、やめっ」


 鞄を逆さにして中身を出すライアの腕を、サールは掴んで必死に抵抗している。普段は非力なライアなのに、何故か今はサールよりも力がある。サールはこの服達を揃えるのに、ギルド受付嬢として二年働く分くらいの金貨を使った。帝国の上流階級や世界の大商人を落とす為に持ってきた、庶民には中々買えない大切な服だ。燃やすどころか地面の土が付くのすらサールには許せない。


「死んでもいいのですか?」

「この服を燃やすなんて自殺も同然だわ」

「わがまま言っていると、一緒に燃やしますよ?」


 地面に散らばった服をかき集めたサールは、それを這いつくばった自身の下に隠して、身を挺して覆い被さってみせた。サールが「燃やすなら燃やしなさい」と強く言うと、ライアは火打ちとカーフリトス、別名燃焼石のかけらを持ってニヒルに笑う。ライアなら平気で火を放つと察したサールは、両手一杯に服を抱えて立ち上がり、急いで逃げ去ろうとした。魔物だか悪魔だかが、こんなにも身近にいると、サールは思いもしなかったのだ。そして、本当に猛獣が近づいている事は知りもしなかった。


「来るぞっ!」


 ミアが叫ぶと皆が固まった。馬の連結を外すのにまごついていた馭者、両手一杯に高価な服を抱えたサール、火打ちとカーフリトスのかけらを構えているライア、そして石を準備していたミアもだ。


 木々の隙間から現れたのはアグリオムダスと呼ばれる四足歩行の猛獣だ。普通のアグリオムダスよりも二回り程度大きく、サールを四人並べたくらいの大きさだ。覆われた茶色い体毛は針の鎧と呼ばれる程に硬く、鋭い牙と爪には、獲物を逃さないようにする為の返しが付いている。


「最高に最悪だ」


 ミアはそう言って舌打ちをする。普通のアグリオムダスなら素手でも余裕で倒す事が出来るが、いま目の前に居るアグリオムダスはリーダーよりも強い、キングレベルの個体だ。長く生き残った名のあるアグリオムダスだろう。


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