表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

90/95

90 命の軽さ ーChapter エリオス

 情報を突き合わせる必要があった。シリルが持っているもの、エリオスが持っているもの。それぞれの断片を並べて、ひとつの図面を描く。


「追放された侍女と官女は四人いる」


 エリオスはそう切り出した。


「そのうち一人が、東へ逃れたと言ったな」


「はい。ナルヴァから更に東、国境沿いの小さな街に身を潜めていると、掴んでおります」


「残りの三人は?」


「そこまでは。殿下の方で何か」


 エリオスは首を振った。密偵を放ってはいる。だが、まだ何も戻ってきていない。

 二人の間に静寂が訪れるが、それぞれが思考を巡らせているのは、言わずともお互いに理解していた。


「シリル」


 エリオスが、腕組みをしつつ、先に口を開いた。


「貴殿に話しておかなければならないことがある」


 名を呼ばれたシリルも、思案しつつ瞑っていた目を開け、姿勢を正し直す。


「セレイナは、毒を盛られていた」


 言葉にしてしまえば、それは短い一文でしかなかった。だが、その一文が持つ意味は重い。


「長い期間をかけて、少しずつ。身体を内側から蝕む種類のものだった」


 表情を固めたシリルは、その両手が膝の上でゆっくりと拳を作っていく。静かに、確実に、指が掌に食い込んでいく。そして、呼吸が少しずつ乱れ、息遣いが荒くなっているのがわかる。


「王太子妃の侍女たちが関与している。だから、奴らの証言が要る」


「……それで、追っていると」


「ああ」


 俯いたシリルの長い灰色の髪が、顔に影を落とす。


 やがて、彼は顔を上げた。


 その目を見た瞬間、エリオスは思った。ああ、この男は本当にセレイナの兄なのだ、と。同じ血が流れている。濃淡の差はあれど同じ青の瞳の奥に、同じ種類の強さがある。ただし、今そこに宿っているのは、エリオスがセレイナの目に見たことのないものだった。


 憤怒。

 深くて濃い、怒りだ。


「許せ、ない」


 シリルは小さな声でそう、呟いた。思わず出たのだろう。決して感情を殺しているのではない。感情があまりに強すぎて、声に乗せきれない。そんな声だった。


「追放された侍女どもも。それを命じた者も。決して」


「命じた者か。そこまで察しているか」


「察するも何も。リージェリア妃殿下付の、侍女と官女が処罰されたのであれば、その主が無関係ということはないでしょう。考えるまでもないことです」


 エリオスは頷き、そのまま話し続ける。シリルの怒りに同調しないよう、冷静に。そして事実のみを淡々と。


「王太子妃だけではない」


「……というと」


「グレイストン公爵夫人。ミレーユ・グレイストン。俺の兄の元・婚約者だった女だ」


 シリルの眉がわずかに動いた。その名前を把握しているのだろう。だが、なぜ? と言う表情を隠しもせずに、エリオスに向けた。


「なぜ、そこにミレーユ夫人が関与しているのでしょうか?」


「詳細はわからんが……。ここは推測でしかない。ヴァルター公はかつて、セレイナの恋人だったと彼女本人が言っていた。この辺りは個人的なことだ。あまり俺が話すことではないのだがな。そしてリージェリア妃とミレーユ夫人は、かつて同じ学び舎に居た経緯がある。元々、学友だった。その繋がりだろう。その二人が組んで、セレイナを陥れた。ただし、ミレーユの夫、ヴァルター公爵は関与していない。毒のことも知らなかった」


「それは確かですか」


「ああ。寧ろ、ヴァルターが持ち込んでくれた毒の瓶で、事態を大きく前に進めることが出来た。そして公も初めて妻の本性を知ったのだろうな。今はこちらに協力してくれている」


 シリルはそこで再び目を瞑り、黙り込んだ。新しい情報を整理しているのだろう。商人は情報を扱う仕事だ。どの情報が重要で、どの情報がそうでないか。それを瞬時に判断することに慣れている。


「このことを知っているのは」


「極めて限られた者だけだ」


「承知いたしました」


 シリルは頷いた。だが、その目には別の問いが浮かんでいた。


「エリオス殿下。御質問がございます」


「なんだ?」


「妹の身は、安全なのでしょうか」


 それは、エリオス自身も最も危惧しており、ある意味最も聞かれたくはない問いだった。答えを持っていないからではない。答えを知っているからだ。そして、その答えが自分でも気に入らないのだ。


