20話 8月10日 悪友の恐怖
悪友の怒りは、魔王より怖い。
俺を呼び出すカイの、怒りの魔石メッセージは、光りすぎて熱暴走を起こしていた。
魔王との最終決戦ですら、これほどの恐怖を覚えたことはない。
今日の決戦に備え、俺は度数の高い酒を準備した。
工房へは、ネオンも同行することになった。
聖女(香)と至聖女にも同行を願ったが、「それだと、彼が言いたいことも言えずに壊れてしまうから、私達二人は同席しないほうが良い」と、不参加を告げられ。
「言いたいことを言えば、すぐに怒りも収まるでしょう」とのことだったが、本当にそれで済むのか?
◇◆◇
カイの工房へ着くと、いつもは荒れているはずの接客スペースが、塵一つなく完璧に整理整頓されていることに、俺はまず恐怖を覚えた。
胃が、ちぎれるように痛い。
隣のネオンは、昨日リサに余計なことを喋りすぎたと反省しすぎた結果、ここに来る直前、口からヤバい色の液体を吐き出すほど、強烈なプレッシャーに苛まれていた。
「俺が責任持つから、お前は帰ってろ」
青白い顔のネオンにそう言ったが、「勇気」という魔法の言葉に支配された弟は、頑として譲らない。
「逃げるのも時には必要だ」と言えば、「兄さんのようにはなりません」などと言い返されそうで、それ以上何も言えなかった。
俺たちが困っていると、部屋の奥からカイが入ってきた。
彼は、俺が持ってきた酒瓶を見るなり、なぜか、すっきりとした顔でこう言った。
「よう!ヨウ!悪いが、今日の気分にその酒は合わないな」
俺もネオンも、用意してきた作戦を完全に見透かされたことに恐怖し、肩をすくめて直立不動になる。
「え? どうしたんだ二人とも。まあ、座れよ」
え?
めちゃめちゃ、いい人モードだ。
「ネオンは、この世界のコーラって飲んだことあるかい?」
完璧な「叔父様モード」のカイに、俺たちの恐怖はさらに増していく。
「い、いえ、飲んだことないです・・・・・・」
ネオンが、どもりながら緊張した面持ちで答えると、カイは「そうかそうか」と嬉しそうに、キンキンに冷えたコーラを差し出した。
ネオンは、それをこわごわとすすっている。
「ヨウは、コーヒーと紅茶、どっちがいい?」
こいつの口から、「紅茶」なんて言葉が出たことに、俺の恐怖は頂点に達した。
「熱いからな。香りは薄くなるが、魔法で氷でも浮かべて飲めばいい」
そう言って差し出された紅茶は、驚くほど良い香りがした。
そのまま一口すすると、思わず声が出た。
「・・・・・・うまい」
「だろ?頂いたんだ!」
笑顔で切り返され、俺の背筋にゾクッとした悪寒が走る。
だが、次の瞬間。
「あ、そういえば」
カイが本題を切り出す、その瞬間。
俺もネオンも、ほぼ同時に、ゴクリと生唾を飲んだ。
「例のインゴットだが、全部買い取るのは無理だが、一億までならすぐに現金化できるぜ」
・・・・・・は?
