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60 祈り ーChapter リージェリア

 月のものが来た。


 また今月も、身籠もることはできなかった。


 リージェリアは、侍女に下着の処理を任せながら、小さくため息をついた。婚姻からあと数か月で三年になる。なのに未だ、後継の兆しはない。


 国王陛下は勿論のこと、王后エリザベルナも何も言わない。セラフィムも急かすようなことは一度も口にしない。それでも、後継を望まれていることはわかっている。王太子妃として、それが最も重要な務めだということも。


 ミレーユは産んだのに。


 ふと、そんな考えが頭をよぎり、リージェリアは首を振った。親友の出産は本当に嬉しい。アレクセイという名の男の子。出産の報せを受けた時、心から祝福の気持ちが湧き上がった。


 今は文のやりとりも控えている。側妃の件で騒ぎになり、東風(こち)が来たと知らせて以来、ミレーユとの接触は最小限にするようになった。お互いのために。親しくしているところを見せるわけにはいかない。


 それでも、出産の報せが届いた時には、祝いの文と品を送った。短い文面だったけれど、心からの祝福を込めた。ミレーユからも、簡潔な礼状が届いた。アレクセイは元気だということ。母子ともに健やかだということ。それだけで十分だった。


 早く会いたい。アレクセイを抱いてみたい。きっと可愛いに違いない。


 でも、今はまだその時ではない。


 そして。……ほんの少しだけ、羨ましいと思ってしまう自分がいる。


 その気持ちを、リージェリアは深く考えないことにしていた。考えても仕方のないことだ。自分だって、いつか授かる。そう、信じて。



 執務室では、王后が派遣した女官たちが控えていた。


 彼女たちはよく働いてくれる。わからないことがあればすぐに教えてくれるし、書類の整理も手際がいい。社交の場での立ち回りも心得ていて、リージェリアを上手く支えてくれ、彼女らに不満はない。


 ただ、自国から連れてきた侍女たちとは、やはり違う。


 あの子たちは気心が知れていた。言葉にしなくても通じるものがあった。ちょっとした愚痴を零しても、黙って頷いてくれた。今の女官たちは優秀だけれど、どこか他人行儀で、心を許せる相手ではなかった。何を言っても、王后の耳に届くのではないかと、つい身構えてしまう。


 それも致し方ない。侍女たちはもう、この国にはいないのだ。

 あの時は、彼女たちを母国へ帰す。そうすることが最適解だった。薬のことだけは、絶対にバレてはいけない。それだけは絶対だ。


 それに……たかが側妃ひとりのことで、あんなに大事になるとは思わなかった。けれど、それも終わったこと。嵐が過ぎれば、また母国から人を送ってもらえばいい。そう思っていたけれど、まだその時期ではないらしい。焦っても仕方がない。今は静かに時が流れるのを待つしかない。


 リージェリアは書類に目を通しながら、羽根ペンを置いた。そして軽く、首を回したあと天井を見つめる。


 今夜もセラフィムと過ごそう。彼の腕の中で眠ろう。そうすれば、いつか子を授かれるはずだ。


 側妃など、最初から必要なかった。妻は一人でいい。そう、私だけでいい。


 あの女がいなくなって、ようやく元通りになった。セラフィムは優しいし、夫婦仲も悪くない。執務も、出来ないフリをしていたことをセラフィムに打ち明けてからは、彼がうまく手配してくれたお陰で、兄の目を気にせずこなせるようになった。


 (何も問題はない。後継さえ授かれば、全てがうまくいくわ)


 そう、リージェリアは心の中で、繰り返していた。



 月のものが落ち着いた夜、寝室でリージェリアはいつものように、セラフィムの胸に身を寄せていた。


「ねぇ、セラフィム」


「ん?」


「今日は、疲れた?」


「少しね。会議が思った以上に長引いた」


「そう……」


 彼の胸に頬を擦り付けると、セラフィムの手が髪を撫でてくれる。その感触が心地良かった。


「私ね、今日も執務頑張ったのよ」


「ああ、聞いている。よくやってくれていると、女官たちも言っていた」


「本当?」


「本当だよ」


 優しい声に、リージェリアは嬉しくなって彼の首に腕を回した。


「ご褒美、欲しいな」


「何が欲しい?」


「んー……」


 少し考えるふりをしてから、彼の耳元に唇を寄せた。


「セラフィムが、欲しい」

 

 彼の腕に力が込められるのを感じた。唇が重なり、そのまま夜着の紐が解かれていく。

 

 その夜、二人は肌を重ねた。セラフィムはいつも通り、丁寧で、優しかった。


 重ねた肌を離した後、彼はすぐに寝息を立て始める。日中の仕事などで、疲れていたのだろう。それにも関わらず、リージェリアを愛おしげに、大きくしなやかな手で身体を包んでくれた。

 

 その隣で天蓋を見上げながら、リージェリアは考えていた。

 

 今夜こそ、子を授かれただろうか。

 

 毎月、同じことを祈っている。なのに毎月、同じように裏切られる。

 

 でも、諦めるわけにはいかない。王太子妃として、後継を産むことは妃の務めだ。セラフィムの子を産んで、この国の未来を繋ぐ。それが、自身の役目。

 

 眠る夫の横顔をそっと見つめる。

 

 愛している。この人を、心から愛している。

 

 だから、子が欲しい。この人との子が、どうしても欲しい。

 

 目を閉じて、リージェリアは祈った。どうか今夜こそ、命が宿りますように、と。

 その祈りが届くかどうかは、来月になればわかる。

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