4話 5月14 日 水曜の贈り物
贈り物は、少女の“想い”でした。
遠く離れても、想いは届く──そんな物語です。
月曜日の朝。都市の広場は、いつもより少しだけにぎわっていた。
「予備校か・・・・・・」
弟の念音が制服姿で歩いていく後ろ姿を見ながら、俺はぽつりとつぶやいた。
ヴィレムの町には、他の都市にもない特別な制度がある。
“転生者予備校”
──正式には、中央大学への進学を目指す者のための支援学校。
転生者とその“2世”たちが、都市で通用する知識・言語・法制度を身につける場だ。
今、この都市では3人の転生者と6人の2世が通っている。
授業料は無料。生活費も支給され、住まいも保証されている。
それほどまでに、彼らは「都市にとっての財産」なのだ。
「まぁ、そりゃそうだよな」
転生者は、経験も知識も魔力も 世界基準を超えている。
町はいつだって、彼らの力と知恵を欲している。
だからこそ、町に永住してもらうために、支援制度は手厚く整えられている。
けれど、こういう制度がある以上
──当然、利用しようとする者も出てくる。
洗脳。搾取。囲い込み。
実際、そういった問題は過去に何度も起きていた。
「だが、今はもう無い」
それを防ぐために設けられたのが、最初の転生者──ファウンダーの管理下にある「倫理規制局」だった。
いかなる都市、いかなる種族であっても、
転生者の精神的自由に干渉した時点で、重罰が下る。
・・・・・・まあ、
俺はその“管理”が緩かった時代を知ってるから、今が夢みたいに見えるけどな。
_________________________________
水曜日。
予備校は昼で終わり、ネオンも帰ってきていた。
俺は家の裏手で素振り中。
ふと──視界の端に、違和感を覚えた。
「ん?」
さくらんぼの木かな? 春には白い花を咲かせていた。
その幹が、転生者を生み出す転生樹のように膨らんでいた。
明らかに、普通の木の状態ではない。
ゆっくり近づくと、幹の皮がわずかに脈打ち、半透明の膜の内側に黒い平たい影が見える。
「まさか、転生・・・・・・いや、違う?」
俺は剣の柄に手をかけたまま、粘膜を慎重に裂いた。
ぬるりと、液体に包まれた物体が流れ落ちる。
それは。──文庫本。
表紙のこすれた、数冊のラノベだった。
手の中にあるラノベ。
このシリーズには、確かに見覚えがあった。
「今日は・・・・・・水曜日、か」
呟いた瞬間、頭の奥から“映像”が浮かぶ。
庭の隅。火を焚く少女。
頬を濡らしながら、弟のラノベを一冊ずつ火にくべていく。
煙とともに、誰にも届かぬ願いが空へ昇っていった、あの水曜日。
「・・・・・・そうだった」
彼女は、念音の死から七日目の水曜、そしてその次の週も、そのまた次の週も──庭の隅で、泣きながらラノベを燃やしていた。
届くといいね・・・・・・あの子が、そう言ってた
記憶は鮮明だった。
不思議と、記憶の再生に対して以前のような動揺はなかった。
心の奥にあった靄が、少しずつ晴れていくような感覚。
すると、後ろからページを覗いていた弟が、小さく声を上げた。
「えっ、これ」
手に取ったラノベの表紙を見て、顔色が変わる。
「このシリーズ、僕がずっと追ってたやつだ、けど、これ、まだ出てないはずの巻・・・・・・」
弟の指が震える。
「異世界って、本も転生すんの? 出現、て言うのが正しいのかな?
