93 チャリティバザー・マルシェ ーChapter セレイナ
天使の靴下を作り、栞を書き、ひとつひとつ丁寧に包んでいく。
セレイナと母だけでなくガレーニャも元より、伯爵邸の女性使用人たちも仕事の合間、手が空いた者から率先して手伝ってくれた。
「この包み方、可愛らしくていいですね」
「リボンは何色がいいかしら?」
「やっぱり星の森だから、金色と緑がいいんじゃない?」
「でもお嬢様の髪色の銀も、瞳の淡いブルーのリボンにしても、とても素敵だと思います!」
あれこれと意見を出し合いながら、商品が仕上がっていく。
侍女のひとりが、栞を読んで目を輝かせた。
「この童話、素敵ですね。天使が幸運を届けてくれるなんて」
「小さな頃、母がよく読んでくれたのよ。私のお気に入りだったの」
セレイナが説明すると、侍女たちは感心したように頷いた。
「ロマンティックですよねぇ。枕元に置いて眠ると、天使がお願い事を叶える魔法をかけてくれるって」
「でしょ?」
一同は賑やかに、皆が一丸となって、準備を進めた。
大勢の女性たちが集まり、身分や日頃の仕事を越えて、それぞれが同じ目的に向かいながらも、笑い声の絶えない場となっていた。
☆
その日は晴天に恵まれ、大聖堂前の噴水広場は人で溢れていた。
建国祭を前にしたこの日、広場には色とりどりのテントが立ち並んでいる。
貴族婦人たちのチャリティバザー・マルシェだ。白や淡い青の天幕が、晩夏の陽射しを受けて輝いている。
この日ばかりは、大聖堂前の噴水広場はもちろん、そこに続く大通りへの馬車の立ち入りは禁じられていた。
広場へと続く石畳の道にはチャリティバザー以外にも、商人や露店商たちも出店しているテントが、ずらりと並んでいる。香草焼きの匂いが漂い、焼き菓子を売る店からは甘い香りが立ち上がる。輪投げや的当てといった遊戯の露店には、子どもたちの歓声が響いていた。
平民も貴族も関係ない。この日だけは、誰もが同じ空の下で、同じ祭りを楽しむ。
セレイナは、エルグレン伯爵家に振り分けられたテントの前に立っていた。
二つある片方の台には、母が用意した婦人用の小物入れや、レース編みの手袋などが並べてあり、その横の台には天使の靴下が並べられていた。
「まあ、可愛らしい」
足を止めた壮年の貴族婦人が、靴下を手に取った。
「これは赤子用? の靴下かしら?」
「天使の靴下と申します。童話に出てくるもので、天使のための靴下です。詳しくはこの栞に書いてあります」
セレイナが説明すると、婦人は栞を読み、目を細めた。
「素敵なお話ね。娘が来月出産なの。安産のお祈りにもいいかもしれないわ。おひとつ、贈り物にいただくわ」
「ありがとうございます」
品物を包み、代金を受け取る。婦人は満足そうに去っていった。
それを横目に見ていた婦人方が、次から次へとセレイナの前へとやってきた。
「これ、ひとつちょうだい」
「二つ頂けるかしら?」
「この刺繍、とても丁寧ね。どなたが?」
「私共家の者、皆で作りました」
「まあ、お上手ね」
声をかけられるたびに、セレイナの笑みは深くなる。
自分が作ったものを、誰かが手に取ってくれて喜んでくれる。
それが、こんなにも嬉しい。
隣では母が、別の品物を売っている。セレイナのすぐ横では、ガレーニャも手際よく手伝いをしてくれている。その後ろには、王后陛下から遣わされた女性騎士が二人と、伯爵家の護衛が二人。
守られている。そして、こうして外に出ることができている。
周りの人の温かさと気遣いに心から感謝し、こうして過ごせることへの充足感で胸が満たされていった。
☆
昼を迎える前に、天使の靴下はすっかり売り切れていた。
「まあ、もう無くなってしまったの?」
「ええ。全部、売れたわ」
「凄いじゃない、セレイナ」
母が驚きの声をあげるが、その顔は嬉しそうに綻んでいる。
「星の森の商品、王都でも人気が出るかもしれませんね」
そう言ったガレーニャ。彼女も、とても嬉しそうだ。
「そうだといいのだけれど」
セレイナは少しの苦笑いを浮かべ、照れたように顔を俯けると、商品台に残された、クロスを畳み始めた。
台の上には、もう売るものがない。母の方にはあと僅かだが品物が残っている。が、こちらは手持ち無沙汰だった。
「お母様、少しだけ、他の方の露店も見て回ってもいいかしら」
「あら、そうね。折角だものね」
母は頷くが、すぐに表情を引き締める。
「でも、噴水広場の中だけよ。遠くへは行かないで」
「もちろん、わかっているわ」