カイの言っていることは、嬉しいし、非常に助かる。
だが、意味がわからない。
リサを泣かせた俺を責め、べらべらと生前の話を暴露したネオンへの、怒りの罵倒が来るはずだったのに。
話の脈絡が、全く理解できない。謎だ。
俺たち兄弟が、思考停止していると、奥のドアから、リサと元受付嬢の世話係が、笑顔で雑談しながら入ってきた。
それを、カイが、これ以上ないほどの紳士モードで出迎える。
「おお、二人とも。ワインは見つかったみたいですね」
「はい、お義父様。ファウンダー様から頂いたという、二十年物の・・・・・・」
「ええ。僕とヨウが転生した年に作られた、特別なワインです。今日の料理に合うと思いますよ。ああ、二人も、もしよろしければ、食事でもしていきませんか?」
何が何だか、さっぱりわからない。
俺は、ひとまずこの場を離れて状況を整理するため、適当な口実をでっち上げた。
「すまん、カイ。家で待たせてる 香とリンフォン に、大丈夫か聞いてみる」
そう言って、念話なのに、わざとらしく席を立った。
◇◆◇
『――というわけ。わかったかしら?』
念話での通話で、大体の事情は把握できた。
要するに、こうだ。
一、インゴットの安全な買取先を探していた元受付嬢が、カイの工房に目をつけた。
二、彼女から報告を受けた香が、カイが独身で、女性に真摯だと吹き込んだ。
三、さらに、カイが生前も俺の知り合いで、信用できる人物だと裏付けを取った。
つまり、元受付嬢が俺たちのために動いた結果、偶然と必然が重なり、カイの怒りの矛先が、俺たち兄弟から、元受付嬢への「恋心」という、全く別の方向へとすり替わったのだ。
香とリンフォン、まさに聖女のファインプレーと言うべきか、悪魔の所業と言うべきか。
余裕を取り戻して席に戻ると、食事が終わっても、カイワールドは終わらなかった。
カイの魔道具に対する豊富な知識は、真面目な元受付嬢の世話係にとっても、ものすごく興味と関心があったらしい。
彼女の純粋な驚きに、超絶紳士モードのカイは、調子に乗らないようにフルブレーキをかけながら、優しく、必要最低限で、分かりやすい言葉と例えを選んで真摯に回答している。
「リサさんの気品って、お父さん譲りなのですね」
元受付嬢の言葉に、リサも役者だ。
「お父さんには、よく叱られてばかりです」
そう言いつつリサは、ネオンにウインクして、小さく舌を出して合図を送る。
その仕草に、カイは紳士モードが崩れそうになるほど顔を緩ませるが、さらに紳士モードにブーストをかけ、必死に耐え忍んでいた。
俺も思い出したように、カイの異世界での英雄譚を持ち出し、褒め殺しのジャブを繰り出す。 素直なネオンは、普通に感心していた。
「雨降って地固まる」とは、まさにこのことか。
俺は、悪友の幸せを、本当に願っていた。
◇◆◇
夜も更け、元受付嬢の世話係の安全を考え、ネオンとリサが彼女を家まで送っていくと言い、工房を去った。
一般市民の彼女よりも、リサとネオンがそばにいた方が、圧倒的に安全だ。
もし何かがあっても、ネオンの魔石を通じて、至聖女が遠隔魔法で守ってくれるだろう。
静かになった部屋で、カイと俺は二人きりになった。
先ほどまでの賑やかな空気が嘘のように、静寂が訪れる。
カイは、それまでの紳士的な仮面をゆっくりと剥がし、深く、長い溜息をついた。
彼は黙って棚から年代物の蒸留酒を取り出し、二つのグラスに注ぐ。
カラン、と氷の音が、やけに大きく響いた。
その真剣な表情に、俺は、これからが本題なのだと悟った。
お互いに言葉を探していると、カイの方から、不意に激励を受けた。
「香さんと、幸せにな」
照れながら、「お前はどうするんだよ元受付嬢の・・・・・・」と返すと、カイは「彼女はレベルが高すぎる。高嶺の花だよ」と、寂しそうに笑った。
「・・・・・・それでも、頑張りたいな」
純粋な彼の心が、一瞬だけ漏れた気がして、俺はカイの胸を、拳で軽く叩いた。
しばらくして、カイが「あ、そうだ」と思い出したように、話を変える。
「あれ、火葬しようと思ったんだがな・・・・・・」
俺は、「あれ」が、王の死体を指しているのだと悟り、「何か問題があったのか」と問う。
「ADDAの、ADがなぜか動いている。DAは俺が仕上げられるが、お前なら、どうする?」
ADDA・・・・・・?
アナログ・デジタル変換器か。
カイが言った言葉が、何度も頭の中で繰り返され、生前の記憶と共鳴する。
AD――アナログ・ディコーディング。
それは、生物コンピューターの神経回路が、何かの奇跡で、活動を開始し、信号を発信している、信じがたい事実を示していた。
死せる王が、目を覚ます。