うわ、このあらすじ、これ絶対続きじゃん!」
興奮を抑えきれずページをめくる姿は、どこか昔の弟を思わせた。
「この奇跡は、俺も初めてだ」
俺は、この想いを 素敵で切ない願いが叶えた あの子の奇跡だと思っていた。
そして、少し迷ったあと──俺は弟に語った。
「李ちゃんはな、お前が死んだあと、毎週水曜、庭の隅で泣きながら本を燃やしてた」
「・・・・・・。」
「“届くといいね”って──あの子、そう言ってたな。」
彼女の宗教では、死者に物を贈るとき、火にくべて煙にする風習があるらしい。
「李 ちゃんは、そのやり方で──彼氏のお前に届けようとしてたんだ」
弟はしんみりとした表情を見せたが、
次の瞬間、首を傾げた。
「えっ、李さん? 僕、あの子と付き合ってなかったけど……」
「ん?」
「いやいやいや、僕そんな、そんなフラグ立てた覚えないし!
なんで!? なにそれ!? どういう!?」
動揺して言葉を重ねる念音の姿に、俺は思わず笑ってしまった。
──こいつは、やっぱりちょっと天然なんだ。
鈍感、主人公かよ。
ラノベを棚に並べ直す弟の背中を見ながら、俺は静かに語り始めた。
「・・・・・・彼女のこと、本当はどう感じていたんだ」
念音が、手を止めてこちらを振り返る。
李 凜風──弟のことが大好きだった“美少女”。
彼女は、アジア屈指の歌姫だった。
“神声”とまで称され、フォロワーは1000万人を超えていた。
だが、心の病で突然ステージを降り、日本にやって来た。
そのとき、旧友に頼まれ、俺が受け入れ先を手配した。
そして、彼女は──ネオンと出会った。
出会ったその瞬間から、ネオンのことを特別な存在だと言っていた。
理由は、正直わからない。
人見知りで、陰キャで、オタクで、女子に無縁そうな弟に──どうして彼女がそこまで惹かれたのか。
でも、それでも。
彼女の想いは、明らかに本物だった。
日に日に深まっていく想い。
つたない日本語で綴られた手紙。手作りのプレゼント。手料理。
その全力は、強くネオンを・・・・・・
けれど、ネオンは─、その全力を許容できなかった。
「ネオン、すまん、俺には、お前にどうこう言える資格は」
転生したばかりで考える余裕のない弟を責めるのは良くない
──そう思った俺は、素直に謝った。
だが、弟は首を左右に振った。
「僕は、彼女が積極的なのは・・・・・・文化の違いだと考えるようにしてた」
「そう思わないと理解出来なくて」
「でも、違ったんだ。
あの日、ちゃんと“好き”って──日本語で、伝えてくれたよ。でも……」
「あの日、」
「彼女が“神声の歌姫”だったことを。それを僕に隠してたってことを」
「僕は最低だ・・・・・・」
弟は 胸に手をたたきつけ あの時を思いだし後悔していた。
あの夜。ふたりは喧嘩して──それが最後になった。
念音は視線を落とし、言葉を失っていた。
だから俺は、静かに続けた。
「お前が死んだあと、李ちゃん・・・・・・ずっと独りだった。
誰とも付き合わなかった。ステージにも戻らなかった」
「・・・・・・。」
「このラノベが、どうして幹から出てきたのか この奇跡の理由は、俺にもわからない。
でもきっと、これは“お前に読んでほしかった”李の想いだよ」
「だから、喜んで受け取ってほしい」
ただ泣いているのではない──
それは、咆哮だった。
「うわああああああああああああっ!!」
胸の奥から噴き出すような、濁流のような声。
床に崩れ落ち、拳で何度も畳を叩きながら、ネオンは叫び続けた。
嗚咽と絶叫が混ざり、部屋の空気が震えていた。
やがて、弟は
棚のラノベに向き直り
背表紙を整え、丁寧に、優しく、小さな声で何かを唱えていた。
そして俺は、部屋をでてそっと扉を閉めた。
──ネオンが残るその部屋からは、小さな嗚咽が漏れる。
夕暮れ時のオレンジ色寂しい空の下、
俺はただ、庭の木を見上げた。
一本しか立っていない。
さくらんぼの枝には、小さな実がなっていた。
次回、兄が動きます。“元・勇者”の本気