11話 6月30日 冒険の準備
最初に目覚めるはずだった“勇者”は、その運命から逃げた。
話は、二十年前に遡る。
俺は、本来中央の転生樹から最初に目覚めるはずだった。
だが、その“最初”という立場に伴う責任と期待の重圧を、どうしようもなく疎ましく感じてしまったのだ。
「だから、聖女に頼んだんだ。『悪いけど、俺の転生樹と南の端にあるやつ、こっそり入れ替えてくれ』ってな」
聖女は一瞬あきれたような顔をしたが、すぐに悪戯っぽく微笑んで、俺の頼みを快く引き受けてくれた。
それだけでは安心できなかった俺は、さらに「他の奴らを先に起こしてくれ。俺はほとぼりが冷めた頃に、最後の方でのんびり目覚めたい」と付け加えた。 俺の思惑通り、聖女はすべて聞き入れてくれた。
それどころか、彼女は気を利かせて、当時まだ小さな村だったヴィレムの住人たちを夢見の術で集め、入れ替えられた中央の転生樹から一人の少女が目覚める瞬間を「神の奇跡」として演出した。
その少女こそが、後に最初の転生者“ファウンダー”を名乗り、聖女の代理としてこの世界を導いていくことになる。
その後、二番目に狂気の王ヴィルヘルムが、三番目にエリナ公国の女魔導士が、四番目にサムズ帝国の王室筆頭魔導官が、次々と目覚めた。五番目の転生者は、目覚めてすぐに姿をくらまし、今も行方不明だという。
「で、俺がのんびり六番目に目覚めたってわけだ。おしまい」
一通り話し終えた俺に、ネオンは心底呆れた、というような冷たい視線を注いでいた。
「・・・・・・気持ちはわかるけどさ」
静かな声で、弟が呟く。
「逃げ出した五番目の人もそうだけど、兄さんといい・・・・・・初期の転生者って、問題児多くない?」
その言葉には、ぐうの音も出なかった。
◇◆◇
予備校の終業式が終わり、明日からはいよいよ待ちに待った夏休み。
そして、俺たちの冒険が始まる。
だがその前に、どうしても済ませておかなければならないことがあった。
「というわけで、ネオンの装備は俺に任せろって!」
意気揚々とそう言い出したのは、どこからか話を聞きつけたカイだった。
断る間もなく、俺たちは彼の馬車に乗せられ、町外れにある巨大な倉庫へと連れてこられた。
「さあ、入れ入れ! ここにあるもんは、選び放題だぜ!」
カイが自慢げに扉を開けると、そこはカオスという言葉がぴったりの空間だった。
壁際には、用途不明の機械部品や魔石の残骸が山と積まれ、天井からは、怪しげな配線が蜘蛛の巣のように垂れ下がっている。
その一方で、ガラスケースの中には、まるで美術品のように輝く武具や、最新式の魔道具が整然と並べられていた。ガラクタと宝物が混然一体となった、まさにカイという男を体現したような場所だ。
「すごい・・・・・・」
ネオンは目を輝かせ、子供のようにキョロキョロと辺りを見回している。
その姿は微笑ましいが、俺はこの場所に一抹の不安を覚えていた。こいつの(研究)は、常識の範疇を軽々と超える。
そして、その不安は最悪の形で的中した。
壁にかけられた数々の武器を前に、ネオンは嬉しそうに、しかし真剣な眼差しで一本一本を吟味していた。
俺とカイは、彼に使えそうな武器の特性をひとしきり説明し終える。
「まあ、急ぐ旅でもねえし、じっくり選べよ」
「防具はそこのガラクタの山から使えそうなのを漁ってくる。カイ、手伝え」
「へいへい。うちの宝の山から、ネオンにぴったりのやつを見繕ってやるか」
俺たちは迷っているネオンをその場に残し、倉庫の隣の部屋、まさにジャンクの山と呼ぶにふさわしい場所へと足を踏み入れた。
使えそうな金属板や、魔物の革などを物色し始めて、数分が経った頃だろうか。
ドンッ、と地響きのような鈍い音が、倉庫の奥から響いた。
「・・・・・・なんだ?」
顔を見合わせ、俺たちは急いでネオンを残してきた部屋へと駆け戻る。
そこで目にしたのは、信じがたい光景だった。
部屋の中央、先ほどまで何もなかったはずの空間に、石造りの台座が出現している。
そして、その上には巨大な男の首無し死体が横たわり、ネオンがその足元で倒れていた。
死体の首があった場所には、例のハンバーガーサイズのハイブリッド魔石コアが、不気味な光を放ちながら鎮座している。
ネオンは、白目を剥いてその場に崩れ落ちていた。
ネオンが気を失っている傍らで、俺はカイの胸ぐらを掴み、声を荒らげた。
「てめえ、これはどういうことだ! 説明しろ!」
「落ち着けってヨウ! これはだな、ただの実験材料で・・・・・・」
「ふざけるな! ただの実験材料が、こんなナリしてるか! お前、これが誰のかわかってんだろうな!?」
俺は怒りに任せてカイを罵倒する。
この死体は、見間違えるはずもない。かつてサムズ帝国を恐怖で支配した狂気の王。そして何より、リサの父親だ。
「もしリサがこれを知ったらどうするつもりだ!」
俺の剣幕に、しかしカイは怯むどころか、逆に開き直ったように言い返した。
「だから調べてるんだろうが! あいつはただ狂ったわけじゃねえ! 何かに操られてた可能性だってある! リサのためにも、親父がどうしてああなったのか、原因を突き止めてやるのが俺の役目だろうが!」
