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19 対峙 -Chapter セリオルド

 王の執務室は静まり返っていた。

 厚いカーテンが風を受けてわずかに揺れ、紙の端がかすかに鳴る。


 その扉が勢いよく開かれ、沈黙を切り裂いた。


 碧眼が鋭く光らせた、黒髪の青年が入ってくる。

 

 第二王子、エリオス。


 執務机の奥にいたセリオルド王は、顔を上げた。黒髪には白い筋が混じり、灰青の瞳が深い光を湛えている。


「乱暴な入り方だな」


「急を要する話だ」

 

 短い返答。その声には冷たさよりも、苛立ちが強く滲み出ている。


「セレイナ妃の件だ」


 王の手が止まる。だが表情は変わらない。


「塔の上で身を投げようとしていた。俺が止めなければ、今頃は死んでいた。……骨のように痩せ細っていた。まるで人形だ。兄上は何をしていた? そして、あなたもだ。何をしていた」


 言葉のひとつひとつが刃のように、王・セリオルトの耳を突く。


「……お前は誰に、何を、言っているのか理解しているのか」


「もちろんだ」

 

 エリオスは、吐き捨てるように言う。


「王太子の無為も罪だが、放置した王の沈黙も同じだ。俺はこの目で見た。セレイナ妃は明らかに助けを求めていた。にも拘らず、誰も手を伸ばさずにただ、衰弱していくのを黙って見ていた。いや、それさえも観ていなかったんじゃないのか?」


「口の利き方に気をつけろ」


「気をつけていたら、誰も救えなかった。今すぐ、離縁させろ。そして彼女を解放すべきだ」


 その瞬間、セリオルドの眉がわずかに動いた。普段何事にも冷めている息子の声色には、聞いたことのない様な熱い何かが込められていた。


 セリオルドはゆっくりと立ち上がる。黒髪に銀の光が差す。長身の体から放たれるものは、口を開かずともその場を支配するような圧。


「お前は、王の決定に楯突くつもりか」


「命を見捨てる決定なら、従う理由はないだろ」

 

 エリオスは一歩踏み出した。そして、自身を落ち着かせるように一呼吸おいてから、言葉を続ける。


「この国の名に、恥を刻ませたくないだけだ。彼女をこのまま殺したら、王家が何を語る?『王の足元で、妃が飢えて死んだ』それが歴史に残る。飢えて、だぞ? あり得ない。あの姿をみて何もしない者がいるならば、それこそ愚か者だ」


 セリオルドは息を吐いた。その吐息は短く、冷たい。


「脅しているのか」


「警告しているだけだ。もしこの件を握り潰すなら、俺は審問会を開く。証人も記録も出す。兄上の名も、王家の名も関係ない」


 セリオルドは机に手を置いた。その目に、短い怒りの光が宿ったが、すぐに消えた。灰青の瞳には、王としての責任と、息子であるエリオスに問い詰められている屈辱と疲労が浮かんでいる。


「……正義を掲げる者ほど、危ういものはないぞ」


「俺は理想を語っているわけじゃない。現に、一人の妃が城の中で死にかけていた。見て見ぬふりをするほうが、よほど危うい」


 沈黙が降りた。セリオルドは机の端に手を置き、喉の奥から低い声を出す。


「……わかった。セレイナ妃は、心を病んだことにする。療養のため王城を離れさせる。お前が連れて行け。辺境の方が安全だ」


 エリオスの肩が、小さく漏れた吐息と共にわずかに緩む。


「離縁も、すぐに。セレイナ妃の希望だ」


「進める。だが忘れるな。情で動く王は脆い」


「情を捨てた国の方が、先に崩れる」


 返答は静かだった。

 だが、エリオスのその一言に、セリオルドの瞳が一瞬だけ揺れた。


 やがてエリオスは短く頭を下げ、扉に向かった。黒髪が翻り、背は真っすぐに伸びている。


 執務室に再び静寂が戻る。

 セリオルドはその椅子に再び腰を下ろすと、机上の印章に手を伸ばし、封蝋を押した。


 短い沈黙ののち、王は控えていた侍従に目を向けた。


「セラフィムを呼べ。今すぐだ」


 侍従が低く頭を下げ、足早に部屋を出ていく。


 その背を見送りながら、セリオルドは視線を落とした。

 

 一体何が起こった?

 

 エリオスが帰城しているのは承知していた。だがなぜ、王太子の側妃がという話をしだしたのだ。しかも身を投げようとしていたとは? 思考を巡らすが、今は事態を確認する方が先だと判断する。


 エリオス。


 自分の資質を兄・セラフィムよりも色濃く受け継いだ、二人目の息子。

 有能すぎるが故に、最も危険でもある。


 情よりも理。そして、理よりも情。


 エリオスは、自らが納得すれば、国など簡単に捨てるだろう。


 己の信念を貫くためならば。


 それは、民心よりも彼にとって、優先すべきこととなるはずだ。


 対して王太子であるセラフィムは、柔軟性があり、政治的な緩和剤となり得る。


 国王としてはエリオスの方が向いているのかもしれない。

 だが、国を円く保つためにはセラフィムの資質のほうが、今は大事だったはず。


 なのに。


 奴は何をしているのだ。隣国との王女の件は、僥倖だと思ったのは間違いだったのか?

 それとも、自身の王としての采配の甘さか。


 セリオルドは、その手元の書類ををじっと見つめながらも、この先の対処に深い疲労を覚えずにはいられなかった。

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