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29話 10月25日 休日

ガリア中央都市、第七開発区。


平日は、最先端の魔導技術を求める者たちであふれるこのエリアも、休日の朝は荘厳な静寂に包まれている。

今日の会合場所として、カイの会社『アルカナ・クラフト』が選ばれたのは、人が少なく、何よりそのセキュリティが強固だからだ。


生前から続く因縁の敵に関する情報共有と、今後の対策。

そして、もう一つ。

カイと、我々の秘密を共有し、本当の意味での仲間に引き入れること。

事前に魔石通信で軽く打ち合わせは済ませていたが、今日の最大の懸念は、カイが聖女と至聖女の正体を知った時、どのような反応を示すか、だった。

この重要な提案をしてきたのは、俺の母――暗殺部隊長、キョウコその人だ。


「あいつは使える。味方にしておいて損はない」 母はそう言っていたが、特に俺とネオンは、不安で仕方がなかった。


◇◆◇


参加メンバーは、リサを除く全員。

彼女は、カイの屋敷からでは通学に時間がかかりすぎるため、今は学園内の寮で生活している。

そして、今日は運悪く、先日赤点を取ったとかで、補習授業を受けているとのことだった。

テイカーは、彼女の父であるヴィルヘルム王の死にも関わっている可能性が高い。

核心に触れるかもしれないこの話に、彼女がいないのは、ある意味で好都合だった。


重要な打ち合わせとはいえ、腹は減る。

会食をしながら、という体で始まった今日の集まりは、女性陣が和気あいあいと食事の準備をする、穏やかな光景から始まった。

『アルカナ・クラフト』ほどの企業なら、屋敷にメイドの一人や二人いてもおかしくない。

だが、カイの方針で、この屋敷にメイドはいない。

彼は、現世の知識を応用した魔道具――例えば、食材を入れておくだけで、設定した時間に完璧な低温調理を終えてくれる、弁当箱のような魔道具――で、無駄な経費と時間を徹底的に削減していた。


そんな、カイの家の台所は、最新式の設備を想像していたが、実際は海外ドラマに出てくるような、どこか懐かしい木製のアイランドキッチンだった。

その広いカウンターの中で、聖女カオリ至聖女リンフォン、アンブラ、そして美人社員のセリナが、楽しそうに準備を進めている。

カイは、その中心で、的確に、そして無駄なく指示を出している見知らぬ女性を、不思議そうに見ていた。あの宝〇の女優のような、圧倒的な美貌と、有無を言わさぬ存在感。あのアンブラ様ですら、素直に彼女の指示を聞いているように見える。


「なあ、ヨウ。あの、とんでもねえ美人は誰だ?」


「母さんだ」


「・・・・・・は? あ、秋月京子さんか! 彼女もこの世界に来てたのか、マジかよ・・・・・・。今、何してるんだ?」


「ファウンダーの下で、秘密裏に色々やってるらしい」


「マジか。生前とやってることが似てるな。・・・・・・なあ、もしかして、生前の聖地にあったパーツショップで詳しかったみたいに、この世界でも、魔場の影響を受けにくい増幅器の代用素材とか、詳しかったりするのか?」


カイが、技術者としての好奇心を隠さずに尋ねる。すると、台所の向こうから、凛とした声が飛んできた。


「音源の増幅の話かしら?」


カイの背筋が、ぴんと伸びた。


「は、はい! さすが、キョウコさん!」


「地獄耳は健在よ」


ニヤリと微笑む部隊長(キョウコ)に、カイが微かに後ずさる。生前から続く、絶対的な上下関係が、そこにはあった。カイは、緊張を隠すように、パンパンと手を叩いた。


「さあさあ! 食事の前に、ヨウから俺に、重要なお知らせがあるそうだ!」


話を振られ、俺は意を決して口を開いた。


「カイ、よく聞け。これから、香とリンフォンに関する、重要な話をする」


「なんだなんだ、改まって。緊張するじゃねえか」


「いや、本当に重要なことなんだ。だから、心を落ち着けて聞いてほしい」


「・・・・・・分かったよ。どうせ、ヨウかネオンが、お二人に何かとんでもない無礼を働いたんだろ。よし、今すぐこの床を舐めて謝れ」


「いや、それはない」


「じゃあ、なんなんだよ!」


「・・・・・・カイ。今まで黙っていて、悪かった」


俺は、一呼吸置いた。


「香は、聖女様だ。そして、リンフォンは、至聖女様だ」


シーン、と静まり返る。 俺は、カイのオーバーなリアクションを覚悟していた。「何ぃ!?」と叫ぶか、あるいは驚きのあまりひっくり返るか。ネオンも、固唾を飲んでカイの反応を見守っている。 だが、カイの反応は、俺たちの予想を、遥かに超えていた。


「・・・・・・ああ。知ってるよ、今更だな」


は? キッチンの奥では、「ほら、やっぱり」とでも言うように、部隊長(キョウコ)をはじめとした女性陣が、小さく頷き合っている。 俺とネオンだけが、拍子抜けして、ポカンと口を開けていた。


