2話 5月10日 朝 危ない女が来た
弟の朝食に、“メガネ女子”が媚薬を盛ってやってきます。
昨晩は、結局一睡もできなかった。
薪の燃え残りがわずかに赤く、かすかに明るんでいた。
布団に潜る弟の寝息は穏やかで、何度もそれを確認しては目を閉じる・・・・・・けれど眠れない。
この小屋。あの記憶の再現度。
誰が? どうして? 弟の記憶が、なぜあんな形で急に。
考え始めると、眠気は遠のくばかりだった。
やがて朝の光が差し込み始めたころ、俺は小さく伸びをした。
「・・・・・・朝か」
念音が寝返りを打った気配に気づき、水を用意してやる。
目を覚ました弟に手渡すと、彼は眠そうに目をこすりながら微笑んだ。
「ありがとう、兄さん。寝れなかった?」
「ちょっとな。まあ、年のせいかもしれん」
「それ、前世込みの話でしょ? 見た目はアラサーなのに」
笑い合いながら、俺は朝食をどこで食べるかを考えた。
すると、弟が着替えている間に、外から“気配”を感じた。
足音が軽い。だが無駄がない。
油断なく抑えた気配、かなりの手練れ。
ノックの音が鳴る前に、俺は扉を開けていた。
そこには、栗色の髪を綺麗に揃えた、弟好みのメガネ女子が立っていた。
軽装のローブに、手には小さな包み。俺の顔を見た瞬間、彼女の表情が凍る。
「あ、俺、念音の家族で」
「ゆ、ゆゆ・・・・・・勇者様・・・・・・?」
ああ、これは“勇者の俺を見て驚いた”反応だ”
彼女はただの来訪者ではない。おそらく、念音の世話係だ。
その声を聞いた瞬間、俺は咄嗟に彼女の口元を手で塞いでいた。
「静かに。弟にまだ勇者だと言ってないんだ」
「んむっ、ん!」
「怪しい者じゃない。弟・念音の兄だ。な?」
驚きのまま硬直していた彼女は、数秒遅れてこくりと頷いた。
奥から声がかかる。
「兄さん? 誰か来たの?」
その一言に反応してメガネ女子が息を呑む。
俺は目で「話を合わせてくれ」と伝えた。
彼女はひとつ深呼吸し、見事な笑顔を浮かべた。
「お兄様・・・・・・でしたか! 念音様、おはようございます。よかったですね」
完璧だが、状況判断がすごいな。さすがメガネ女子だ。
世話係だけあって、阿吽の呼吸を心得ている。
念音が顔を出し、「あっ、昨日の人だ」と安心した様子を見せると、彼女は小さく会釈して言った。
「本日の予定は、朝食後に町をご案内することになっておりましたが・・・・・・」
そのとき、彼女が持参してきた朝食に目をやった俺に、
眼鏡女子は一瞬だけ表情を固くした。
そして包みを後ろ手に隠し、言った。
「・・・・・・お兄様がご一緒なら、私は安心です。では、失礼します」
「えっ、え、ちょっと?」
念音が戸惑う声をかける間もなく、メガネ女子はそのまま早足に小屋を離れていった。
「なんか、悪いことしちゃったかな?」
弟が、じとっとした目で俺を見上げる。
いや、悪いのは俺じゃない。あの女だ。
問題はあの“朝食”。包みにわずかに染み出た匂い。
あれは、媚薬系か? 微量だが、確かに混じっていた。
あの目は、ただの好意じゃない。任務か、忠誠か、それとも?欲望か。
俺は黙ったまま首を横に振った。
この世界での転生者は、国家にとっての資産。
彼女が念音に何かを仕掛けていたとしても、不思議じゃない。
けれど、弟にはそれをどう説明すればいい?
