8話 5月21日 悪友 前編
ヴィルヘルム・シュナイダー・フォン・アーベントロート王。
あいつは特別だった。カリスマ、統率力、そして類い稀な行動力。
転生者として異世界に降り立ち、彼は瞬く間に頭角を現した。
サムズ帝国の旧態依然とした制度を打ち破り、多くの民衆に公平な機会と法をもたらした。
その卓越した手腕により、国はかつてない繁栄を謳歌し、彼が数年のうちにその頂点(王の座)にまで登り詰めたことは、誰もが認める偉業だった。異世界の国家を、転生者が率いるという前例のない事態は、多くの者にとって希望であり、未来を照らす光だった。
だが、同時に、それは内に秘めた狂気への予兆でもあった。
ある日を境に、精神の均衡を崩したかのように、彼は突如として親族や忠臣を処刑し始めた。粛清と狂気の連鎖。帝国の中枢は血に染まり、誰も彼を止めることができなかった。
最期には、王政に反旗を翻した貴族連合によって拘束され、国家反逆罪として、公開処刑。
王を失ったサムズ帝国では、混乱と政争が渦巻いた。
その混乱の中、かろうじて命を繋いだのは、長兄と、次女のエリザベーテ、そしてまだ幼かった末弟のラインハルトの三人だけだった。
だが、王族という血筋ゆえに、彼らは新政権から敵視された。
結果として、身分と権力をすべて失い、追われるようにして生きるため帝国を離れるしかなかった。
彼らがどこへ向かったのか、どうやって生き延びたのか知る術もなかったが、リサと名乗る元王女は、この町にいた。
あの事件を生き延びた彼女は、ただ生き延びただけではない。礼儀と知性、そして信念を持ち、立っている。
そう思うだけで、胸の奥が少し熱くなった。
◇◆◇
4日後の水曜日の午後。
庭の幹が、先週と同じように静かに膨らんでいた。
幹の表面が波打つように変化し、そこからラノベが数十冊、そして今回は漫画も数冊一緒に現れた。
「・・・・・・また来たな」
ヨウは幹を軽く叩き、湿り気を帯びた新刊と漫画を丁寧に取り上げた。
その横で、ネオンはすでにしゃがみ込んで、本を落ちないように整頓していた。
その静寂を破るように、庭に下品な声が響いた。
「やっぱり勇者様だったか」
その馴れ馴れしい声に、ヨウの眉がぴくりと動く。
カイ・エリュシア・ノア
声の主は、豪奢なマントを羽織り、軽薄そうな笑みを浮かべる男。ヨウの旧知の友人であり、ある意味では悪友と呼ぶべき存在、そしてリサの義父でもある。
「なんでお前がここに」
「リサがさ、『お兄様が、お兄様が』って一晩中うるさくてさ。気になって来てみたら、なるほど、こりゃ面白いことになってる。しかもお兄様の名前が秋月ヤンって?俺は確信したね、ミラクルヤン様と」
カイはそう言いながら、ヨウの近くの幹に着目した。
「ヨウなんだそれ転生樹?」
「あ、これか」
「物が決まったサイクルで生成されてくる、こんな感じに」
「なんだそれ 小さい本だな? ・・・・・・アリエナイ ヨウ! ヨウ君」
カイのくだらないダジャレ。対応に困る俺。
すると、しばらくしてネオンが何かに気が付く。
「もしかして・・・・・・小林戒?ゴットセブンの・・・・・・?」
弟がその名を呼んだ瞬間、カイの表情が激変する。
「あああああああ!!」
叫びながら口を開けたまま、何かをぶつぶつと呟き始めるカイ。
その姿にヨウも思い出す。
「そういえば、こいつ、前世で“ゴットセブン”とか“ジャンクセブン”とか呼ばれてたな」
「おいジャンクセブン大丈夫か?」
ヨウの言葉に反応し、カイがふらつきながらも会話を始める。
「俺は……小林戒。かつて“ゴットセブン”と呼ばれた、技術バカの一人だ」
「そして、俺を“ジャンクセブン”と呼んだのは、お前、秋月陽だけだ」
「あ、ああ 大丈夫か カイ?」
「大丈夫じゃない ネオンに呼ばれた瞬間、魂が、勝手に起動しやがった」
「は、」
まさか、俺と同じ記憶の再生? 今、明らかにネオンに名を呼ばれた瞬間だった。
俺が混乱している中、カイは届いたばかりの供物を凝視していた。
そして、震える手で幹を指さし、供物として届いたラノベを祈るように両手を組み首を垂れる。
「これは・・・・・・李凜風様が糞念音に届けるために、水曜日に供物として燃やしていた本・・・・・・。俺は、陰からそれを見ていた」
「・・・・・・お前、それストーカーじゃねえか」
ヨウが冷ややかに言うが、カイはまったく耳を貸さない。
「李凜風様は俺の全て! あの歌声、あの笑顔・・・・・・彼女が存在するだけで、世界は美しい・・・・・・」
カイの激情が高まる中、ネオンがふと視線を俺に向け会話を始める。
「・・・・・・思い出した。あの日、戒さんが言ったんだ。『李凜風様はお前にふさわしくない』って。混乱した僕は、それがきっかけで、彼女と喧嘩して・・・・・・でも、謝ろうと思った時だけど、僕・・・・・・死んでた」
その言葉に、カイの瞳が見開かれる。
「俺が・・・・・・呪ったから、お前は死んだ・・・・・・。李凜風様が悲しんでいたのを見て、俺は後悔した・・・・・・!」
「カイ?」
「カイさん!」
