31話 12月5日 密偵の入学
第一王子
ジークフリート・シュナイダー・フォン・アーベントロートの旅
(ジークフリート視点)
サムズ帝国の首都を発ってから、一月以上が過ぎていた。
一週間以上かけて陸路を移動し、海に出て、さらに二週間かけて海を渡り、また陸路で中央都市ガリアに到着した頃には、私の体力は限界に近かった。
もともと病弱なこの体だ。二日間の休養を挟み、十二月五日、ようやく私の学園生活はスタートした。
都合よく「野良の転生者」として入学適性試験を合格した私は、異例の途中入学者として、転生者が集中するクラスに紛れ込んだ。
そこに 目標のネオンを発見する。
教室の後方の席、窓際。そこに、私の最初の標的、勇者の弟がいる。
生前の名は、秋月念音。これでネオンと呼ぶのか。随分と、キラキラした名前だ。
そして、その隣の席。息を呑むほど美しい、金髪の少女。あれが、李凜風か。間違いない。ユストゥス様から与えられた資料にもあった、伝説の歌姫。能力は、超音波による攻撃・・・・・・?
いや、違う。私が彼女を探った瞬間、全身の肌が粟立つような、絶対的なプレッシャーを感じた。あれは、聖女の、さらに上の存在。至聖女・・・・・・。
ユストゥス様は、気づいていない。
私の生前の名は、橋本圭太。この世界での名は、第一王子ジークフリート・シュナイダー・フォン・アーベントロート。影の権力者ユストゥス様に、心身共に支配された、哀れな操り人形だ。
・・・・・・いや、「元」操り人形、か。
全ての転機は、約五ヶ月前の七月七日。バベルコアの崩壊、俗に言う「神の逆鱗」の際だった。あの、世界を揺るがすほどの魔力の奔流に晒された瞬間、私の中で何かが覚醒したのだ。個々の能力や名前、その関係性を瞬時に理解する、チートと呼ぶべき能力。そして、その覚醒と同時に、私の脳を縛っていたユストゥスの洗脳は、まるで呪いが解けるように消え去った。
私は、解放された。
だが、その事実を、あの男に悟られてはならない。私は「解放されました。チート能力に目覚めました。どうしましょう?」などと口走るほど、愚かではない。私はただ、好機を待った。
そして、一月前、そのチャンスは訪れた。この大学への、潜入任務だ。
入学適性試験は、余裕で通過した。洗脳時代に、ありとあらゆる学問を叩き込まれていたからだ。皮肉なものだ。あの男の支配がなければ、今の私はなかった。
ユストゥスの監視もある。まずは、のんびり二年間、ネオンと徐々に仲良くなりながら、今後のことを考えよう。そう思っていた矢先に、李凜風の正体に気づいてしまった。
聖女の、さらに上の存在・・・・・・。あの男に報告すれば、さぞ喜ぶだろう。だが、そのバトルパワーは、私など一瞬で消し炭にできるほど、絶望的にヤバい。
「神声の超音波攻撃に注意しろ」ではない。死、だ。下手に動けば、死しかない。
と、その時。
・・・・・・やばい。彼女と目が合った。
死ぬ。
そう思ったが、幸い、彼女はすぐに興味を失ったように、視線を逸らしてくれた。助かった。
私は、教科書で顔を隠し、必死に勉強している振りをすることで、この場をやり過ごすことにした。この動作なら、可愛い子を眺めていたら目が合って、照れているだけのモブ生徒を演出できるだろう。自分に、自己催眠をかける。こんなことなら、無詠唱の精神安定魔術くらい、練習しておくべきだった。
私は、本来の目的に戻り、ネオンのステータスを探った。
私のこの能力は、対象を一度認識しさえすれば、遠距離からでも、その詳細な情報を探ることができる。実に、便利な能力だ。
教科書で顔を隠したまま、彼の情報にアクセスする。
―――秋月念音の友人欄に、私の生前の名、『橋本圭太』があった。
マジか?
思考が、停止する。
混乱する頭を整理するため、私はノートの端に、走り書きで関係性を書き出し始めた。
まず、ネオンの周囲。ユストゥスの予測通り、恐ろしく戦闘能力の高い、伝説級の名が並んでいる。その中に、「ファウンダー様」が、「家族」として記載されている。意味が分からない。さらに、「暗殺部隊長、性別女」も「家族」・・・・・・?
