2-5 謎の少年
ミアは現状で一番の脅威となり得る敵を探し、ライアの近くにいたアグリオムダスの背に乗る。ミアは気を込めた拳でアグリオムダスの頭を叩いて行動を阻止した。ライアとサールが戸惑っていると、斧が飛んできた方向から、剣を持つ一人の少年が走ってきた。ミアと同じような栗色の髪をした少年は、身の丈に合っていないロングソードをアグリオムダスに突き立てる。
「そこで、身を縮めてろっ」
少年はそう言いながらアグリオムダスを一頭切り伏せ、素手で苦戦しているミアに加勢した。少年を見たミアは、どうしてカリテスの面々が生きているのかの疑問を強める。少年はミアよりもはるかに弱い。他の強者が三人を救ってくれたのだ。
「おい、ガキ」ミアは叫ぶ。「早く俺に得物を貸せ」
少年は不服そうな顔を浮かべながらも、腰に付けた短刀をミアに投げた。ミアはロングソードの方を貸せと言いたかったが、そんな暇もないので短刀で我慢した。
「おばさん、やるなぁ」
少年はミアの動きを見て感心した。左手が使い物にならないミアは、右手に持つ短刀だけでアグリオムダスを倒していく。ミアはおばさんと言われたことに対しての怒りをぶつけるように、アグリオムダスの首を全力斬りつけたが、どの角度で切りつけても剣は首の骨で止まってしまう。
「くそっ」
ミアは直ぐに短刀を引き抜いて、アグリオムダスを連続で切り刻んで絶命させる。もし仮にロングソードを借りていたとしても、アグリオムダスの首を一刀両断するのはミアには難しい。不可能ではないが難しい。投擲でアグリオムダスの首を落とすなんてありえない。
「おい、ガキ」
「なんだ?」
「お前の仲間はどこだ?」
「ジジイならもうすぐ来る。それまでに、そこのでっかいのを殺すぞ」
自分よりも弱い子供に命令されたのは癪だったが、ミアは舌打ちを返しつつも命令に従うことにした。一応は命の恩人だ。それよりも、ミアは自分よりも強者が来ることに期待を隠せない。
「ミア、大丈夫?」
遠くからサールが声を投げ掛けてきたので、ミアは「問題ない、そこに居ろ」と大きな声で返事した。まともな武器さえあれば、アグリオムダスなんてミアの敵ではないし、キング個体にも負ける事はないだろう。それに、ミアよりはまだまだ弱いが、謎の少年も役に立つ程度の強さはある。
「あの少年君は誰なのでしょうね?」
「知らないわ。でも、お陰様で助かったわよ」
「全ては神のお陰です」
「全てはライアのせいよ」
サールとライアは戦闘の邪魔にならないように喋った。サールの胸はまだ激しく脈を打っており、生き残った事の実感を噛み締めながらも、油断しないように現状を眺めた。もうすでに一番大きいアグリオムダスキング以外は仕留められており、ここから事態が悪化することはなさそうだ。
「もしかすると」ライアは小さく言う。「神様はわたくしが帝国へ行く事をお望みなのかも知れません」
「朝の祈りやら何やらをすっぽかして、王国を勝手に出たから罰が当たったとは考えられないの?」
「そんな訳はありませんよ、サールさん。我が主は寛大な心の持ち主ですし、敬虔な信徒であるわたくしに罰を与える筈がありません。もし仮に、本当に主が罰を与えるおつもりなら、わたくしは今頃、あの獣の胃の中で反省している筈です。もしかすると、主はわたくしが王国に帰るのをお望みではないのかも知れません。」
面倒になったサールは「そうかもね」と適当に返した。ライアは神様への感謝を小さく早く唱え、その間にミアと少年はアグリオムダスキングを倒した。
「まだ、そこに居てくれ」
ミアはサールとライアに向かって大声で話し掛けた。ミアの左腕は大きな穴が空いており、早く治療をしないと元に戻らないのではないかと不安になったサールは、ライアに「あの腕、大丈夫かしら?」と問い掛けてみた。
「どう見ても大丈夫じゃないですよ」
「ちゃんと治癒できるかしら?」
「ポーションくらい持ってきているのでは無いですかね?」
「それがね、私が置いて来させたのよ」
「どうしてですか?」
「それが……」サールは言葉を詰まらせる。「ミアったら、帝国に武器をたくさん持ち込もうとしたから、それを私がやめさせちゃったの。だって、そんなに武装する必要ないと思ったし、こんな事になるなんて……」
サールは自分でも気が付かない内に涙を流していた。もしもミアの左腕が治らなかったら、サールにはどうすればいいのか解らない。片腕で冒険者をやっている人は珍しい訳ではないが、確実にミアのキャリアにも傷が付いてしまうだろう。
サールが静かに泣いていると、馭者が馬車の下から這い出てきて、格好良く「大丈夫だ、嬢ちゃん」と言った。ライアとサールが期待を込めて、土埃だらけの馭者を見やる。
