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71 残像 ーChapter ヴァルター

 評議会の帰り道だった。


 馬車を降り、少し歩こうと思った。頭の中が、ずっと重い。


 夕暮れの王都は人で賑わっている。雑踏の中を歩きながら、ふと視線が止まった。


 銀色の髪の女性。最近は、銀髪を見るとつい目で追ってしまう。街中で、宮廷で、どこであっても。自分でも分かっている。あの娼婦の元に通うようになってから、余計にそうなった。


 だから今も、ただ目が引かれただけだと思った。


 だが。


 ヴァルターは目を凝らした。夕陽を受けて輝くその銀髪と横顔を見たその瞬間。

 心臓を鷲掴みにされたような衝撃が走る。途端、口から洩れる呼吸が荒れてゆく。


 見間違う訳もない。セレイナだ。


 春先、東辺境要地で遠くから見た時より、さらに輝きは増しているように見えた。顔には、穏やかな微笑みを浮かべている。


 その隣を歩いているのは、エリオス第二王子殿下。


 二人は何か言葉を交わしながら、夕暮れの街を歩いている。


 ヴァルターはその場から動けなくなった。


 あの娼婦が、急に陳腐に思えた。銀色の髪、それだけが同じで、他は何もかもが違う。所詮、偽物だ。まがい物で心を誤魔化していた自分が、ひどく滑稽だった。


 セレイナはこちらに気づかない。ヴァルターの存在など、眼中にないかのように、エリオスと歩いていく。


 夕陽が街を橙に染め、四人の影が遠ざかっていき、やがて、その姿は雑踏の向こうに消えた。


 ヴァルターは立ち尽くしていた。



 夕暮れの街で見たセレイナの姿が、どうしても頭から離れない。


 あの髪や肌に触れたいという渇望がとめどなく暴れ、彼女を閉じ込めてしまいたいという衝動が身体中を駆け巡る。そういった感情に、自分自身が一番戸惑い、どうしたらいいのかさえわからなかった。


 そうして気づけば、足を運んでいたのは、あの娼館の前だった。


 いつもの部屋に通され中に入ると、銀髪の娼婦が鏡台の前から振り返り微笑んだ。


「ヴァルター様、お待ちしておりました」


 ヴァルターは無言のまま彼女に歩み寄り、その細い身体を抱きしめた。


「セレイナ……」


 その名を呼びながら、銀色の髪に顔を埋める。菫の香りが鼻腔を擽った。自分が贈った香油の香り。彼女があの頃、愛用していたものと同じ……。


「セレイナ、セレイナ……」


 繰り返し呼びながら、腕に力を込める。だが、顔を放し彼女を見た瞬間、ヴァルターの表情が強張った。本物との違いが歴然としている。どうあがいてもセレイナではないのだ。彼女が纏う佇まい、それは誰にも持ちえない彼女だけのものなのだから。


 そして、腕の中の身体に違和感を覚えた。『セレイナ』と彼が呼ぶ娼婦の肌が、妙にがさついている。改めて彼女の顔を見れば、頬はこけ、顔色も悪い。二週間ほど前に会った時とは、明らかに様子が違っていた。


「……体調が悪いのか?」


 眉を寄せながら問うと、娼婦は困ったように笑った。


「ええ、少し食が細くなってしまって。夏バテかもしれません」


 その言葉を聞いた途端、嫌な予感が脳裏を過ぎる。ヴァルターは娼婦の両肩を掴み、真剣な眼差しで彼女の顔を覗き込んだ。


「まさか、子を孕んだのか?」


 声が震えていた。ヴァルターのその声に、娼婦は一瞬目を丸くしたが、苦笑いを浮かべて首を横に振った。


「それはございません。それに、きちんと避妊薬を飲んでおりますから」


 避妊薬。


 その言葉が耳に入った瞬間、ヴァルターの頭の中でセラフィムとエリオスから聞かされた話が蘇った。高濃度の避妊薬。老婆のような姿になるまで痩せ細ったセレイナ。


「どこの避妊薬だ?」


 ヴァルターの声が、低く、硬く響く。その問いに娼婦は、不思議そうに首を傾げた。


「どこの、と申されましても……私は存じ上げないのです」


「どこで手に入れた? 誰かから貰ったのか?」


 詰め寄るように問うと、娼婦は戸惑いながらも答えた。


「この前、川に落ちて亡くなった雑役のおじさんがおりましたでしょう? あの方から頂いたのです」


 ヴァルターは眉間に深い皺を刻んだまま、続きを待った。


「とある、お偉い御貴族様から頂いた高級な避妊薬だと言って。いいものなので少量で効果がある。毎日飲むといい、と」


「なぜお前に?」


「今この娼館で一番の稼ぎ頭だからと」


 そこで娼婦は、少し照れたように頬を染め、はにかんだ。


「……ヴァルター様のおかげです」


 だが、その言葉はヴァルターの耳を素通りしていった。高級な避妊薬。少量で効果がある。とあるお偉い貴族様から。頭の中で、全てが繋がっていく。


「どこだ?」


 ヴァルターは血の気が引いた顔で娼婦の肩を再び強く掴み直し、食い入るように彼女を見つめた。


「その避妊薬はどこにある!?」


「え……? そこの鏡台に……お待ちください」


 娼婦は怯えたような表情で身を翻し、鏡台の引き出しを開けた。取り出されたのは、赤鈍色の瓶だった。


 ヴァルターは震える手でそれを受け取ると、中身を見透かそうとゆっくりと瓶を振りながら、それを見つめた。そして、指先が白くなるほど強く握りしめる。


「セレイナ」


 娼婦をそう呼ぶ声は低く、掠れている。彼女はびくりと肩を震わせ、不安そうにヴァルターを見上げた。


「これは俺が処分する。いいか、この薬のことは絶対に誰にも言うな。わかったな?」


「ヴァルター様……?」


「避妊薬は女将から貰え。この避妊薬のことは忘れるんだ」


 それだけ言い残し、ヴァルターは踵を返した。背後で娼婦が何か言いかけたが、振り返ることなく部屋を出る。


 廊下を足早に歩きながら、手の中の瓶を握りしめた。もしこれが、あの時セレイナに盛られていたものと同じだったら。そしてそれが、ミレーユの手によるものだったら。


 足が鉛のように重い。頭の中で、妻の笑顔が、我が子の顔が浮かんでは消えていく。


 ヴァルターは娼館を出た。


 「くそっ!!」


 そう思わず吐き出したが、これからどう対処すべきか。もう何も浮かばなかった。

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