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94 国境街道 ーChapter エリオス

 オクターブが駆けていった後、エリオスは荷物を手に階下へ降りた。


 宿の戸口の脇で待っていると、すぐにシリルとオクターブが姿を現した。

 既に旅装を整えていたシリルは、エリオスを見て軽く頭を垂れる。


「出立するぞ」


 二人を確認したエリオスが、朝の挨拶もそこそこに踵を返そうとしたその時、シリルが声をかけた。


「殿下、少しお待ちください」


「何だ?」


「この先の道筋を、一度確認させていただけませんか。関所をどう越えるか、足はどうするか。共有しておきたいのです」


 エリオスの眉がわずかに寄る。一刻も早く発ちたい。その焦りが、抑えきれない。


「時間は取りません」


 シリルは静かに、しかし譲らない声で言った。

 そこでオクターブが口を挟んだ。


「殿下、シリル殿の言う通りかと。道中で齟齬があっては、返って時間を失います」


 一瞬、二人を見比べた。そして嘆息したエリオスは、


「……わかった。手短に済ませてくれ」


 渋々といった様子で踵を返し、早足で宿の奥へ向かう。シリルとオクターブがその後に続いた。


 食堂は早朝の為か、まだ人の気配がなかった。椅子が整然と並び、昨夜の酒と煮込み料理の匂いが、微かに残っている。

 隅のテーブルに着くなり、エリオスは直ぐ口を開いた。


「まず肝心なことを。先ほど密偵から報告が上がった。追放された侍女と官女、四人のうち三人が死んでいた。病死、事故死、遺体で発見。全てナルヴァ国内だ」


 その報告に、シリルの表情が強張る。場の空気は生温い気怠さを含むものから、緊張感漂う冷ややかなものに一瞬包まれた。


「口封じ、ですか」


「間違いなくそうだろうな。残ったのは東へ逃れたという官女だけだ」


「……急がねばなりませんね」


 シリルは荷物の中から地図を取り出した。それをエリオスとオクターブが覗き込む。

 テーブルの上に広げられた地図の上を、シリルの細い指が道筋をなぞる。


「では、道筋をご説明させてください。ここから東へ向かうには、鉱山街道を使うのが最も早い。国境付近までは、鉱山で働く者たちが使う荷馬車に紛れましょう。あの道は人の出入りが多い。怪しまれません」


「国境を越えた先は?」


「徒歩で関所を抜けたその先に、小さな宿駅があります。そこで馬を借りましょう」


 宿駅といっても宿泊する場所ではない。馬や荷を替えるための中継所だ。

 そこには商人や旅職人、学者やクーリエなど、様々な肩書を持つ多くの人間が行き交う。

 

 なるべく人目を避けたいところだが、馬を借りるためには立ち寄るほうが賢明か。


 そう考えつつ地図を覗き込んでいたエリオスの視線の先、シリルの指が国境線を越えた先で止まった。


「それと、ご質問なのですが、殿下は王家の御方としてお通りになられるのでしょうか?」


 これがシリルにとっては、目先の一番の懸念材料だったのだろうことは、エリオスにも察せられた。

 それなりの地位のある者が、関所を通過する。それは、もし何かあれば即、外交問題になり得る。向こう側の警戒が、高くなるのは目に見えてる。先手を打たれて、最後の一人を消されかねない状況になるだろう。


「いいや。俺とオクターブは、商人ということになっている」


 シリルが怪訝そうに、エリオスを見る。


「偽装証を?」


「兄のお墨付きだ」


 エリオスの返事に、シリルは小さく苦笑した。納得したのか、呆れたのか。どちらにしろ、彼もそのことについては問題ないと判断したのだろう。


「では、三人共に商人ということで参りましょう。両替商の仕事で国境を越えることは珍しくありませんので」


「そうだな。その辺りは我々では知識不足かもしれん。助かる」


 エリオスの視線が、地図の先を見た。

 国境を越えた先、ナルヴァの東部に細い線が伸びている。


「ここから先は?」


「鉱山街道を北東へ。国境に沿って伸びています。商人も兵も使う道です。逃げるなら、必ずここを通る」


 シリルの確信に満ちた声に、エリオスとオクターブは、静かに頷いた。

 その道の先に、最後の証人がいる。


「行くぞ」


 すばやく地図を畳んだシリルは、それを鞄の中へ入れる。

 そして、三人は素早く席を立った。





 ウィンターから東へ伸びる鉱山街道は、国の大動脈だった。


 荷馬車が刻んだ深い轍が、山脈の麓まで続いている。鉱石を積んだ車列が行き交うため、道幅は広く、宿駅も多い。


 鉱山で働く者たちが使う荷馬車に紛れ、三人は東へ向かった。


 荷台に揺られながら、オクターブは黙って周囲を警戒していた。シリルはと言うと。

 鉱山路では、馬車がすれ違う際に道を譲りあいながら進む。そこでは馬車が一旦スピードを落とし、ゆっくりとした動きとなって停止する時間も生まれた。その間、向かい合う商人たちと短い言葉を交わしていた。情報を集めているのだろう。