「ポーションなら、俺の馬車に何個か積んでいる」
馭者の言葉を聞いたサールは更に泣き始めた。不安が解消されても、安心がサールを泣かす。ライアはほっとした吐息を出し、馭者は自分が一人で隠れていた事を忘れさせるのに成功した。
「どうしたんだ?」
アグリオムダスをしっかり全部仕留めたかの確認をしたミアは、泣いているサールの元に駆け寄りながら言った。ミアは偽りのない笑顔を浮かべており、自分の運が感を上回った事に満足感を抱いていた。
「サールの奴、死ぬかと思って泣いちまったのかよ?」
ミアは笑いながら言った。サールは急いで涙を拭きながら、強めに「違うわよ」と返すが、ミアには強がっているようにしか思えず、ついつい揶揄ってしまう。そんな二人を見たライアは微笑み、馭者は荷車に置いてあるポーションを取りに行った。
「頬だけじゃなくて、パンツも濡らしてねぇだろうな?」
「そんな冗談を言ってないで、少しは自分の腕を心配したら?」
「ん、これか?」
アグリオムダスの返り血で真っ赤のミアが、穴が空いた方の腕をあげる。いつの間にか止血していたらしく、ミアは「かすり傷だ」と言いながら笑った。ミアはサールとライアを心配させない為に格好を付けてはいるが、左腕は上げるだけでも激痛が襲い掛かる。自分の脈が左腕で止まっている不快感、感覚が遠のく程の痺れと、意識や呼吸が乱れる痛み、寒気を催すほどの暖かい鮮血、それら全てをミアは笑顔で耐えてみせた。冒険者にとっては軽い怪我だ。
「嬢ちゃん」馭者がポーションをミアに渡す。「これなら、どんな傷でも癒やしてくれるだろうよ。お代は後でギルド協会に請求するか、上手くちょろまかすから大丈夫だ」
ミアはポーションの瓶を雑に開けた後に、慎重かつ丁寧に左腕へと注ぐ。腕の穴は煙を発しながら、痛みと共にゆっくりと塞がり、衣類の部分だけが丸い穴を残す。傷は元に戻るのではなく、治癒を早めるといった具合なので、なかなか消えない傷跡としてミアの腕に残る。
「完璧だ」ミアは左手を開けたり閉じたりして腕に力を入れる。「最近はポーションも結構値が張るだろうに。本当にいいのかよ、おっちゃん?」
馭者は「勿論だ」と言って格好を付けたが、納品する用のポーションなので、数が合わないと上手く言い訳をしなければならない。もしも自腹で弁償する羽目になったら、給料の一ヶ月分は消えてしまうだろう。
ライアとサールもミアの腕を確認した。傷の多い芯を感じさせる細い腕だ。冒険者としては魅力的ではあるが、嫁入り前の女性としては難のある腕だ。
「ミア、ごめんね」
「何がだ?」
「私達のせいで新しい傷が出来たから……」
ミアは首を傾げながらサールとライアの腕を見た。サールは腸詰めみたいに内側から張り裂けそうな腕をしており、ライアは白くて骨張った不健康な腕だ。ミアは二人の腕と自分の腕を比べて、今回の傷で更に魅力的で格好いい腕になったと、我ながら惚れ込んでしまう。
ライアは素直に謝れるサールを見ながら、自分も何かしらを言うべきだと悟った。ライアも本当は謝罪をしたかったが、どういう風に謝ればいいのか解らない。サールみたいに泣きながらミアを心配する事はおろか、謝罪すら上手く出来ない自分が情けない。
「わたくしも……」
ライアが少しだけ言い淀むと、ミアとサールは不思議そうな目を向ける。詰まった謝罪の言葉がライアを苦しめる。勝手に連れてこられた怒りは既に無くなっており、今のライアはただ単に恥ずかしいのだ。
「何だよ?」
「いえ……」
「まさか、ライアも帝国へ行きたくなってきたか?」
「えっ?」
「死にそうになって生き方を見直したんだろ?」ミアは傷だらけの手をライアの肩に添える。「人生は一度きりだ。いつ死ぬかもわかんねぇんだから、ライアも一緒に楽しもうぜ。あんな辛気臭い教会で、訳の分からない祈りを捧げている場合じゃないぞ」
謝罪をしようと思っていたライアだが、それは来る予定の無い死期にでも伝えればいいだろうと開き直った。期待で目を輝かせるミアとサールに対して、ライアは「そうですね」と返す。
「ごめんねライア」サールは改まって言う。「さっきは貴女のせいにしちゃったけど、元々、帝国に行こうなんて言い出したのは私だし、ミアの武器を取り上げたのも私だもの。全て私のせいだわ」
「いや、サールのせいじゃない。俺が弱かったせいだ。二人に怖い思いをさせて、本当にすまない」
「いえ、ミアさんのせいでも、サールさんのせいでもありません。わたくしが我儘を言ったせいです」
ライアは自分の非を認めたが、最後まで謝罪の言葉を言わなかった。代わりに「そして、わたくし達カリテスが生きているのは、全て主のお陰なのです」とライアが言うと、いつも通りの日常に三人は笑い合った。




