27話 10月24日 胸キュンの理由
仕掛けられた罠
あの日、旧訓練場での一件以来、私の心は奇妙な戸惑いに支配されていた。
ネオンが苦痛に顔を歪める光景に、確かに感じた、どす黒い喜び。
・・・・・・なのに。
全てを受け入れ、感謝まで告げられた瞬間に、私の心臓を確かに貫いた、あの「キュン」という感覚は一体何だったのか?
おそらく、指導者としての喜びに違いない。そう、才能の原石を、厳しい指導によって磨き上げた瞬間に得られる、教育者としての快感。私は、そう結論付けた。
その仮説を証明するため、私は手始めに、あの決闘の後から私の周りをうろつくようになった、奇特なM属性の男子生徒たちを「指導」することにした。
「あなたたち、それでも男ですの? 基礎体力も、魔力制御も、なっていない。そこに立ちなさい」
私の罵倒に、彼らは恍惚の表情を浮かべ、「は、はいぃっ! アンブラ様!」「もっとです! もっと私めを罵ってください!」と、ただ悦に入っているだけ。
・・・・・・違う。この者たちは、ただ痛めつけられることに喜んでいるだけだ。私がネオンに感じた、あの胸が締め付けられるような達成感と、高揚感がない。
だが、この一件は、最悪の形で私の意図を超えて独り歩きを始めた。
M属性の男子たちが「アンブラ様から直々に指導を賜った!」と、その「有り難い教え」を学園中に吹聴して回ったのだ。私が、他の生徒たちのあまりのレベルの低さに、ついつい毒を吐いて回っていたことも、その噂に拍車をかけた。
「デュンケルハイト嬢の厳しい批評は、才能を見抜いた者への、特別な愛情表現だ」
「あの方に声をかけられること自体が、選ばれた証・・・・・・!」
私の無差別な悪意は、いつしか「アンブラ流スパルタ指導法」として、奇妙な形で神格化されていった。
そんな評価が広まっていることなど露知らず、私は「なぜ誰からも『キュン』が得られないのだ」と、苛立ちを募らせていた。そんなある日、廊下で一人の講師に呼び止められた。
「デュンケルハイト嬢、君の指導法は実にユニークだが、効果は絶大のようだな。君に声をかけられてから、発奮した生徒たちの成績が軒並み向上している。素晴らしいことだ」
は? 指導法?
その時、私は初めて、自分の置かれた状況を理解した。私の純粋な悪意が、周囲の勘違いによって、崇高な教育論にまで昇華されてしまっている、と。
父の汚名返上という建前が、最高の形で進んでいる。だが、私の内心は、屈辱と、訳の分からない感情で満ちていた。
なぜだ。なぜ、他の誰も彼もが、的外れな反応しかしない?
私の「指導」の真価を理解し、あの完璧な「キュン」をくれたのは、後にも先にも、ただ一人。
やはり、彼だけが特別なのか。彼だけが、私の指導を受け止めるに足る、唯一無二の「逸材」なのだ。
・・・・・・ならば、確かめる必要がある。
彼と他の生徒との違いは何か。あの「キュン」の正体は何なのか。
その原因を探るためには、より強く、より直接的な「指導」で、彼の反応を、心の内を、徹底的に分析しなければならない。
そう思い至った瞬間、私の心は決まった。
私は、彼に、究極の「試練」を与えることにした。
◇◆◇
「忙しい君が、僕のためにわざわざ時間を・・・・・・ありがとう、アンブラさん!」
放課後の旧訓練場。
「どれだけ上達したか、試してあげる」という口実で呼び出されたネオンは、それを「特別な個人訓練」だと信じて疑わず、満面の笑みで礼を言った。リンフォンやリサが「少し様子がおかしいのでは?」と心配していたが、専攻課題の違いを理由に、彼は一人でここへやってきた。
「始めましょう。もし、あなたがこの試験に不合格だった場合、私の望みを一つ、聞かせてもらいますわ」
アンブラは冷たく言い放つと、強力な闇属性の束縛魔法をネオンに放った。
ネオンが、即座に防御魔法を展開するために構える。だが、二人の魔法がぶつかることはなかった。
アンブラの闇の触手も、ネオンの守りの光も、まるで水にインクを垂らした時のように、空中で掻き消え、霧散する。何が起きたのか分からず、二人が辺りを見回すと、訓練場全体が、銀色に光る微細な粒子に包まれていることに気づいた。
その時、木陰から、拍手をしながら一人の男が姿を現した。
「素晴らしい魔力だ、アンブラ嬢。だが、私の『魔力喰いの塵』の前では、その力も無力だ」
現れたのは、学園の講師の一人だった。しかし、その目に浮かぶのは、教師が生徒に向けるそれではない。獲物を見定める、捕食者の目だった。
「この粒子の霧がお前たちの魔力を喰らい、霧散させ、無に還す。もちろん、魔石を使った小賢しい通信なども、このフィールド内ではただの石ころと化す。完全に孤立無援・・・・・・それが、君たちの現状だ」
男は、楽しそうにウンチクを語る。
「君の父、ヴォルフラム魔導卿は『ギバー(与える者)』と呼ばれていたそうだが、今はどうだ? 与えるだけの者に、未来はない。真の支配者とは、奪い、利用し、全てを自分の意のままにする『テイカー(奪う者)』だ」
講師は、アンブラのネオンへの執着を指摘する。
「君が平民たちへ魔法指導をしていることは、良い評判になっている。闇貴族の影響力が、我々の意図しない形で広がっているのは、計画の邪魔でね」
