表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/35

15話 世界の中心で(ヨウ視点)

(ヨウ視点)


「・・・・・・香」


俺の口から、絞り出すように漏れた名。

その瞬間、目の前の聖女――香の肩が、びくりと震えた。


「・・・・・・呼び捨て?」


彼女は、それまでの神々しいまでの穏やかさを消し去り、少し潤んだ瞳で、拗ねたように俺を睨みつけた。


「二十年よ。二十年も、私を待たせておいて・・・・・・よくもまあ、そんなに馴れ馴れしく呼べるわね」


その、あまりに人間味のある、そして懐かしい物言いに、俺は咄嗟に言葉を失う。


「あ、いや、すまん・・・・・・その・・・・・・」


動揺しながら謝る俺を見て、香はぷいとそっぽを向く。だが、その口元は、かすかに(ほころ)んでいた。

やがて、彼女はこらえきれないといった様子で、くすくすと笑い声を漏らした。


「ふふ・・・・・・本当に、馬鹿なんだから」


その笑顔は、聖女のものではなかった。

俺が知る、俺がずっと忘れていた、幼馴染の香の笑顔だった。


俺はゆっくりと立ち上がると、無言で彼女の華奢な体を抱きしめた。

香も、何も言わずに、その身を俺に預けてくる。

しばらく、お互いの存在を確かめ合うように、時が止まっていた。


◇◆◇


やがて、香はそっと俺の胸を押し返し、涙の滲む目元を指で拭った。

そして、ハッとしたようにネオンに向き直り、深く頭を下げた。


「ごめんなさい、念音(ネオン)君。取り乱してしまって・・・・・・」


「い、いえ、そんな!」


恐縮して後ずさる弟に、香は優しく微笑みかける。

そして、俺たちの前に改めて座り直すと、真剣な表情で語り始めた。


「今日、あなたたちがここに来た理由・・・・・・。そのフィギュアのことね」


ネオンは、こくりと頷き、おずおずと例のフィギュアをテーブルの上に置いた。

香は、そのフィギュアを悲しそうな目で見つめ、静かに沈黙した。


やがて、彼女はぽつりぽつりと、二十年前に起きた出来事を語り始めた。


「二十年前、あなたが転生してきた日・・・・・・。私は、本当にがっかりしたのよ、ヨウ」


「・・・・・・」


「あなたの記憶が、綺麗に失われていたこと。そして、その場に、私が一番会わせたかったはずの、念音(ネオン)君がいなかったこと」


その言葉に、ネオンが息を呑んだ。


「そのせいで、あの子は心を閉ざしてしまった。そして、『門』を、内側から固く閉じてしまったの」


「門? なんだ、それは」


俺が尋ねると、香は天を仰ぐように、遥か上を見つめた。


「このバベルコアの中心にある、天界へと繋がる、唯一の転移装置よ。あの子は、そこに引きこもってしまった。おそらく、今は天界にいるわ。私たちには、もう連絡を取る手段もない」


天界。

初めて聞くその概念に、俺は言葉を失う。

神や天使でも住んでいるのか?

