12話 7月1日 冒険と黒騎士
俺は、黒騎士の名前もしらない
この世界の夏休みは、七月から八月にかけて丸々二ヶ月間ある。
元日本人である俺や弟からすれば、学生時代の感覚とはズレがあって違和感しかない。
だが、どうやらこれは異世界だからというわけではなく、地球でも日本の方が例外だったらしい。
さらに言えば、この世界の一年は四三〇日もある。
一ヶ月が三六日の月もあれば、三七日の月もあるという変則的な暦だが、転生者たちが持ち込んだ「十二ヶ月制」という概念が、今ではすっかり定着していた。
つまり、夏休みはじつに七二日間。
一週間程度の道のりなど、この長い休暇の中ではほんの序章に過ぎない。
◇◆◇
冒険の初日。
俺たちは、ヴィレムの町の外れで一人の男を待っていた。
やがて、通りの向こうからカツ、カツ、と規則正しい足音が聞こえてくる。
全身を黒い鎧で固め、顔には常に仮面をつけた男。
俺のパーティーメンバーの一人、黒騎士だ。
「待たせたな」
仮面越しにくぐもった声が響く。
弟の安全を万全に期すため、今回の旅には彼も同行することになっていた。
夜の見張り役を頼むのが、その最大の目的だ。
俺も一週間くらいなら不眠で活動できるが、どうしても集中力は低下する。万が一を考えれば、彼の存在は心強かった。
「いや、こっちも今来たとこだ」
そう言って馬車に乗り込むよう促しながら、俺は今更ながら、彼の本当の名前を知らないことに気づいた。
まあ、今さら聞くのもなんだか気まずい。こいつも「黒騎士」と呼ばれることに慣れているだろうし、俺もそれでいいか、と自己完結する。
俺たちが乗る馬車は、かつての放浪生活で俺が改造を重ねた特別製だ。転生者のデザインを持ち込んだ流線形のボディーは、風の抵抗を減らすだけでなく、弓などの攻撃を逸らす効果もある。フレームはアルミに似た軽量素材、車体はハードウッドという金属に近い強度を持つ固い木で作られており、最近ではこの世界でもちらほら見かけるようになったタイプだ。内装は生前のキャンピングカーによく似た構造で、四人が寝られる折り畳み式のベッドに、簡単な調理ができる台所、そして収納スペースも完備。三人で乗るには、窮屈さは感じなかった。
俺が一番心配していたのは、黒騎士とネオンの関係だった。
なにせこの男、普段は極端に無口で、必要最低限のことしか喋らない。
まだ子供のネオンが、この不気味な鎧男に怯えてしまわないかと懸念していたのだが・・・・・・。
「黒騎士さんは、いつもその仮面をつけてるんですか? ご飯の時とか、どうしてるんです?」
「・・・・・・食事用の仮面に付け替える」
「へえ! 何種類くらい持ってるんですか?」
「用途に合わせて、3つほどな」
「すごい!」
思いのほか、いつもは無口なはずの黒騎士が、弟の他愛ない質問に真面目に答えている。
相変わらず仮面を外さない不気味さは変わらないが、ネオンは物怖じするどころか、興味津々といった様子だ。
そのやり取りを眺めていると、ネオンが俺の方を振り向いて、とんでもないことを聞いてきた。
「ねえ兄さん、兄さんと黒騎士さんって、どっちが強いの?」
「ぶっ・・・・・・!」
思わず吹き出しそうになるのをこらえ、俺は腕を組んでうーむ、と唸った。
隣では、黒騎士がピクリと肩を揺らすのがわかった。
「そうだな・・・・・・決闘みたいなルールありきの戦いなら、黒騎士が勝つ」
「へえ!」
「だが、何でもありの実戦、ルール無用の殺し合いなら、俺が勝つかな」
「どうして?」
「単純なパワーならこいつが上だ。だが、俺はいろんな手札を使って、全体のバランスで戦うタイプだからな。状況が複雑になるほど、俺が有利になる」
力の黒騎士、バランスの俺。そんなとこだ。
もっとも、俺はこいつが本気で、その馬鹿力を振り回すところを一度も見たことがない。純粋な力比べになれば、俺に勝ち目はないだろう。だが、戦いはそれだけじゃない。当の黒騎士も俺の答えに静かに頷いてくれている。こいつも、それを理解しているということだ。
◇◆◇
旅が始まって三日が経った。
俺たちの野営生活は、思いのほか順調だった。
