2-2 分岐点
サールが深い眠りに入ろうとした時、甲高い叫び声が彼女の脳を強制的に覚醒させた。馬車の荷台で叫んでいたのはライアだ。上半身だけを起こしたライアは、周りと状況を見ながら「キャァー」と叫ぶ。金属どころかスクリロモス鉱石ですら切れそうな声だ。
「うるさいぞ、ライア」
ライアの鋭い金切り声を聞いて、最初にキレたのはミアだ。うたた寝をしていたサールは目を覚まし、馭者は馬を不安にさせないように必死だ。
「今は何時ですか?」
「今は十五の刻って所だ」
「十五刻? 十刻や十二刻は何処へいったのですか?」
「とっくに過ぎている」
「ここは何処ですか?」
「王都を出て少しした所だ」
「どうして、私がこんな所に?」
「帝国領のバザル自由都市へ向かっている所だ」
ライアは「バザル?」と小声で言って、自分の置かれている状況を探ろうとした。前の晩、ラミーで話した事は覚えている。全てではないが、ある程度は覚えている。しかしライアはどうして自分が此処にいるのかは全く思い出せない。
「降ろしてください。朝のお祈りに間に合わないと」
「ライアの教会は朝のお祈りを昼過ぎに行うのか?」
ライアの顔が青ざめるのを見たミアとサールは、とりあえず耳を塞ぐ事にした。その判断は正しかったらしく、ライアは泣きながら叫ぶ。馭者は「馬が怖がる」と端的に伝えたが、ライアが口を閉じようとしないので、ミアは自身の耳を抑えるのを諦めて、代わりに発生源を強制的に抑える。
「んんんん」
暴れながら何かを言うライアに対して、ミアが「冷静になれ」と言った。ライアの後ろに回ったミアは、肘打ちをされたり、髪の毛や腕を掴まれたりもしたが、口を塞ぐ手を退けなかった。
「ライア、ミアの言う通りよ。とりあえず冷静になりましょう」
「そうだぞ、これ以上暴れるなら、口じゃなくて首をしめる」
「ミアは本気よ」
「俺はいつだって本気だ」
少しだけ冷静になったライアは、ミアへの攻撃をやめて大人しくなった。サールが「もう叫ばない?」と問いかけると、ミアに口を塞がれているライアが頷いた。
ミアの手が口元を緩めた瞬間、ライアは「ぎゃああああ」と叫ぶ。サールは耳を塞ぐのが間に合わなかったし、馬車は大きく揺れてしまった。一番冷静なミアが、直ぐにライアの首を締めた。
「くそっ」
ミアはそう言ってライアの首元を緩めた。もうライアは叫ぶことも動くこともない。サールが「殺してないわよね?」と冗談を言うと、馭者がこちらを見て目を見開く。
「自業自得だな」ミアはそう言いながらライアの首を確認する。「こいつの叫び声を聞き続けたら、こっちが死んでしまう」
ライアの首は簡単に折れそうな程に細く、その以上に白い肌は不思議な事に痣も出来ていなかった。ミアは執拗にライアの首を確認したが、外傷も内傷も全く見られない。上手く動脈を圧迫できたのだろうと、ミアは納得する。
「ライアが次に起きたとき、また騒いだらどうするの?」
サールの質問に対して、ミアは肩を竦めただけで何も返さない。二人は考えるのが面倒になり、ライアではなく馬車の外を見やる。そこには綺麗な麦畑が広がっている。誰がこんなにも作っているのか、ここらが誰の土地なのかも二人には解らないが、この素晴らしい麦達が人の手によって作られている事に感動する。神が起こす奇跡なんかよりも凄い。人はすでに神を超えているのかもしれないと、ミアは現実逃避をする。
「いま戻るなら、夜には王都へ戻れるけど?」
馭者の提案に対して、ミアとサールは首を振った。最初からこうなる事は解っていた。ミアが「出来るだけ王都から離れてくれ」と返すと、馭者は頭を掻きながらも了承した。
「グリーンラインから外れて、少しした所に村があるけど、そこに尼さんを置いていったらどうだい?」
「その村って、ハウスが在る所ではないですよね?」
「そうだけど?」
グリーンロードにはグリーンハウス、通称ハウス呼ばれる施設がある。村の規模にまで発展している大きな所もあれば、素泊まりが出来るくらいの小さな所もあるが、その全ては安全が保証されている。ギルド連盟が主体になって運営しており、国家間の軋轢や摩擦とは無縁の中立地帯として機能しているのがハウスだ。旅人の中では「次にまた起きたいならハウス、ずっと眠りたいなら野宿」なんて格言があるくらいだ。
