当たり前の風景と、当たり前じゃない気持ち
物語は良樹と志保の日常から始まります
その日の朝もいつもの朝と何ひとつ変わりはありません。何度も繰り返してきた毎朝の風景。今日もそれの繰り返しです。
「よしくーん。おはよー。もう朝ごはん出来るよ。起きて一緒に食べよ?」
私がそう声をかけてもよしくんは簡単には起きません。布団から出ようとはしません。
「あぁ? もうそんな時間か?」
布団に潜ったまま、眠そうな声で毎朝そう言います。きっとまた漫画を読んで夜更かししたのね。もう、ホント手がかかるんだから。
「そうだよ。みんなもう起きて来てるよ。私たちもご飯食べて準備しないと遅刻しちゃうよ? だから早く起きてよ」
私はそう言いながら布団ごとよしくんの身体をユサユサ揺さぶります。それでも無視して黙っているから、そのままいつまでも揺さぶり続けました。
「また昨夜も夜更かししてたんでしょ。睡眠不足は身体に良くないんだよ? 朝ごはんもちゃんと食べないといけないんだからね。せっかく薫子さんが作ってくれてるんだから、早く起きて一緒に食べようよぉ」
「あぁぁぁ、わかった。起きるから揺するのヤメろ!」
よしくんはようやく観念して起きることにしたみたい。こんなに揺さぶられたんじゃあさすがに寝てられないよね。むしろここまでしないと起きないんだからホント困っちゃう。
居間に行くとよしくんの妹の瑞樹ちゃんがもう1人で食事をしていました。
「あれ? 兄貴は?」
よしくんがそう尋ねると「もう学校に行ったよ。今日も部活の朝練があるんだって」と瑞樹ちゃんは答えました。
よしくんのお兄さんの竜樹さんは高校2年生。学校ではバスケ部に入っているのでしょっちゅう朝錬で早く学校に行きます。
「良にいはサッカー部なのに朝錬とか無いの?」
「中学の部活で朝錬とか無いだろ。他の学校とかは知らんけど」
「ふーん。まああってもどうせ起きられないから関係ないか」
「大丈夫だよぉ。私が起こしてあげるもん」
「ダメだよ、志保ねえ。志保ねえはさ、良にいに甘過ぎだよ。ほっといて遅刻させちゃえばいいのに」
小学4年生の瑞樹ちゃんは結構過激なところがあります。でも瑞樹ちゃんはいつも私の味方をしてくれるの。私のことを志保ねえって呼んで慕ってくれて、まるで血のつながったホントの妹みたいですごく可愛いの。
瑞樹ちゃんは竜樹さんの事を竜にい、よしくんの事は良にいって呼ぶんだけど、私の事も同じように志保ねえって呼んでくれて、それがとっても嬉しいんだ。私もこの家の一員なんだなって、そう思ってくれてるんだなって。
毎朝こんな感じの私たちだけど、でも私は今この時がとっても楽しいの。以前の辛かった時のことなんてもうすっかり忘れてしまうくらいに毎日が幸せなんです。
中学に入ったからって何かが大きく変わったわけじゃない。だって同じ小学校に通っていた連中の半分は同じ中学校に通う感じだったからね。もちろん同じ学校だったからって全員の顔を知っていたわけじゃないけど、それでもクラスの中に知っている顔は何人もいたし、だからまあ今までとそう大きくは変わらない毎日だった。変わったのは新しい友達が出来た事と数学と英語の授業が増えたぐらいかな。でも友達が増えるのは嬉しいけど、授業が増えるのは全然嬉しくない。
「よしくーん。おはよー。もう朝ごはん出来るよ。起きて一緒に食べよ?」
その日の朝もいつもと同じようにアイツがオレを起こしに来た。そう槙原志保だ。
「あぁ? もうそんな時間か?」
「そうだよ。みんなもう起きてるんだから。私たちもご飯食べて準備しないと遅刻しちゃうよ? だから早く起きてよ」
そう言いながらもう制服に着替えている志保は、布団ごとオレの身体をユサユサ揺さぶる。無視して黙っているとそのままさらに揺さぶり続ける。無視してると起きるまでずっとだ。
「あぁぁぁ、わかった。わかったよ。わかったから、起きるからもう揺するのヤメろ!」
仕方ないので観念して起きることにした。こんなに揺さぶられたんじゃあ、いくらなんでもさすがに寝てられない。ホント毎朝毎日こんな調子で叩き起こされて正直良いのか悪いのかわかんねーけど、でもまぁおかげで毎日遅刻はしないで済んでるんだから志保に感謝するべきなんだろうか? そうなんだろうな。母さんがいつもそう言うしな。だけど俺だっていざとなったら自分でちゃんと起きられるんだからな。絶対。
