17話 7月21日 聖女と、叔父様の来訪
気絶した元受付嬢の世話係を、とりあえず小屋のベッドに寝かせ、俺は頭を抱えていた。
隣では、とんでもない爆弾発言をした張本人たちが、何食わぬ顔でお茶をすすっている。
「それにしても、見事な気絶っぷりだったわね」
「ええ。ですが、これで余計な虫はつかなくなるでしょう」
聖女(香)と至聖女(李)が、涼しい顔で頷き合っている。
おい、あんたらが原因だぞ。
「で、だ。これからどうするんだ、お二人さん。その姿で町をうろついたら、大騒ぎになるぞ」
俺が言うと、二人は顔を見合わせ、悪戯っぽく笑った。
「それについては、大丈夫よ」
聖女(香)はそう言うと、静かに続ける。
「私達の姿を変えれば、問題は解決するでしょ?」
「・・・・・・は? 姿を変えるって、どうやって」
「ええ。私たちが新しい体を得るには、その器の元となる強いイメージが必要なの。だから、ヨウ、ネオン君。あなたたちの記憶を、少しだけ貸してちょうだい」
◇◆◇
俺とネオンは、訳がわからないまま、聖女たちの言う「儀式」に付き合うことになった。
香曰く、これは単なる幻影魔法ではないらしい。
人の記憶――想いの力を核として、無から有を生み出す、神の領域の創造魔法。
失敗すれば、俺たちの精神がどうなるかわからないと、物騒なことまで付け加えてきた。
「まずは、私からね。ヨウ、いい? あなたの心の中にある、『私』を、強く思い浮かべて」
言われるがまま、俺は目を閉じ、香の記憶を辿る。
聖女としての神々しい姿、バベルコアで再会した時の、大人びた横顔。
だが、俺の脳裏に一番強く焼き付いていたのは、そんな女神としての姿ではなかった。
まだ、俺たちがただのガキで、毎日駆け回っていた頃。
いつも俺の一歩後ろをついてきて、転んでは泣いて、それでも俺の名前を呼び続けてくれた、泣き虫で、お転婆で、少しだけ背の低い、一人の少女。
俺の、大切な幼馴染の姿だった。
その姿を思い浮かべた瞬間、目の前の聖女(香)の体が、眩い光に包まれた。
光が収まった時、そこに立っていたのは、見慣れた聖女の姿ではなかった。
歳は、二十歳前後だろうか。
俺の記憶の中の姿よりも、大人びてはいるが、面影は色濃く残っている。
少し気の強そうな瞳も、負けず嫌いそうな唇も、昔のままだった。
「どう、かしら?」
彼女――香は、少し照れくさそうに、くるりと一回転して見せる。
その姿は、あまりに若々しく・・・・・・
「お前、若返りすぎだろ」
「あなたのせいよ。一番鮮明な記憶が、それだったんでしょう?」
悪戯っぽく笑う香に、俺は何も言い返せなかった。
続いて、至聖女(李)がネオンの前に立つ。
「ネオン!今度は、あなたの番です」
ネオンは、こくりと頷くと、緊張した面持ちで目を閉じた。
彼の脳裏に浮かんでいるのは、どんな彼女の姿だろうか。
現世で、最後に言葉を交わした、あの日の彼女か。
それとも、携帯電話の写真で見た、幸せそうに笑う彼女か。
ネオンの体が、淡い光を放ち始める。
その光は、ゆっくりと至聖女(李)の体を包み込んでいく。
香の時のような、派手な光ではない。
それは、まるで陽だまりのような、穏やかで、温かい光だった。
やがて、光が収まる。
そこに立っていたのは、神々しさが薄れ、俺たちが知る現世の少女、李凜風そのものだった。
彼女は、ゆっくりと自分の手を見つめ、それから、おそるおそるネオンに触れた。
「・・・・・・温かい」
ぽつりと、彼女の口から言葉が漏れる。
その瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「これで、やっと、ネオンの隣に、同じ人として立つことができます」
そう言って、彼女はネオンの胸に顔をうずめた。
ネオンは、ただ、その華奢な体を、優しく抱きしめ返していた。
◇◆◇
感動的な再会と、女神たちの新生。
俺たちがこの奇跡の余韻に浸っていた、その時だった。
急速に接近してくる謎の人物が一人。
殺気はないが、この小屋に一直線に向かってくる。
馬車を確認したのか、その人物は俺たちが帰ってきたことを理解し、俺を呼んだ。
「ヨウ! 一体何があった! 元世話係さんの魔石から、生命の危機信号が反応したぞ!」
凄まじい勢いでカイが飛び出してきた。
その手には、方位磁石のような魔道具が握られている。
(馬鹿な、通信用の魔石にそんな機能はねえはずだ。あいつ、魔石をリモートコントロールハッキングでもして、何か余計な仕掛けを施しやがったのか? このストーカー野郎め・・・・・・!)