「俺は、お前に爆発して欲しかった。だけど死んでほしいわけじゃなかった。それに気づいた時、もう遅かった・・・・・・」
崩れるように地面に座り込み、泣きながら言葉を繰り返すカイ。兄弟は、ただその様子を黙って見つめていた。
まるで、とてもヤバいやつを見るかのように。
◇◆◇
やがて落ち着いたカイが酒でも飲もうと言う話になる。
「料理は俺が作る。食材は持ってきてある」
カイが手際よく料理を始める。
異世界の食材(淡い赤身の獣肉に、山菜のような苦味を持つ葉、そして米に似た粒)をまるで和食のように捌いていく。
「この獣肉、脂が少ないけど旨味は濃い。しっかり酒に合うんだ」
彼はそう言いながら、味噌と似た発酵調味料を使って“獣肉の味噌焼き”を作り始める。
さらに、山菜と魚の干物を炙り、香ばしさを引き立てた肴を次々と完成させていく。
「やっぱり、お前“ジャンクセブン”の異名は伊達じゃねえな・・・・・・」
既に酒の入った俺は、焚火の火加減を調整しながらつぶやく。
カイはにやりと笑いながら答える。
「こう見えて、現世では廃棄寸前の食材を宝に変える“再生料理人”として一部に人気だったんだ。あの頃のスキル、全部使ってやるよ」
ネオンはそんな二人を見ながら、皿を並べつつ「すごい・・・・・・」と感嘆の声を漏らした。
素朴な和食の香りが、焚火とともに夜の空気に溶けていく。
現世では未成年のネオンも、異世界では十五歳で成人。カイが差し出す葡萄酒に、ネオンも遠慮なく頷いた。
「飲みやすいから、これネオン用な」
三人は、軽く杯を交わし、弟もほろ酔いになっていった。
カイにここまでのいきさつを話すと突然何かを思い出す。
「なあ、来週で転生後、三度目の水曜だろ?」
「そうだな」
「ってことは・・・・・・もしかして、次は“携帯”が供物として来るな」
「お前どこまでストーキングしてんだよ」
俺は目を見開き、呆れを通り越していた。
「なあ、ネオン」
酔ったカイが真剣な顔で問いかける。
「お前、李凜風様のこと、どう思ってるんだ?」
ネオンは少しだけ、正気に戻ったような顔で、真っ直ぐ答えた。
「もしも彼女と、この異世界で出会えたら、・・・・・・ちゃんと、好きですって僕の方から言います」
その言葉に、吹き抜ける夜風が、火の粉をふわりと揺らした。
「よし今度は、俺、応援するから」
そして、しばしの沈黙のあと。ネオンが力強く言った。
「はい」
焚火のはぜる音とともに、風に乗ったその声が、静かに夜の空気へと溶けていった。
◇◆◇
その夜、カイが帰ったあと。
縁側で月を見ながら、俺はネオンにぽつりと問いかけた。
「なあ、お前・・・・・・もしかして、人の記憶の扉を開ける力があるのか?」
ネオンは一瞬驚いた顔をして、それから苦笑した。
「だったら素敵なチート能力だけど・・・・・・たぶん、たまたま何かの“キーワード”が鍵になってるだけだと思うよ」
そう言いながらも、彼の指先がふと震えていたことを、俺は見逃さなかった。
ネオンは、室内の本棚に目を向ける。
ラノベで埋まった棚の、ちょうど三分の一が埋まっていた。
俺は、そんな弟の後ろ姿を見て思った。
いや、これは偶然なんかじゃない。お前の本来の能力だ。
◇◆◇
そして、次の水曜日。
今度はカイがリサを伴ってやってきた。
リサは、俺が“本物の勇者”だと知ってから、緊張気味で、どこかぎこちない。
「たくさん食材を用意してきたので・・・・・・その・・・・・・ぜひ食べていただきたく・・・・・・!」
そう言って逃げるように、ネオンと共にキッチンへ向かう。
「おーい、ネオン、火加減は大丈夫かー?」
「うん、なんとか」
若いってのはいいな。
外で俺とカイは、二人の様子を眺めながら、酒をちびちびやっていた。
「あの首の、チョーカーの幻影魔道具、お前が作ったのか?」
「お前みたいなやつには、やっぱバレるか・・・・・・そうだよ。リサは元王女様だ」
「お前、義理堅いな」
「王様とはな、現世からの付き合いだ」
そう話していると、定刻通りに“それ”が来た。
「来た!」
カイが持ち込んだ魔道具が反応する。
それは、各魔力に対応する石を用いたもので、魔力の種類を識別するためのツールだった。
「ん・・・・・・わからん。けど、レアな魔力が発生しているな」
周囲の魔力が安定した瞬間、庭の木の幹が膨らみ、転生樹のような球体が生じる。
柔らかな皮膜の中には、ラノベ、漫画、DVD、そして・・・・・・携帯電話。
「・・・・・・出たな」
俺が被膜を切ろうとした瞬間、カイが手をかざして制止した。
「待て。この世界の、魔場 、忘れたか?ちょっと俺に任せろ」
カイは集中し、皮膜の外から魔力を携帯に流し込む。
やがて、目を細めてにやりと笑う。
「これ、使えるぞ」
そのまま被膜を割らずに、カイは慎重にそれを持ち上げた。
「専用の隔離部屋で実験したい。もちろん、他の本や漫画は返すから、貸してもらっていいか?」
そして真剣な顔で俺に向き直った。
「頼む。協力してくれ」
魔場は現代の電子機器を狂わせ、火薬すら暴走させる“場”。