15 空想 -Chapter ヴァルター
その日ヴァルターは、領地の端にある国境地帯で結んだ友好条約の延長と見直しのため、登城していた。
宮廷の、中回廊を歩いていた時のこと。
ヴァルターの視界に人影が映った。
銀髪の女性。その色が、ヴァルターの意識を引き寄せた。
セレイナ?
だが、その姿は老婆に見えた。痩せ細った体。沈んだ眼。
セレイナの面影は、そこには微塵もない。銀髪で心を騒がせてしまう自分は、まだどこかでセレイナを思っているのかもしれないと、ヴァルターは自嘲するように軽く息を吐き、書類を抱え直した。
心のざわめきを押し込め、足を速めてゆく。このあとは、公務が待っている。
☆
無事に条約の更新を終え、邸への帰路に着く中で、ふと思った。
セレイナが側妃として、王太子に嫁いだことは耳にしていた。心が痛まなかったと言えば嘘になる。
だが、側妃であろうとも、王太子の傍で幸せになっていて欲しいとも思っていた。王太子・セラフィムは華やかで人当たりがよく、宮廷の『光』と称される御方だ。きっと、セレイナを大事にしてくださるだろう。
そして、自らも第二夫人が持てるなら、セレイナを迷いなく迎えただろう。そんな思いすら、胸の奥に浮かんだ。
今、彼女はどうしているのだろうか。
もう一度叶うのであれば、話したい。
だが、側妃になったセレイナは、自分より身分は上だ。こちらが願って会えるような、そんな立場の御方ではない。言葉を交わすことも、簡単に許されない距離にある。
ヴァルターは、そう自らに言い聞かせた。
☆
邸に戻ると、ミレーユが彼を迎えた。その顔には、いつもと違う輝きがある。
「ヴァルター。お帰りなさい」
ミレーユの声には、嬉しそうな浮立つ高さが混ざっている。
「ただいまミレーユ。どうした? 何かあったのか?」
「実は、今日、侍医に診てもらったのです」
「侍医? どこか悪いのか?」
ヴァルターは、ミレーユの顔を見つめる。不安が、一瞬過ぎる。体調でも崩したのだろうか。だが、ミレーユの笑顔がそれを打ち消した。
「いいえ。子が、宿っているそうです」
その言葉が出た瞬間、ヴァルターは思わずミレーユを抱きしめた。
「本当か? 本当なのか?」
ヴァルターの声は、喜びに震えていた。
「子が……」
「ええ。私たちの子どもよ」
ヴァルターは、嬉しそうに微笑むミレーユの唇にキスを落とした。
「ありがとう、ミレーユ……ありがとう。俺も父親になれるのだな」
そう繰り返して、もう一度強く抱きしめた。
ヴァルターの心の片隅にあったセレイナのことは、もう消えていた。




