19話 8月9日 元王女の失恋
悪役は勇者
義父であるカイさんが、工房の片隅で、悔しそうにやけ酒を煽っていた。
理由は聞かなくてもわかる。
私も、同じようにショックを受けていたから。
最近、義父がよく語っていた、歌姫・李凜風の転生話。 同級生だったネオンと恋仲になったという結末は、水曜日に届く贈り物のエピソードを聞く限り、世界を超えた美しい恋物語で、素敵だと感じていた。
だが、勇者ヨウ様の話は、どうしても納得できなかった。
転生してから色々な事情があって、ずっとバベルコアにいたという、転生者。 先日のバベルコア崩壊で大変だったところを、勇者様が助け、 偶然、生前からの知り合いで、恋仲になった?
おかしい。絶対に、何かの間違いだ。
その女――香は、精神魔法の使い手で、勇者ヨウ様を操っているに違いない。
私は、そう固く信じていた。
そんな思惑を胸に、私はネオンと、同級生になるであろう李さんを、進学前夜祭という口実で食事会を企画した
最近スキルを上げた私の料理で、格の違いを見せつけ、香という女の、圧倒的上位に立つ。
そのはずだった。
・・・・・・はずだったのに。
小屋で料理の準備を始めた、まさにその時だった。
私の前に、勇者ヨウ様とカオリが、腕を組んで帰ってきたのだ。
香は、圧倒的だった。
元王女として鍛え上げられた私の知性も、気品も、この幻影魔法で隠している素顔でさえも、彼女の前では何の意味もなさない。
「本当の私を知れば、もしかしたら勇者様と・・・・・・」などと思っていた、傲慢な自分が、恥ずしくてたまらない。
香は、美しいだけではない。何か、格が違う。 そう、例えるなら、彼女は本物の「聖女」が持つ、絶対的なオーラを纏っていたから。
思考回路がめちゃくちゃになったまま、私は準備してきた食材に手をかけようとした、その時。
香りが作った、日本風のおつまみを味見させられ、その味に、私の涙腺は、完全に壊れてしまった。
自然に溢れ出す涙が、止まらない。
彼女の作った料理はとても優しくて、繊細で、愛情がこもっている。私の料理など・・・・・・。
泣きじゃくる私を、香が優しく介抱してくれる。 その慈愛に満ちた優しさが、さらに私の感情に追い打ちをかける。
私が泣き止まずにいると、義父のカイさんが、私を迎えに来てくれた。 香の前で必死にジェントルマンを演じている義父の姿が、ひどく滑稽に見えて、親子そろって道化師みたいだと思った。
私の、儚い片思いは、
終わった。
◇◆◇
(ヨウ視点)
パーティーで取り乱したリサを、カイが迎えに来た後。
俺は、聖女二人と弟に、完全に包囲されていた。
最初に口火を切ったのは、聖女(香)だった。
「あの幼い少女に、一体何をしたの、ヨウ」
責めるような、それでいて心配そうな声色だ。
何故俺が。何も悪いことなどしていないのに。
そう思っていると、次には至聖女が、最後にネオンまでが、俺を非難の目で見てくる。
「兄さん、見損ないました」
「・・・・・・はあ?」
色々と言い募られ、ようやく俺は理解した。
要するに、リサの奴が、俺に恋をしていた、ということらしい。
それを俺が、全く気づかずに無下にした、と。
「ああ、なるほど。そうか、彼女、俺の信者だったのか・・・・・・」
俺がそう呟いた瞬間、パァン!と乾いた音と共に、俺の頬に衝撃が走った。
聖女(香)の、完璧な平手打ちだった。
魔力は込められていないが、俺が咄嗟に魔力結界を張っていなければ、首が百八十度回っていたほどの威力だ。
言葉には気をつけよう。
確かに俺も、彼女の好意を「信者」の一言で片付けたのは、傲慢だった。
俺は静かに反省した。
すると、香も俺の反省を理解したのか、ふっと話を切り替えた。
彼女は、窓の外の夜空を見上げながら、まるで独り言のように呟いた。
「それにしても、あの子・・・・・・リサさんは、2世とは思えないほどの、魔力を秘めているわね」
その言葉に、至聖女が同意する。
「ええ。私も感じていました。彼女の魂の質は、尋常ではありません」
俺は、二人の会話の意味が掴めず、首を傾げる。
「どういうことだ?」
すると、香が、俺の目をまっすぐに見つめて言った。