この子はまだ、けがれを知らない。
俺は誤魔化すように言った。
「優秀な世話係だな。俺たちに気を使ってくれたんだ。感謝しよう」
「兄さんなんか、わざとらしいな。何か隠してない?」
弟も何かを察したのかもしれない。
それでも、俺は話を切り替える。
「・・・・・・行くか。朝飯がてら町でも案内する」
「うん!」
街へと向かう道には、まだ朝霧が残っていた。
森を抜け、川沿いの坂を下りると、石畳の道が広がる。
ヴィレムの町は、今やすっかり都市の顔を持っていた。建物の間を行き交う人々。魔力灯の光に照らされた市場。
「兄さん、この辺って来たことある?」
「まあな。・・・・・・でも、久しぶりだ」
正直、あまり来たくはなかった。
この町には、過去の俺が詰まりすぎている。
それでも、弟に飯を食わせなきゃならんし。
あの女の“媚薬入り朝食”止めちまった以上、俺がなんとかするしかない。
目に留まったのは、日本語の看板。
《みやこ亭》──転生者の誰かが始めた、和風の飲食店だ。
「ここでいいか?」
「うん!和食、だね、 異世界感ゼロだね」
入ってすぐ、味噌と出汁の香りが迎えてくれた。
注文は「朝定セット」。焼き魚、味噌汁、ごはん、漬物。それに、転生者特製の厚焼き卵。
料理が運ばれると、念音は感激して手を合わせる。
「いただきます!」
「・・・・・・まるで修学旅行だな」
「兄さんは、転生後いつも日本食?」
「当初はなかった。・・・・・・でも、慣れれば何でも美味かった」
そう言って俺は味噌汁をすすりながら、中央広場を避ける案内ルートを考える。
「兄さん、あの世話係の人、なんか変だったよね?」
「そうか? ちょっと人見知りだっただけじゃないか」
「うーん、でも、目が真っ赤だったよ?」
・・・・・・やっぱり、けがれを知らない弟だ。良かった。
安心しつつ、味噌汁をもう一口すする。
食後、道を少し迷ってしまい、気づけば中央広場に出てしまった。
「あの、銅像?」
「・・・・・・ああ」
そこには、深いフードをかぶった人物の石像が立っていた。
剣を背に、片膝をついた姿──この世界を救った“勇者”の像だ。
「兄さん、これって?」
「・・・・・・あー・・・・・・うん・・・・・・あの」
「ひょっとして、兄さんって?俺ツエー系の勇者だったの?」
「・・・・・・そうだな。感情薄めのご都合主義型で、最後は余裕で勝つ勇者だったよ」
「ええぇ!? ヤバ!」
「頼むから叫ぶな。誰もが忘れてくれたのに」
「だから世話係の女性が遠慮したのか、謎が解けた!」
いや、それは違う、とは言えなかった。
弟が目を輝かせながら像を見上げている。
俺はその場から早く立ち去りたいのに。
でも、それでも、少しだけ。
心のどこかで、昔と変わらないその瞳の輝きが、嬉しかった。
「ねえ兄さん、せっかくだし、教えてよ。昔のこと」
「・・・・・・どのくらい恥ずかしい話まで聞きたいんだ?」
「全部!」
そう言って屈託なく笑う弟に、俺は肩をすくめるしかなかった。
「じゃあ、ざっくりな」
ベンチに並んで座りながら、俺は少しずつ、かつての話を語り始めた。
「最終決戦前夜、パーティーメンバーは6人いた。」
「俺、聖女、聖女の部下、黒騎士、黒の魔導士・・・・・・あと一人、聖女の側近?」
「名前、は?」
「え? ・・・・・・いや、名前で呼ぶと面倒だ。大体でいいだろ」
「えー」
「文句言うな」
当時、世界の魔力が乱れはじめていて、場所によっては魔術の制御が効かなくなっていた。
俺たちは赤道直下の裂け目、世界最大の魔力震源地へ向かった。
「詠唱しても魔法が拡散する。剣を振っても空気が歪む。とにかく、地形ごと敵味方が巻き込まれかねない状況だった」
「それって、勝てるの?」
「普通は無理だ。俺も、詰んだと思った」
でも、そこで“例の、聖女の側近”がやってのけた。
「石を、拾ってな」
「石?」
「そう。なんの変哲もない、ただの拳大の石。それを音速を超える勢いで、敵にぶつけた」
「えっ? 物理攻撃!?」
「完全にそうだ。何かの魔法制御か、補助が入っていたのかもしれんが、その時点で敵の中核が沈んだ。
それで場の魔力が少しだけ安定した」
そこからの流れは、まさに“ご都合主義”。
「俺はその隙に、自分の魔力を使い“地脈に同期”させた。
地形が共鳴し、結界が発動して、聖女が治癒を連打して、騎士が盾になって・・・・・・」
「テンプレだね。」
「現実の方が、もっとドロドロしてたかな? 血も出るし、叫びもある。お腹も減った」
俺はわざと誇張して、小さく叫ぶ。
「で、ようやく、奴が出てきたんだ」
「魔王?」
「ああ。姿を見た瞬間、世界が静かになった。
音も、空気も、すべてが“来た”って分かった」
念音が息を呑む音が、隣で小さく響いた。
「・・・・・・ってところで、今日はここまで」
「ええー!? 兄さん、それ一番いいところで切るやつ!」
「仕方ない。飯も食ったし、町も見たし、そろそろ帰るぞ」
「ズルい! 続きを帰り道で話して!」
そう言って駆け出す弟の背を見ながら、
俺はふと、胸に残る違和感を再び思い出す。
念音と再会してから、濁っていた記憶が、 不思議と澄んでいく。
気分がいい。
けれど、心の奥底で何かが警鐘を鳴らしていた。
まだ、思い出さなきゃいけないことがあると。
3話では、“ボスキャラ”が意外な方法で倒されます。