そんな俺の疑問を察したかのように、香は続けた。


「あの子・・・・・・ネオン君が探している、フィギュアの少女の正体。それはね、至聖女しせいじょ。聖女の、さらに上位に立つ、この世界の本当の管理者なのよ」


その言葉に、俺だけでなく、ネオンも、そして今まで微動だにしなかった黒騎士ですら、驚愕に目を見開いていた。


ネオンは、フィギュアの人物を、自分が知る誰か――例えば、李さんや、あるいは別の誰かの生まれ変わりなのではないかと、そう妄想していたのかもしれない。

だが、その正体が、この世界の神にも等しい存在だったとは、予想もしていなかっただろう。


しかし。

弟は、異世界に来てから手に入れた「勇気」を、その胸に宿していた。


「行きます」


ネオンは、まっすぐに聖女を見つめ、はっきりとした口調で言った。


「僕、その人に会いたいです。バベルコアの中心に、行かせてください」


その瞳には、かつての弱気な少年の面影は、どこにもなかった。


◇◆◇


聖女に案内され、俺たちはバベルコアの中心部へと向かった。

そこは、吹き抜けと呼ぶにはあまりに巨大な、山の渓谷の谷底を思わせる空間だった。

見上げれば、まさに絵画で見た「バベルの塔」そのもの。螺旋を描くように、どこまでも天へと道が続いている。

俺たちがこれまで歩いてきたのは、この巨大な塔の外壁部分に過ぎなかったのだ。


そして、その空間の中心に、それはあった。

異世界らしからぬ、金属光沢を放つ、巨大な円形のチューブ。

天を貫き、どこまでも、どこまでも、真っ直ぐに伸びている。


その光景を見た瞬間、俺の脳裏に、現世の知識が稲妻のように閃いた。

軌道エレベーター。

ナノカーボンファイバーチューブ。

そうだ、これは、そういう類のものだ。


次の瞬間だった。

俺の思考に呼応するように、その空間を満たしていた何かが、激しく反応した。

部屋を飾っていたオブジェクト――無数の魔石が、一斉にまばゆい光を放ち始めたのだ。


空気が、悲鳴を上げた。

音のない振動が、足元から内臓を直接揺さぶる。肌を粟立たせるような、強烈な違和感。

俺は、これから起きるであろう災いを、直感的に理解した。

バベルコアの管制室から、悲鳴のような報告が香の元へ思念で届く。

軌道エレベーター上部で異常が発生。通信が、次々と途絶していく。


上空を見上げると、空に一本の、純白の光の筋が現れていた。

それが、恐ろしいほどの速度で、一直線に地上へと向かってくる。

軌道エレベーターの頂上部が、音もなく崩壊し、光の粒子となって砕け散っていくのが見えた。


バベルコアの内壁を光で染めた瞬間、

着弾・・・・・・・。

ただ、ゴポッ、と空間そのものが歪むような、異質な衝撃波が広範囲を襲う。

眼前の建築物や、浮島の地形が、粘土のようにぐにゃりと変形し、崩壊していく。

スローモーションで見せられる地獄絵図だった。


バベルコアの管理者たちが防御結界を張る中、俺は香を、黒騎士は弟を、それぞれ守るようにして衝撃に備えたまま。

世界が、真っ白に染まる。

しばらくして届いた轟音は、あの光の柱が音速を超えていたことを実感させた。


やがて、白い煙がゆっくりと晴れていく。

着弾地の中心に、青白い光の柱が立ち上っていた。

その光の中心には、静かに佇む、人型の神聖な影。

至聖女が、そこにいた。


彼女の体から放たれる青白いオーラが、嵐のように空間を支配し、沈静化させていく。

その神々しいまでの圧力に、黒騎士ですら、数歩後ずさっていた。

至聖女は、興奮した様子で、まっすぐにネオンの前に立つ。

押されながらも、ネオンは何かを、必死に至聖女(しせいじょ)の目を見て訴えている。

遅れてやってきた轟音に、その声はかき消されて聞こえない。


至聖女が、一瞬、逃げるように後ずさる。

それを逃すまいと、ネオンが後ろから彼女を強く抱きしめた。

それは、あまりに感動的なシーンだった。

だが、そんな感傷を許さぬように、世界はまだ壊れ続けている。


「ヨウ!」


俺の手を、香が強く握ってきた。

彼女は、目の前で起きている奇跡に、純粋に感動している。彼女らしい。

だがしかし、悪夢は終わらない。

崩落した軌道エレベーターの金属残骸が、今度は灼熱の隕石となって、大気圏を突入し始めていた。


「総員、第一級戦闘態勢! バベルコア全域に最大レベルの防御結界を展開せよ!」


香の部下たちの、切迫した念話が飛び交う。

だが、その直後だった。

事態を把握した至聖女が、天を仰ぎ、何か強大な魔法を唱えた。

地表への被害は、最小限に抑えられた。


しかし、天空まで届いていたバベルコアは、無残にも破壊され、かつての栄華を物語る絵画のような姿に変わり果てていた。

歴史が、書き換えられてしまった。


7月7日、バベルコアの変貌。

後に「神の逆鱗」として歴史のページに刻まれることになる、この最悪な事件の真相は、他言無用だった。

神の逆鱗に触れた世界の行方はいかに?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