居間に行くと妹の瑞樹が1人で食事をしていた。
「あれ? 兄貴は?」
俺がそう言うと「竜にいなら、もう学校に行ったよ。今日は部活の朝練があるんだって」と瑞樹が言った。
「ふーん、高校の部活って大変だな。朝早くから練習とかやりたくねー」
「良にいは少し竜にいを見習った方がいいと思うけどなー」
「兄貴の何を見習えってんだよ」
「自分で何でもちゃんとやるところとかさぁ。竜にいは朝練の時も自分でちゃんと起きるんだって。良にいは毎朝志保ねえに起こしてもらってるじゃん。私だって自分で起きるのにさー」
「俺だっていざとなればちゃんと自分で起きられるから」
「それ絶対できないヤツ。今から本気出すとか、良にいダサいなぁ」
「ほらほら2人とも、いいから早く食べて学校に行く用意しなさい。志保ちゃんももうお手伝いはいいから、早く食べちゃいなさい」
母さんが台所から出てきてそう言った。瑞樹に言い返せないのがなんかシャクに触るけど、遅刻しちゃうからな。仕方ないよな。
志保はオレの向かい側に座ると両手を合わせて「いただきます」と言ってから食べ始めた。いつものことだけどコイツ行儀良いよな。俺もいただきますは言うけど両手を合わせはしないな。そしてホント美味そうに食べるんだ。そりゃ母さんの作ったご飯はいつも美味しいから当たり前っちゃあ当たり前なんだけど。
朝食を食べ終わるとオレが用意を終えるまで志保は食器洗いをしている。毎日そうなんだ。母さんは「そんなに気を遣わなくていいのよ」っていつも言ってるらしいけど、志保もアイツなりに色々考えてるみたいで手伝いを止めようとはしないそうだ。
「よしくーん、そろそろ出ないと遅刻するよー」
時間になると志保は大きな声でそう叫ぶ。
「わかってるよ! もう行くからそんな大声出すな! うるせーよ」
オレは慌ただしく玄関に向かい靴を履く。志保はもう準備万端整えて俺を待っている。靴紐を結びながらチラッと志保を見るとこっちを見ながらニコニコしている。毎日こうだ。何が楽しいのか知らないけど、志保はいつもこんな風にニコニコ笑ってるんだ。でもこの笑顔を見るのは別に嫌いなわけじゃない。うん、ホント、嫌いではないんだ。
「良樹、アンタねホントに毎朝毎朝志保ちゃんに面倒かけるんじゃないわよ? 瑞樹が言う通り、もう中学生なんだからいい加減自分の事は自分で出来るようになって欲しいわ」
母さんが玄関まで来てオレにそう言った。
「はいはい、すいませんね、出来の悪い息子で」
面倒をかけてるつもりが全く無いから母さんの言葉を適当に右から左へ受け流し、立ち上がり、通学用のカバンを肩にかけて志保に「お待たせ」と声をかける。
「それじゃあ行ってきます」
「はい、いってらっしゃい。志保ちゃん、今日も良樹をよろしくね」
「はーい。行ってきまーす」
いまさらもう何も言わないけど、いちいち志保にオレのことをよろしくねって頼むのは何なんだろうといつも思う。子供じゃないんだから正直勘弁して欲しい。
こんな感じで毎朝一緒に登校するから、まあ同じ家に住んでるんだからそりゃそうなんだけど、だから最初の頃はそりゃあクラスの連中にからかわれたもんだ。「ホントに仲が良いねー」とか「夫婦なんじゃねーの」とか何とかね。黒板に相合傘を書かれるなんてしょっちゅうだったなぁ。
まあもう今更その手の事は何があっても気にしないけど、中にはオレと志保が付き合っていると本気で思ってるヤツまでいるらしいんだ。
(いや、それはさすがに勘弁してくれ)
正直言ってオレは志保をそういう対象として見たことがない。だから付き合ってるうんぬんの話だけはオレは躍起になって否定するんだ。アイツはそういう存在じゃないから。
俺と志保は学校までの道のりを2人で歩いていた。俺達の通う中学校までは歩いてだいたい30分ほどかかる。
「よしくん、昨夜ベストテン見た?」
志保がオレにそう尋ねた。
「見てないよ。って言うか、オマエ俺が見てないの知ってるだろ?」
一緒の家に住んでるんだから昨日だってその時間にオレがテレビ見てなかったことを知ってるはずなのに、なのになぜそんなことを聞くのか。
「あ、そうだった。えへへへ」
