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20 虚構 -Chapter セラフィム

 執務室の中に、セラフィムは一人取り残され、机の上に視線を落とす。


 積み重ねられた書類。領地からの報告書、政務の記録、財政の帳簿。すべてが整然と配置されている。秩序と統治。そして、王太子としての責務。


 山積みとなるその一覧の中に、彼女のことは一行たりとも記されていない。


 セレイナ側妃。


 王太子妃の政務を補助する立場として、宮廷に迎えた女性。


 側妃を迎えるという決断は、リージェリアを救うためにセラフィム自らが行使した制度だった。


 政務に不適応で、どんどん不安定になっていく妻・リージェリア。その重圧から彼女を解放し、得意な社交に専念させる。


 その為に、セレイナが側妃として選ばれた。


 肉体的な関係を伴わず、政務のみに携わる立場。王太子妃に代わって、宮廷の実務を担当する者。リージェリアにはそう諭して、迎え入れたはずだった。


 エリオスが机に両手をついた時、セラフィムを射貫いたその目の冷たさと理の圧力。


 『塔から身を投げようとしていた』


 エリオスの声が、セラフィムの耳の中で反響する。


「……そんなはずはない」


 彼は呟いたが、その言葉にも確信を持てなかった。


 いつからだろう。


 セレイナを見ないようにするようになったのは。





 セレイナが側妃として迎え入れられたのは、セラフィムとリージェリアの婚姻から、およそ一年後のことだ。


 彼は父王に相談し、側妃という制度の行使を提案した。名目は、リージェリアの政務不適応という一点に絞られていた。実際のところ、それは正確な判断だった。


 異国から来たリージェリアは、ウィンター国のしきたりになかなか馴染めず、政務のやり方も隣国とは大きく異なっていた。彼女は、是正しようと努力した。だが、その試みはなかなか上手くいかず、どんどん不安定になっていった。


 政務に滞りが生まれ、それは見る見る間に蓄積されていった。


 ただし、リージェリアには一つ、得意なことがあった。


 社交だ。


 薄紅髪の可愛らしい顔立ちと、ナルヴァ国の王女としての気品を兼ね備えた彼女は、宮廷の社交の場では本来、自分の力を発揮できるはずだった。


 国益の懸け橋として、彼女の存在は極めて重要だった。


 だがその社交さえも、政務の重圧と不安定さの影響を受けるようになっていった。心が政務の失敗で満たされれば、社交の場での笑顔も本物ではなくなる。


 セラフィムは、その悪循環を目の当たりにした。


 そして、彼は決断した。


 側妃という制度を使い、政務の負担をリージェリアから取り除くと。


 本来なら、政務官を数人置いても良かったが、それだと結局、妃の裁可が必要となる。ならば側妃を迎え、裁可も『王族』という名目の元、側妃が代わりに行えば不要な手続きが簡素化される。リージェリアも社交に専念でき、国益の懸け橋としての役割を十分に果たせるようになる。

 

 だが問題は、条件を満たす人物が居るのか? という点だった。


 側妃として政務を行える人間。独身で、婚約者がなく、一定の貴族としての家格を持ち、政務をこなせるだけの有能さを兼ね備えた令嬢。


「そんな都合のいい人物が、本当にいるのか?」


 セラフィムはそう自問する中で、改めて父王に相談した。


 すると、側近がある令嬢の候補を持ってきたのだ。


 その名は、セレイナ・エルグレン伯爵令嬢。多くの求婚を受けながらも、すべてを断ってきた女性。


 そして、美しいと評判の――


 セラフィムが、その令嬢の名を聞いた時、心は高鳴りを覚えた。


 知っていたのだ。彼女のことを。噂で、そして何度か社交の場で見かけたことがあった。その美しさを。


 まさかその彼女が、側妃候補になるとは。


 その時は天の采配だと、仄かな喜びがセラフィムの脳裏を掠めた。



 セレイナを初めて目の前で見た時、セラフィムは改めて彼女の美しさに驚いた。噂は本当だった。寧ろ、目の当たりにした彼女は、想像以上に美しい女性だった。


 王城の光に照らされた彼女の銀髪。彼女の瞳。彼女の唇。全てが、セラフィムの心を激しく揺さぶった。


 セラフィムは彼女が側妃にと申し出ることに、寸分の迷いは無かった。


「側妃になってくれないか」


 その言葉を彼女にかけた時、セラフィムは自分の目の中に欲望が宿っているのを感じた。それは政務上の必要性ではなく、純粋に、彼女を傍に置きたいという欲だ。同時に、彼の心にある考えが浮かんだ。


 自分の側妃は、肉体的な関係を伴わない立場として迎え入れるはずだった。それが、異国から嫁いで来てくれたリージェリアへ対する誠意だと思っていた。実際、リージェリアは激しく抵抗を見せた。それを根気よく諭し、なんとか漕ぎつけた側妃制度の実施。


 そう思っていたのに。


 セレイナと対面した途端、そんなものは音もなく崩れ去った。


 側妃とはいえ、王太子の妃であることに変わりはない。


 その身分であれば、彼女と閨を共にする夜が訪れてもいいのではないか。そう考えることは、不当ではないのではないか。


 欲望が、セラフィムの心に深く根差してゆく。胸の高鳴りを抑えることも出来なかった。

 

 その髪に、唇に、身体に、触れたい。


 そんなセラフィムの心を知ってか、知らずか。


 セレイナは、その申し出を承諾した。


 静かに微笑んだセレイナをその目に映した時、セラフィムの理性は、胸の奥のほうで焼き尽くしていった。そして、リージェリアに対する誠意も、破り捨てようとしていた。

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