28話 10月24日 覚醒者(アンブラ視点)
「・・・・・・中本凛さん」
ネオンの唇から、その名前が紡がれた瞬間。私の世界は、一度砕け散り、そして、再構成された。
忘れていたはずの、生前の記憶。
バラバラだった情報の点と点が、彼の声をトリガーとして、凄まじい速度で繋がり、線を、いや、複雑な模様を描き出していく。
秋月は、生前の聖地にあった由緒正しい妄想の源。
そして「念音」は、大切な友人の名前。
彼の存在そのものが、私の過去と現在を繋ぐ、奇跡の楔だったのだ。
そして、もう一つ 李凜風。
生前の、ネットを通じて友達になった、神の声を持つ少女、李凜風。
やがて連絡は途絶え、次に彼女と会ったのは、世界が地獄に変わった後。
脳に埋め込まれたスマートチップが暴走し、人が人を、ゾンビのように襲い始めた、あの崩壊した世界で・・・・・・。
私は、偶然、彼女と再会した。
かつて「歌姫」と呼ばれた彼女は、もう歌を捨て、ただ、小さな箱に収められた、大切な誰かの遺骨を、震える手で、固く、固く抱きしめながら。
絶望の淵に、彼女は一人で、静かに立って・・・・・・。
そうだ! 全てが、繋がった。私は、中本凛を、完全に思い出した。
込み上げてくる、再会の歓喜。
私は、もはや考えるより先に、目の前にいる二人の体を、脈絡もなく、強く、強く抱きしめていた。
「良かったね・・・・・・逢えたんだね、李凜風・・・・・・!」
その時だった。二人の声が、奇妙に重なった。
「―――負けないから」
「―――え? なに?」
至聖女の決意に満ちた声と、ネオンの困惑した声が、私の両耳で、同時に交差する。
ちぐはぐな二人の言葉に、私は複雑な表情を浮かべながら、至聖女に尋ねた。
「・・・・・・李凜風。『負けないから』って、何に?」
すると、至聖女はネオンの方を見て、ニヤニヤと意地悪く笑った。
「聖女に聞いたの。ネオンがあなたに、片思いしてたこと!」
「なっ!?」
私が素っ頓狂な声を上げる。同時に、ネオンも顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに俯いた。
その瞬間、私は、さらに驚いた。え? そうだったの?
私が驚いた表情でネオンを見た、その次の瞬間、あることに気づく。
「……ていうか、香って……佐藤香さん? あの人も、転生しているの? え? 聖女なの!?」
混乱が続く。情報量が、多すぎる・・・・・・。私は、少し疲れ、うなだれた。
その後、生前の話、今の話、勇者が秋月楊さんで、記憶を取り戻して聖女と結ばれたことなど、共有すべき情報があまりに多く、その日の話は途中で切り上げ、週末に改めて、ということになった。
◇◆◇
ガリアに用意された、デュンケルハイト家が借りている屋敷は、壮麗だった。
都市の一等地、中央区画に隣接する広大な敷地。
そこはかつて、父がガリアの拠点にしていた場所だったが、始まりの転生者たちが現れるよりもずっと昔、父が忠実な部下の一人に無償で譲渡した土地だった。
その子孫が今もここを受け継ぎ、父への敬意と忠誠を誓っている。
彼らは、ガリアではファウンダーの次に権力を持ち、その資産は五本の指に入るほどの資産家だ。
学園での一日を終え、私はガリアの屋敷にある自室へと戻った。
重厚な扉を閉め、ようやく手に入れた一人の静寂に、深く息をつく。そして、部屋の中央に鎮座する天蓋付きの豪奢なベッドへ、私は勢いよく身を投げ出した。
大きさだけなら父の城にある私の自室の方が大きいけれど、この空間と贅沢さは、実に私にふさわしい。
ふう、と満ち足りたため息を一つ。
そうして落ち着くと、自然と先ほどの会話が脳裏に蘇り、口元が緩んだ。
(秋月念音が、私に片思い・・・・・・ふふ、ぐひひひ)
知らなかった。その事実に、頬が熱くなる。
満たされた幸福感。
そして、それに加わる、隣室からの絶対的な安心感。
壁一枚を隔てた隣の部屋には、黒騎士様が控えている。
至聖女様の直々の命令で、以前にも増して、彼の濃密な闇属性のオーラが、守るようにこの部屋にまで揺らぎ届いていた。
