3話 昼 異世界カレーと逃げた勇者
弟との日常が始まる中、元勇者は過去の記憶と向き合うことになる。
小屋に戻ると、弟が庭先で洗濯をしていた。
「おお、がんばってるな」
「うん、けどこれ、洗濯板って使い方合ってる?」
「まあまあだな。脱水はそのあとこうしてだな」
慣れない手つきでごしごしと布をこする弟の姿に、俺は自然と笑みをこぼす。
水の跳ねる音が、小屋の周りにやさしく響いていた。
俺は袋から材料を取り出し、台所に立つ。
野菜を刻み、肉を炒め、鍋に湯を張って、火加減を調整する。
「ふふ、あったな、これ」
店舗の奥にしまわれていたカレールーを見つけたとき、思わず声が出た。
転生者の誰かが製造し、流通させている**貴重な加工食材**。
この世界ではなかなか手に入らない、“日本の味”だ。
「カレー久しいな」
昼下がり、風が心地よく吹き抜けるなか、鍋の中にスパイスの香りが立ち上る。
盛りつけを終えた俺は、少し照れながら弟に声をかけた。
「おう、できたぞ」
テーブルに置かれた皿の上には、湯気をたてるカレーライス。
弟はスプーンを手に取り、そっと一口含んだ。
「うん、普通の味」
「お、おう・・・・・・」
「普通に、美味しいよ。ありがとう、兄さん」
そう言って笑う弟に、俺は胸を撫で下ろした。
よかった。普通で
食後、弟は食器を洗い、俺は包丁の刃を軽く研いでから、自分の刀へと手を伸ばす。
シャリ、シャリと、鉄の音が響き始めたとき。
「兄さん、話の続き、してくれる?」
その声に、俺はうなずいた。
「いいぜ。魔王が出てきた“あの場面”からな」
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「魔王が姿を現したとき、空気が変わった」
俺は刀を研ぎながら、あの瞬間を思い出す。
「ざわついていた戦場が、静まり返った。敵も味方も、全員が“来た”と悟った」
「それって、どんなやつだったの?」
「巨大だったよ。二本の角に、燃えるような赤い瞳。
でも見た目以上に、あの場の“魔力密度”が異常だった。普通の奴なら、あの場に立つだけで動けなくなる」
「へぇ、やば」
「そっからの戦いが、長かったんだよ」
魔王の軍勢は100を超えていた。対するこちらは、たった6人。
「普通なら詰み。だがこっちには、3人のヒーラーがいた。
聖女、その部下、そして聖女の“おまけ”みたいな側近」
「チートパーティー」
「ああ。俺たちは基本、体力が尽きたら回復してまた突っ込むの繰り返しだった。
敵の攻撃は重かったが、時間をかければ勝てる戦いだった」
「ってことは、飽きた?」
「正直な話な、うん。飽きてた」
同じような展開が繰り返されるなか、敵はとうとう最後の6人になった。
そのときだった。
「そいつがやったんだ。“例の側近”が」
「また石?」
「また石だ」
俺は刃を静かに滑らせながら語る。
「彼女は小石を、拾い上げた。そして・・・・・・それを、音速で投げたんだ」
「音速で!?」
「一人あたり二本、合計十二本の足。全部、正確に貫いた。
敵は動けなくなり、その瞬間に決着がついた」
「すご、後衛ヒーラーでそれは反則じゃん」
「俺が魔王を、黒騎士が3人を、黒の魔導士が2人を、それぞれ一撃で仕留めた。
でも勝負を決めたのは、彼女の“石”だった」
弟はスプーンを置いたまま、ぽかんと口を開けた。
「兄さんが倒したっていうか、なんか、決めたの別人じゃない?」
「・・・・・・うん、俺もそう思う」
それでも、俺は続けた。
「あの時、彼女の存在がなければ、きっともっと多くの犠牲が出ていた。
あれは、見事な一撃だった」
弟はしばらく無言だったが、やがて笑って言った。
「でも、75%くらいは感動したよ」
「おまえ、けっこう正直だな」
「兄さんが飾らず話すからでしょ」
──そしてまた、あの時の記憶が、少しずつ澄んでいく気がした。
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「魔王が倒れたことで、戦いは終わった。けど──冒険はまだ続いてた」
そう呟いた俺に、弟は首を傾けた。
「え? まだ?」
「無事に帰るまでが、冒険ってやつさ」
あの戦いの翌日、俺たちは王都に向かう帰路についた。
魔王を討伐したことを報告し、役目を終える。ただ、それだけのはずだった。
だが、馬車の中は静かだった。
「・・・・・・何か、思い出されましたか?」
ぽつりと聖女が問いかけた。
俺はしばらく考えたあと、素直に答えた。
「何を、だ?」
聖女は一瞬だけ眉をひそめ、すぐに視線を逸らした。
「そうですか。・・・・・・私は、役目を終えたので、これで」
短くそう言うと、彼女は馬車を降り、別の帰路へと足を向けた。
背を向けたまま、少し怒っているようにも見えた。
残された俺に、今度は聖女の部下が近づいた。
「まだ、何も思い出せないのですね」
その声は、やや落胆を含んでいた。
さらに、その隣から聞こえたのは刺すような言葉だった。
「最低ですね」
聖女の側近だった彼女は、にべもなくそう言い捨てた。
まるで、俺が何か大切な約束を破ったかのような目で。
その後、残ったのは男三人だけ。
「俺、先に帰る。娘が待ってるし。
あと、王都の連中に“吸血鬼”呼ばわりされんのも、もうこりごりだ」
黒の魔導士はそう言って、あっさりと離脱していった。
残ったのは、俺と黒騎士だけ。
王都の国境線が見えたとき、遠くに人々の歓迎の列が見えた。
「・・・・・・これ、王様交代ムードですね」
隣で黒騎士がぼそりと呟いた。
その言葉に、現実の重みが一気にのしかかる。
──そうだ。
このまま帰れば、俺は“英雄”として担ぎ上げられる。
そして、次の王として祭り上げられる未来が待っていた。
「・・・・・・大けがしたことにしよう」
そう言って、馬車は森に戻っていったとさ。
おしまい。
「兄さんらしいね、そういうところ。色々理解した」
「昨日から・・・・・・兄さん眠れてなかったし、ずっと苦しそうだった理由もわかった」
「そうか?」
「うん。たぶん“記憶の欠落”のせいだと思う」
その俺の英雄談とは関係ない一言に、心が一瞬止まった。
そして──
「兄さん、その欠落、徐々に回復する気がする」
根拠なんてない。けれど、その言葉に俺はなぜか妙に安心した。
「あ、そうだ 見てろネオン」
俺は立ち上がり、さっき研いだばかりの剣先を確認する。
庭の木に向かって構え──一閃。
キィィンという鋭い音とともに、二十メートル先の木の枝が六本、同時に地面に落ちた。
「兄ちゃんは、結構負けず嫌いで努力家って……知ってた?」
弟は、黙ってうなずいた。
嬉しかった
そして、弟は小さく俺に 問いかける。
「兄さん、僕も・・・・・・強くなりたい」
翌週は素敵な贈り物が届きます