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38 星の森

 居館を包む空気は、どこか高揚したものが混じっていた。


 この日は、年末の聖夜祭。一年の内で夜が最も長い日とされ、それが終われば本格的な厳冬期に入る。東辺境要地では、西側を山脈に囲まれていて、王都との往来も雪に閉ざされ厳しくなってゆく。

 聖夜祭では、特別な食事を用意し、特別な時間を大切な人と過ごす。そんな習慣がこの国では毎年、庶民から王侯貴族に至るまで、身分の差なく浸透していた。家族だったり、恋人だったり、同僚であったり。人によって大切な人は違えど、この日ばかりは皆が互いを思い合い過ごす、そんな大事な日でもあった。



 すっかり日が落ち、外は暗闇に包まれ始める刻。

 

 執務を終えたエリオスは、セレイナの部屋へ行き扉を叩く。中からは、いつもの控えめだが落ち着いた返事が返ってくる。


 扉を開けると、セレイナは椅子に腰掛け、その膝の上には開いた本が置かれていた。


 エリオスはそこに一度目を落とし、その後、右手で黒髪を軽く撫でつけ、言葉を探すように口を開いた。


「セレイナ。少し、付き合ってくれないか?」


「え?……どこかへ行かれるのですか?」


「そうだ。どうかな?」


 セレイナは少し躊躇いがちに、外の寒さを案じるように窓の向こうを見た。それを見たエリオスは、小さく微笑む。


「貴方に見せたいものがある。防寒具を着て、一緒に行こう」


 そう言われると断る理由もなく、セレイナはコクリと頷いた。


 外套を整えたセレイナに、エリオスはそっと手を差し出す。彼女の手を自分の腕へ掛けさせ、そのまま軽く重ねた手に力を添えて、表玄関へ向かった。

 

 ホールを抜け、居館の重厚な扉を開けた瞬間、冷たい風が肌を刺す。


「寒くないか?」


 この問いかけをするのは何度目だろうか? と、どうでいいことを思いながら、エリオスがセレイナに問うと


「大丈夫です」


 と、彼女は首を振った。


 彼らは、正面から外庭へ向かう道筋から外れ、壁に沿った通路を歩く。少し進むと見えた、装飾のない小さな扉を抜けると、その先にあった庭園が目に入ってきた。


 そこに広がる光景を見たセレイナは、思わず息をのんだ。


 冷たい夜気に包まれた居館の裏庭園は、まるで星の森に迷い込んだかのような錯覚を覚える場所となっていた。


 電灯ではなく、掌ほどの大きさの真鍮製の小さなランタンが、庭の木々に張られた細い紐にいくつも吊るされている。揺らめく蝋燭の炎が金色の光を放ち、周囲の葉や雪を暖かな色に染め上げていた。


「これは……」


 その声は震え、瞳には光が反射して、煌めいている。


「仕え人の皆が、セレイナのために密かに用意をしてくれていたらしい」


 エリオスがセレイナの横顔を見ながら、種明かしをする。その言葉にセレイナは、堪えきれず口元を手で押さえ、ポロポロと涙を流した。


「こんなに温かく……素敵な日がくるなんて……私、ここに来れて、よかった……っ」


 それは、王城で『生きる亡霊』と化し、誰にも助けを求められず、死を選ぼうとしていたセレイナの叫びのようだった。


 エリオスは静かに彼女に寄り添い、冷えた肩にそっと手を置く。


「セレイナ」


 声は静かだったが、夜空のランタンの光よりも暖かく、エリオスがセレイナを見守ろうとする力強いものだった。


「まだこれから、貴方の人生は続いていく。与えられた命ぎりぎりまで、生き抜くんだ。貴方はもう、誰にも縛られない。自分の好きに生きていいんだ」


 エリオスの言葉がセレイナに届いたのか、彼女は涙を拭い顔を上げてエリオスを見た。


「居館の皆さんに、お礼を言わないと」


「大丈夫だ。ほら、向こう側の窓を見てみろ」


 エリオスが指した先、二階の大窓には、こちらを覗くように仕え人たちが並んでいた。


 セレイナはそちらに向かって深くお辞儀をし、頭を上げた後に両手を振った。セレイナのその反応に、仕え人達も同じ様にお辞儀を返す。彼らの表情まではわからなかったが、握手をしたり、手を叩き合ったりしている様子が見て取れた。


 少し離れたアーチの陰では、ガレーニャとオクターブがその光景を静かに見守っていた。オクターブは珍しく微かな安堵の笑みを浮かべ、ガレーニャは静かに頷き、その場に立つ二人に優しく目を向けていた。


「さぁ今日は聖夜祭だ。皆で食事をしよう。この景色が良く見える部屋に、晩餐を用意してある」


 エリオスがそう言うと、嬉しそうにセレイナは微笑んだ。



 聖夜祭が終わった翌日から、セレイナは図書室に籠るようになった。

 

 その様子を伺いに来たエリオスが問いかける。


「何か調べものか?」


「経営学を……独学になりますが、学びたいと思いまして」


 セレイナは、そう返事をした。


 彼女の中に新しい希望があの夜から芽生えたのだろう。


 エリオスはセレイナを見守るように、静かに見つめていた。

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