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15 空想 -Chapter ヴァルター

 その日ヴァルターは、領地の端にある国境地帯で結んだ友好条約の延長と見直しのため、登城していた。


 宮廷の、中回廊を歩いていた時のこと。


 ヴァルターの視界に人影が映った。


 銀髪の女性。その色が、ヴァルターの意識を引き寄せた。


 セレイナ?


 だが、その姿は老婆に見えた。痩せ細った体。沈んだ眼。


 セレイナの面影は、そこには微塵もない。銀髪で心を騒がせてしまう自分は、まだどこかでセレイナを思っているのかもしれないと、ヴァルターは自嘲するように軽く息を吐き、書類を抱え直した。


 心のざわめきを押し込め、足を速めてゆく。このあとは、公務が待っている。



 無事に条約の更新を終え、邸への帰路に着く中で、ふと思った。


 セレイナが側妃として、王太子に嫁いだことは耳にしていた。心が痛まなかったと言えば嘘になる。


 だが、側妃であろうとも、王太子の傍で幸せになっていて欲しいとも思っていた。王太子・セラフィムは華やかで人当たりがよく、宮廷の『光』と称される御方だ。きっと、セレイナを大事にしてくださるだろう。

 そして、自らも第二夫人が持てるなら、セレイナを迷いなく迎えただろう。そんな思いすら、胸の奥に浮かんだ。


 今、彼女はどうしているのだろうか。


 もう一度叶うのであれば、話したい。


 だが、側妃になったセレイナは、自分より身分は上だ。こちらが願って会えるような、そんな立場の御方ではない。言葉を交わすことも、簡単に許されない距離にある。


 ヴァルターは、そう自らに言い聞かせた。



 邸に戻ると、ミレーユが彼を迎えた。その顔には、いつもと違う輝きがある。


「ヴァルター。お帰りなさい」


 ミレーユの声には、嬉しそうな浮立つ高さが混ざっている。


「ただいまミレーユ。どうした? 何かあったのか?」


「実は、今日、侍医に診てもらったのです」


「侍医? どこか悪いのか?」


 ヴァルターは、ミレーユの顔を見つめる。不安が、一瞬過ぎる。体調でも崩したのだろうか。だが、ミレーユの笑顔がそれを打ち消した。


「いいえ。子が、宿っているそうです」


 その言葉が出た瞬間、ヴァルターは思わずミレーユを抱きしめた。


「本当か? 本当なのか?」


 ヴァルターの声は、喜びに震えていた。


「子が……」


「ええ。私たちの子どもよ」


 ヴァルターは、嬉しそうに微笑むミレーユの唇にキスを落とした。


「ありがとう、ミレーユ……ありがとう。俺も父親になれるのだな」


 そう繰り返して、もう一度強く抱きしめた。


 ヴァルターの心の片隅にあったセレイナのことは、もう消えていた。

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