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89 交わる道 ーChapter エリオス

 目の前の青年は、セレイナの兄。


 彼と最後にちゃんと顔を合わせたのは、確か十年近く前になる。

 

 エリオスより二歳ほど年上のシリルは、その頃はまだ少年の面影を色濃く残していた年齢で、髪も短かった。今は腰のあたりまで伸ばした長髪を後ろで一つに纏めており、顔つきも随分と大人びた。すぐにわからなかったのも無理はない。


 だが、シリルの方はエリオスをすぐに認識していた。公式行事など折に触れ、エリオスの姿を見かけていたのかもしれない。


「エルグレン伯爵家の嫡男か。道理で見覚えがあるはずだ」


「お見知り置き頂きまして、光栄にございます」


 シリルは穏やかに微笑んだ。だがその目は笑っていない。


「妹のセレイナが、王宮でお世話になっております。殿下にお目に掛かれるなど、こんな機会は滅多にございませんでしょう。どうぞ、身内の戯言と思って聞いてくださいませんか?」


 シリルは、微笑みは崩さないまま、頭を軽く下げながら儀礼的にその言葉を放った。


「いやはや、妹に会いたいと思い、何度か謁見を申し出ているのですが、なかなか叶わずでして。殿下、よろしければお口添えいただけませんか」


 軽い調子だった。だが、その言葉の端々に、何かを探る気配がある。何より、微笑みを貼り付けているのに、目には鋭い光を宿している。こちらを警戒しているのだろう。


 もしかして、この男は、知らないのか?


 セレイナが既に離縁をし、今は実家に戻っていることを。目の前のセレイナの実兄には、まだ報せが届いていないのか。


 酒場の喧騒が、急に耳障りに感じた。周囲には鉱夫や商人たちがいる。聞き耳を立てている者がいないとも限らない。


 エリオスは杯を置いた。


「……少し、場所を変えないか?」


 シリルの表情から一瞬、笑みが消えた。が、彼はまたすぐに微笑みの仮面をつける。


「もちろんでございます」


 エリオスは立ち上がり、オクターブに目配せをした。オクターブは小さく頷き、先に階段へ向かう。


「俺の部屋で話そう」


 ギシッ、ギシッ、と音の鳴る階段を上がり、廊下の奥へ進む。オクターブが扉を開け、中を確認してから脇に退いた。


 エリオスが先に入り、シリルがそれに続く。オクターブは扉の前に立ち、廊下の警戒に当たった。


 宿屋の部屋は狭かった。寝台と小さな卓、椅子が二脚。それだけの簡素な造りだ。

 

 窓の外には、月光に白く浮かぶ鉱山の斜面が見えた。削られた岩肌は影と光に分かれ、黒と白がくっきりと際立っている。その斜面のところどころに、ぼんやりと足場が見え、その近くには坑道灯の光がぽつりぽつりと灯っていた。


「座ってくれ」


 エリオスは椅子の一つを示した。シリルは軽く会釈をして腰を下ろす。エリオスはもう一方の椅子に座った。


 向かい合う二人の間に、まだ会話はない。

 扉の向こう側からは、酒場の喧騒がかすかに聞こえてくる。


 どこから話すべきか。


 彼がどこまで把握しているのかは、わからない。エリオスは、静寂を破るように息を吐くと、真っ直ぐにシリルに向き直った。


「単刀直入に言う」


 シリルの目は動かない。彼もまた、真っ直ぐにエリオスを見つめ返している。


「セレイナは、俺の兄、王太子セラフィムと離縁した」


 一瞬、シリルが大きく目を開く。と同時に、閉じていた口元も、何かを言おうとしたのか、微かに開いた。

 そして彼の表情から、穏やかな笑みが消えた。貼り付けていた仮面が剥がれ、素の顔が覗く。驚愕と困惑と、そして、静かな怒り。


 だがシリルは、何かを言う事も身体を動かすこともせず、耐えるようにきつく目を閉じた。そして深呼吸を数度繰り返した後、自分の頬を二度軽く叩いた。


 自分を落ち着かせようとしているのだろう。溢れ出しそうになる感情を、意識的に抑え込んでいる。


 やがて目を開けたシリルは、静かに口を開いた。


「それは、いつのことですか」


「離縁をしたのは、昨年の秋頃だ」


「妹は今、どこに」


「今は伯爵邸に、身を寄せている」


「父と母は、承知しているのでしょうか」


「ああ。伯爵邸へ赴いた際、俺から直接伝えた」


 シリルの眉が僅かに動く。


「殿下が、直接」


「そうだ」


 そのまま会話が途切れた。


 シリルは俯いたまま、何かを考えているだろう。


 暫くの静寂に包まれたまま、時間だけが過ぎてゆく。

 それでもエリオスは、言葉をかけずにただ、彼から何かを発せられることを待った。


 やがて、シリルは顔を上げた。その目には、先ほどまでとは違う光があった。


「妹を王宮から連れ出してくださったのは、殿下ですか?」


 漸くシリルの口から発された言葉は、静かな問いかけだった。


「ああ」


 その返答を聞いたシリルは立ち上がると、椅子から横にずれ、深く深く頭を垂れた。


「エリオス殿下……感謝申し上げます」

 

