30話 10月27日 奪う者の哲学
サムズ帝国の王室筆頭魔導官
ユストゥス・フォン・リヒトハイム
彼は、この世界で四番目に転生した、始まりの六人の一人。
(ユストゥス視点)
ガリアの地下深く、冷たい石壁に囲まれた私の書斎に、先日の報告書が静かに置かれている。
――任務失敗。対象の拘束に失敗し、投入した駒は『黒騎士』の介入により消去。
予想通りの、そして、ある意味では満足のいく結果だった。
私は、生まれついての無能者だ。
生前の私は、病弱で、常に死の影に怯えていた。他者が屈強な肉体で世界を謳歌するのを、ただ羨むことしかできない、無力な存在。その無力感こそが、私の原点だ。
この世界に転生した他の者たちのように、戦闘に使えるほどの魔力は持たなかった。長大な詠唱を伴う儀式魔術や、魔道具の補助があればこそ、人並みの現象を発現できるに過ぎない。
だからこそ、私は理解している。真の力とは、個の武力ではなく、駒を支配し、盤面を支配する、知性にあるのだと。
転生者や二世以外の、この世界の人間など、思考停止した家畜に等しい。そして、転生者という存在もまた、厄介な駒でしかない。過去の記憶に縛られたり、ラノベの主人公気取りで正義を振りかざしたりと、あまりに扱いづらい。
その点、二世は素晴らしい。彼らは、この世界の常識の中で育ちながら、親から受け継いだ強大な力を持つ。純粋で、御しやすく、そして何より、私の言葉を信じる。彼らこそ、私の計画を遂行するための、最高の駒だ。
◇◆◇
思えば、長い道のりだった。
転生してから二十年。まずは、あの理想主義者ヴィルヘルムの腹心として仕え、彼のカリスマを利用し、バラバラだったこの大陸の国々を「サムズ帝国」という一つの巨大な盤面にまとめ上げた。実に、骨の折れる作業だった。
帝国の基盤が安定したことを見計らい、私は次の段階へ移行した。ヴィルヘルムの精神を、薬と、暗示と、そして彼自身の正義感を利用して、巧みに狂わせていった。
「狂気の王」として処刑されるよう仕向けた。
王の死後、旧体制の貴族たちが第三王子ラインハルトを担ぎ上げるように誘導し、そして、第一王子ジークフリートも私の手中に収めた。
これで、王家は完全に私の傀儡となった。私が望めば、帝国の王座に就くことすら可能だっただろう。
だが、私の目的は、そんな矮小なものではない。
生前の肉体的な無力感から来る、死への根源的な恐怖。
それを永遠に克服するための、ただ一つの答え。
私の望みは、国家の支配ではない。
この世界の理そのものを超越した、永遠の命。聖女の肉体を奪い、この世界の神として、君臨することだ。
全ては、計画通りに進むはずだった。
バベルコアの崩壊。あれは、千載一遇の好機だった。私はすぐに、あれを『クローナレイの反逆』というガセネタで演出し、内戦を引き起こして、漁夫の利を得ようとした。
しかし、計算外の事態が起きた。二十年間も公の場に姿を現さなかった聖女が突如として『降臨』。この奇跡的な現象と、彼女がファウンダーと接触したことで、私の計画は完全に頓挫した。
さらに、内戦の噂を否定するため、闇貴族の娘アンブラと、それを守護する黒騎士が、学園に入学。おまけに、極秘情報では、あの元勇者の弟が数ヶ月前に転生し、次世代の勇者候補として、兄と共にこのガリアに来ているという。
私の駒たちが、全て、このガリア中央大学という小さな盤上に集まってしまった。非常に、動きにくい。
だからこそ、先日の一手だ。
末端の部下である、あの講師を使い、私が開発した『魔力喰い(マナ・イーター)』の実戦テストを実行した。運が良ければ、将来の障害となりうる勇者の弟を暗殺し、悪くても能力の低い駒を切り捨てるだけで済む。
結果は、興味深いものだった。
黒騎士のような、規格外の存在には、魔力喰いの効果が薄いことが判明した。今後の、重要な改善項目だ。
それと、勇者の弟、ネオン。あれは意外だった。
転生者でありながら、謙虚で、努力家だ。通常、転生者という生き物は、生前のラノベ脳で構成された、能天気な馬鹿ばかりだ。さらに、この世界が転生者を無条件に敬う傾向にある、そのぬるま湯の中で、まともな成長を遂げる者など皆無に等しい。ガリアに入学した転生者の九割は、二世に劣り、有力な貴族に囲われ、優秀な「二世」を誕生させるための、血統の良い道具と化す。
その中にあって、あの少年は違う。
低い魔力量にも関わらず、平均を超えた戦闘技能。そして、何より、私の『魔力喰い』の盲点を突き、窮地を脱したあの判断力。その機転は、素晴らしいの一言に尽きる。
いずれ、洗脳し、私の忠実な配下としよう。
元勇者の、最大の弱点をつくための・・・・・・最高の切り札になる可能性を、あの少年は秘めている。
◇◆◇
私が思考の海に沈んでいると、部下の一人が、新たな報告書を携えて入室した。
「ユストゥス様。目標に、新たな動きです」
「聞かせろ」
「は。勇者兄弟、至聖女、聖女、そして闇貴族の娘と黒騎士。以上のメンバーが、本日、第七開発区にある『アルカナ・クラフト』に集結したとの情報です」
・・・・・・アルカナ・クラフト。
カイ・エリュシア・ノアか。あの、偏屈な魔道具屋。
なぜだ?
