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85 反撃の狼~兄弟の誓い -Chapter エリオス

 エリオスが宮廷の広間に姿を現した瞬間、行き交う官吏たちの動きが止まり、一斉に深い会釈が捧げられた。


 第二王子の予期せぬ訪問に、入り口を固める近衛兵たちが緊張に背を正す。エリオスは彼らに軽く手を上げて応じると、そのまま兄の執務室の扉を叩いた。


 開かれた扉の向こう、王太子の執務室は常に人の出入りがあり、羽根ペンの走る音と低い協議の声が絶えない。エリオスが訪れた時も、数人の補佐官たちがセラフィムの執務机を囲み、税制案件について指示を仰いでいた。


 セラフィムは疲れを見せることもなく、淡々と書類に目を通し、的確な裁定を下している最中。彼が顔を上げ弟の姿を認めると、小さく頷き、ゆっくりと瞬きをした。


 エリオスは、迷う事なくセラフィムの方へと歩を進める。


「すまないな、兄上。取り急ぎ、裁可を仰ぎたい件がある」


 エリオスの言葉は、周囲の者には執務の相談としか聞こえない。

 だがセラフィムは、エリオスがわざわざこの時間に足を運んだ意味を瞬時に察している。


「わかった。お前たちは一度下がってくれ。続きは一刻後にしよう」


 セラフィムがそう命じると、文官たちは手際よく書類をまとめ、エリオスに改めて一礼して退室していった。チャリオットが扉を閉めるのを確認し、セラフィムは手に持つ羽根ペンを置いた。


「場所を移動しよう」


 執務室を出たセラフィムは、随行しようとする近衛たちを下がらせ、エリオスと側近のチャリオット、そしてオクターブとガレーニャのみを伴って回廊の奥へと進んだ。



 宮廷の執務棟の最奥、人目を避けた先に置かれたその部屋は、王族が私的な思索や密談に用いるための場所である。先日はそこで、ヴァルターと密談をしたあの小書院。


 セラフィムが懐から銀の鍵を取り出し、扉の錠前を回した。

 静かに開かれた室内は、普段は人を入れていない為か、部屋の呼吸を感じない。


 そこまで帯同していたガレーニャに、オクターブは外で待機するように声を掛けていた。秘匿されている会話を聞くということは、責任を伴う。ガレーニャにそれを負わせないという、彼なりの配慮なのだろう。

 

 エリオスは中に入ると即、中央に据えられた机へ歩み寄り、ガレーニャから受け取った鑑定書を静かに置いた。


「セレイナの侍医、ガレーニャが行った瓶の中身の成分結果と、例の娼婦の診断結果だ。この診察の記録と照らしても、毒による症例の推移がセレイナと娼婦、二人共に酷似している。あの娼婦が摂取していた薬は、かつてセレイナを蝕んでいた毒と一致したと言ってもいいだろう」


 セラフィムは机の前に立ち、無言でその紙面を手に取り目を落とした。チャリオットが主君の傍らに寄り、共にその内容を確かめる。


「それに、レーヌ商会を洗ってきた。はっきりとはしなかったが、おそらく商会を仲介として使っていたのは間違いないだろう。……毒の成分、診断結果。状況はすでにほぼ黒だ」


 セラフィムはエリオスの声を聴きつつも、鑑定書類の文字から目を離さない。

 すでに読み終えてはいるのだろうが、その手が震えるでもなく、表情が変わるでもなく。ただセラフィムは、じっと羊皮紙に視線を落としたまま。


「確定、か」


 漸くセラフィムが声を出した。それは、覚悟はしていたのだろうが、どこか落胆している声色でもあった。だが、彼もさすがは王太子とでもいうべきか。すぐにそれを消し、羊皮紙から視線をエリオスにやると、現実に目を向けるように、淡々と語りだした。


「でもどれも、誰が黒なのか確定できるまでの証拠にはならないな」


「ああ。だから俺が直接、ナルヴァへ行く。追放された侍女や官女を洗い出し、毒の出どころと指示の経路を突き止める」


 エリオスのその言葉に、セラフィムがこの時初めて、表情を大きく歪めた。


「ナルヴァへ直接? 駄目だ、外交問題になる。一国の王子が隣国を勝手に漁ったとなれば、和平どころの話ではなくなるだろう?」


「裏から行く。元から公に行くつもりはない。もし露見しても、阿呆の王子が勝手にしたことにしろ。責任はすべて俺が負う」


「……いや、もともとは俺が蒔いた種だ。責任は俺が取る。……ナルヴァか」


 セラフィムはそう呟くと、そのまま何かを思案するように目を瞑った。


「それともうひとつ、懸念材料がある。ヴァルター公だ。奴はこの結果を聞いて、激しく動揺していた。当たり前と言えばそうなんだが、あの様子じゃ、ミレーユ夫人が何かを察するのは時間の問題だ。ヴァルターは、物理的に夫人と今は引き離した方が得策だ。彼にも国境付近まで、随行してもらう」


 エリオスの提案に大きく頷いたセラフィムは。机上の白紙を一枚引き寄せ、ペンを手に取った。


「名目は『国境和平条約の刷新』でいこう。ヴァルターを連れ、彼の公爵領へ向かい、そこで協議を行うという形にするか。それならミレーユも怪しまないし、お前が公務として国境付近にいても不自然ではないだろう? チャリオット、すぐに公文書を整えろ」


「畏まりました。至急、公式な任命状と、公爵への要請を作成いたします」


 チャリオットが手際よくセラフィムの指示を書き留めていく。エリオスはその言葉に頷いたが、すぐに懸念を口にした。


「……セレイナのことだが。ヴァルター公が王都を離れれば、ミレーユ夫人の動きを止める者がいなくなる。公がいない隙を突いて、セレイナに直接手を伸ばすかもしれん。正直、それが一番厄介だ」


 筆を進めていたセラフィムは、エリオスの言葉にその手を止めた。


「セレイナは今、どこにいるんだ? 別荘か?」


「いや、安全面を考えて、伯爵邸で過ごしてもらっている。詳細は話してないが、伯爵には警戒せよとは伝えた。それでも限界があるだろう」


「母上に頼むか」


 セラフィムは別の便箋に、母后への極秘の依頼を記し始めた。


「俺から直接、文を出す。伯爵邸に母上直属の女性騎士を配置してもらうよう掛け合う。王宮内の騎士を動かせばリージェリアに察せられるが、母上の手の者なら動かしようがある」


「それが一番確実だ。……決まりだな」


 セラフィムは書き上げたばかりの任命書をエリオスに手渡した。


「頼んだぞ、エリオス。……無茶はしすぎないようにな」


「兄上、お前も、な」



 エリオスは書面を懐に収め、セラフィムより先に小書院を出た。回廊に出ると、外で控えていたガレーニャが音もなくその後に続いた。


「オクターブ、準備しろ。信頼できる密偵を数人呼べ。それとガレーニャ。明日か明後日からは、セレイナの傍で彼女と過ごせ。特に、口にするものには気を配ってほしい。どこから何が入ってくるかわからん……頼んだぞ」


「御意」「はい」


 静まり返った回廊に響く三人の足音。


 その音が、いつもよりも大きく耳へ届く。

 それは真実へ力強く踏み出す、狼煙のようにも思えた。

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