「いいか、ネオン。こういう新しい足跡は、獲物が近くにいる証拠だ。足跡の深さと大きさから見て、多分・・・・・・鹿ぐらいの大きさだな」
「剣を振るうときは、力任せじゃダメだ。体の軸を意識して、腰の回転で斬る。こうだ」
「食料は、自然からの借り物だ。命を奪うってことは、その重みを背負うってことだ。だから、決して無駄にするな。骨の一本まで、感謝していただくんだ」
俺は、自分が知る限りのサバイバルの知識を、ネオンに叩き込んでいった。 初めは、生き物の血を見て顔を青くし、殺すことに躊躇していた弟も、少しずつ慣れていった。 自分で仕留めた獲物の肉を口にしたとき、彼は静かに手を合わせ、「いただきます」と呟いた。 その姿に、二十年前の自分を重ねていた。 俺もそうだった。この世界に来て初めて己の手で命を奪ったとき、スーパーで何気なく肉を買っていた過去の自分を、ひどく後悔した。 この経験を経て、生きとし生けるもの全てへの感謝を覚えたんだ。
弟も、今まさに同じことを学んでいる。そう思うと、胸の奥が少しだけ熱くなった。
夜は、俺と黒騎士が交代で警備につき、ネオンを休ませる。
このまま、何事もなく旅は続く。
そう、思っていた。
◇◆◇
旅も4日が過ぎた頃。 その夜は、俺が見張りの番だった。
満月が煌々と森を照らし、風が木々を揺らす音だけが響いている。
黒騎士もネオンも、馬車の中で穏やかな寝息を立てていた。
俺は焚き火のそばに座り、時折薪をくべながら、静かに周囲の気配を探る。
その、一瞬の静寂を破るように。
殺気が、四方から同時に放たれた。
「ッ!?」
俺が立ち上がるのとほぼ同時に、五つの黒い影が音もなく俺を取り囲む。
その動きに呼応して、馬車の扉が静かに開き、リーダー格の女が眠っているネオンを軽々と抱きかかえて姿を現した。
その瞬間、馬車の中から凄まじい圧が放たれる。
黒騎士だ。
ネオンが奪われたことに気づき、飛び出してきた彼の全身から、怒りと殺意が黒いオーラとなって噴き出していた。
だが、その進路を阻むように、二人の暗殺者が音もなく彼の眼前に立ちはだかる。
次の瞬間だった。
黒騎士が本気を出す、その予兆。
彼が腰の剣に手をかけた刹那、その全身から放たれた闘気が、物理的な衝撃となって周囲を薙ぎ払った。
ゴオオオオオッ!!
轟音と共に、衝撃波が放射状に広がる。
俺を取り囲んでいた五人ですら、思わず顔を庇って数歩後ずさった。
そして、黒騎士の真正面にいた二人の暗殺者は、その凄まじい圧力をまともに受け、森の木々を何本もなぎ倒しながら、数十メートル後方まで吹き飛ばされた。
だが、二人は受け身を取り、致命傷は避けたようだ。
土煙の中から、ボロボロになりながらも再び立ち上がり、黒騎士を睨みつけている。
その光景を見て、ネオンを抱えた女が、見せつけるようにその首筋に刃を突きつけた。
「待て」
静かだが、有無を言わさぬ声が響く。
黒騎士の動きが、ピタリと止まった。
女は、吹き飛ばされた部下を一瞥し、そして興味深そうに黒騎士を見つめた。
「・・・・・・ほう。他人に興味を示さぬお前が、なぜこの子供に執着する? その怒り、常軌を逸しているな。化け物め」
その言葉と同時に、俺を取り囲んでいた残りの部下たちが一斉に動き、俺と黒騎士の間に割って入った。
完全な膠着状態。
女は、俺に向き直ると、静かに口を開いた。
「どこへ行く?」
その問いに、俺は正直に答えるしかなかった。
「バベルコアだ。聖女に用がある」
「・・・・・・そうか」
女は小さく頷くと、それきり黙り込んだ。
ただ、ネオンに刃を突きつけたまま、じっと俺を見ている。
いや、違う。彼女が見ているのは、俺の向こう側・・・・・・何か、別のものを見ているような、そんな気がした。
長い、長い沈黙が続いた。
やがて、女はふっとネオンの体を抱きしめた。
それはまるで、慈しむような、優しい仕草だった。
何か、小さな声で囁きながら、彼女はネオンの髪をそっと撫でる。
熟睡しているネオンは、されるがまま、彼女の腕の中で静かに眠り続けていた。
あれは、何かの術か・・・・・・?