「えへへじゃないっての。だいたいキャンディーズ解散してからベストテン見る気しないんだよなぁ。どうせ1位はピンクレディーだったんだろ?」
「うん、そうだよ。すごいよね、ピンクレディー。CMにもいっぱい出てるし」
一昨年の夏にデビューしたピンクレディーはデビュー曲から大ヒットして、それから出す曲出す曲がみんな大ヒット。今じゃテレビで見ない日はないし、商店街の放送でもピンクレディーの曲ばかり流すし。でーもー、俺はキャンディーズ派なんだ。誰が何と言おうとキャンディーズ派なのだ。
「クラスの中にもファンが多いみたいだけど、俺はキャンディーズ派だからピンクレディーには興味ねーんだよ」
「でもキャンディーズ、先月解散しちゃったじゃない」
うぐっ! コイツ、人の傷口に塩を塗り込んだな。
「あー、オマエさぁ、思い出させるなよ。俺、まだ立ち直ってないんだぞ?」
「あ、そうだったっけ。ゴメンね」
そうなんだ。キャンディーズは先月の後楽園コンサートを最後に解散・引退しちまったんだ。もちろん俺も行きたかったんだけど……行けなかった。
「解散コンサート、行きたかったんだよなぁ。後楽園だからそう遠くはなかったのになぁ。まあ中学生が1人で行くってのも無理があるっちゃあるのかもしんないけどさ」
「薫子さんにダメって言われたんだっけ?」
「ダメっていうか、小遣いじゃチケット代に足りないから金くれって言ったら、バカって言われて終わった」
俺がそう言うと志保は楽しそうにクスクス笑った。
「薫子さんって時々面白いよね」
薫子ってのは俺の母さんの名前。志保はウチの母さんをそう呼ぶ。ちなみに父さんのことは川島先生だ。
「面白いって、俺がバカって言われただけじゃん。何がそんなに面白いんだよ」
そう言われても志保はニコニコ笑ったままだった。なにがそんなに楽しいのか知らないけど、なんでコイツはいつもこんなにニコニコしてんだろうな。ホント不思議だ。
「あ、そういえばよしくん、昨日の宿題ちゃんとやった?」
「宿題? なんかあったっけ?」
俺はちょっと考えたけど何も浮かんでこなかった。宿題なんてあったか?
「えーっ? 覚えてないの? 数学の宿題出てたじゃない」
「あ、そうだっけ? じゃあ後で写させてくれよ」
「ダメだよぉ。それじゃ宿題の意味無いじゃない」
志保は俺の要求をあっさり却下した。減るもんじゃないんだからケチケチすんなよって言ったら、「いつもそうじゃダメだよ!!」 と頑なに拒まれた。
「薫子さんにも、いつもいつも甘やかしちゃダメよって言われてるんだもん。だから今日はダメー!!」
「なんだオマエ、母さんと結託してんのかよ」
母さんも余計なことを言ってくれる。どうやら俺は宿題を忘れたことで怒られるしかないらしい。少し気分がどんよりしてきた。数学の奥田、イヤミったらしいからキライなんだよな。
「怒られるのがイヤだったら、ちゃんと宿題すればいいのに」
「怒られるのも宿題するのも、俺はどっちもイヤなんだよ」
俺は通学用ショルダーバッグのベルトをおでこにかけて歩きながらそう言った。
「そんな子供みたいなこと言わないの!」
まるで母さんが俺に対して叱るみたいに志保はそう言った。コイツも俺を子供扱いしてんのかな。
「私たちもう中2なんだから、ちゃんと勉強しないと来年受験なんだよ?」
受験かぁ。そうなんだよなぁ、来年はもう中3なんだよなぁ。
「どっちみち俺は都立しか行けないし」
「別に都立でもいいじゃない。私も都立校に行くつもりだし」
「あれ? でもオマエ、私立に行ってもいいんだからねって言われてたじゃん。オマエの成績だったら私立でもけっこう良いトコ行けるんだろ?」
「かもしれないけど、でもやっぱりそうもいかないし……」
「ふーん、そんなもんかね。俺にはよくわかんねーけど」
と口ではそう言ったけど、さすがに俺だって志保が気を遣ってることぐらい気づいてる。父さんと母さんが志保をどう思ってるかはわかってるけど、それでもやっぱりできるだけお金の負担をかけさせたくないんだろうってね。でも行っても良いって言ってんだから素直に行けばいいのに。志保の成績だったら有名私立高校にだって行けるだろうし。
「だからよしくん、高校も同じところに行こうよぉ」
はぁ? 志保が突然とんでもないことを言い出した。俺と志保が同じ高校に?
