表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

69/95

69 カフェ・プロコピウス

 王都の中央広場は、人で賑わっていた。


 石畳の広場を囲むように、瀟洒な建物が立ち並んでいる。軒先には色とりどりの日除けが張られ、その下を着飾った紳士淑女が行き交っていた。広場の中央には古い噴水があり、水音が夏の暑さを和らげている。


 カフェのテラス席では、日傘を差した婦人たちが優雅にお茶を楽しんでいた。夏の蒸した空気の中にも、王都独特の喧騒と人の香りがある。東辺境要地とは違う活気が、この広場には溢れていた。


 セレイナは久しぶりのこの雰囲気に、少し戸惑いながらも、どこか懐かしさを感じていた。


「そうだ」


 エリオスが不意に足を止めた。


「王都に来たら、一度顔を出したい店がある。オクターブ、そちらへ行くぞ」


 オクターブが一瞬、目を見開いた。エリオスの言う「顔を出したい」という言い回しで、悟れるものがあったのだろう。


「……セレイナ様をお連れになるのですか?」


「ダメなのか?」


「いいえ……御意」


 オクターブの返事は、どこか歯切れが悪かった。セレイナは首を傾げた。


「何のお店なんですか?」


「着いたらわかる」


 エリオスはそれだけ言って、歩き出した。



 エリオスに連れられて歩くこと数分、一行は広場から少し離れた通りに出た。


 古い石造りの建物が並ぶ落ち着いた一角。その中に、重厚な木の扉を構えた店があった。扉の上には、金文字で『カフェ・プロコピウス』と記されている。


 そこは貴族の紳士たちや、政治家や商人、学者たちが集い、表ではなかなか出来ない話などを交わす社交場だ。自立心の高い女性が時折出入りすることはあるが、セレイナのような若い令嬢の姿は珍しい。


 扉を開けると、珈琲の苦い香りが漂ってきた。


 店内は薄暗く、壁際には書棚が並んでいる。革張りの椅子に腰掛けた紳士たちが、新聞を広げたり、低い声で語り合ったりしていた。


 セレイナとガレーニャが入ってきたことで、幾人かの視線がこちらに向く。しかもそれを連れてきたのがエリオスだと気づくと、店員ですら驚きを隠せない表情を浮かべていた。


「エリオス殿下……! これは、お久しぶりでございます」


 店員が慌てて近づいてくる。


「ああ。個室は空いているか」


「は、はい。すぐにご用意いたします」


 店員に案内され、一行は店の奥へと進んだ。重い扉を開けると、そこには落ち着いた調度品に囲まれた個室があった。窓からは中庭の緑が見える。


「ここなら落ち着ける」


 エリオスが椅子に腰を下ろす。セレイナとガレーニャも、促されて席についた。オクターブは扉の傍に控えている。


 しばらくすると、扉が開き、エリオスと同じ年頃の男性が姿を見せた。金色の髪を後ろに撫でつけ、人懐こい大きな垂れた目が印象的な美丈夫。仕立ての良い上着を纏い、富豪の子息らしい余裕が漂っている。


「エリオス殿下。ようこそお越しくださいました」


 恭しく頭を下げる。エリオスは顔をしかめた。


「ロベルト、気持ち悪いな。いつも通りにしてくれ」


「すまんすまん。しかし、殿下がここに顔を出すとは珍しいな」


 ロベルトと呼ばれた青年は、あっさりと態度を崩し、親しげな笑みを浮かべた。エリオスも立ち上がり、握手を交わす。ロベルトはこの店のオーナーで、父親から譲り受けた土地で自ら店を切り盛りしている。エリオスはもちろん、オクターブとも寄宿学校時代からの古い付き合いだった。


