8 約束 -Chapter セレイナ【回想】
その後、セレイナは街の図書館で、偶然ヴァルター公爵に再び会った。
セレイナが書籍を探していた棚の前で、ヴァルター公爵も同じく書籍を手に取ろうとしていたのだ。
二人は同じ棚の前で、顔を合わせた。
「セレイナ嬢。ここで会うとは」
「ごきげんよう。公爵様も、本がお好きなのですね」
セレイナは、丁寧に控えめに応答をする。その後も、二人は何度も顔を合わせるようになった。図書館で。街中で。城での宴で。会うたびに、会話は深くなっていった。
ヴァルターはその度に、セレイナに領地のこと、民のこと、政務のこと、そして自分の夢を話した。その語り口には、誠実さに満ちていた。領地を守ることへの使命感。民の生活を守ろうとする責任感。
ヴァルターの話を聞きながらセレイナは、徐々に惹かれていき、彼の全てが、セレイナを捉えていった。
何度目かの出会いのとき、セレイナは自分の心の中に生まれた感情に気づいた。
自分は、この人に恋をしている。そして愛し始めている。
その気づきは、セレイナの心の中を満たしていった。
それまでセレイナが経験したことのない感情。男性たちの身体を舐めまわすような視線に、嫌悪感を覚えていた彼女が、初めて心から向き合いたいと思えた人。
ヴァルターは容姿ではなく、セレイナという一人の女性の中身を見てくれた。そのことがセレイナにとって、彼の存在を唯一無二のものにした。
時間が経つにつれ、二人の会話はより個人的に親密なっていった。セレイナも自分の思いや考えを、公爵に話すようになった。図書館での議論。街歩きでの何気ない会話。宴でのダンス。全ての時間が、セレイナにとって大切なものだった。
ヴァルターと過ごす時間の中で、セレイナは初めて自分の求めていたものを理解した。それは求婚ではなく、お互いが思いあえる愛。相手を理解し、一緒にいたいという純粋な愛情。
ヴァルターの傍こそが、セレイナが本来の自分でいられる場所になった。
☆
ある夜、ヴァルターがセレイナを城内の庭園に招いた。
月明かりの中、二人は並んで歩く。
セレイナの心臓は、鼓動が高鳴ってゆく。何が起こるのか。その予感は、期待と不安を同時にもたらしていた。
庭園の奥へ進むと、ヴァルターは立ち止まった。
月光が彼の顔を優しく照らしていた。整った顔に浮かべるその表情は、普段の彼よりも硬い。
ヴァルターは、セレイナの手を握った。その手は温かく、わずかに震えていた。
「セレイナ。俺は、君を愛している」
ヴァルターの口から紡がれるその言葉が、セレイナの胸に響き渡る。
「領地の紛争も、大局を迎えている。隣国との和平に向けての話し合いを持つんだ。これが整ったら、必ず婚姻しよう。君とこれからの人生を、共に歩みたい。それまで、待っていてくれないか……?」
セレイナはその言葉を聞き、嬉しさが溢れ、気づいたら涙を零していた。
長い間、自分の心の中で育んできた感情。それが、相手からも返されたのだ。
「私も、貴方を愛しています。だから……お戻りになられることを、待ちます」
セレイナの声は、涙で震えている。
「どんなに長くても」
二人は月明かりの中で、静かに抱き合った。
公爵の唇が、セレイナの唇に優しく触れた。それは、約束を誓うキスだった。
その瞬間のふれあいは、二人の間にある全ての感情を込めたものだった。
愛。約束。未来への希望。
その時間は、セレイナにとって永遠のように感じられた。
☆
その後セレイナは、改めて全ての求婚を断り、夜会へ足を運ぶことも辞めた。
彼との約束を待つために。
それ以上の理由は、セレイナには必要なかった。