「えぇー、高校に行ってもオマエの面倒見んの? ヤダよそんなの。だいたいさぁ志保の成績だったら都立って言っても21か22群だろ? 戸山・青山とか新宿・駒場とか、そんなとこ俺が受かるわけないじゃん」
「私、そんなとこ受けないよ? 通学大変だもん。25群でいいかなって思ってるよ」
俺らの住む東京の都立高校は学校群制度っていう入試実施方法を採っている。これは都内の近隣数区で学区を作って、その中でいくつかの高校がそれぞれ『群』を作り、その群の中で学力が平均になるよう各校に合格者を振り分ける方法だ。つまりこの制度での受験生は学校ではなく群を受験するという形態になるわけ。合格後に振り分けるから希望の高校に通えるかどうかはわからない。
群ごとにレベルが違うのは当然で、普通科高校では偏差値的にランク付けすると下から24群・26群・25群・23群・21群・22群という順だと一般には認識されてる。俺はヘタすりゃ24群かもしんないけど、まあ26群がいいとこかな。ちなみに兄貴は26群の高校に通ってるんだ。
「25って千歳と松原だっけか。千歳は中学の隣りだから今と変わんないけど、松原とか結構遠いじゃん。通学が大変なのは一緒じゃねーの?」
「うーん、そうなんだけど……ううん、そうじゃなくって、高校も一緒のとこに行こうよ」
「いや、だから、俺の成績じゃ25とかムリだし」
「だからもっと勉強しようよ。今から一生懸命やれば全然間に合うよ。だから一緒に頑張ろうよぉ」
「俺の成績をオマエのレベルまで上げろってかい。無茶を言いますのぅ、志保さんや」
そんな話をしながら正門にたどり着いたら、後ろから誰かが声をかけてきた
「よお、川島。おはよ」
後ろを振り返ると市原がいた。いつも大体ここで市原は俺達と合流するんだ。
「あ、市原くん。おはよー」
「おはよう、槙原さん。相変わらず川島と仲良いね」
「別に仲が良いとかそんなんじゃねーし。同じ家に住んでるから仕方なく一緒に通ってるだけだし」
俺がそう言うと2人は「ハイハイ」とでも言いたげな顔をした。コイツら、いつも俺の話を右から左に聞き流すんだよ。なんかムカつく。
俺と一番仲が良い友人である市原慎司。小学校が別々だった俺たちは中学で同じクラスになった。市原の父親は開業医で、つまりお金持ち。ちょっと住む世界が違う気もするけど、俺らは初対面の時からなぜか不思議なほどウマが合って中1の1年間をほとんど共に過ごした。体育の授業で作るペア、課外授業でのグループ分け、放課後も俺らはいつも一緒だった。
市原は勉強が出来て社交的な性格だ。運動神経も良い方だし、おまけに開業医の息子ときているから結構女の子に人気があるらしく、実際何回も告白されたことがあると本人の口から聞いた。けっ。
男の俺から見て特別ハンサムというわけではないと思うんだけど、女の子から見るとまた違うんだろう。運動神経だったら俺だって負けてないんだけど、それ以外の部分では悔しいけど正直敵わない。
2年に進級して別々のクラスになったけれど、俺たち2人は今まで通りの仲を保ち続けた。俺にとって市原は何でも話すことが出来る大事な友達、いや唯一無二の親友だ。
「で、何の話をしてたわけ? なんか成績がどうのって聞こえてきたけど」
「あ、そうそう、聞いてくれよ市原。志保のヤツがさぁ、高校も一緒のところに行こうとか言うんだよ。無茶言うと思わねえか?」
「だって、高校も一緒だったら楽しいじゃない」
「……槙原さん、それはさすがにちょっとムリじゃないかなー。槙原さんが受けるレベルの高校は、川島にはいくらなんでもレベル高過ぎると思うんだけど」
「でも、まだ2年生の1学期だし、今から真剣に勉強すれば絶対間に合うと思うの。よしくん、頭は悪くないんだから」
「いや、普通に頭悪いと思うよ?」
「……何さりげなくバカにしてくれちゃってんの、市原くん?」
むー、でも悔しいけど勉強面でこの2人に敵わないのは事実だ。そりゃ俺が市原ぐらいの成績だったら志保と同じ高校に行けるだろうけどさ。志保はなんだか不満そうだけど、そんな顔をされても困るって。人には出来る事と出来ない事があるんだからさ。