 低く、何かを堪えた押し殺した声だった。そこには複雑な感情が滲んでいるように思えた。


「妹に何があったのか、詳しくは存じません。ですが、王宮で尋常ではないことが起きていたであろうことは、察しておりました。妹からの文は無く、謁見も叶わない。妹がどうしているのか、知る術もありませんでした」


 立ち上がったままのシリルは、うつ向いたままで話し続けていた。その両手には拳が握られている。怒りはまだあることは察してあまりある。


 エリオスは黙って、シリルの話を聞いていた。

 彼の怒りを吐き出させ、それを受け止めるのは王家の者としての、自身の責でもある。


「殿下。畏れ多いのですが、ひとつ、お伺いしても構いませんでしょうか?」


「もちろんだ」


「なぜ殿下は、このような辺境の地にいらっしゃるのですか?」


 怒るでも、問い詰めるでもない。それだけ聞くと、単純な問いのように聞こえる。


 エリオスがお忍びでここにいることには、すぐ気づいたのだろう。


 シリルはこの短時間に、様々な情報を繋ぎ合わせ、エリオスに問い掛けてきた。

 もしかすると、シリルはすでにエリオスの目的を全部とは言わずとも、その欠片をも察しているのかもしれない。

 それは商人としての資質、物を見る目と思考の回転の速さ、シリルの能力の高さを示していた。


(商人とは、食えない生き物だな)


 セレイナの身内であり、彼にも知る権利はある。だがそれと同時に、知りすぎるということは責任を負うことにもなる。それでも目の前の男は、その責を負えるだろう器量があることは、十分に見て取れた。

 エリオスは、シリルに対して誤魔化しよりも、真実を話したほうがいいとそう判断をした。


「表向きの理由は和平条約の刷新だ……だが、本当の目的は、セレイナを傷つけた者たちの証拠を集めている」


 シリルの表情が僅かに強張ったが、すぐにそれも消える。


「その者たちは、俺が気づいた時には既に、国外追放されていた。だが、奴らが何をしたのか、証言を取る必要がある」


 シリルはじっとエリオスを見つめていた。その目から、警戒の色が少しずつ薄れていくのがわかった。


「殿下。実は、」


 シリルは一度言葉を切り、それから続けた。


「私の方も、勝手ながら、動いておりました」


「勝手に?」


「はい。妹が療養という名目で王宮を離れたこと。そして王太子妃の侍女と官女たちが処罰され、国外追放されたこと。その二つの噂を、官吏経由で耳にしまして」


 シリルの声は淡々としていた。それでも、悔しさなのか怒りからなのか言葉の端々に時折、声を押し殺すような音が混じる。


「妹の身に何かあったのではないかと。もしそうであれば、証拠を手に入れたかった。もし、もし、不遇な扱いを受けているのであれば、妹を連れ戻す材料として」


「貴公も、追放された侍女たちを追っていたのか?」


「はい。両替商の仕事を装い、隣国まで参りました。この街には、その帰りに立ち寄ったのです」


 何という偶然か。いや、セレイナを守りたいという想いが、必然的に二人を同じ場所へ導いたのかもしれない。


「それで、侍女たちの足取りは掴めたか」


 エリオスが問うと、シリルは小さく頷いた。


「一人だけ。ナルヴァ国から更に東へ逃れた者がいるようです。まだ確証はございませんが」


 エリオスは身を乗り出した。


「その情報、どこで得た」


「商人の情報網は、殿下がお思いになるより広うございます」


 シリルは薄く笑った。商人の顔だ。だが、そこには妹を守ろうとする兄としての意志がある。


「為替を扱う者は、金の流れを追います。金の流れを追えば、人の流れも見えてくる。国境を越えた者や逃亡者などが、どこでどのように暮らしているか。そういった情報は、自然と集まるものです」


 エリオスは感心した。密偵を放って情報を集めるのとは、また違ったやり方だ。


「その情報、俺にも共有してもらえるか。こちらの情報も共有しよう」


「もちろんです」


 シリルは即答した。


「妹を助けてくださった殿下に、お力添えできるのであれば」


 その言葉には、もう警戒の色はなかった。

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