記憶を取り戻した私――闇貴族の血を引く私にとって、そのオーラは、もはや子守唄のように心地よかった。
(ああ、黒騎士様……)
完璧な状況に、また、ぐひひ、と、誰にも見せられない、いやらしい笑みがこぼれる。
その時だった。
はっと、ある記憶が蘇る。人間嫌いと、そして、男性恐怖症になった、封印していた、あの日の記憶が。
◇◆◇
あの日。中学生だった私は、塾の帰り、公園を横切るショートカットの道を通っていた。それが、いけなかった。
暗闇から、ぬっと現れた腕に、体を拘束された。声を上げようとしたが、粘つく手で口を塞がれる。
変質者のもう一つの手には、瓶に入った液体があった。男はそれを地面にたらし、私にそれが何かを確認しろと命令した。
恐怖に震えながら、地面に滴った液体を見ると、耳につくのは、粘液が潰れるような「じゅ……じゅ……」という湿った音。
腐食が広がるにつれ、鼻の奥を針で刺すような、ツンとした甘い匂いが立ち上った。
吸い込んではいけない。本能が、そう警告していた。
「お前の顔、これ、かける、こわれる、わかるか?」
瓶が、顔の近くに寄せられる。
「声、出すな。命令、聞く。」
脅され、私は震えながら頷くことしかできなかった。すると、変質者がにやりと笑う。
「俺、テイカー。お前、同級生の瀧定が好き、 あいつもお前が好き、 両想、でも俺、偽善者のあいつ、嫌い。これでお前の顔、焼く、あいつ、絶望させる」
生前の記憶に、今でも体が震えた。すると、首元の魔道具が私の精神を安定させてくれる。
一息つき、冷静になった私は思い出す。あの時は意味不明だったが、先日私を襲った講師も、自身がテイカーだと名乗っていたことを。
記憶は、さらにあの日に戻る。
犬の散歩をしていた秋月君が現れ、変質者に犬が吠えかかった。私に会釈する秋月君に、私も震えながら会釈を返すと、変質者が吐き捨てるように言った。
「誰、知り合いか?邪魔!」
変質者がそう言った、次の瞬間。
秋月君の連れていた犬が、さらに激しく吠え、一直線に突進! 私と変質者の間をすり抜けると、首輪から伸びるリード線が、変質者の足元に巧みに絡みつく。秋月君も、手元のリード線を強く振りぬくと、変質者が体勢を崩し、男の手の瓶が揺れ、中の液体が数滴、男自身にかかった。
「ぎゃあああああっ!」
男が悲鳴と共に瓶を落とし、ガラスが割れ、地面が溶ける音と異臭が、私の恐怖を増幅させた。
「貴様ぁっ!」
激怒した男が、秋月君の胸倉を掴んだ、その時。
別の影が、瞬時に男の背後から腕を首に回し、首関節を完璧に決めて、気絶させた。
カッコイイ! それは、私が大好きだった、瀧定君だった。
その前で、次にカッコイイ秋月君が、私を心配した後、瀧定君に感謝の言葉をかけていた。
「ありがとう、瀧定。助かったよ」
……そうだ。あの時の、彼の「ありがとう」。
学園での私の「試練」の後、ネオンが私に告げた、感謝の言葉。
あの「ありがとう」が、私の胸をキュンとさせた理由だったのか。
世界を超えても、記憶がなくても、言霊は、魂は、繋がっていた。
その素敵な記憶が、私の胸を熱くする。超カッコよかった、あの日の二人。
だが、あの時の私は、恐怖がそれを上回り、精神的な問題で、入院を余儀なくされたのだった。
◇◆◇
コン、コン。
隣の部屋と私の部屋を隔てているドアが、優しく叩かれた。
「アンブラ様。うなされているようですが、大丈夫ですか?」
黒騎士様の、心配そうな声。
生前の二人の王子様と、異世界での二人の王子様(ネオンと黒騎士様)に救われた後の妄想中に、声が出ていたのだろう。恥ずかしい。
「大丈夫ですわ! なんでもありません!」
私は、完璧なアンブラ様を演じた。
そして、ドアの向こうの彼に、届くはずもない、けれど、どうしても伝えたかった言葉を、小さく呟いた。
「・・・・・・あの時も、ありがとう」
唐突な私の言葉に、困惑しているのだろう。
黒騎士は、ただ沈黙していた。