僕、市原慎司が初めて川島に会ったのは中学の入学式でした。でも実は川島の事、名前だけは知ってたんです。アイツ小学校で色々問題起こしてたんでしょ? なんか暴力沙汰もあったって噂を聞いてました。
式の間アイツもうあからさまに退屈そうにしてて、面白いヤツだなぁと思ったんです。だってみんな内心では同じ気持ちだけどおとなしく先生たちに従ってるのに、アイツときたらそんなの全くお構いなしって感じで。コイツ大物か大バカかのどっちかだなって思いましたよ。ちょっと羨ましいとも思ったかな。 ただ物珍しかっただけかもしれないけど。
僕は父親が開業医で、一人っ子なこともあって将来は父親の跡を継いで欲しいって言われてます。医者って代々継いでいくものなのかな? とも思うけど、だからといって特になりたいものがあるわけじゃないし今のところは親の言う通りにしようかなって思ってます。幸い成績も良い方だし。でも将来やりたいことが見つかったら話は変わりますけどね。
入学式で川島に興味を持った僕は自分から話しかけてみたんです。
「すっげー退屈そうだったな。思いっきりアクビしてたしさ」
「だって知らないオッサンやオバサンの話なんか聞いてたってつまんないじゃん。早く終わんねぇかなってずっと思ってたんだ。みんなよく黙って言うこと聞いてるよなぁ」
入学式が終わった後だって誰も文句なんか言ってなかった。きっとみんな同じ気持ちだったのに、自分を含めて態度や言葉に表したのは川島だけだった。コイツが噂の川島良樹か、コイツすげーなって思いました。そして自分の感情を素直に出す川島の事をちょっと羨ましいなって。
その日からちょくちょく話すようになって、話してるうちにどんどん仲良くなっていって、今じゃもう四六時中一緒にいるような仲です。そう、最初からウマが合うヤツだったんです。
川島は僕がふざけた事を言ったりやったりすると上手い具合にふざけ返してきて、それがなんだかすごく面白くて可笑しくて、とにかくノリが良いヤツなんですよ。それがなんか僕と丁度波長が合うのかな。アイツと居ると居心地が良いんですよね。だからずっと付き合ってるって感じです。
開業医の息子って、結構色眼鏡で見られるんですよ。やっぱりお金持ちの息子って思われてるみたいで。ましてウチはそこそこ名の通った病院らしいんでなおさらなのかな。小さい時からなんか周りから一線引かれてるっていうか、そんな気がずっとしてました。もちろん僕が気にしすぎなのかもしれませんけどね。
でも親がお金持ちだからって僕には関係ないし。だってお金を持ってるのは親であって僕じゃないわけでしょ? だからもちろんお金を持ってるから偉いなんて思ったことも無いし、両親だって別に僕に特別贅沢をさせているわけじゃないです。お小遣いだって世間並みの額しかくれないし、そもそも中学だって私立じゃなくて公立校に通ってるんですから。
なのに、それでもやっぱり周りの人は僕が特別って思うみたいで、面と向かってキミは別世界の人だからって言われた事もそりゃありますよ。
川島は僕と初めて会った時から今の今まで、会話をしていても僕の親の事には全く触れないんです。もちろんお互いの家へ遊びに行ったりしましたけど、その後も全く変わらない付き合いでした。僕の家に来た翌日ですら全く触れようとしないんですよ。それがずっと不思議だったんです。そんなヤツ今までいなかったから。
アイツね、お父さんが中学校の体育教師で結構厳しいらしいんですよ。一緒に暮らしてる槇原さんはそんなこと無いって言うんだけど、川島はとにかくお父さんが怖くて頭が上がらないらしくて。そういえば川島って正義感もすごく強いヤツなんですけど、槇原さんが言うにはそれはご両親譲りだそうです。
付き合っていてだんだんわかってきたんですけど、川島良樹ってヤツは人を個人としてしか見てないんですよ。僕のことも市原慎司という一人の人間としか見てない。だから親がどうとか家柄がどうとか全然気にしてないっていうか目に入らないっていうか、きっと意識すらしてないんでしょうね。でも僕にはそれがとても心地良いし嬉しいんです。対等に付き合っている感じが良いんですよ。だから僕はこれからも川島とはずっと友人として、出来れば親友として付き合っていきたいと思っています。
