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77 告白 ーChapter ヴァルター

 宮廷の最奥棟にある小書院。


 人目につかない場所を、という願いは聞き届けられていた。案内された部屋は、静かで、窓からの光だけが室内を照らしている。


 その奥の扉を開けた瞬間、ヴァルターは足を止めた。


 セラフィム王太子が椅子に座っている。その傍らにチャリオット。ここまでは想定していた。


 だが、もう一人。


 窓際に立つ長身の男。青みがかった黒髪。碧い瞳がこちらを見ている。


 エリオス殿下。


 なぜ、ここに。


 書簡には、セラフィム殿下との密談と書いてあった。エリオス殿下が同席するとは聞いていない。


 ヴァルターの心臓がひとつ、強く打つ。


 この男は、今、セレイナの傍にいる。あの日、街で見た光景が蘇る。肩を並べ、笑い合っていた二人。自分が立つはずだった場所に、この男が立っていた。


 その男の前で、全てを晒さなければならないのか。


 覚悟はしてきたつもりだった。だが、それは今、もろく崩れようとしている。

 ヴァルターの手は無意識に拳を作り、震えることを抑えられずにいた。


「ヴァルター公爵」


 セラフィムの声が、ヴァルターを現実に引き戻す。


「よく来てくれた。まずは座ってくれ」


 促されるまま、ヴァルターは椅子に腰を下ろすが、手の震えが止まらない。


 セラフィムがエリオスに目を向けた。


「弟のエリオスにも同席させている。書簡には書かなかったが……お互いの妻のこともある。故、二人きりの密談は何かと問題があると判断した結果だ。すまないな」


「滅相もございません……承知、いたしました」


 ヴァルターの声が、力なく零れ落ちた。


 もう引き返せない。ここまで来て、何も言わずに帰ることはできない。


 ヴァルターは震えるその手で、懐に入れてあった小さな瓶を取り出す。赤鈍色の瓶が、窓からの光を受けて微かに光る。


 机の上に、そっとそれを置いた。


「これは」


 セラフィムが、怪訝そうに瓶を見つめる。


「避妊薬です。お恥ずかしい話ですが、私は……娼館に通っておりました」


 誰もヴァルターの言葉を遮らない。セラフィムもエリオスも何も言わずに、ただ、聞いている。


「そこで、ある娼婦を囲っておりました。……銀髪の……」


 その言葉を口にした瞬間、エリオスの目がわずかに動いたのが見えた。だがそれでも、彼は何も言わなかった。


 ヴァルターは一度姿勢を整えてから、腹を括り話し続ける。


「その娼婦に、この薬が渡されていました。とある貴族から、雑役の男を通じて。娼婦は言われるがまま、それを飲んでいたようです」


「症状は」


 エリオスがそこで、ヴァルターへ問いかけた。余計な言葉のない、単刀直入に聞く低く通る声。


「肌が荒れておりました。食が細くなったと本人は申しておりました。そのせいか、頬がこけて、痩せているように見受けられました。この症状が……かつてセレイナ嬢に起きていたことと、似てはいないでしょうか」


 ヴァルターの問いかけは、室内の空気を変えた。セラフィムの表情は強張り、エリオスは無言のまま、瓶を見つめていた。


「私は医術に詳しくありません。ですから、これが同じものかどうかは判断できません。ただ、あまりにも符合するのです。薬を渡していた雑役の男は、一月ほど前に死にました。川に落ちて溺死と。事故だろうと、同じ娼館の下男が話しておりました」


「事故ではなく、証人が消された可能性があると?」 


 セラフィムの声には、疑念が滲んでいる。そう言いたいのか? と、言う問いかけ。


「わかりません。ただ、そう考えざるを得ない状況です」


 ヴァルターは一度目を閉じ、息を整える。

 

 ここからが本題だ。


「この薬を娼婦に渡した貴族が誰なのか。私には心当たりがあります」


 ここからが、最も言いたくないこと。それを口にしなければならない。


 一呼吸したあと、目をきつく閉じ、唸るように声を出した。


「……私の妻、ミレーユです」


 その名前を口にした瞬間、身体中の血が沸き立つ感覚になった。言ってはいけないことだったのかもしれない。だが、言わずにいれば、取り返しがつかない未来が待ち受けているだろうと言う、確かな予感もあった。

 

