22話 8月30日 客人
八月の終わり、ガリア中央都市。
始まりの転生者『ファウンダー』がこの地に降臨してから、二十年の歳月が流れた。 度重なる魔族の襲来によって疲弊し、人類最後の砦とまで呼ばれたこの都市は、今やその面影もない。始まりの六人のうち、この地に留まった者たちの叡智と、後に続いた勇者パーティーと呼ばれた伝説の英雄たちの活躍によって、人々は永きに渡る恐怖の時代を乗り越えたのだ。
魔力駆動の乗り物が静かに行き交う石畳の道。空には、定期運行の浮遊船が優雅な軌道を描く。街の隅々にまで張り巡らされた魔力網は、安定した生活インフラを供給し、子供たちの笑い声が、平和という名の温かい光の中で響き渡っていた。
そして、この奇跡的な発展の頂点に立つのが、人類最大の貢献者にして、生ける伝説――ファウンダーその人である。 彼の功績は、もはや神話の域に達していた。都市の中央広場には、天を指さす彼の巨大な白亜の石像が建立され、その台座には「我らが導き手にして、永遠の開拓者」と金文字で刻まれている。人々は、その前を通り過ぎるたびに、祈りを捧げるかのように軽く頭を下げるのが習慣となっていた。彼が発する言葉は神託として扱われ、彼が示した道筋こそが、人類の進むべき未来そのものだと、誰もが信じて疑わなかった。
その、神君ファウンダーが住まう中央区画から、少しだけ外れた一角。「第七開発区」と呼ばれるそのエリアは、都市の発展を支える魔導技術の粋が集まる場所だ。数多の工房や研究所が軒を連ねる中、ひときわ異彩を放つ一社が存在した。 『アルカナ・クラフト』 高価で、使い道は極端に限られる。しかし、その性能は他の追随を許さない。好事家や専門家筋からは熱狂的な支持を集める、魔道具製造会社だ。
その日、工房に入り浸りで滅多にオフィスに顔を出さないことで有名な、職人肌のオーナーが、珍しく出勤していた。 出身不明の転生者、カイ・エリュシア・ノア。 彼は、慣れない貴族趣味の正装に身を包み、工房の二階にあるオーナーズルームで、心底うんざりした顔で革張りの椅子に深く沈んでいた。明日は、彼にとって年に数回しかない、工房から離れなければならない大事な日。愛娘、リサの入学式である。
時を同じくして、二つの人影が、第七開発区の洗練された街並みを歩んでいた。 一人は、全身を漆黒の鎧で覆った、伝説の黒騎士。その歩みは、一切の無駄がなく、周囲の喧騒など意にも介さない、絶対的な静寂を纏っている。 そして、その半歩後ろを歩くのは、見る者すべてが息を呑むほど美しい、色白黒髪の少女。人形のように整った顔立ちとは裏腹に、その身から放たれる魔力総量は、並の魔術師であれば直視するだけで意識を失いかねないほど、強大で高貴なものだった。 アンブラ・フォン・デュンケルハイト。 彼女は、楽しげに行き交う人々を、まるで路傍の石でも見るかのような冷たい瞳で見下しながら、不機嫌そうに口を開いた。
「黒騎士。やはり私はこの街の愚民どもが気に入らない。全員、爆発してしまえばいいのに」
「・・・・・・」
「私の父上、闇貴族――ヴォルフラム魔導卿は、あのような者たちのために、なぜ心を砕くのか。理解に苦しむ」
無言で前を見据える黒騎士に、アンブラはちっと舌打ちをする。その視線の先に、目的の建物が見えてきた。 カイ・エリュシア・ノアの事務所兼、住居。 周囲の近代的な建物とは一線を画す、巨大なゴシック様式の屋敷だった。そして、その屋敷は、壁面から尖塔に至るまで、全てが黒い。まるで、夜の闇そのものを切り出して建てたかのような、異様な威圧感を放っている。 まことしやかに囁かれる噂は二つ。「闇貴族の城か、あるいは魔王の居城のどちらかだろう」と。 だが、その真相は、オーナーであるカイが、家の周りの雑草処理を面倒くさがり、大規模な火魔法で一気に焼き払った、というだけの話だった。偶然、その際に付着した煤や焦げ跡が、長い年月をかけて絶妙な「味」となり、石造りのゴシック建築の持つ荘厳さと凄みを、怪しくも美しく際立たせていたのである。
◇◆◇
「久しぶりです、黒騎士の旦那と・・・・・・アンブラお嬢様」
カイは、アンブラの姿を認めた瞬間、物腰の柔らかい完璧な紳士モードに切り替わっていた。だが、彼の予想に反し、アンブラは少し緊張した様子で、恥ずかしそうに答えた。
「か、カイ叔父様……その、アンブラと、お呼びください」
「かしこまりました、アンブラ様。……いや、アンブラ。注文の品は全て準備済みです」
「俺のもか? 仕事が早いな、カイ」
「はい。私の手にかかれば些細なことです」
カイは得意げに胸を張る。だが、黒騎士の次の行動に、その余裕の仮面は剥がれ落ちた。 カシャリ、と金属の擦れる音。 黒騎士が、自らの手で、常に顔を覆っていた仮面を外したのだ。 仮面の下から現れたのは、人間とは明らかに異なる、神々しいまでの相貌だった。鋭く、それでいて理知的な光を宿す金色の瞳。頬には、宝石のように硬質な、黒い鱗が数枚生えている。そして、尖った耳は、エルフのそれとは違う、より古く、高貴な種族のものであることを示していた。