でもアイツ、もうちょっと槇原さんの気持ちを考えてあげたら良いと思うんだけどなぁ。
市原と別れて俺達は自分たちの教室に入った。2年H組。志保の席は窓際の一番前で、俺の席は真ん中の列の後ろの方だ。自分の席に行くと隣りの席にはもう渡辺一美が座っていた。
「川島くん、おはよう」
渡辺がそう挨拶をしてきたんで、おはようと挨拶を返す。「あ、そうだ」俺はあることを思い出した。
「なあなあ渡辺。オマエ数学の宿題やってきた?」
「うん。やってあるよ。なんで?」
「おっ、やった。じゃあ写させてくんない?」
「いいけど、槙原さんに写させてもらえばいいじゃない。いつもそうなんでしょ?」
「頼んだら断られた。甘やかしたらダメだってウチの母さんに言われたらしいんだ」
俺がそう言うと渡辺はケラケラ笑った。
「川島くんって槙原さんに対しては弱いよねー。もしかして槙原さんには頭が上がらない感じ?」
渡辺はからかうようにそう言った。俺は少し憮然としながら「そんなんじゃねーし」と答えた。
「とにかく、後で宿題写させてよ」
「別にいいけど、タダじゃイヤかなぁ」
「うっ……。じゃあ今度アイスおごるから」
「オッケー、じゃあ次の休み時間にね」
よし、交渉成立。これで何の心配もないぜ。渡辺にアイスおごらなきゃいけないのはお小遣い的にちょっと痛いけど仕方ない。
渡辺一美とは1年の時も同じクラスだった。ただその頃は特に仲が良かったわけでもないし、正直話した記憶もない。それが2年になって、この一学期で隣りの席になって、それからは随分話すようになった。
渡辺は少し目つきが鋭いんで人によっては怖く感じているらしい。見た目がいわゆる不良っぽい感じなんでなおさらそう思われていたのかもな。だから誰かと仲良く話してるとこなんか見た事ない気がする。俺が興味なかっただけかもしれないけど。
俺は別に怖かったわけじゃなくて単に接点が無いから話す機会が無かっただけなんだけど、でも今こうして実際に話すと面白いし、結構女の子らしいなって思うところもあるし優しいところもあるとわかった。笑った顔とかちょっとした仕草とかなんか可愛いんだよな、女の子らしいとこあって。他の男たちは渡辺のそんなところに気づいてんのかな?
そんなわけで隣り同士の席になってから俺らは日に日に親しくなっていった。実は学校に行く密かな楽しみの1つになってたんだ。そう思っていたのは多分俺だけじゃないと思うんだけど……。
もちろんこんな話、志保にはしてない。俺はチラッと志保の方を見た。アイツ、俺がこんな話をしたらどんな顔するんだろう。
川島良樹くんとは1年の時から一緒のクラスだったけど、あんまり接することが無くてほとんど話したこともなかったんじゃないかな。
アタシってこんなだから周りには不良っぽく見られてるし、だからあんまり同級生と関わることがなくって……。
確かに髪の毛茶色いけどこれは地毛だし、制服着崩したりしてるけど不良じゃないんだよ? でも誰が流したのかしらないけどアタシに関する変な、とってもイヤな噂が流れてるのは知ってるの。それも不良だって思われてる理由のひとつだと思うんだ。でもいまさらムキになって否定してもきっと逆に取られちゃうんだろうなって思ったからもういいやって。
2年生になって川島くんとまた同じクラスになって、しかも席が隣になって、そこで話し始めてからだんだん仲良くなっていったんだよね。
川島くんはアタシの噂もちゃんと知ってはいたみたい。でも何も言わずに普通に接してくれてた。一度聞いてみたことがあるんだけど、それがどうかしたの? っていう反応だったの。ああ、この人は先入観を持たないんだなって思った。きっと噂とか信じなくて、自分の眼で見たものや耳で聞いたものしか信じないんだろうなって。そんな人いままで周りにいなかったし、それからちょっと彼に興味を持ったのかなぁ。
でも、川島くんには槇原さんがいるんだよねぇ。あの二人、付き合ってるのかな?
次回は球技大会です。