45 別離 ―Chapter エリオス
春の暖かな零れ日の中、馬車の前でトランクをふたつ、足元に置いたセレイナがいた。
まだ雪は全て解けきらない。けれど厳冬は既に過ぎ去り、芽吹きの気配が大地に息づき始めている。季節は確かに、新しい命を迎える入口に差しかかっていた。
「忘れ物はないか? いいか、何か困ったことがあったら、すぐに言ってくるんだぞ。ため込むな」
見送りに出ていたエリオスは、腕組をしながら難しい顔をして、セレイナに細かくあれやこれやと話している。まるで、別れるのがつらいとでもいわんがばかりに。
「大丈夫です。エリオス殿下。だって、私、この東辺境要地にいるじゃないですか」
「だがあそこは、ここから馬車で一刻も掛かる。すぐに行ける距離ではない」
そんなエリオスをみて、セレイナは小さく声をあげ笑う。
「大丈夫です。ガレーニャも一緒にいてくれますし」
セレイナが振り向いた先、ガレーニャは銀縁眼鏡をクイっとあげると、大きく頷いた。
☆
冬の間、セレイナは図書室に籠り、経営学を独学ではあるが学んでいた。それを見たエリオスも、カヴァネスをつけようかと提案したが、彼女は固辞をした。
「自分の力で学んでみたいのです。……でも、分からない点もたくさんありますから、その時は、教えてくださいますか?」
「もちろんだ」
こうして、彼女はコツコツと日々勉学に励んだ。そして、セレイナが決意したこと。それは『裁縫店』を開きたいということだった。
「私、お裁縫好きなんです。天使の靴下も皆さん喜んでくださったから……。素敵なものをお届け出来る店がしたくて」
そこからは、とんとん拍子だった。エリオスは、目が届く範囲に店を構えて欲しいと言ったが、セレイナはそれだと独り立ちとは言えないと、少し離れた場所に店を持った。
その代わり、セレイナの補佐として、侍医のガレーニャが帯同することになった。
今日がその旅立ちの日。
エリオスが差し出した手を、セレイナはそっとゆっくり握り返す。
「エリオス殿下。お世話になりました。ここでの温かな日々は、生涯胸に刻みます。御恩もいつか、お返しを」
「そんなものはいい。貴方が自由に、生き生きと過ごしてくれていたら」
「はい」
そう言い微笑んだセレイナの笑顔は、ここに来た当初よりも随分ふっくらとしており、銀髪が陽の光を受けて反射する。
「そろそろ行きましょう」
ガレーニャが、セレイナと自分のトランクを持ち、先に馬車へと乗り込んだ。
「では、エリオス殿下、オクターブ様。行ってまいります」
「ああ。気を付けていくんだぞ」
セレイナが御者の手を借り、馬車へ乗り込む。扉が閉まると
(……行ってしまうのだな)
という思いが、エリオスの中から沸き上がった。だが、彼女が選択したことを、見守ろうという意思は変わらない。
動き出した馬車は、最初はゆっくりと、そして門を抜けると速度を上げてどんどん進んでいく。
エリオスとオクターブは、馬車がみえなくなるまで、その場に立ち尽くしていた。
☆
「殿下。よかったのですか?」
オクターブがぼそりと呟く。
「何がだ?」
眉を顰めて返事をするエリオスに、オクターブがため息交じりに言葉を落とす。
「セレイナ様のことです。このまま、お見送りしてよかったのですか? ほかの男に攫われるかもしれませんよ?」
「……それはセレイナが決めることだろう? それに俺は、そういう気持ちは……」
「ほんとですか? まぁ、人の恋路に口出しをしませんが」
「オクターブ。口元をニヤつかせながら言うな。奇妙極まりない」
エリオスが指摘した通り、オクターブの口元はモゴモゴと動き、何かの言葉を言い出したいのに、言えないというような顔をしていた。
はぁ……と大きなため息を吐いたエリオスは、青く広がる空を見上げた。
「だいたい、俺は王族だ。セラフィムは俺の兄でもある。……あんな目にあったんだ。もう二度と、王家とは関わりたくはないだろう」
「弱虫ですね」
「あ?」
腹の底から、地面を這うような声を出したエリオス。
「昔に戻ってますよ。その言い方。お行儀のよろしくなかった頃に」
そう指摘し、オクターブにしては珍しく、声をあげて笑っていた。そして続けて話す。
「俺が守る。くらいの気概を持てないんですかねぇ?」
「……セレイナが選ぶことだ。それに今の彼女は、そう言ったことは、考えたくもないだろう」
「そこは同意いたします」
大きく頷いたオクターブに、エリオスは空気をかえるように、声をワントーン落とし、政務用の顔になる。
「来週、王都へ向かう。ガレーニャから預かっている薬の詳細や、資料をまとめておいてくれ」
「御意に」




