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7 ネゴロテ周辺、ゾルンバラ、ザマス

    7 ネゴロテ周辺、ゾルンバラ、ザマス


 王位に就いたアサリアはセイリーと老将をそのままチェルアに残らせ、近衛兵及び皇都守備隊将軍とした。ザマスから副将と兵を呼び寄せ、まずフラドンスキルとの国境を固めた。兵力差はあっても、堅固な壁と堀があれば、カバーできる。兵を使って工事を急がせ、同時に守備隊としての任務に就かせた。同時にセイリーを特使として周辺国を回らせ、バイアスルに忠誠を誓わせ、王子、王女を人質としてチェルアに呼び寄せた。チェルアでは宮殿内に学校を開設し、彼らの教育に努めた。今までは温和で物静かな印象の皇子だったが、さすがに王ともなると、そうもいくまい。近親者はそう言って、王の豹変ぶりを語り、それを頼もしく言う者もいた。違和感から、まだどう言えばいいか分からぬ者もいた。

 ケルバインの北、モスコバからネゴロテにかけてはマグヌに委ねた。マグヌは、ホーネツ、ケルバインの国境の押さえであるザマスにオデュットとガーファンを当て、本体はネゴロテに置いて、城を構えることにした。フラドンスキルはバイアスル、チェリアに手を出す様子がなかった。代わりに、ネゴロテとサフラメンシアを次の標的としたようだった。ナシム街道の中継地点がネゴロテであり、それはさらに南下してケルバインに達する。フラドンスキルの王都、ジョーシカから発する街道は南に伸び、それがナシム街道だ。バイアスルのチェルアからなら、まずチェルア街道を南進し、ヤグート盆地の手前で東に直角に折れ、それがヤグート街道。ゾルンバラでナシム街道にぶつかり、南に向かう。ゾルンバラまで、バイアスルの方が二倍の距離がある。もし、フラドンスキルがネゴロテまで一気に街道を南下したら、ひとたまりもない。マグヌはゾルンバラ辺りに砦を作ろうと考えた。この地はバイアスルとネゴロテを繋ぐ重要な拠点でもある。ネゴロテからは、ヤグート盆地を巻く裏街道もある。その道もいつかは整地するつもりだが、まだ大軍を動かすのは無理だ。ネゴロテからゾルンバラまでの豪族、領主をこちらに抱き込まねばならない。バイアスルはモスコバ周辺の豪族を抱き込む一連のやり取りから騎馬の習慣を得たが、元来大陸の北、フラドンスキルやバイアスルはイル川流域と言うこともあり、騎馬の習慣がない。そのため、フラドンスキルの軍はいまだに歩兵であり、今、急遽馬の調達に走り回っているようだが、まだまだ足りず、しばらくは攻めてこないだろう。その間に、ゾルンバラとネゴロテの要塞化は終えねばならない。

 フラドンスキルのもう一つの標的であり、さきに取り掛かっているのが、サフラメンシアに損害を与えることだ。フラドンスキルの王、チェスタロットの祖先は、もともと大陸の北東にある地から、バッサイア海を渡ってやって来た。バイアスルの北東岸を荒らす海の民だったが、バイアスルの王が従属させ、海の民の力を見込んでイル川の整備を任せた。彼らは大陸の北東、今のバイアスル、フラドンスキルの辺りに掘割を築き、街中は小舟で荷を運ぶなど行き来に使うようになった。しかしあくまで人の往来のための船であり、漁業のための船だった。

