50 崩壊の音 ーChapter ヴァルター
春も終わりを告げ、日差しが厳しさを増し始めた初夏のころ。ミレーユは男児を無事に出産した。初産ながら心構えも整っていたのか、立派に勤めを果たし、生まれた赤子は丸々として髪も豊かに、愛らしい姿であった。
領地から駆けつけていたヴァルターの両親、ミレーユの両親も公爵邸に詰めており、産声が響いた瞬間、邸内は歓喜に包まれた。
「ミレーユ! ありがとう! なんて綺麗な子だ!」
生まれたばかりの赤子を恐る恐る抱き上げたヴァルターは、周囲の目も忘れ、涙を流して喜んだ。
「ヴァルター、あなたのおかげで母になることが出来たの。私の方こそ、ありがとう」
柔らかく微笑むミレーユに、ヴァルターは額に口づけを落とした。
「俺は世界一の幸せ者だ」
彼のその言葉に嘘はなく、心からそう思った。美しく聡明な妻、可愛い我が子。これから幸せな家庭を築けると信じて疑わなかった。
その日は両家の両親を交え、まさしく慶びの日となった。始まりは不本意に結んだ縁であったが、今では両家とも良縁と納得していた。
「これからも家族は増えていくことでしょうな」
ヴァルターの父、前公爵が言えば、
「その通り。次は女児でも構わん。孫は本当に可愛いものだ」
ミレーユの父侯爵もそう応じ、両家の母たちは必要な品々の話に花を咲かせた。
その和やかな空気はヴァルターにとっても心地よく、赤子がさらに縁を強めてくれていることを実感していた。
☆
ミレーユの出産から、一月ほどたったその日。ヴァルターは、宮廷から呼び出しを受けていた。領地の国境に関して結んでいる和平条約について、もう一度確認の上、条約の見直しがあれば精査したいとのことであった。
前回の更新から一年もたたずしての見直しに、何か不測の事態が起きたのか? と思ったが、とりあえずは呼び出しに応じ、そこで詳しく話を聞けばよいと、ヴァルターは深く考えることはしなかった。
登城したヴァルターが案内されたのは、いつも使う大会議室ではなく、宮廷の端にある小さな会議の間であった。小さいとはいえ、宮廷の間のひとつであるからには、調度品も品よく整っており、日当たりも南向きとむしろ落ち着いた空間であった。
「急な呼び出しですまない」
口を開いたのは王太子・セラフィム。同席しているのは、彼の側近であるチャリオット。そして、第二王子であるエリオスとその側近のオクターブであった。
彼らはヴァルターと握手を交わしあい、促されるままにそれぞれが席に着いた。
「では早速だが、条約についての確認を」
エリオスが、オクターブに命じいくつかの書類をテーブルの上に並べる。以前交わしたものが並べらるが、不備などもなく、本当に確認作業だけであった。
書類のやりとりは半刻も掛からずにすぐに終わった。ヴァルター自身も、この作業が必要なのか? と思い出したころ、ふいにセラフィムが口を開いた。
「ヴァルター公。もしよかったら、このあと昼食をともにどうかな? この部屋の続きのテラスに用意をしてもらっていてね。今日みたいな天気の日には、外で食べるのもいいものだ」
王太子直々の申し出を断るなどできる訳もなく、
「はい。喜んで。お心遣い、感謝いたします」
ヴァルターはそう応えた。
テラスへと一同が向かうと、そこに用意されていたのは、木々の木漏れ日が照らされた見るからに心地よさそうな席だった。
「さぁ遠慮なく」
気さくに声をかけるセラフィム。ヴァルターも一礼すると、エリオスの向かい側に腰を下ろす。
そこから給仕たちが手際よく、食事を運んでゆく。
「そうだ。ヴァルター公。赤子が無事に生まれた祝いもまだだったな。おめでとう」
エリオスが、会話の中で祝いを述べると、セラフィムも続き、後ろに控えていたオクターブやチャリオットも、微笑みつつも、頭を軽く下げていた。
「有り難く存じます。おかげさまで、妻が立派に勤めを果たしてくれました」
照れ笑いながらも、喜びで口元が綻ぶヴァルター。
朗らかな空気が流れる中、それに一石を投じたのはセラフィムだった。
「ヴァルター公。実は、今日来てもらった本題は……別にあってね」
そう言うとセラフィムは、それまで持っていたカトラリーを端に置き、グラスに入った葡萄酒を一口呷った。そして、ゆっくりと語りだした。その間、奥で控えていたチャリオットが給仕たちを外に出し、人払いを済ませていた。
「貴公も、子が生まれるというタイミングであったから、今まで話せずに居た。だが、これから話すことは、貴公も知っておくべきだと……、私とエリオスが判断をした」
ヴァルターがエリオスの方を伺いみると、彼と目線が合う。エリオスは視線を逸らすことなく、ゆっくりと頷いた。
そこからセラフィムは、自分たちの婚姻から始まった今まで起きた出来事、自身が下してきた決断、セレイナに対して行った愚行。全てをヴァルターに話した。そして、妻である王太子妃・リージェリアと、ヴァルター公爵夫人・ミレーユの疑惑に関しても、包み隠さず全て話した。
話を聞いてる間、ヴァルターは一切口を挟まなかった。が、身体が小刻みに震え、目は薄っすらと赤くなっていくのが周りから見ていてもわかった。
「では……最初からミレーユは……私との婚姻を望んでいたのですか……?」
ようやっと口を開いたヴァルター。