「首謀者が王太子妃と公爵夫人であるならば、その手は王都のどこへでも届くでしょう。伯爵邸にいるからといって」


「母后に頼んで、女性の護衛をつけてもらっている。母后付きの武官で、腕は確かだ」


 シリルは黙ってエリオスを見ていた。続きがあることを、わかっているのだ。


「だが、不安がないと言えば、嘘になる。俺がここにいる間、セレイナのそばにはいれない。何かあってもすぐに駆け付けることも難しい。だが今は、信じるしかない」


 エリオスは、息をひとつ吐き腕組みを解くと、声に力を込めた。


「だから、早く片をつけて戻りたい。時間を無駄にはできない」


「承知いたしました」


 シリルは一度大きく頷くと、そのあと小さく何度も頷きを繰り返す。


「急ぎましょう。東へ逃れた侍女。その女を追わないと」


「では、明朝、発つ。貴殿はどうする?」


「もちろん同行させてください。いやご迷惑であろうが、同行します。そして、私がいる方がきっと、何かとお役に立てるだろうとお約束します」


 そう言ったシリルは、椅子から立ち上がると、力強く頷き、頭を垂れた。

 エリオスも椅子から腰をあげる。


「助かる。ではここからは、共闘だ」


 エリオスが差し出した手を、シリルが握り返し、固い握手を交わした。


 その夜は、それ以上の言葉は交わさなかった。


 シリルが退出した後、オクターブへシリルからの話と、明日の早朝立つ予定を伝え、やっと寝台に横になった。だが、考えることが山積で、横になったところで眠れるとは思えなかったし、実際眠れなかった。


 身を捩ると軋む粗末なベッドの上で、自身の腕を伸ばし、窓から差し込む月明かりに照らしてみる。


 セレイナは今頃、何をしているだろう。眠れているだろうか。悪い夢を見ていないだろうか。


 手紙は読んでくれただろうか。

 少しでも、安心してくれていればいい。


 そして、一刻も早く会いたい。


 そのために。


 掲げた腕の先、掌を開いて閉じた。そして拳に力を込める。


 確実に証人を捕まえる。


 その想いが、月光に照らされた拳の内で、誓いとして熱を持った。





 翌朝は、まだ空が白み始める前に来た。


 扉を叩く音のあと、


「早朝から申し訳ございません。密偵より報告が」


 オクターブの声がした。いつもより硬い。


 エリオスは寝台から起き上がった。あまり眠れなかったおかげで、身支度は早い。扉を開けると、オクターブが一通の書簡を手にして立っていた。


「内容は」


「殿下ご自身で」


 その言い方で、良い知らせではないことがわかった。


 手渡された書簡へ目を通す。


『元王太子妃付侍女二名


 リナ・オルフェット 病死

 マーヤ・スレンカ 事故死


 元官女二名


 テリサ・ドミエナール 行方不明の後、遺体で発見

 ミネルバ・アルサ 消息不明


 三名がナルヴァ国内で死亡。いずれも事件性なしとして処理済』


 書簡を持つ手が、微かな震えを帯びていく。


「クソッ!」


 思わずエリオスは、そう吐き捨てた。

 自分でも驚くほど、低く、乾いた声だった。


 口封じだ。


 病死、事故と遺体で発見、しかも事件性なし。そんなことあり得るのか? あり得ないだろう。偶然が過ぎている。しかも既に処理済とある辺り、胡散臭くて堪らない。


 三人の女たちは、もう何も語ることができない。

 永遠に。


 残りは一人だ。

 たった一人。


 ナルヴァという国のことを、エリオスは甘く見ていたと実感する。人の命が軽い国。証人を消すことに、戸惑いはないのだろう。そこでは、側妃一人の命など、書類の一行ほどの価値もないのかもしれない。リージェリア王太子妃は、そういう国で育った。そういう価値観の中で生きてきた。


 だからこそ出来た凶行だったのか?


 だが、ウィンターという国は、そんな国ではない。


 命の重さ。それは何よりも尊重されなければならない。


 そして、エリオスにとってセレイナの命は、世界の何よりも重い。


「オクターブ、シリルを呼べ。すぐに発つ」


「御意」


 エリオスの命に、オクターブが駆け出していった。


 窓の外では、東の方角から陽が昇り始めている。

 

 そこに、最後の証人がいる。


 彼女を見つける前に、また口が封じられるかもしれない。

 時間がない。一日どころか、一刻、一秒の猶予もない。


 エリオスは書簡を握り締めたまま、荷物を片手に部屋を後にした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