24話 8月36日 入学式前夜(至聖女視点)
彼女の過去
私の最初の記憶は、知らない人の死を悼み、声を張り上げて泣く自分の姿だった。 物心が付く前、とある国の、とある貧しい田舎に生まれた私は、葬儀で涙を流す「泣き女」の仕事をしていた。今思えば、それは紛れもない幼児虐待だったのだろう。けれど、それが私の生きる術であり、世界の全てだった。 大人たちに言われるがままに、私は泣いた。食事を与えられるために、寝床を失わないために、ただひたすらに、心を麻痺させて泣き続けた。時には数時間、オーバーアクションで泣きじゃくるのは、小さな体にはあまりに過酷で、疲労困憊する日々だったが、そうしなければ、私に価値はなかった。
異国の血が混じる私は、この片田舎では、常に異物だった。 本来の美しい金髪を隠すため、泥のような粗末な毛染め剤で必死に黒く染め上げた髪は、いつもごわごわと不格好に広がるばかり。けれど、生まれつきの白い肌の色までは隠せず、そのちぐはぐな見た目は、村の子供たちに「外人」「白人」、そして「エイリアン」と蔑まれるには、十分すぎる理由だった。
そんな灰色の毎日の中に、ある日、一筋の光が差した。秋月楊さんと、彼の弟である念音君との出会いだった。 ネオン君は覚えていないと思うけど・・・・・・。異国から来たその少年は、そんな私に、優しく声をかけてくれた。言葉は通じなかったけれど、それが私の人生で初めての友達だった。たった二日のことだったけれど、私の無彩色の世界に、確かな温もりと彩りを与えてくれた、忘れられない出会いだった。
彼が帰ったあと、また退屈な日常が続くと落胆していた私の前に、一匹の黒い猫が現れた。 野良のはずなのに、初めから私に懐き、その身をすり寄せてくる。その存在は、ただの猫のはずなのに、なぜか、あの二日間だけの友達に、ネオン君によく似ている気がした。 それが、私の二番目の友達。 その猫は、本当に不思議だった。私が小学校へ向かう一時間以上の道のりを、まるで忠実な護衛のように、常に私の横を歩いて共にした。私が「泣き女」の仕事で疲れて帰ってくると、黙って膝に乗り、その温もりで私を慰めてくれた。猫らしくないその行動の数々が、孤独だった私の心を、少しずつ満たしてくれた。 私は、その猫を「ネオン」と呼んだ。それは、かけがえのない、たった一人の友達だった。
私が中学生になった頃、再び秋月楊さんと出会った。そこからの日々と、私の人生は、一瞬で変わった。 彼と一緒にいた日本人ドラマーに歌の才能を見出されたのだ。中学を卒業したら、村の刺繍工場で働くはずだった私は、そのドラマーさんと共に、様々な地方を巡る旅に出た。雑用をしながら歌を学び、やがてメインで歌うようになり、時には海外のフェスに参加するようになった頃には、いつしか「神声」と呼ばれていた。 目まぐるしく過ぎていく、忙しい日々。その中で、私は故郷に置いてきた、たった一人の友達である猫のネオンのことを、いつしか忘れてしまっていた。
そんな時、 地元近くの、都市を震撼させるほどの大きな会場でのライブが決まった。道を規制し、一部を駐車スペースとして使うほどに人が集まった。底辺だった私が、全てを手に入れ、たくさんの人々を魅了している。世界の頂点に立ったかのような、最高の瞬間だった。 ライブは一旦終了し、鳴り響くアンコールの中、私は休息のために楽屋へと入った。その瞬間、物陰から、ナイフを持った男が、狂気に満ちた眼光で私を狙っていた。 大声を張り上げて助けを求めるも、男の接近の方が早い。 ドン、という鈍い衝撃。どこか刺されたのか、私はここで終わるのか。 そう思った瞬間、目の前に、信じられない光景が広がっていた。 黒い猫が、私を庇うようにして、男の前に立ちはだかっていたのだ。ネオン!。 故郷からこの会場までは、近いと言っても車で一時間以上かかる。なぜ、ここに? 疑問に思う私の目の前で、腹にナイフが突き刺さったまま、ネオンは最後の力を振り絞り、男の目に鋭い爪を立てた。外から私の声を聞いて駆けつけた警備員とスタッフが男を取り押さえた時、ネオンはもう、動いていなかった・・・・・・。