セレイナはテントが落とす影から身を出し、そこから一歩、足を踏み出した。隣にガレーニャが並び、女性騎士二人が二人の後ろについた。
噴水広場の中を、辺りを見回しながら歩く。
あちこちのテントから、声が聞こえてくる。
茶器や、使わなくなったのだろう、手ごろなアクセサリー、書籍など、様々なものが見られた。
だが、さすが大規模なバザー・マルシェなだけあって、人の波が途切れることなく続いている。
平民の家族連れや、手をつなぎながら歩く若い男女の恋人たち、夫の腕に手を絡ませる老夫婦。貴族の令嬢たちも、侍女を連れて歩いている。子どもたちが大きな声で笑いながら、道を縫うように駆け回っている。
セレイナは、焼き菓子の露店の前で足を止めた。
甘い香りが漂っている。蜂蜜をかけた揚げ菓子だ。王宮に上がる前、このマルシェで母とよく買って食べたものだった。
(お母様に買って持って行こう)
「これを、一袋……」
そう言いかけた時、後ろから誰かがぶつかってきた。
「あ、すみません」
振り返ると、荷物を抱えた男がそそくさと去っていくところだった。
人混みが、凄まじい。
四方八方から人が押し寄せてくる。肩がぶつかる。足を踏まれそうになる。
ガレーニャが、セレイナの腕を取った。
「セレイナ様、一度テントへ戻りましょう。人が多すぎます」
「そうね」
セレイナはガレーニャに同意した。何するにもこの人混みでは、融通が利かない。普段こういった場に慣れない自分は、簡単に皆からはぐれられる自信もある。
焼き菓子は諦めて、母の待つテントへ戻ることにした。
人混みをかき分けるように歩く。ガレーニャが左側に、騎士たちが後ろについている。
人の波は容赦なく押し寄せてくる。
右側から、また誰かがぶつかった。
それを何度も繰り返し、母のいるテントが目の端に入る距離になった。
そしてまた、誰かと肩がぶつかった。
小柄な人影だった。麻の安いフードを目深に被っている。そこからは長い金髪が零れて見える。口元は、日除けなのか、何かの布で覆っていた。
「すみませ……」
セレイナが謝ろうと、咄嗟にそちらの方へ顔を向けた、その時だった。
パシャ、と。
何か液体が、顔にかかった。
え?
一瞬、何が起きたのかわからなかった。
水? いや、違う。
次の瞬間、燃えるような熱さが顔を襲った。
皮膚が焼けるような痛み。目を開けていられない、息が荒くなるほどの熱さ。
「っ……!」
声にならない悲鳴が漏れた。
セレイナは両手で顔を覆い、その場にうずくまった。
痛いくて、熱い。
焼ける。
そして
「いやあぁ! あああっ! ああ……あぁっ!」
無意識に出る、痛みの声。
ジリジリと肌が、焼けていく感覚に襲われる。
何が起きたのかわからない。ただ、顔が燃えている。皮膚が溶けていく。
鼻を突くような刺激臭に交じり、金属と自身が焦げている匂いが襲って来る。
周囲で悲鳴が上がった。
「セレイナ様!」
ガレーニャの声が聞こえる。騎士たちが慌てて、セレイナを抱えようとする気配もわかる。でも、遠い。
「駄目! 触らないで!」
ガレーニャの激しい声。騎士たちが伸ばしかけた手を止めた。
顔を近づけたガレーニャは、セレイナが顔を押さえる手を、強い力で引き離した。
外気に触れた頬が、さらに痛み出し、それが体中の全てを支配した。
ガレーニャの顔が近づく気配がする。
「助、けて」
セレイナは、そう声に出すのがもう、精一杯だった。
くんくんと鼻を鳴らしたガレーニャは、セレイナのワンピースの肩口を、思い切り破いた。その動きには、一切の迷いがない。
セレイナの視界が、ぼやけて暗くなってゆく。石畳の冷たさが、頬に触れている。
「誰か! 水をっ、早く! 出来る限り多く持ってきて! 早く!」
その声に反応したのだろう、傍にいた露店主の男性が、傍にあった水桶を持ってきてくれた。
ガレーニャが思い切り、セレイナに水を数度浴びせかけた。
「まだ足りません! もっと水をっ! 急いで! お願いです!」
彼女の叫びに、周りに居た他の男たちも、動き出す。
後ろに居た女性騎士は、何事かと好奇の目で見る野次馬たちを、その場から離そうと、奥へと押しやっていた。
ガレーニャの顔は、返り水なのか、汗なのか、それとも涙なのか。彼女も水を浴びたかのように顔を濡らし、表情をぐちゃぐちゃにしながらも、懸命に男たちが持ってきた水を、セレイナにかけ続けていた。
「セレイナ様、大丈夫です、大丈夫ですよ」
ガレーニャがセレイナの耳元で、そう声を震わせながらも囁いた。
だが、セレイナの意識は、既に途切れていた。




