5話 5月16日 勇者叫ぶ
伝説の勇者、まずは受付嬢に威圧。そして次は──転生者課へ。
町役場の吹き抜けロビーは、まるで王宮の迎賓館のような壮麗さだった。
大理石の床が光を反射し、天井まで届くガラスのアーチ越しに陽光が差し込む。 金箔が施された柱が何本も立ち並び、中央には巨大な噴水が優雅な音を響かせている。 その中心には、最も町に貢献した者──かつての勇者の像が鎮座し、その背後の壁一面には、彼の伝説を描いた壮大なキャンバス画が掲げられていた。
そのロビーに怒気をまとって現れた男は、中央の像と驚くほどよく似ていた。
「転生者・秋月念音の担当部署はどこだ!」
命令口調で言う男に、受付嬢は動揺を隠せない。
彼女は誰もが認める非の打ち所のない美少女だった。
その美貌に甘えることなく、礼儀・知識・言葉遣い・表情管理まで完璧に身につけた超優秀受付嬢。
小さな頃からこの役場、そして「勇者を讃える街の顔である受付嬢」に立つことを夢見て努力を重ね続けてきた。
努力の末に就いたこの職は、
もはや彼女にとって、単なる“職場”ではなかった。
──それは“人生”そのものだった。
だが、まさか!大けがで引退したと聞く、その伝説の本人が目の前に降臨するなど、誰が想像しただろう。
彼女は目の前の男の“圧”に、心が焼ききれる寸前だった。
勇者の気配を、五感ではなく“魂”で感じ取ってしまった彼女は、最後の力を振り絞ってオレンジ色の建物を指さす。
「・・・・・・に、西の建物です・・・・・・。」
その一言を残して勇者が去った直後、彼女は意識を失い、その場に崩れ落ちた。──この騒乱が起きる、わずか五分前のことだった。
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金曜日の午後。
俺は、庭でいつものように剣を振っていた。
この世界に来てからずっと使ってきた、手になじむ長剣。
雑念を振り払い、無心で刃を振るう──そんなときだった。
「兄さん……」
呼ばれて振り向くと、そこにいたのは、顔を包帯で巻いたネオンがいた。
その姿を見た瞬間、胸の奥に火が点いた。
「どうした、その怪我」
「ちょっと転んだだけ。大したことないよ」
「誰にやられたんだ」
「いや、違うんだ兄さん、そうじゃ──」
俺はもう聞いていなかった。理性より先に、怒りが全身を駆け巡った。
弟に傷をつけた者がいる、それだけで十分だった。
「ちょ、兄さん待って、説明するから!」
念音の声が背後に響く。
だが俺の足は止まらない。
かつて世界を救った勇者、今は引退者とはいえ、その威圧はまだ健在だった。
俺はその“重み”をまとったまま、一直線に町役場へ向かった。
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そして──オレンジ色の建物に到着すると、扉を勢いよく開け放った。
中にいた者たちは、一瞬で空気を変えた。
「勇者様……?」
「本物か……?」
ざわめきが走る。
俺はそのまま、一歩ずつ奥へ進む。
「秋月念音に何があった?」
声は静かだった。だがその威圧に誰もが黙り込み、空気が凍りつく。
「責任者は誰だ」
鋭く放たれた声に、職員たちは頭を下げる。
女性職員たちは混乱し、「私です!」と声を揃えて立ち上がった。
ロビーの隅では、数日前に家を訪ねたメガネの女子が怯えるように震えていた。
一方で、肝心の責任者は?まるで「この場にいない方がいい」と悟っているかのように、沈黙を続けていた。
その時だった。扉が開き、念音が駆け込んできた。
「兄さん、やめて!」
その力強い声に、俺は我に返った。
「・・・・・・ネオン?」
弟は額に包帯を巻いたまま真っ直ぐにこちらを見上げていた。
その目には確かな “力” 昔とは違う。
俺が「前科者」として世間に睨まれていた頃、
弟は陰気で無口だった。
当時、助けようとした俺を止めたのは、震える声の小さな弟だった。
だが今は違う。
あのとき、泣きながら「僕、我慢するから」と言っていた小さな背中が、
今は、俺の腕を掴んで、まっすぐに立っている。
「もう、俺が守るだけの存在じゃないんだな」
俺はゆっくりと呼吸を整え、威圧を解いた。
「・・・・・・悪かった。話を聞かせてくれ」
念音は深く頷き、語り出した。
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事の発端は、2世の女子、貴族的な態度で、些細なことで転生者と揉めたらしい。
転生者は特権待遇に調子づき、突発的に魔力を放った。それを念音がかばったのだった。
「・・・・・・馬鹿だな、お前は」
呟いた俺に弟は苦笑を返した。
「兄さんには、そう言われると思った」
「俺は一件落着だと、そう思いかけていた──その時だった。」
騒然としていた空気は、変化していた
俺が威圧を解き、落ち着きを取り戻したその瞬間から、役場内に新たな空気が流れ始めていたのだ
職員たちが姿勢を正し、乱れた衣服を整え、視線はしっかりと俺に向けている。
やがて、奥の扉が静かに開いた。
空気を割るような沈黙の中、革靴の音だけが響く。
現れたのは、白髪に背広を纏った老紳士、この役場の最高責任者、局長だった。
彼は一礼し、ゆっくりと口を開く。
「勇者様、おかえりなさいませ」
その紳士の言葉に続き、周囲の職員全員が一斉に深く腰を折り、日本式の最敬礼で揃って唱和した。
「勇者様、おかえりなさいませ」
その瞬間、俺と念音は互いに視線を交わし、全く予想もしなかった方向に事態が転がったことを理解した。
なんだこれ・・・・・・。
尊敬でも恐怖よる支配でもない、
もはや、信仰と呼ぶしかない。
『別次元でやばい』
そう思いながら、無理やり平静を装って立ち続けていた。
そして・・・・・・。
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帰り道。
夕焼け空の下を、俺たちは並んで歩いていた。
「昔の兄さんは怖かった。でも今日の兄さんは違った」
念音が小さく笑う。
「怒ってても、ちゃんと『僕の兄』だった」
その言葉に、俺は胸の奥が温かくなった。
「そうか?」
「うん。あと、『魔王の傷が・・・・・・。』のくだりはちょっと面白かったよ」
弟が少し意地悪そうに笑う。
「ああ、あれか・・・・・・。まあ、即興だったからな」
俺は苦笑しながら、肩をすくめ、笑いながら帰路を歩いた。
ふと念音が真面目な顔になった。
「兄さんの前科って、誰かを助ける為って、ばあちゃんから聞いたけど、本当?」
しばしの沈黙の後、俺は肩をすくめた。
「それ、母さんの作り話だ」
「え?」
「あいつ、話を盛るの得意なんだよ。俺を伝説にしたくてな」
弟はぽかんと口を開け、そして苦笑した。
西の空に赤が滲み、風がそっと頬を撫でた。
それは、前科も、過ちも、全部を過去に流していく、優しい風だった。
謝罪に来た少女。その瞳の奥に、違和感が