「そのために、父親の亡骸をおもちゃにするのか!?」
「おもちゃじゃねえ、研究だ! 魂の抜け殻になったただの肉体だぞ! 感傷に浸って真実から目を逸らす方が、よっぽど残酷だろうが!」
「お前のやってることは、人の道に外れてる! ただの異常者だ!」
俺たちが睨み合っていると、カイは俺の手を振り払い、苦虫を噛み潰したような顔でそっぽを向いた。
「・・・・・・俺は、あいつに恩があるんだよ。現世で、どうしようもない俺を拾ってくれた。だから、あいつの無念を晴らしてやりてえだけだ。リサだって、いつか分かってくれるはずだ」
その声には、自分に言い聞かせるような響きがあった。
だが、俺は冷静に、そして決定的な一言を突きつける。
「本当にそう思うか? 年頃の娘が、父親の首無し死体を見せられて、『研究のためだったのね、ありがとう』なんて言うと本気で思うのか? あの子がお前のことをどう思うか、考えなかったのか?」
「・・・・・・っ」
その言葉が、カイに届いたかどうかはわからなかった。
だが、まるで何かにとりつかれていたものがふっと抜けたように、カイの肩ががっくりと落ちる。それまでの虚勢が嘘のように消え失せた。
彼は、何に対してなのか、あるいは誰に対してなのか、ただ床に向かって深く、深く、詫びるように頭を垂れた。
「・・・・・・悪かった」
絞り出すような声だった。
カイは深く頭を垂れ、その場に膝から崩れ落ちた。その弱々しい姿に、俺はそれ以上何も言うことができなかった。
しばらくして、ネオンがうめき声をあげながらゆっくりと目を開けた。
俺とカイは、緊張した面持ちで彼を覗き込む。
「・・・・・・あれ? 僕、どうしたんだっけ・・・・・・?」
ネオンはこめかみを押さえ、ぼんやりとした目で天井を見つめている。
「気分でも悪くなったのか? 少し休んだ方がいい」
「うん・・・・・・なんか、頭の中に分厚い霧がかかってるみたいで・・・・・・。すごく嫌なものを見たような気がするんだけど、それが何だったか、どうしても思い出せないんだ」
その言葉に、俺は眉をひそめた。
ただの気絶じゃないな。
生前のネオンも、こんなことが何度かあったのを思い出す。強烈なショックを受けると、まるで脳が自己防衛のために強制的に蓋をしてしまうかのように、その出来事だけがすっぽりと抜け落ちる。思い出そうとしても、分厚い霧に阻まれて何も見えなくなる、感覚だ。
何か、妙な力が働いた? そんな胸のざわめきが残る。
カイも同じことを感じたのか、俺と視線を交わし、無言で頷いた。今は、この件には触れない方がいい。
俺たちは、何事もなかったかのように、ネオンの装備選びを再開した。
「よし、まずは防具だな。冒険じゃ軽量性が命だ。これなんかどうだ?」
カイが持ってきたのは、銀色に輝く鎖帷子だった。
現代で言えば、アルミ合金に近い極めて軽量な金属で作られている。
「ミスリルに比べると魔力伝導率は劣るが、重量は半分以下だ。長時間着ていても疲れねえぞ」
「武器は、森の中を進むことを考えると、長剣より短剣の方が取り回しがいいだろう」
俺は壁にかかった一振りの短剣を手に取った。
これもカイの特製品で、アルミ素材を芯に、外側を伝説の金属オリハルコンで爆轟圧着――つまり、爆発の圧力で溶接したハイブリッド構造になっている。
「魔力を流しやすく、軽量で、絶対に刃こぼれしない。お前の防御魔法と併用すれば、最高の武器になるはずだ」
「うわ、すごい・・・・・・軽いのに、まるで自分の体の一部みたいに、すっと魔力が通っていくのがわかる」
ネオンは短剣を握りしめ、その性能に感嘆の声を上げた。
念のため盾も検討したが、森の中ではかえって邪魔になるケースが多い。結果として、急所となる部分を守るための部分装甲をチョイスすることにした。
全ての準備が整ったところで、俺は改めて旅の計画をネオンに説明した。
「目的地までは、およそ二週間の旅になる。食料は、この米に似た主食と調味料だけ持っていく。肉や野菜は、現地で狩ったり採ったりして調達する」
「え、サバイバルみたいで楽しそう!」
「途中、俺の昔馴染みの友人の家に寄って、数日休憩させてもらう予定だ。そいつは黒の魔導士でな、ちょっと偏屈だが、根はいいやつだ」
俺の説明に、ネオンは目をキラキラさせて、うんうんと頷いている。
そのワクワクを隠しきれない様子を見ていると、ふと、現世でのことを思い出した。
現世では、俺とネオンは親子ほども歳が離れていた。
だが、仕事にかまけて、あいつをどこかに連れて行ってやる機会もほとんどなかった。
まれに遊園地や、キャンプに連れて行ってやりたいと思っても、結局叶えてやることは一度だってなかったな・・・・・・。
今、目の前で冒険の始まりに胸を躍らせる弟の姿は、あの頃、俺が与えてやれなかったものを取り戻しているかのようだ。
柄にもなく、初めて子供をキャンプに連れて行く父親のような、そんな気恥ずかしくも温かい気持ちが、胸の奥から込み上げてくるのだった。
弟との初めての冒険が始まります。