「調子はどうだ?」


「あっちは下だよ。そっちは?」


「満月、またな」


「おう、また酒でも」


 そんなやり取り。商人同士の挨拶を装いながら、さりげなく話を引き出している。


 やがて、国境の監視塔が見え始めた。


「ここからは徒歩です」


 シリルが小声で言ったあと、速やかに三人揃って荷馬車を降り、関所へと向かった。





 ウィンター側の関所が見えてきた。夏の朝だというのに、鉱山近いこの場所では僅かな涼しさを含んでいる。

 石造りの高い門の前には、憲兵が数人立っており、通行人の書類を確認し荷物を改めていた。


 エリオスは、フードを目深に被り直す。ウィンター側の関所なら、顔を知られている可能性が多大にあった。


「書類を」


 憲兵の一人が手を差し出した。


 シリルが三人分の通行証を渡す。エリオスとオクターブのものには、王太子府の印璽が押されてある。


 憲兵は普段そうするように、慣れている仕草で書類に目を通した。

 だが、その手と目が、ピタリと止まる。


 印璽に気づいたのか、視線がこちらへ向いた。フードの奥、目が合う。


 そして。


 憲兵の表情が、わずかに変わった。


 姿勢をそうとはわからない程度で但し、


「どうぞ、お通りください」


 短くそう言って、書類を返した。そして軍人の礼を取る。

 エリオスたちがそこを過ぎるまで、憲兵は礼を崩すことはなかった。


 三人は関所を抜けた。

 背中に憲兵の視線を感じながらも、振り返らずに歩を進める。


 国境を越えると、次はナルヴァ側の関所が待っていた。


 ナルヴァ国の憲兵たちは、エリオスの顔を知らないだろう。

 だが、別の問題がある。


「書類を見せろ」


 ナルヴァの憲兵が、無愛想に手を差し出した。


 シリルが通行証を渡す。憲兵は書類を眺め、眉をひそめた。


「商人だと?」


「ええ、両替商です」


「だが、この印と名は」


 憲兵の目が、書類に押された王太子府の印璽に止まった。


「商人が、なぜ王太子の印を持っている?」


 空気が、一瞬張り詰めた。

 肩に、かすかに力が入る。オクターブの手が、さりげなく腰の辺りの剣帯に下りた。


 その時、シリルの軽い笑い声が聞こえた。


「ああ、彼ですか」


 シリルはエリオスの方を親指で示しながら、憲兵に近づいた。声を落とし、悪さでも企むかのように口角をあげた。


「王宮御用達の商人なんです。……ここだけの話ですが、彼はね。王太子殿下のお気に入りでして」


 憲兵が眉を、見てわかるほどに吊り上げる。


「はぁ? お気に入り?」


「ええ。ほら、見てくださいよ。ご覧の通り色男でしょう? まあ、そこは同じ男なら、ね? 察してやってもらえませんか」


 エリオスは、オクターブと同時に、思わずシリルを見る。


 何を言っている、この男は。


 口に出さずとも、エリオスとオクターブの声が重なった気がした。


 だが、ここで動揺を見せるわけにはいかない。咄嗟に表情を繕い、にこやかな笑みを浮かべた。オクターブも、側近としての忠誠と、現場の状況判断の板挟みなのだろう、顔を引きつらせながら必死に頷いていた。


 憲兵は三人の顔を順番に、じっくりと舐めるように視線を落としてくる。


 そもそも、印璽の主であるウィンター国の王太子は、ナルヴァ国の至宝であるリージェリア姫が嫁いだ国だ。

 その王太子のお気に入りとは? とでも言いたげに、今度は不躾なまでの視線に変わる。


 眉を顰めつつ、何か言いたそうな顔をしていたが、やがて納得したのか「なるほどな……」などと呟いた。加えて、シリルの押しの強さに気圧されたのだろう、不承不承ながらも書類に許可の判を押し、突き返してきた。


「……通れ、良き旅をな」


 なんとなく憐れむような目線を投げてきたが、それ以上は追及してこなかった。


 三人は関所を抜けた。


 少し歩いてからシリルに、小声ではあったがエリオスの低い、ドスの利いた声が飛ぶ。


「……何が、王太子のお気に入りだ」


「咄嗟に思いついたんです。お許しください」


 シリルは涼しい顔で、肩を竦めながら答えた。


「ですが、通れたでしょう?」


 何か言い返そうとしたが、言葉が出てこなかった。オクターブが小さく咳払いをする。


「まあ、結果良ければ、ということで。ですが新たな問題も浮上する予感がします」


 あの憲兵が、仮に上へ報告をしたならば、非常にややこしい問題に発展しかねない。

 だがナルヴァ国側も、そこまで目くじらも立てない案件であることも、直ぐに思い至る。

 ナルヴァの王と王太子こそ、妾愛を幾人も持っていることは有名だったからだ。


「不本意だ。……だが今は、先を急ぐぞ」


 三人は知らず知らずのうちに足早に、次の目的地である宿駅へ向かった。

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