「ヨウ、あなたも知っていると思うけど、この世界に転生した者は、前世の肉体的な特徴や能力を、何倍にも増幅させて引き継ぐことがあるの」
「・・・・・・ああ、そういえば、そんな奴もいるな」
「例えば、生前に鍛え上げられた腕力を持つ者が、こちらでは音速を超える速度で石を投げたりね」
「・・・・・・」
「もし、あの子――リサさんが、生前、人智を超えた体を持っていたとしたら?」
香の言葉は、静かだったが、重かった。
二人がリサについての、肉体に関する難しい専門用語で話し合っているが、俺にはよくわからない。
だが、要するに、彼女は生前、全身サイボーグのような存在で、転生した現在は、それが数倍に強化された結果、とんでもないポテンシャルを秘めている、ということだけは理解できた。
俺は、ゴクリと唾を飲み込み、尋ねた。
「・・・・・・それって、どれくらいヤバいんだ?」
「そうね・・・・・・」
香は、少し考える素振りを見せた後、はっきりと言った。
「接近戦に限って言えば、私やリンフォンが束になっても、敵わないかもしれないわ」
俺は、信じられない事実に何も言えないでいると、皿洗いを終えたネオンが話に入って来た。
「リサさんがどうかしたの?」
すると、至聖女が、ネオンの手をそっと取った。
「ネオン。兄さんがリサさんにした失礼をしたので、私とネオンで謝りに行きましょう」
「・・・・・・はい」
「あの子、とても傷ついていました。それに、このままでは、ヨウ兄さんの評判にも関わります」
ネオンは、少し困った顔をしたが、やがてこくりと頷いた。
「・・・・・・うん、わかった。行こう、リンフォン」
◇◆◇
翌日、至聖女に連れられて、ネオンはカイの工房を訪ねた
カイの工房に着くと、リサはすでに気持ちを切り替え、普段通りに二人を迎えてくれたという。
その気丈な姿に、ネオンもリンフォンも、ひとまずは安堵したそうだ。
そこで、リサの方から、ネオンにこう尋ねてきたらしい。
「ネオン・・・・・・。差し支えなければ、あなたの現世でのことを、もう少し聞かせていただけませんか?」
兄である俺への恋心は諦めたものの、興味は、まだ尽きないようだった。
そして、ここからが問題だった。
俺の弟は、あまりにも純粋で、正直すぎた。
「いいよ。兄の秋月楊は・・・・・・」
ネオンは、にこやかに頷くと、聞かれるがままに、現世での人間関係を語り始めた。
もちろん、悪気など一切ない。
ただ、聞かれたことに、素直に答えただけだ。
「・・・・・・佐藤香姉さんは、本当に昔から僕たちの面倒を見てくれて・・・・・・。そういえば、旦那さんは、すごく有名な野球選手なんですよ。彼も、兄さんの幼馴染で」
「・・・・・・野球?」
「あ、すみません、こっちの世界にはない競技ですね。ええと、棒で球を打って走る、みたいな・・・・・・」
さらに、話はリンフォンにも及ぶ。
「李 凜風も、兄さんのつてで海外から日本に来て、そこで僕と出会ったんです。あの頃は、兄さんにも、色々と迷惑かけて・・・・・・。
そうそう、小林 戒さんにも、ずいぶん助けていただきました」
リサは、次々と出てくる衝撃の事実に、ただ、相槌を打つことしかできなかったらしい。
だが、その会話のおかげで、三人の間のぎこちない空気はすっかり消え、かなり打ち解けた雰囲気になったという。
最後に、リサは深々と頭を下げた。
「昨日は、ご心配をおかけしました。これからの学園生活、どうぞよろしくお願いします」
そう言って、彼女は二人のことを、仲間として受け入れてくれたそうだ。
めでたし、めでたし・・・・・・。
◇◆◇
と、ここまでなら、美しい友情物語で終わったんだ。
俺は、ネオンからその話を聞いて、胸を撫でおろしていた。
だが、話は、それで終わりではなかった。
後日、俺の持つ通信用魔石が、けたたましい光を放った。
カイからの、緊急の呼び出しだった。
俺とネオンがカイの工房に呼び出され、開口一番、「どういうことだ貴様ら!ペラペラと生前の話を」と、人生最大級の剣幕で問い詰められることになりそうだ。
それはまた、別の話だ。・・・・・・で終わりにしたいけど。
カイの吠えます