「東辺境要地から戻ってたんだな。元気そうでなによりだ」


「ああ。今日は少し時間ができてな」


「そうか。で、お前の事よりも、そちらの女神たちを……」


 ロベルトの目がセレイナたちに向いた。


「ああ、こちらがセレイナ・エルグレン嬢と、隣がセレイナの侍医、ガレーニャ嬢だ」


 その名を聞いた瞬間、ロベルトの目が見開かれた。銀色の髪、淡い青の瞳と白い肌。その姿をまじまじと見つめる。


「エルグレン……まさか、男どもが噂していた銀髪の美姫か?」


「ロベルト」


「いや、これは驚いた。噂には聞いていたが、まさかこれほどとは」


 ロベルトはセレイナとガレーニャに向き直り、丁寧に一礼した。


「ロベルト・ヴェルナーと申します。この店のオーナーを務めております。どうぞお見知りおきを」


「セレイナ・エルグレンと申します。よろしくお願いいたします」


「ガレーニャ・ディロッサです」


 セレイナとガレーニャも軽く頭を下げた。ロベルトは再び人懐こい笑みを浮かべると、セレイナの方へ身を乗り出した。


「しかしお嬢様、こいつがこの店に女性を連れてくるなど、昔を思えば信じられませんよ。若い頃は夜な夜なこの店に入り浸って、朝まで議論を戦わせていましたからね。それだけじゃなく酒や葉巻はもちろん、博打やあれやこれやと」


「そうなのですか?」


「ええ、ええ。それはもう大変でした。時には喧嘩沙汰になることもあって。なぁ、オクターブ。お前も一緒によく悪さをしたものだ」


 ロベルトがオクターブに視線を向ける。オクターブは無表情のまま、微かに口元を引きつらせた。


「……若気の至りでございます」


「若気の至りで済む話だったかな? 確かあの時は、どこの女だっ――」


「ロベルト」


 エリオスの低い声が遮った。


「昔話はそのくらいにしておけ」


「おっと、口が滑った」


 ロベルトは肩を竦めたが、その目は悪戯っぽく光らせながら口角を上げ、表情から楽しさが溢れている。


「珈琲を頼む。それと、菓子も適当に見繕ってくれ」


「承知した。しかしエリオス、本当に美しいお嬢様だな。よし、決めた。俺が口説くことにしよう」


「いい加減にしろ。いいから早く行け」


 エリオスに追い払われるようにして、ロベルトは個室を出て行った。


 セレイナはガレーニャと顔を見合わせた。ガレーニャも、口元に笑みを浮かべている。


「殿下の意外な一面を知ってしまいました」


「……忘れろ。あいつの言うことは、九割が法螺(ホラ)で一割が詐欺だ」


 取り繕うように低く抑えた声とは裏腹に、エリオスの耳だけがほんのりと赤くなって見えた。セレイナはそれを見て、口元が緩みそうになるのをこらえた。


 暫くして、珈琲と菓子が運ばれてきた。

 

 白い中皿の上には、蜂蜜と砂糖を煮詰めて練り上げたヌガーが小さく切り分けられて並び、その隣には砂糖漬けの果物が琥珀色に艶めいている。


「セレイナ様、珈琲はお飲みになったことはありますか?」

 

 オクターブが尋ねる。


「いいえ……初めてです」


「少し苦いですが、ここのは香りがいいですよ」

 

 セレイナは恐る恐るカップを口に運んだ。思った以上に苦い。眉が寄りそうになるのを堪えていると、エリオスが小皿にヌガーをひとつ取り、セレイナの前に置いた。


「甘いものと一緒に口にするといい」

 

言われるまま、ヌガーを口に含んだ。ねっとりと濃い甘さが舌に広がり、珈琲の苦味がすっと和らいでいく。


「……美味しい」

 

 思わず声が漏れた。


「そうか」

 

 エリオスも口元にカップを運びながら、目を細めてそう答えた。

 

 穏やかな時間が流れた。珈琲を飲み、菓子をつまみ、取り留めのない話をする。王后との面会の緊張がようやくほぐれていくのを、セレイナは感じていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