9 希望と絶望 -Chapter セレイナ 【回想:2年半前】
紛争は、想像以上に長引いた。
半年。一年。終わりが見えない。
その間もセレイナは、ずっと待ち続けた。
手紙を受け取る日。その内容を繰り返し読み耽る日々。返信を書く日。それらが、セレイナの人生のリズムになっていた。
手紙の中でヴァルター公爵は、領地の状況を報告した。紛争の進展。和平交渉の進捗。民の苦しみ。そして、セレイナへの想い。
そうして最後はいつも、同じメッセージが並んでいた。
「セレイナへ。毎日、君のことを思う。必ず和平を達成する。そして、君を迎えに行く。心から愛している。君を抱きしめたい。その日まで、待ってくれ」
セレイナは、その言葉を信じ続けた。疑わず。迷わず。ヴァルターへの信頼は、セレイナの支えだった。
セレイナは、公爵への想いを形にしようとした。刺繍をしたハンカチを作った。ヴァルターの顔を思い浮かべながら、一針一針、想いを込めて刺繍を施していった。
時々、ヴァルターからは、別の想いが綴られた手紙も来た。
「セレイナへ。君のことばかり考えてしまう。他の男に目移りしないか、心配だ。男どもが君に言い寄っていないか。そう考えると、心が落ち着かない。君は、俺のものだ。必ず迎えに行く。その時まで、誰のものにもならないでくれ」
セレイナは、その手紙を読むたびに、頬を染めた。公爵が自分のことを、そこまで想ってくれているのだ。その想いが、セレイナの心に喜びをもたらした。嫉妬さえも、愛の表現に感じられた。
両親からは何度も聞かれた。
「セレイナ。そろそろ婚約者を決めてはどうだろう? 有力な貴族からの求婚も、何件か来ている」
母が、静かに聞いた。
「誰か心に決めている人でもいるの?」
セレイナはその一言に、一瞬言葉を失った。公爵の名前を出そうかとも思ったが、彼の今の希望は和平であり、この時点で余計なことを言うべきではないと判断した。
「その時がくるまで、待ってほしいの」
両親は、セレイナの表情に何かを感じたのだろう。父が、優しく言った。
「ならば、お前の意思を尊重しよう」
母も、同意した。
「そうね。時が来るまで、待つとしましょう」
セレイナは両親の優しさに感謝し、心が温かくなる。
いつか必ず、この待ちの時間は終わり、公爵が迎えに来てくれる。
そう信じて。
☆
ある日、セレイナの元にいつものように、ヴァルターからの手紙が届いた。
だが、その手紙はいつもより分厚く、セレイナの心をときめかせた。
何か重要な知らせなのだろう。
恐る恐る、封を切った。
「セレイナへ。和平交渉が整いました。隣国との条件の擦り合わせも終わります。やっと、君と婚姻できる日が近づいてきました。早く君に会いたい。この胸に抱きしめたい。待っていってくれてありがとう。君への愛は、今も変わりません。必ず、すぐに迎えに行く」
セレイナの胸は喜びと嬉しさでいっぱいになり、思わず声を上げて泣いた。無事に帰って来てくれる。この瞬間を、どれほど待っていただろう。ヴァルターとの人生が、本当に始まるのだ。
☆
そんな喜びに満ち、再会を待ち望んでいたその矢先だった。
間を置かずに数日後、ヴァルターからの手紙が届いた。セレイナは、その手紙を拾い上げるのに勇気が必要だった。その厚さが、いつもと違うのだ。普段よりも、断然に薄い。不安が、セレイナの胸を締めつける。
不安と恐怖を感じながらも、ゆっくりと封を切る。
そして。
内容を目に入れたセレイナの心は、完全に停止した。
王からの命。
貴族令嬢。
白い結婚。
その言葉の組み合わせが、セレイナを襲った。そして混乱する。どういうことなのだろう。脳が理解することを拒否しているように、文字がどれも結びつかない。
だが徐々に、その文面の意味が、まざまざと突きつけられた。
すべてが崩れ落ち、希望は絶望に変わった。信じたくはない。でも現実なのだ。待つ? 彼は婚姻するのに? 複雑な感情が、セレイナの胸の中で渦巻いていく。
三年という時間は、光でもあり、呪いでもあった。それは長く、途方もない時間に思えた。
セレイナは自問自答した。
白い結婚なら、相手との関係を白紙に戻し、セレイナと新たに婚姻できるかもしれない。
だが、その考えの中に、別の不安が忍び込んでいた。
ヴァルターが、その相手の人のことを本当に愛してしまったら? その人と肌を重ねたら? その考えが、セレイナの頭から離れない。
三年の間に、ヴァルターがセレイナの元を離れてしまうのではないか。別の女性に心を奪われてしまうのではないか。
その恐怖は、セレイナを蝕んだ。
返事を書くことは、ヴァルターが別の女性と婚姻することを、受け入れることだった。セレイナは、その手紙を胸に抱きしめて、ただ涙し続けた。