男はそう言うと、アンブラの足元に小さな装置を投げつけた。装置から伸びたワイヤーが、瞬時に彼女の体を物理的に拘束する。
「魔力だけに頼る世界に終止符を」
男は、無骨な火炎放射器を構えると、その引き金を引いた。轟音と共に放たれる物理的な炎が、アンブラのすぐ脇の地面を舐め、彼女に本能的な恐怖を与えた。
「私はテイカー。君たちのような、古い世代の力を『奪う』者だ」
講師――テイカーは、腕に仕込んだ飛び出しナイフを構えると、今度はネオンに向き直った。
「勇者の弟よ。まずは君からだ。平凡なお前は、圧倒的な力の前に、絶望を知れ」
テイカーは、その言葉と同時に、ナイフを構えた腕を高く振り上げた。太陽を強く反射し、鈍く煌めく刃が、ネオンに振り下ろされる、まさにその刹那――ネオンは動いた。
彼の腕がしなやかに振られ、ワイヤー付きのスローイングナイフが、テイカーめがけて放たれる。ワイヤーに流された微弱な魔力が、銀色の軌跡を描いた。
だが、テイカーはそれを「無駄だ」と嘲笑い、振り下ろすはずだったナイフの軌道を僅かに変え、飛来するネオンのナイフを、いともたやすく弾き飛ばした。甲高い金属音と共に、スローイングナイフはあらぬ方向へ飛び、遥か彼方の森の木に突き刺さる。
「ほう。魔力だけに頼らない創意工夫は、転生者だけが持つ特権だ。そう、私のようにね。私も君も、魔力総量は二世たちに劣るが、だからこそ、知恵で、技術で、それを凌駕するのだ」
長ったらしい自分語りの後、テイカーはネオンに選択を迫る。
「なあ、ネオン。今のお前なら、兄を超えられるかもしれない。あんな恥ずかしい元勇者ではなく、我々『奪う側』の世界に来ないか?」
その誘いを、ネオンは黙って聞いていた。いや、何かをしていた。テイカーがその違和感に気づいた、その瞬間。
突如、テイカーの背後から、音もなく黒い影が迫った。
キィン!
甲高い音を立てて、テイカーのナイフが弾かれる。影の流れるような一閃が、彼の首筋を駆け抜けた。テイカーの視界が、ぐらりと傾く。自分の首が、胴体から切り離されている光景を、彼は最後に見た。
「・・・・・・黒騎士」
いつの間にか現れていた漆黒の騎士に、ネオンが「助かった」と声をかける。彼に助けられたのだと、アンブラも悟った。
目の前で、首のない死体が崩れ落ちる。初めて見る、人が殺される現場に、ネオンはショックを受け立っていられなくなり、その場に倒れ込んだ。
◇◆◇
駆けつけた至聖女が、気絶したネオンを介抱している。
彼女の膝枕の上、ようやく目を覚ましたネオンが状況を尋ねた時、黒騎士による経緯の説明は、すでに終わっていた。
ネオンが放ったワイヤー付きのナイフ。あれは、攻撃が本来の目的ではなかった。敵の魔法阻害システムの有効範囲外にナイフを弾き飛ばさせ、ワイヤーを伝って、通信用魔石に救難信号と場所の指示を送っていたのだ。それに気づいた黒騎士が、瞬殺で敵を屠った、と。
ネオンの一瞬の判断が、窮地を救ったのだ。
アンブラは、助けられたという事実と、自らの行いへの後悔で、ただ俯いている。
そんな彼女に、至聖女が声を掛けた。
「私では、ネオンを甘やかしてしまいますから。あなたの厳しい指導は、結果的に彼のためになっている。助かります」
その、予想外の言葉に、アンブラが顔を上げる。至聖女は、そんな彼女に忠告するように、静かに言った。
「けれど、覚えておきなさい。あなたが、父君の汚名を返上しようと、正義のために動けば動くほど、あなたの敵は増えていきます。今日の者のような、ね」
その言葉に、アンブラはさらに落ち込んだ顔をした。至聖女は、傍らに控えていた黒騎士に、命令する。
「黒騎士。これより、アンブラの二十四時間体制での警護を命じます」
「はい」
「あと一つ・・・・・・」
リンフォンは、何かを考えるように、ふっと視線を遠くに向けた。
「敵の情報は、私も欲しい。過去にヒントがあれば、尚更です」
その意味不明な発言に、アンブラが首を傾げる。
すると、至聖女は今度は、休んでいるネオンに向き直った。
「ネオン。前世で、あなたは彼女を知っていました」
突然の言葉に、ネオンが戸惑いの表情を浮かべる。
「・・・・・・秘密にしたかったけれど、この際、私も諦めます」
至聖女は、まだ迷っている様子のネオンのそばに屈み、その耳元で、誰にも聞こえないように囁いた。
(・・・・・・片思い、だったのでしょう? あなたが彼女の本当の名前を呼べば、閉ざされた彼女の記憶が、解放されるはずだから)
その言葉を聞いた瞬間、ネオンの目が、大きく見開かれた。
彼は、信じられないといった表情で、アンブラを凝視する。
そのただならぬ視線に、アンブラが戸惑いの声を上げた。
「な、何ですの・・・・・・? なに・・・・・・?」
ネオンが、助けを求めるようにリンフォンに視線を移すと、彼女はただ、「早く」と、口の動きだけで囁いた。
促され、ネオンは、意を決する。
目の前の少女―――かつて、自分が一方的に焦がれた、初恋の相手。
その、あまりに大切で、そしてあまりに切ない名前を、時と世界を超えて、口にした。
「・・・・・・中本凛さん」
矛盾する感情の答え