「そうだ。これは本来、私とミレーユとの間で交わした密約であった。このこと自体は問題ではないと考えている。政略でもあり、国益にもなった。が、先ほども言った通り、犯してはいけない罪を重ねているかもしれないという『疑惑』が、我が妻と、ヴァルター公、あなたの妻ミレーユには、掛かっている」
セラフィムの言う通り、婚姻をしただけであるならば、どうであれ政略として納得もできた。
「セレイナ……セレイナを側妃として娶られたのも、執務をするためだけだったのですか……?」
「……そうだ。当時、決まった婚約者がおらず、未婚で聡明さと家柄……そして、容姿にも優れていた女性は、セレイナ嬢を置いて、他にはいなかった。結果……私は、セレイナ嬢の人生も、人としての尊厳も、全て踏みにじってしまった。今後も、子供を産めるかわからない身体にしてしまったのは、全て私の責だ」
「そんな……っそんな……っ! セレイナ! ああっ……っ! ああ!」
ヴァルターは、テーブルの上で拳を握り、頭を垂れながらも、まるで息が出来ないとでもいうように、喉の奥からうめき声をあげた。
「私の! 私のせいです! 私が……セレイナに、三年待ってほしいと言ったのです。そしたら、ミレーユとは白い結婚で、婚姻を無かったことにできるかもと、そう、頼んだのです! それがなければ、彼女はきっと、良縁に恵まれて、今頃はっ!」
頭を抱えて、ヴァルターは自身でも何を言ってるのかわからないほどに、言葉を紡ぎ続けた。
「私が裏切ったのです! 自身の都合ばかりを優先し、彼女の本当の幸せを考えてはいなかった! そして、彼女からの最後の言葉までも都合よく解釈し、自分の幸せばかりを! あああっ! セレイナ! 中途半端にしなければ、側妃になど! ならずに済んだのに!」
そう言うと頭をあげ、涙を零しながらもセラフィムを睨みつけた。
「なぜ! なぜ! セレイナだった!? 彼女が何をしたんだ! 何もしていないではないか! なぜ!?」
そして、ふと思い出す。昨年の秋、和平条約の時に見た女性。宮廷内でみた、白い老婆の姿。まさか! まさか!と、血の気が引いていった。白い髪が銀にみえて……。だが、今の話を聞いていると、全てが繋がってゆく。
「嘘だろう!? まさか! まさか! 昨年、見かけた老婆……あれがセレイナ……だったのか!? 嘘だろう!」
ほぼパニックになっているヴァルターに、静かに言い放ったのはエリオスだった。
「もし、白い髪に老婆のような姿を見かけたのであれば、それはほぼ間違いなくセレイナだ。俺が保護した時の彼女は、生気なく生きる亡霊のようだった」
そこまで聞いたヴァルターは、思わず席を立ちあがりセラフィムに駆け寄ると、その胸倉をつかんだ。咄嗟にチャリオットがその手を止めようとした。が、セラフィムはそれを片手で制した。
「殴りたいならば、殴ってくれて構わない。だが、私たちがすべきことは、そうではないはずだ」
セラフィムに冷静に言われ、ヴァルターは振り上げた拳を下ろし、再び席に着いた。
「ミレーユが、避妊薬を手にしていたり、そのようなものを持っていたということはないか?」
エリオスの問いに、震える肩を抑えるように、ヴァルターが苦し気に話し出した。
「……領民たちの中に、妊娠を望まない者もいました。そう言った女性たちのためにと、避妊薬を……」
「そうか……やっと、繋がったか……」
「ですが!」
ヴァルターが、声を荒げる。
「ミレーユが、妻が作った避妊薬で、セレイナを害したとは限らないのでは!」
「もちろんだ。だが、事実を積み重ねると、答えは明らかではないか?」
エリオスの非情なまでの指摘は、的を得ていた。反論の余地もない。あるとすれば、唯一「証拠がない」ということだけだ。だが、それが何よりも大きい事実でもあった。
「これは全て推測の域でしかない。よって、罪には問えない。だが……ヴァルター公、あなたも私も、妻のことを心から信頼できるか? となったとき、どうなんだろうな……」
セラフィムの吐露が、ヴァルターの胸に刺さる。
今朝まで、世界で一番幸せだと信じて疑っていなかった。だが、その幸せも、一度は愛した女性を犠牲にしていたのか? と思うと 割り切れない思いが競りあがってくる。
「今は……今は、セレイナは、どうしているのですか?」
「……大丈夫だ。今は回復して、自身の足でしっかりと人生を歩んでいる」
エリオスがそう言ってくれたことで、ヴァルターはやっと、息を吸い込むことが出来た気がした。
「ならば……ならばもう、この件は、終わったことで良いのでは」
そういう問題ではないことは、ヴァルターも重々承知だった。側妃である王族に薬を盛ったかもしれない。それは極刑にも相当することだ。自身の家から、ましてや妻が、そんなことをしでかしたなど、あってはならないのだ。
「……私も、両陛下も、証拠がない限り罰を与えようとは考えてはいない。そして、この先も確たる証拠はでてこないだろう。ただ、あなたにもこういうことがあったと、知っておくべきだと思った。もし今後、同じようなことがあった場合、一番に『疑惑』を向けられるのは、あなたの妻であり、私の妻である。という事実を」
「このことを王太子妃殿下には……?」
「話していない。今後も話すつもりはない。彼女から言ってこない限りは」
「そう……ですか」
ヴァルターの中で、今、何かが確かに崩れていく音が、耳元で大きくなっている気がした。