だが、小屋の前に立つ二人の女性――香と李の姿を認めた瞬間、カイの動きがピタリと止まった。
彼の表情が驚きに見開かれるが、それは一瞬のこと。
すぐにいつもの自信に満ちた笑みを浮かべ、二人に歩み寄った。
「あれ、まさか香さん? それに李ちゃんも。もしかして、転生したのかい?」
前世で、彼女たちの前では常に「格好いい叔父様」を心がけていたカイだ。
動揺など、おくびにも出さない。
完璧な演技だった。
「え?もしかして叔父様!」
李が、満面の笑みでカイの元へ駆け寄り、その腕に抱きついた。
「おお、李ちゃん。元気そうで何よりだ。それに香さん、初めて君に出会った頃と変わらない・・・・・・いや、ますます綺麗になりましたね」
カイは、混乱と歓喜で内心パニックだろうに、それを微塵も感じさせない。
李は、そんなカイの様子を意にも介さず、にっこりと微笑んだ。
「はい。叔父様には、ネオンが死んだ後、本当に、沢山助けてもらったから。私も会えて嬉しいです」
(ネオンとの喧嘩の原因を作ったのはこいつなのに、このまま黙っていていいのか・・・・・・?)
俺の脳裏に、一瞬、葛藤がよぎる。
だが、今ここでその事実を突きつければ、この奇跡的な再会の場が台無しになる。
カイの顔を立て、この場を丸く収めるのが最善策か。
俺は、このカオスな状況をどう収拾すべきか、必死で頭を回転させていた。
そんな俺の葛藤など無視して、カイは、水曜日の贈り物のこと、その一部である携帯電話などを自分が大事に管理していることを、丁寧に、真摯に二人に話していた。
「それで・・・・・・。お二人は、どういう経緯で、ここに?」
カイの当たり前の質問に対し、香が口を開く。
その答えは、嘘は無いが、嘘で固めたような、あまりに完璧なものだった。
「わたくしたち、転生してからいろいろ事情がありまして。ずっとバベルコアにおりましたの」
「なるほど・・・・・・」
「ええ。ですが、先日のバベルコア崩壊で大変だったところを、勇者様に助けていただきまして」
香は、そこで言葉を切ると、俺の腕をそっと掴んだ。
「その時、たまたま、、一緒にいた李がネオン君とも感動の再会を果たしまして・・・・・・。ね?」
その完璧な脚本と、こちらに同意を求める慈愛に満ちた笑みに、俺はただ頷くことしかできない。
カイは、心底感動したように頷いて、演技を続けている。
まさに、役者同士の対決が繰り広げられていた。
「香さん、本当に良かったですね。李ちゃんも、もうネオンと喧嘩しちゃダメですよ。私が心配しますから」
彼は、完璧に「事情を全て理解した、心優しいおじさん」を演じきった。
だが、そこに香がまたしても爆弾を投下する。
「カイさん。異世界では前世の夫もいない独身の身。今後は、私を支えてくれるヨウさんと、第二の人生を死ぬまで過ごすことにしました。応援してくださいね」
カイが、口元を隠した。
俺にだけ見えるように、口もとで(爆発しろ)と口パクしている。
さらに追い打ちをかけるように、李が言った。
「叔父様に励ましてもらったおかげで、今の私がいます。念願のネオンとの再会もでき、二人の幸せが永年続くよう、これからも応援よろしくお願いします」
カイは、今度は俺とネオンだけが見える角度で、(お前たちも爆発してくれ)と口パクした。
そのあと、聖女二人も気づかないほどの闇属性スキルで、完璧な笑顔を作る。
「二人とも、心から応援しているよ」
そろそろ気力も限界なのか、カイは話を切り上げた。
「なるほど、事情は理解した。それなら、長居は無用だな。日を改めて、またご挨拶に伺おう」
そう言い残し、カイは気絶した元受付嬢のことなどすっかり忘れて、上機嫌の演技で帰っていった。
嵐のような男だった。
・・・・・・だが、俺たちの平穏は、まだ遠い。
後日、俺とネオンはカイに呼び出され、「なぜ香様と李凜風様が、お前らなんかのそばにいるんだ! 恨んでやる、呪ってやる!」と、延々と小言を言われることになるのだが、それはまた、別の話だ。
◇◆◇
カイが去った後、俺たちは小屋で倒れている元受付嬢の処遇について、話し合うことにした。
「どうする、香。このままじゃ、まずいだろ」
「そうね・・・・・・。記憶を消すのが一番手っ取り早いけれど、それはあまりに可哀想だわ」
李が、心配そうに彼女の顔を覗き込んでいる。
「彼女、ネオン君のことも、ヨウさんのことも、心から貢献したいと思ってますね。」
李の言葉に、俺も頷く。
確かに、彼女はネオンの身を案じ、俺の正体を知っても、変わらない態度で接してくれた、信頼できる人間だ。
「俺の考えを信じてくれるなら、彼女を信じてやってほしい」
俺が言うと、香はしばらく考え込んだ後、ふっと微笑んだ。
「わかったわ。あなたの見る目を信じましょう。それに、ただ口止めするだけじゃ、フェアじゃないものね」
香はそう言うと、気絶している元受付嬢の額に、そっと手をかざした。
「彼女、とても優秀な魔術師の素質がある。でも、その力の使い方を知らないだけ。だから、ほんの少しだけ、手助けをしてあげる」
香の手から、柔らかな光が溢れ出し、元世話係の体に吸い込まれていく。
「これは、秘密を守ってくれることへの、ささやかなお礼。そして、もしもの時のための『保険』よ。彼女の得意な自己精神操作詠唱魔法を、高位無詠唱魔法が可能な状態にする。こうでもしないと、私達とお話もできないでしょうし」
光が収まると、香は彼女の耳元で何かを囁いた。
やがて、元受付嬢がゆっくりと目を開ける。
彼女は、目の前にいる俺たちと、そして自分の身に起きた変化に気づき、ただ呆然としていた。
俺たちは、彼女に世界の秘密の一部を明かし、それを守ることを、改めて約束してもらった。