大切なものを失った衝撃で、私はしばらく言葉を失った。 ううん、違う。大切な存在を、忙しさにかまけて忘れてしまっていた、その罰が当たったのだ。 予定していたライブの中止に伴う違約金で、莫大な借金を抱えた私は、私を知る者のいない国、日本へと逃げた。 そこで、再び、秋月楊さんと出会った。そして――彼の弟、ネオン君と再会した。 声も、歌も、失っていた私に、彼はもう一度、生きる意味をくれた。 もう、同じ過ちはしない。借金返済のため、そして、こんな私を支え続けてくれた、大切なVIPファン百人のためだけに、私は歌った。Tシャツやタオルなどのグッズを作り、限定の動画配信をする。小さいけれど、確かな活動を、ネオン君も手伝ってくれた。 それなのに。私は、些細なことで彼と喧嘩してしまった。多分、私が一方的に、自分の気持ちを押し付けたのが原因だと思う。 翌日、もう一度、ちゃんと話をしよう。そう心に決めた想いは、ゼロになった。 ネオン君が、原因不明で、他界した。 幼い頃、強制労働で泣いていた時、私の心は空っぽだった。けれど、ネオン君の死を理解した瞬間から、私は、ただ叫んでいたのだと思う。 もう、死にたかった。でも、自殺では地獄へ行くと、私は知っていたから。ネオン君は、きっと天国にいるから。だから、私は彼に“逢う”ために、生きるしかなかった。
ネオン君がいない日々の中、私はただ生きていた。
そのうち、大きなパンデミックが発生し、人が人を襲い始めた。今度こそ死ねると思った。けれど、それを小林戒さんや、佐藤香さんが、頼んでもいないのに「生きろ」と言って、助けてくれた。その時のことは、あまりよく覚えていない。
次に気づいた時、私は、この世界にいた。 この異世界の頂点、至聖女として。死ぬことすら許されない、永遠の時を生きる存在として。 やがて、私の下に、数人の聖女が誕生した。その中に、佐藤香さんが、生前の記憶を持ったまま生まれた。理屈はわからない。けれど、そのことで、私の中に希望が生まれた。もしかしたら、ネオン君にも、もう一度会えるかもしれない、と。 でも、待っても、待っても、ネオン君は転生してこなかった。 二十年前、彼の兄、秋月楊さんが転生してきた時、私は落胆した。幼馴染だったはずの香さんの記憶すらないその姿を見て、私は絶望した。 その時、私は思い出したのだ。今の私の姿が、ネオン君が生前、一番大切にしていたフィギュアの造形そのものであることを。「君はもう、僕の思い出の中にしかいない」と、そう言われているような気がして、私は再び、長い引きこもりの時間へと沈んでいった。
あの日、バベルコアの最下層。聖女か、それと同等の種族しか入れないはずの空間に、あの日のままの彼が現れた。 私は、再び、彼と再会し、そして、ネオン君は、私を受け入れてくれた。 再会の喜びのあまり、バベルコアをかなり破壊してしまったことに、少しだけドン引きされていたけれど、至聖女であること自体には、引いていないようだった。
良かった。
私は、彼の記憶から、生前の私の体を作り出し、こうして彼のそばにいることで、ようやく、心の底から安心することができた。
至聖女としての仕事を百パーセント投げ出すこともできないけれど、最低限のことは香と相談しながらこなしている。
あとは、ネオンと、もう一度、学園生活をスタートさせるだけだ。
今度こそ、隣で、同じ歩幅で、歩いていけるように。
◇◆◇
入学式を数日後に控えた、ある晴れた日の午後。 私とネオンは、中立都ガリアに用意された家から、中央大学までの道順を覚えるため、二人で並んで歩いていた。他愛もない雑談の中、ふと、ネオン君の言葉が途切れる。彼は、どこか遠くを見るような目で、不思議そうに呟いた。
「・・・・・・変だな。こうして二人で、こんなに長い時間歩くの、初めてのはずなのに。なんだか、すごく懐かしい気がする」
その一言で、私はすべてを悟った。
「ありがとう、ネオン」
ネオンは、やっぱりネオンだった




