7 夜会 -Chapter セレイナ 【回想:およそ4年前】
シャンデリアの光が、大広間全体を金色に包み込んでいた。
建国祭の宮廷舞踏会。
セレイナ・エルグレン伯爵令嬢は、貴族たちの群れの中に立っていた。その周囲には、常に何人かの男性たちが集まっていた。
「セレイナ嬢。一緒に踊っていただけませんか?」
また誰かが踊りの誘いを口にした。彼女は何度目かの丁寧なお断りをする。微笑みを絶やさず、相手を傷つけないように言葉を選びながら。
「申し訳ありません。先ほど、足を挫いてしまいまして。本当に申し訳ございません。また次の機会には、ぜひ踊らせてくださいませ」
一人断ると間を置かず、また別の男性貴族が近づいてくる。彼も同じように踊りの誘いを口にする。セレイナは、同じく丁寧に、同じく優雅に、それを断った。
「恐れ入ります。本日は、もう体調がすぐれませんで」
そう、同じ台詞を繰り返すセレイナは、男たちの視線に気づいていた。
彼らが自分を見る時の、その目。彼女の身体を舐めまわすような視線。彼女はそれが何より嫌だった。
両親からは何度も言われていた。婚約者くらい早めに決めた方がいいと。その為に、こうした場へも何度か赴いた。だがその時も、相手の男性の視線は常に、彼女の姿や形に囚われていた。彼女の中身を見てくれる者は、誰もいない。
もうこのまま一生独身でもいいのではないか。セレイナはそう思い始めており、こういう場に来るのは、もう控えよう。そう決めていた。
何度も何度も、同じようなやり取りを繰り返し、毎回完璧な貴族令嬢として振る舞わなければならなかった。その面を被ることが、今夜はひどく重く感じられた。
セレイナは、さりげなく人混みから身を引いた。
大広間の奥にあるバルコニーへと足を向ける。そこなら誰にも邪魔されず、少しの間でも息を抜けるだろう。そう思い、バルコニーに出ようとしたが、そこには既に先客が居た。
国境付近の領地を持つという眉目秀麗な公爵。以前、夜会で一度だけ見かけたことのある人物、ヴァルター・グレイストン公爵。
彼は、バルコニーの欄干に手を置き、夜空を見上げていた。
セレイナは、一瞬躊躇した。ベランダに出るのは控えるべきか。そう思ったその時、ヴァルターがゆっくりと振り向いた。彼女の存在に気づいたのだ。
セレイナは、すぐに身を引こうとした。
「すみません」
「ああ、大丈夫ですよ。もしよろしければ、一緒に星を眺めませんか?」
ヴァルターからの、優しい提案だった。セレイナは一瞬迷ったが、彼の視線に悪意がないことを感じ、隣に立つことにした。
二人は黙ったまま、星を眺めていた。
その沈黙は、決して気まずいものではなかった。寧ろ、二人の間に共有されるべき静寂のように感じられた。
そうしていると、ヴァルターが口を開いた。
「この星々を見ていると、不思議に思うんです。あの星は何千年も前から同じ輝きなんでしょう。ここから見える空に、何があるのか。そう考えると、もっと知りたいと思ってしまうのです」
彼の声はゆっくりで思慮深かったが、話に夢中になるにつれ、その言葉は溢れるように続いていった。セレイナの返事も聞かずに、公爵は星について語り続ける。星座の話、宇宙の話。彼の好奇心が湧き出ているようだった。
セレイナは、ヴァルターの話を静かに聞いていた。
時々、彼は彼女の顔を見ようとするが、すぐに星空へと視線を戻す。その挙動は、照れ隠しをする少年のようにセレイナには思え、それが彼の魅力をさらに引き立てていた。
ふと、ヴァルターは気づいたのだろう。自分がずっと一人で話していたことに。
彼は、ハッとして、照れ臭そうに笑った。
「すみません。つい夢中で、私ばかりが話してしまって」
その素朴で照れ笑いを見せる姿を見て、セレイナも一緒に笑った。
「いいえ。素敵なお話でした」
セレイナの笑顔が、公爵の表情を明るくさせた。共に笑うことで、彼の緊張が解けるのが感じられた。
その後、ヴァルターは少し遠慮気味に言った。
「セレイナ伯爵令嬢。もしよろしければ、踊っていただけますか?」
その誘いにセレイナは、にっこりと微笑み頷いた。
「はい。喜んで」
二人がバルコニーから大広間へ戻ると、丁度ワルツが流れて来た。
手と手を取り合い、お互い身を預けて優雅に踊り出す。公爵のリードは安定していて、セレイナはそのペースに自然と合わせることができた。
先ほど、ダンスの誘いを断った男性たちの視線が向けられている。彼らの表情は、複雑な感情を帯びていたが、セレイナは気にしなかった。
彼女の視線は、ただヴァルターへと向けられている。
星空の下で見つめ合ったことで、二人の間には、何か目に見えない絆が生まれていたのだろう。だがセレイナは、この時点では、特別な感情を抱いていなかった。
素敵な人。
そんな印象だった。
踊りが終わった時、公爵の瞳には、仄かな彼女への好意が映っていた。
セレイナはそれに気づきながらも、その時は何も言わなかった。