 そんなヴァルターの覚悟を汲み取ったのか、そこに居る全員が、彼の次の言葉を待っていた。


「確証はありません。ですが、妻は私が娼館に通っていることを知っている節がありました。銀髪の娼婦を囲っていることも。そしてその娼婦に、この薬が渡されていた」


 ヴァルターの手が、自然と力が入り、膝の上で握りしめられる。


「かつてセレイナ嬢を害したのも、妻ではないかと疑っております。そして先日、妻の口からセレイナ嬢の名前が出ました」


 壁に凭れたままだったエリオスが、そこで身を前にだした。彼にしては珍しく、僅かな動揺を見せたのだ。


「セレイナの名を?」


「はい。エリオス殿下とご一緒だったと、街で噂になっていると。何気ない口調でした。ですが私には、それが恐ろしかった」


 ヴァルターは二人を見やる。


「妻は、またやるつもりなのではないかと。妻は、私の周りにいる女を排除しようとしているのではないかと、そんな疑念まで湧き立つのです。ですから、セレイナ……セレイナ嬢が王都にいることを知り、また何かを仕掛けようとしているのではないかと。だから、一刻を争うと書きました」


 全てを吐き出した。

 恥も、疑惑も、恐怖も、何もかもだ。


 ヴァルターは椅子の背に体を預け、両手で顔を覆った。

 もう隠すものは何もない。


 暫くの沈黙の後、セラフィムが口を開く。


「この薬の成分を調べる必要があるね。セレイナに投与されていたものと同じかどうか」


「ならば、こちらに帯同しているセレイナの侍医が適任だろう。彼女に見せれば、判断がつく」


 セラフィムがエリオスの提案に、大きく頷いた。


「ではエリオス。そうしてもらえるか。ヴァルター、この瓶はこちらで預からせてもらって構わないかな?」


「お願いいたします」


 ヴァルターは頭を下げる。そして、顔を上げ、二人の王子を真っ直ぐに見た。


「それと……これは個人的なことでございますが……殿下方にお願いがございます」


「何だろうか?」


 セラフィムは、手に持った瓶をエリオスに渡しつつ、ヴァルターの方へ顔を向けた。


「私の息子、アレクセイのことです」


 声が震えそうになるのを堪える。


「もし妻の罪が確定した場合、公爵家は断罪されるでしょう。それは覚悟しております。ですが、息子はまだ生後三か月。何も知らない子です」


 ヴァルターは深く頭を下げる。


「息子だけは、どうか。罪人の子として生きることのないよう、お取り計らいいただけないでしょうか」


 その場の空気が一瞬、重くなったように感じた。


 顔を上げられない。上げる勇気がない。


 やがて、セラフィムの声が聞こえた。


「顔を上げてほしい、ヴァルター」


 言われるまま、顔を上げる。


 セラフィムの表情は厳しい。だが、その目には何かが宿っているように見えた。


「私も妻に疑惑を抱えている。リージェリアがミレーユと繋がっている可能性がある。貴公だけではない。私も同じ地獄にいるんだ」


 セラフィムの声は、自身にも言い聞かせているかのように静かだった。もし、リージェリア妃までも関与していたのであれば、それは国を巻き込む一大事になるだろう。ヴァルターとは、抱えてるものの大きさが違うのだ。

 ヴァルターはそう思えど、妻を疑わなければならない地獄は、お互いに察して余りある。そこには奇妙な、同志のような、通じ合えるような、そんな気持ちもあった。


 アレクセイのことを、その一縷の望みにかけたのだ。


「息子のことは、約束しよう。罪は罪を犯した者が負う。子に継がせるものではないからね」


 その言葉に、ヴァルターの目から涙が溢れた。


 エリオスもセラフィムの言葉に続く。


「貴公は法的な意味での罪は、犯していないだろう? 感情的なものは、兎も角……。こうして個人的なことまでも晒して、話してくれた。それは誰にでもできることではない。それこそが、貴公への十分すぎる処罰といえるのではないか? もちろん、奥方の方はまた別の話だ」


 ヴァルターは、競り上がる涙を堪えようとしたが、堪えきれなかった。


 恥も外聞もなく、公爵が王太子と第二王子の前で涙を流している。みっともないことであろう。それはわかっていた。それでも止められなかった。


「ありがとう、ございます……」


 嗚咽が混じる声でヴァルターは、なんとかそれだけを絞り出した。


 暫くその場は、静かに囁きあう声と、沈黙が支配した。


 エリオスは、側近のオクターブと何やら話している。薬をどうするのか、詰めているのだろう。

 セラフィムは、両肘をテーブルの上についたまま、両手を組み、目を閉じていた。その後ろではチャリオットがじっと立っている。


 ヴァルターは俯いたまま、ポケットに入れてあったハンカチを手に取る。

 それで涙を拭こうとしたとき、頭の中を抑え込む鉛のような重さが、いつの間にか消えていることに気づいた。

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