何だ、このカオスな家族構成は!?
ノートに書き出した相関図は、それ自体が現代アートのように、複雑怪奇な線で埋め尽くされていた。
重大な発見は、もう一つ。
ネオンには「記憶の再生」という能力がある、ということだ。
これは、相手が転生者や二世だった場合、生前にネオンがその存在を認識していれば、壊れたり眠っていたりした記憶が再生される、ということらしい。
私と同じ、攻撃系ではないが……役に立つのか? 相手の記憶を再生させる、すなわち、与えるだけの「ギバー」的な能力。
これに、ユストゥスのオッサンが好きそうな「記憶を奪う」という力があれば、色々できるのにな、とか考えていたら。
後ろから、肩を、優しく叩かれた。
心臓が、喉から飛び出しそうになった。
振り返ると、そこにいたのは、李凜風様。いや、至聖女様。
大丈夫、肩は破壊されていない。
だが、体が震える。死にたくない。死にたくない。死にたくない。
「先ほど、目が合いましたね。私のこと、ご存知ですか?」
彼女が、優しく、しかし、全てを見透かすような瞳で、私に尋ねる。
私は、咄嗟に整理していたノートを隠し、「見逃してください、見逃してください」と、心の中で念仏を唱えた。
その時だった。
「どうかしましたか?」
優しくも、懐かしい声が、横から聞こえた。
助けを求め、すがるように、私はその声の主と目を合わせた。
見知らぬ、青い髪の少女。だが、その声は・・・・・・。混乱する私の脳が、覚醒した能力で、彼女の情報を強制的に読み取る。
ステータス上の名前は「リサ」。しかし、その奥にある真名は、病の床にあった、私のことを、いつも心配してくれていた、最愛の妹。
―――エリザベーテ。
・・・・・・顔が違うのは。なるほど、幻影魔法か。
ユストゥスのオッサン、死んでねえじゃん!
・・・・・・いや、違う。死んでいなかった。良かった。
二つの思いが、同時に交差する。
パクパクと、口を開閉させることしかできない私を見て、彼女も私を認識し驚いている。
彼女のステータスを確認したときの、今の呼び名を、かろうじて口にした。
「り、リサさん・・・・・・久しぶり」
「あっ・・・・・・はい」
リサも、なんとか状況に対応してくれた。
大丈夫だ。
どうやら、この状況とデータを見る限り、彼女は至聖女様とお友達らしい。そう安心したのも、つかの間。
リサのステータス、その関係性の欄に、信じられない文字があった。
『李凜風』―――最大のライバル、恋敵。
その強いイメージが、私を支配し、再び死の文字が脳裏をよぎる。
死の直前、私の脳は覚醒し
ネオンと、生前友達だったという、あのステータスの記載を思い出した。彼の助けを借りるしかない。
私は、ネオンの腕を強く掴んだ。大声は出せない。この教室で、私の正体がバレるわけにはいかない。
「なあ、秋月念音・・・・・・」
必死に、誰にも聞こえないような、しかし、彼にだけは届くように、悲痛な声で囁いた。
「俺は、お前の親友だった、橋本圭太だ……。助けてくれ。死にたくない、死にたくないんだ……!」
私の必死の囁きに、念音は驚愕しつつ、俺の名を呼んだ。
「は、橋本圭太君なの!?」
その瞬間、俺の脳は、恐怖ではなく、謝罪の思い出でいっぱいになった。
死にたくないという恐怖の支配が終わり、ネオンに謝罪しなきゃいけない、という、たった一つの感情が、全てを塗りつぶした。
脳裏に、あの日の光景が蘇る。
糞親父を恨み、人を拒絶していた幼い頃の俺に、手を差し伸べてくれた、数少ない宝物だった、ネオン。
その彼を、俺は、もう一人の友人と二人で、裏切った。
後で、それが罠で、俺たちも騙されていたと知った時、彼はもう、この世にはいなかった。
誰もいない、千葉の霊園で、何度も、何度も、ネオンに謝罪した。けれど、その声は、届くはずがないと、諦めていたあの日の記憶。
ネオンが、秋月念音が、今、俺の前に立っている。
俺は、膝から崩れ落ち、彼の足元にしがみつき、ただ、号泣していた。
「ごめん、念音・・・・・・ごめん・・・・・・!」