「・・・・・・竜神」
カイの口から、かすれた声が漏れる。目の前の男が、伝説にしか登場しない、古の竜族の王であることを悟り、驚きを隠せない。
「この姿で、人の世を歩くのは何かと不便でな」
黒騎士――竜神は、こともなげに言う。
「カイ。この耳と鱗を隠すための、幻影魔法具は素晴らしい出来だ」
その感想に、カイはただ、呆然と頷くことしかできなかった。
◇◆◇
竜神の正体に驚愕するカイだったが、彼にとってそれ以上に難しい問題は、アンブラの魔道具調整だった。 彼女は、黒騎士が仮面を外した瞬間から、カイの視線を避けるように、ずっと俯いている。噂に聞く人間嫌いは本当のようだが、カイのように親しい間柄の人間もいるらしい。だがそれでも、彼女の体は、恐怖で小刻みに震えていた。 彼女は人嫌いである以上に、男性恐怖症。それも、かなり重度であるのだ。 カイは、そんな彼女の様子を即座に察し、工房の奥に声をかけた。
「すまない、セリナ君。ちょっと来てもらえないか」
現れたのは、元受付嬢――今は、カイの会社『アルカナ・クラフト』で秘書兼アシスタントとして働く、美人社員のセリナだった。彼女は、アンブラを一目見ると、すべてを理解したように、静かに、そして優しく微笑んだ。
「アンブラお嬢様、ですね。セリナと申します。どうぞ、こちらへ」
聖女(香)から力を与えられて以来、彼女の有能さにはさらに磨きがかかっていた。落ち着いた態度でアンブラに接し、彼女の警戒心を少しずつ解きほぐしていく。そして、カイが作った、精神を安定させる効果のあるチョーカー型の魔道具を、アンブラの首にそっと着けてあげた。
「……これから、あなたの魔力と、この魔道具を同調させます。気分が緩和されてきたら教えてください」
セリナがそう言うと、彼女の体から、短い詠唱とともに、柔らかな光が溢れ出す。その光が、アンブラの体を優しく包み込むと、彼女の体の震えが、ぴたりと止まった。
「・・・・・・あなたは、何者?」
アンブラが、驚いたように、目の前の女性を見つめる。その問いに、セリナはただ、にっこりと微笑むだけだった。それは、聖女によって解放された力だとは、社長であるカイにすら言えない秘密だからだ。
◇◆◇
アンブラの緊張が解けたところで、ようやく彼女の本題に入った。 彼女は、父の城から持ち出したアナログシンセサイザーをテーブルの上に置くと、カイにその改造を依頼した。
「カイ叔父様、これを・・・・・・」
緊張が解け、会話が弾み始めた彼女は、専門的な質問を繰り出す。
「音量の強弱を魔力で調整しているのですが、どうしてもノイズが乗ってしまうのです。父上も、シリコンカーバイド系の素材で回路を安定させる必要がある、と・・・・・・」
「なるほど。ヴォルフラム卿らしい、正攻法な解決策だ」
カイは腕を組み、深く頷いた。
「だが、代用できる素材がこの世界には無い以上、その方式でノイズを完全に消すのは難しい。・・・・・・いっそ発想を変え、ピアノのようにピックアップを取り付けて、弦の振動を電気信号に変えて増幅させるのはどうだ?エレキギターと同じ理屈だ」
「エレキギター?現世の楽器ですね。それなら、より多彩な音作りも可能に?」
「ああ。空間系のエフェクトを魔術で再現すれば、面白いものができるかもしれん」
難しい注文の打ち合わせも終わり、その全ての対価として、黒騎士(竜神)が、金と、一つの金属塊をテーブルに置く。それは、赤黒く、不気味な脈動を繰り返す、超希少な魔界の金属だった。この世界の北半球には存在しない、赤道の向こう側、魔族が住む世界でしか採れない代物だ。
「こ、これは・・・・・・『心臓の鉱石』!?」
カイは、技術者としての探究心を激しく揺さぶられ、子供のように目を輝かせている。金は有り余っているからと丁重に断り、彼はレアメタルだけを恭しく受け取った。 改めて、目の前の男の正体と、その力の片鱗を理解したカイは、ふとアンブラに尋ねた。
「アンブラ。君ほどの令嬢が、最高の引きこもりの生活を捨ててまで、人の多い学園へ? もし、話せるなら理由を聞かせてくれないか」
そうして、アンブラは、静かに、しかし、力強い口調で言った。
「私は、父上の汚名を返上するために、学園へ行きます」
彼女は、ただ人間が嫌いなだけの、引きこもりの少女ではなかったのだ。おそらく、黒騎士あたりに「世を変えたいなら、まずお前がそれを示せ」とでも言われたのだろう。今は通信用魔石もある。正しい情報は、以前の数倍の速さで広がるはずだ。二人がどんな方法で汚名返上を考えているのかは不明だが、カイは、完璧な紳士モードで深く頷いた。
「・・・・・・素晴らしい覚悟だ。微力ながら、このカイ・エリュシア・ノアも、全力でお力添えしよう」
彼の目には、かつての友、ヴォルフラム魔導卿への変わらぬ敬意が宿っていた。