なぜ、私の駒たちが、あの男の元に集まっている?
奴は、政治にも、世界の勢力図にも、一切興味を示さない、ただの技術バカのはず。
私の完璧な盤面に、予測不能な、新たな変数が生まれた。
面白い。
実に、面白い。
私は、口元に浮かんだ笑みを隠すことなく、部下に、次の指示を出した。
「カイ・エリュシア・ノア。彼の周辺を、徹底的に洗え。彼の作る『玩具』が、私の計画にどう影響するのか・・・・・・じっくりと、見極めさせてもらおう」
部下が退室し、書斎に再び静寂が戻る。
私は、もう一つの駒を呼び出すことにした。
コン、コン。
重厚な扉が、控えめにノックされる。
「・・・・・・来たか。入れ」
私の声に応え、静かに扉が開かれた。
そこに立っていたのは、黄金の髪をなびかせた、人形のように美しい少年だった。部屋に入るなり、彼は寸分の狂いもない動きで、深く頭を下げる。
「王室筆頭魔導官、ユストゥス・フォン・リヒトハイム様」
その少年は、完璧な日本風のお辞儀をこなし、腰を曲げたままの姿勢で、微動だにせず停止している。
しばらくして、私が「表をあげろ」と命じると、彼は機械のように正確な動作で姿勢を正した。
その顔は、サムズ帝国、第一王子ジークフリート・シュナイダー・フォン・アーベントロートその人だった。
「ジークフリート。お前に、新たな任務を与える」
「は。何なりと」
「身分を伏せ、学園に潜入しろ。そして、二年かけて、ゆっくりと、勇者の弟ネオンに近づけ」
私の命令に、ジークフリートは淀みなく切り返す。
「承知いたしました。・・・・・・第三王子、ラインハルトとの関係はどうしますか。あれも、学園に潜入しているのでしょ」
「あれは心配ない。彼もお前と同じ、私の操り人形に過ぎないからな」
「では、妹のエリザベーテは? 病弱だった私は、公の場に出ることがなかったため、家族以外に顔は知られていませんが、彼女に出逢った場合の対処が面倒です」
私は、こともなげに告げた。
「言ってなかったか? あれは、無事、殺したよ。安心しろ」
その言葉に、ジークフリートの瞳が、ほんの僅かに、一瞬だけ揺らいだ気がした。だが、すぐに彼は、心からの安堵を浮かべたような、完璧な笑みを作った。
「なんだ、貴様。妹の死を知って、嬉しいのか?」
「嬉しい? そうですね。正確には、安心して喜んでいる、と申し上げた方が正しいかと」
フフフ、とジークフリートが笑い、やがてそれは、大きな高笑いへと変わった。
それを見て、私は大いに満足した。お前は、俺の最高傑作だ。病弱なお前の世話をしていると見せかけ、丁寧に、時間をかけて洗脳しただけのことはある。
ただ命令に従うだけの傀儡、ラインハルトとは違う。元の高い知性を保ったまま、こちらの言葉を正確に理解し、最適な行動がとれる、最高の駒。
私は、第一王子の洗脳に成功した喜びに、そして自己満足に、しばし浸っていた。
「いずれは、お前がサムズ帝国の王だ」
すると、王子は深く頭を下げた。
「私のような操り人形ごときに、ご満足いただき光栄です。私が帝王となった際は、この国の全民の命を犠牲にしてでも、ユストゥス様のため、聖女様を捕らえ、その肉体を献上いたしましょう」
その完璧な忠誠心に、私は大変満足した。
しばらくして、伝え忘れていたことを思い出し、私は彼に忠告する。
「勇者の弟ネオンの、いつもそばにいる女に気を付けろ」
「と、申しますと?」
「野良の転生者だと聞くが、あれは、神声と呼ばれた伝説の歌姫、李凜風様に間違いない」
「・・・・・・左様でしたか」
「そうだ、間違いない。私は前世で、彼女のVIP会員86番だった、熱心な信者でな」
私が満足げに言い終えると、洗脳されているはずの王子は、思考を巡らせ、正しい回答を導き出した。
「なるほど。私の使命は、二年をかけてネオンに近づき、可能であれば、李凜風様も洗脳し、ユストゥス様に献上すること。そして、彼女の『神声』と呼ばれた能力が、転生によって、例えば超音波などの攻撃能力に変化している可能性に注意しろ、ということですね。了解です」
・・・・・・ほう。声による攻撃、か。それは考えていなかった。
やはり、お前は最高の傑作だ。
私は、完全に安心しきって、アーティファクトである、洗脳用の魔道具を、第一王子に預けたのだった。