女は、満足したようにネオンを抱きしめ終わると、馬車の中のベッドにそっと寝かせた。 そして、俺に向き直ると、一言だけ呟いた。
「邪魔をした」
その言葉を最後に、女も、俺たちを取り囲んでいた部下たちも、まるで霧が晴れるように、一瞬でその場から姿を消した。
後に残されたのは、なぎ倒された木々と、燃え盛る焚き火の音、そして俺たちの困惑だけだった。
◇◆◇
昨夜の一件から、俺と黒騎士は一睡もできずにいた。
最強だと思っていた自分たちが、子供一人守れない。
あの女の「化け物め」という言葉は、俺たちの慢心を的確に撃ち抜いていた。
あれは、単なる襲撃ではない。悔しさ以上に、教訓めいた何かを感じずにはいられなかった。
わざわざ、それを教えに来たのだとすれば、あまりにもたちが悪い。
守るべきはずのネオンは、なぜかいつもより深く、穏やかに眠り続けている。
普段ならとっくに起きて、朝食の準備を始めている時間だ。
一瞬、昨夜の女が何か術でもかけたのかと不安がよぎる。
その、次の瞬間だった。
目の前に、あの女が、音もなく立っていた。
「ッ!?」
俺と黒騎士は同時に身構えようとするが、体が動かない。
見えないほど細い、魔力を帯びたワイヤーのようなもので、手足が拘束されていた。
気配は、この女一人。部下はいない。
女は俺たちの動揺を意に介さず、ゆっくりと目の前にバスケットを置いた。
蓋を開けると、ふわりと立ち上る湯気と、懐かしい香り。
そこには、この森で食べるにはあまりに不釣り合いな、白いご飯と焼き魚、そしてだし巻き卵が並んでいた。
現世で食べ慣れた、日本の朝食だ。
女は、魔法瓶のようなボトルから、味噌汁をお椀に注ぎながら、また一言呟いた。
「安心しろ。毒など入っていない」
そう言って、自らその味噌汁を一口すする。
全ての準備を終えると、彼女は馬車を一瞥して言った。
「そろそろ子供が起きる。たまには、まともな食事を食わせてやれ」
そう言い残したかと思うと、彼女はまた、かき消すように姿を消した。
同時に、俺たちを縛っていた拘束も解ける。
そして、まるでそのタイミングを見計らったかのように、馬車の扉が開き、ネオンが慌てた様子で飛び出してきた。
「ごめんなさい! 寝過ごした! すぐに朝食の準備を・・・・・・」
言いかけて、彼は目の前に用意された食事を見て、目を丸くする。
「え・・・・・・これ、黒騎士さんが作ったの?」
黒騎士は、無言で首を左右に振る。
ネオンは、今度は俺を見つめた。
「・・・・・・兄さんじゃないよね?」
その視線を受け流しながら、俺も困惑を隠せない。
だが、味噌汁の香ばしい匂いが、そんな思考を麻痺させていく。
ネオンは、その匂いに抗えないように、そっとお椀を手に取り、一口すすった。
「・・・・・・美味しい」
ぽつりと、純粋な感想が漏れる。
その言葉に、何かが動いた。
黒騎士が、仮面の下、口元を覆う部分をわずかにずらし、無言で味噌汁をすする。
そして、その仮面の奥から、意外な一言が響いた。
「・・・・・・懐かしい」
その言葉は、まるで魔法だった。
俺も、何かに引かれるように自然と手が動き、味噌汁をすする。
じんわりと、体の芯まで温もりが広がっていく。
懐かしい。
黒騎士と同じ共感が、俺の脳裏を駆け巡った。
そこから食事を終えるまで、三人の間に言葉はなかった。
ただ、黙々と箸を動かす音だけが、静かな森に響いていた。
やがて、ネオンが満足そうに息をつき、きちんと両手を合わせた。
「ごちそうさまでした」
その声に合わせるように、俺も、そして黒騎士も、同じように手を合わせ、頭を下げた。
ふと、黒騎士の仮面の奥の瞳と、視線が合った。
言葉はいらなかった。
お互いの力の過信。圧倒的で、謎めいた暗殺部隊長の行動。
その全てが、あまりに馬鹿馬鹿しくて・・・・・・もう、笑うしかなかった。
俺たちが同時に吹き出すと、ネオンが驚いたように声を上げた。
「え、あ、黒騎士さんが笑ってる・・・・・・!? ていうか、この朝食どうしたの!?」
騒ぐ弟に、俺は肩をすくめて答えた。
「馬車が出たら、昨日の信じられない事件について、ゆっくり話してやるよ」
俺たちは、重いようで、どこか奇妙に軽くなった空気の中、再び馬車を進める。
やがて、目の前にそびえる巨大な山脈の向こうに、天を突き抜けるような、巨大な塔の影が見えてきた。
「あれが、バベルコアか・・・・・・」
天を貫くその塔は、空の青に溶けるでもなく、ただそこにあるという事実だけで、世界の法則を書き換えているかのようだった。以前に見たときよりも、その輪郭はより鮮明に、そしてどこか物悲しいほどの美しさを湛えている。まるで、忘れ去られた神の、孤独なため息そのものが形になったような、そんな静謐な威圧感が、俺たちの心を捉えて離さなかった。
そして、その手前には、古代の城壁に築かれた巨大な都市の輪郭が広がっている。
「クロー・ナ・ネイ」。
明日には、俺たちはあの場所に到着する。
俺たちは、まだまだだった




