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32 吉報と予期せぬ介入者 -Chapter リージェリア

「私……愛されてるのかしら……」


 晩餐を終え、自室に戻ったリージェリアが、ボソリと呟く。それを聞いていた、部屋の片隅に控える自国から連れて来た侍女たち。その一人が慌てて、


「妃殿下。当然でございます。こんなに愛らしいのに、愛されてないなどあり得ません。王太子殿下も心から、妃殿下を愛されているようにお見受け致します」


 と、リージェリアに優しく言葉を掛ける。


 (まだ駄目。もっと同情して頂戴)


 大きな溜め息を吐きつつリージェリアは、震える声で言葉を絞り出す。


「そうね……そうなのだけれども、殿下は……側妃を召されたわ。そのうち私は不要になる」


 リージェリアのその一言に、場の空気が一瞬で凍り付いた。


「まさか!」「あり得ません!」


 侍女二人と官女二人は、声を揃えて否定する。


「あなたたちは優しいのね。ここに嫁いで来て、本当に信頼できるのはあなたたちだけだわ。私が……この国に馴染めないからと、側妃というのは屈辱で……っ」


 堪えきれないように、リージェリアは言葉を詰まらせ、口元を白い小さな手で覆う。


 男は女の涙に弱いとよく言われるが、それは、泣いてる女から『逃げたい』から。どう対応したらいいかわからなくなるから。同性である女は、その涙の種類次第では大きな共感を得られる。涙を効果的に使えるのは、男ではなく、女相手の方。


 同情と共感。それこそが大きな武器となる。


「もし……側妃が、懐妊したら……私、見知らぬこの国で、どうしたらいいと思う?」


 ハラハラとこぼす涙。


「世継ぎにまだ恵まれてないから……私、もう……」


「妃殿下……どうか、そんな悲しいことをおっしゃらないでくださいませ。殿下はきっと、妃殿下を」


「……そうね。そう思いたいわ。けれど……わたくし、何も出来ないの。あの方が殿下のそばにいても、何も言えない。私が弱いから、きっと、いけないのよね」


 その声音に、その姿に、侍女たちは苦し気な表情を見せた。リージェリアがどれほど耐えているのかを、日々見てきたから。けれど誰も、慰めの言葉を紡げなかった。


「……もういいの。忘れて」

 

 リージェリアは目元を押さえ、震える息を吐いた。


「ただ、静かに過ごしたいの。あの方がいなければ、それで……。それと、これを処理してくれるかしら」


 震える手でリージェリアは、小脇に置いていた小さな箱を取り出した。そしてゆっくりと開ける。そこには赤茶の鈍色のガラス瓶が一つ入れられてある。


 あの手紙から数日後、リージェリアに届けられたもの。


「これは……とある方が私を憐れんで、秘密裡に使えばよいとくださったものなの。……避妊薬らしいわ。きっとその方も、この国の均衡が崩れることを憂慮なさっているのね。側妃が懐妊と言う事態を防ぐため、食事に毎日少量を淹れたら良いとお知恵をくださったの。でも、私……そんなこと出来ない……っ。もし誰かに気づかれでもしたら……」


 そこまで言ったリージェリアは、流れていた涙を再び細い指で拭い、小箱を一人の官女に差し出した。


「貴方の手で、これを処理してくれる……?」


 そこに居た侍女と官女たちの心は、既に決まっていた。

 

 リージェリアが望むこと。


 それも理解していた。


 

 その夜の後、官女のひとりが密かに動いた。主の涙を見過ごすことは出来ない。


 リージェリアはそのことを知らない。


 けれど翌朝、官女と顔を合わせた時に


「妃殿下。御憂慮はもう、なさらずとも大丈夫です」


 その言葉を聞き


「ありがとう」


 と、優しく微笑んだ。それだけで官女には伝わったはずだ。『よくやったわ』と。




 やがて、噂が流れ始める。


『側妃殿下が色目を使うらしい』『経費の帳簿にも妙な点がある』


 リージェリアはその話を聞いても、ただ静かに瞳を伏せるだけだった。自分は何も言ってはいない。直接的に、何かをしてほしいとは語ってもいない。


 ただ忠誠と同情と共感の心が、彼女たちをしっかりと動かしてくれているにすぎない。


 そこに罪悪も無ければ、安堵も見せない。


 それが、彼女の強さだった。



 夜になると、侍女たちが撒いてくれた種を使い、リージェリアが動く。


「セラフィム……どうしたらいい? 今日は奏上があったの。側妃について。私もう、疲れてしまって……」


 セラフィムの胸に顔を埋め、弱々しい声を零す。


「セレイナは、そんな人ではないだろう?」


 セラフィムはそう答えるが、以前よりもその声色は、リージェリアと同じく弱くなっている。


 彼がリージェリアに『側妃を持つこと』を、何度も説得したように。

 今度はリージェリアがセラフィムに『側妃についての悪評』を刷り込む番だ。


 リージェリアが枕元で囁くその言葉が、真実か偽りかを確かめる術を、セラフィムはもう持たなかった。



 そうして、セレイナが側妃として召されてから、約一年がたった頃。大事な旧友からの手紙が届いた。


『一度、会いましょう』と。


 リージェリアは喜んで、それに応えた。彼女と会うのは、自身の婚姻式と彼女の婚姻式以来。但し、その時は顔を見合うだけで、言葉を交わすことは出来なかった。


 共闘してきた仲。戦友のような彼女の存在。


 そして面会日。彼女と過ごす時間は、リージェリアにとって心弾むものになった。彼女は、愛する人との間に授かった命を、その身体に宿している。


 友の懐妊は、リージェリアにとって希望の兆しだった。 彼女はそれが、自分にも訪れる未来であると、そう思えたのだ。


 その希望は現実味を帯びて、思わぬ形で舞い込んできた。リージェリアの元に吉報が届いたのだ。


 王太子と側妃との離縁を王が認めたこと。


 それをセラフィム自身の口から、夜の晩餐の席で聞かされた。


 思わず笑みが零れそうになるのを、必死でリージェリアは堪えた。だが、セラフィムの顔を見ると、相当に顔色が悪い。


(なぜ? 彼女との離縁が、それほどに苦しいことだったの?)


「セラフィム……それは……私からは、あなたに掛ける言葉が浮かばないわ……でもこれで、煩わしいことは減ったのではなくて?」


 思わず悦びが滲んだ言い回しに、なってしまったかもしれない。そうリージェリアは思うが、一度口にした言葉は取り消すことは出来ない。


「煩わしい……か。それが俺の罪なのだろうな」


 食卓に並ぶ食器を眺めながら、セラフィムがそう零した。何かがおかしい。リージェリアの胸に不安が過ぎり始める。


「罪? セラフィム、あなたは罪など……」


「リージェリア。君は、セレイナの姿を見ただろう? あれで何も思わなかったのか? 俺は、ただ、嫉妬に狂った女が、ああなったと……」


「……そうではないの……?」


「東の塔から、身を投げようとしたそうだ」


「……えっ?」


「寸での所で、エリオスが止めた」


 リージェリアは握っていたカトラリーを思わず、床に落としてしまった。


(どういうことなの?)


 頭の中で、様々な推測と考えがいくつも過ぎっていく。


 だがそれは、セレイナが自死をしようとしたことに対してではない。エリオスという名前が出て来たことについて、だ。


(彼は辺境地にいたはずよ。こちらに戻って来たとしても、セレイナとは接点がないわ)


 予期せぬ介入者に、リージェリアの胸は喜びと不安に苛まれていった。

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