「大丈夫な所なのですかね?」
「そこまで治安は悪くないと聞いているが?」
いくら王国内で王都から近い村であろうとも、余所者に対して排他的な所も多い。ライアを置いて行くにしても、そこから馬車を雇うにしても、出来れば友人を危ない所には連れて行きたくないという気持ちが、サールを不安にさせる。
「ミアはその村を知ってる?」
「何度か行ったことあるし泊まったこともあるぞ」
「どんな所だった?」
王都と比べて物資も宿も馬車も値が張るし、隙を見せればカモにもされるような街なので、ミアは「まぁ、普通の村だな」と答える。ミアは当然だがサールでも何とかなる筈だ。しかし、世間知らずのライアを一人で残すには不安が大きい。それでも、ちゃんとした馭者をサールやミア見分けて、村で馬車の手配をしてあげれば、ライアでも王都へ戻れるだろう。
「その村へ寄るくらいの時間ならありますぜ」
「どうしましょうかしら?」
「そうだなぁ」
三人は馬車を走らせつつ考えた。このままグリーンラインを辿って進むのか、少し道からそれて小さな村へ向かうか、もういっそのこと王都に引き返してしまうか、色々な案が出ているが分岐点はすぐそこだ。
サールと馭者が話し合っている時に、ミアが「どうしたい?」と突然声を上げた。サールと馭者がミアの方を見やると、彼女は寝転がっているライアを見ている。
「さっきから、聞いてるだろ?」
いつの間にかライアは目を覚ましていたらしく、ミアの声に反応するように体を縮こめる。ライアは馬車の隅で出来るだけ荷物にならないように丸まり、皆に背を向けている。小刻みに震えながらネックレスを手にして、ライアは誰にも見つからない様に泣いていたが、誰がどう見ても泣いている。
「おい」
ミアが呼び掛けても反応しない。ライアが喋れないのではなく、不貞腐れて喋らないだけだと察したサールが、優しく「ねぇ」と語りかけた。
「今なら日が暮れる頃には王都に戻れるけど、ライアはどうしたい?」
「みんな、お前の態度に困ってるんだ。さっさと決めろ」
「ちょっと、ミア」
ライアは少しだけ鼻を啜った後に、背中を向けたまま「サールさんは帰りますか?」と言った。サールとミアは顔を見合わせる。ミアは無言で顔を横に振り、サールは何度か縦に振る。
「わ、私は帝国まで行くつもりよ」
「どうしてですか?」
「どうしてって、ほら……」
サールが言い淀んでいるのを見たミアが、割り込むように「今はお前がどうするかを聞いてるんだ」と怒鳴った。ライアは鼻を啜りながら、ネックレスを中心に体を近付け、自身を更に丸くさせる。
「ちょっとミア、怒鳴るのはやめなさい。ライアが可哀想じゃないの」
「可哀想なのは俺達だろ。こいつ、どーせ嘘泣きだぜ。同情させて、サールも一緒に王都へ連れて帰ろうって魂胆だ」
「そんな筈ないじゃない」
サールはミアの事を口では否定したが、本心ではライアならありえると思っていた。ライアとは長い付き合いになるが、彼女は庇護欲を刺激するような可愛い見た目を使って、結構な狡猾さを見せる時があるのだ。
「ねぇ、ライア」サールは子供に話し掛けるように言った。「もしも帰るなら、この先の分岐点で道を外れなければならないの。どうするか早く選ばないと、このまま一緒にハウスに泊まる事になるわよ?」
「サールさんは帰りますか?」
サールの返答を遮って、ミアが「だから、サールは帝国へ行くって言ってるだろ」と怒鳴った。ライアがどうしても一緒に帰りたいのは既に伝わっている。
「お取り込み中、申し訳ないんですが、もう分岐点が見えてきやしたで」
馭者の言葉を最後に少しだけ沈黙が続いた。馬車は車輪を轟かせながらも、分岐点へ向かって素直に進んで行く。皆がライアの返答を待っている。
「帰ります……」
ライアの声は馬の息よりも小さかったが、それを拾ったミアが「右に頼む」と馭者に伝えた。馭者とサールはミアの指示を聞いてから、ライアはやはり帰るのだと知った。