「いや、待て、カイ。お前、いつから・・・・・・」


「で? ヨウ、お前が改めて言いたかったのは、バベルコアの聖女様と至聖女様が、カオリさんとリンフォンだった、っていう、その事実だけか? だからなんだってんだ」


カイは、心底どうでもいい、といった顔で続ける。


「確かに、彼女たちは、この世界の頂点に立つ、尊いお方たちだ。だがな、俺にとっての彼女たちは、それ以上だ。生前の、大切な二人の天使様だ。その事実の前では、聖女だの至聖女だのっていう肩書きは、何の意味も持たねえよ」


そう言って、カイはキッチンの奥にいる二人に、わざとらしく声を張った。 奥の方で、聖女二人が、顔を赤らめているのが見えた。


「カオリさん! リンフォン! ご安心ください! この愚かで不敬な兄弟の価値観は、この私が、責任を持って再教育いたしますので!」


カイは、そう言って、ビシッと、これ以上ないほど完璧な、超絶紳士モードのポーズを決めた。 その姿は、少しだけ、滑稽だった。 そして、少しだけ、羨ましかった。


◇◆◇


カイは、芝居がかったお辞儀を終えると、ふと時計を確認した。


「さて、食事が始まるまで、あと三十分ほどあるな」


彼はそう言うと、俺と黒騎士に向き直り、それまでの紳士的な表情をすっと消した。その目は、探求者と、そして挑戦者の色を帯びていた。


「ヨウ、黒騎士の旦那。少し、庭に出てもらおうか」


カイは自ら上着を脱ぎ捨てる。その下には、上半身を無数のベルトで締め上げた、黒いレザー製の防具が姿を現した。彼は、部屋の隅に立てかけてあった鋼の剣を二本、俺たちに放り投げる。


「さあ、それを持て」


言われるがままに剣を手に取ると、カイは腰に差していた筒を取り出した。


「この筒の中には、俺が開発した『魔力喰い(マナ・イーター)』のパウダーが入っている。昨日の敵が使っていたものより多分、高純度で、高効率だ」


彼は筒の蓋を開け、中の粉をその場に散布する。キラキラとした銀色の粉が、瞬く間にあたり一面に充満した。傍らで見ていたネオンが、はっと息を呑む。


「あの時の粉に似ているけど……濃度が、濃い……」


「そうか。なら、俺の勝ちだな。……さて、お二方」


カイの声が、低く響く。


「これで魔力による攻撃は、難しくなったわけだ」


俺も黒騎士も、体内の魔力を練ろうとして、それが霧散していく感覚に、その事実を理解した。すると、カイが、俺たちの持つ剣を指さす。


「そのただの鋼に見える剣、実は銀をサンドイッチしたハイブリッド製だ。魔力を流してみろ。このフィールド内での戦闘は、それが限界だ」


言われるままに剣に魔力を流すと、刀身がぼんやりと青白く光る。なるほど、魔力喰いの濃度が薄ければ、せいぜい五十センチほどの間合いが伸びる程度か。


カイは、体のベルトの端を両手で持ち、ギリ、とさらに体を引き締めた。


「俺は、足だけで。お前ら二人の剣を折る。お前らは俺の攻撃を避けてもいいし、俺の足を攻撃して、ブチ折っても構わない」


「カイ社長、おやめください!」


美人社員のセリナが、心配そうに声を上げた。だが、カイは彼女に、人の悪い笑みを向ける。


「大丈夫ですよ、セリナさん。彼らは英雄ですよ。素人の私の攻撃なんて、寝てても交わしてくれますし、私の足をわざと折ったりなんてしませんよ。なあ、ヨウ? 黒騎士殿?」


俺も黒騎士も、頷くことしかできなかった。カイの下半身から、何か異様な、魔力とは違う「圧」を感じていたからだ。


「魔力喰いが散布された状況下では、物理的な攻撃のみが有効。魔力による察知能力、視界向上も低下する……さて、説明は終わりだ。そろそろいきますよ」


「3」


「2」


「1」


カイがカウントダウンを終えた、その瞬間。


キーーーーー、キキッ。


耳鳴りのような、ほとんど認識できない高周波音と共に、俺と黒騎士の手の中にあった剣が、先端から、音もなく、蒸発して消えた。 一瞬すぎる出来事に、思考が停止する。 俺は、動いた気配すらないカイを見て、ようやく声を絞り出した。


「……高周波か、何かか?」


カイは、履いていた靴をいつの間にか消し去り、素足になっていた。上半身のベルトが数ヶ所切れ、腰が痛むのか、手でさすりながら、彼は答えた。


「正解だ」


「カイさん!」


心配していたセリナが、カイの方へ飛んでいく。彼女の手がカイの腰に触れ、治癒系の詠唱が始まる。カイは、顔の表情こそ変えないが、その目は、明らかに満足そうだった。 ・・・・・・これがやりたかったんだな、お前は。


◇◆◇


カイのもう一つの目的はさておき。 俺たちは食事をしながら、昨日の敵の状況と、カイが提示してくれた、近接戦闘における対策について話し合った。 始まりの六人であり、生前、軍用のパワーユニット義足をしていたというカイ。その影響で、足技に関しては、この世界に匹敵する者はいない。だが、その代償として、上半身はそれに対応しきれず、常に悲鳴を上げているらしい。彼自身、そのデメリットを補うための鎧と、万が一のための魔力喰いを常に準備していた。その経験は、有意義な情報だった。 だが、敵である『テイカー』の情報に関しては、皆、断片的すぎて有効な対策が見つからない。


話は、王の完全復活後、もう一度、ということになった。

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