 サフラメンシアは交易に船を使い、西南の大陸と行き来している。交易は莫大な利益を生む。サフラメンシアは西南の海、アポイ洋のみならず、今バッサイア海にまで新行していた。サンゼッカツ山脈の向こう、まだよく知らぬハリアードと呼ばれる地と交易するためだ。かつて山の向こうはいわば伝説の地だった。ハリアードとは、「あの世」とか「桃源郷」と言う意味だった。ところがネゴロテに鉄器がわずかづつだが入ってきて、それが山を越えた向こうの地からの物だと分かると、東への興味が大陸中に広がった。しかし、山を越えるのは容易ではない。今、山の向こうの様子を少しでも感じようと思うなら、ネゴロテに行くしかない。そういう意味でもネゴロテは今、注目の的だった。山を越え、向こうの地を目指す者は多く、嘘か誠か、帰還したと言い、その有様を語る者もいる。住民は髪の毛を切らず、引きずって歩いているとか、水を固めた家に住んでいるとか、動物の肉を生のまま嚙みちぎって食べるとか、うさん臭い話をする者がいる。その一方で、珍しい工芸品なども入ってきている。透明な容器や匂いの良い何かの塊。鉄を使ったものなど。山脈を越えては輸送に限りがある。サフラメンシアは大陸を海伝いに左に回り、つまり北上した後、東に進んで、海で山脈を越えようとしていた。南からでは、さらに大きな大陸を巻いていくことになり、あまりに遠い。バッサイア海を越えたら、その半分以下の距離で済む。船を使えば輸送量は拡大できる。問題は、フラドンスキルの沖を通らねばならないことだ。今までもサフラメンシアはフラドンスキルとも交易をしていた。南のサフラメンシアと北のフラドンスキルでは得られる物品が違う。交易が成り立つ。ただ、フラドンスキルには大きな港がない。市もない。海の民であったフラドンスキルの人々だが、交易のための大型船を持つという発想がなかった。はるか昔、フラドンスキルの先祖は、船に乗って各地を襲う海賊であり、グレトグンドに定住してからは、漁をする海岸民となった。サフラメンシアのように大洋に乗り出す海洋民ではなかった。目に見えて豊かになっていき、文化差のようなものが目立ち始めたサフラメンシアをフラドンスキルは面白くない。フラドンスキルは海賊行為で嫌がらせをしていたが、このままでは国を挙げての戦争になる。国があずかり知らぬ所で一部の者がしていた海賊行為、それを国が取り締まったという形にして、実は、フラドンスキルは大陸の北西、ベーナウに拠点を移して本格的に海賊行為を始めた。

 北東の海のみならず、異大陸へ行くサフラメンシアの船すべてを標的とし始めた。ベーナウに拠点を構えるのには、もう一つ訳がある。大陸の北を見ると、東の端にフラドンスキルがあり、中央辺りにバイアスルが、そして西にベーナウがある。ベーナウは湿地帯で穀物が取れず、人が住むにも適していない。漁業を生業とする人々が細々と暮らす、誰も欲しがらない地だったが、そこにフラドンスキルが目をつけ、自領にしようとしているのだ。これを許すと、バイアスルは海側でも陸側でも、フラドンスキルとベーナウに囲まれてしまう。海からの、サフラメンシアとの繋がりも断たれてしまう。バイアスルもベーナウに侵攻すべきだ。だが、小舟等の扱いに長けているベーナウ人と結んだフラドンスキル太と刀打ちできるのか。海軍のないバイアスルはどうすればいいか。

 アサリア王はセイリーに、サフラメンシアを加勢せよと命じた。ベーナウは湿地帯で馬が使えず、人も歩けない。小舟で行き来するしかない。海は遠浅で、そのまま小舟で海に出る。沖にサフラメンシアの船があれば、中型船を海上の基地にして、小舟で近づき攻撃する。梯子、投げ縄で船に乗り込み、略奪する。物品を奪い、人をさらい、抵抗する男や老人は殺す。船は火をつけて沈める。付ける港がないので、中型船に奪ったものを乗せ、人は奴隷として売る。大型船は遠浅なので陸に近づけない。護衛艦も小舟相手で、まるで、まといつく蠅のようだ。そんな戦をバイアスルは経験がない。どうすればいいか。小舟を仕立てたが、生まれた時から小舟を操っている者相手に太刀打ちできるわけがない。

 その頃、マグヌはネゴロテ近郊の平原で腕組をしていた。フラドンスキルは体格の良い兵士が盾を構えて突進してくる。こちらは騎馬隊だ。馬に乗るには良い体格では困る。馬が疲れる。ベーがその良い例だ。馬の上から矢を射る。ベーのように、一度に二本の矢を射ることができたら、戦力は二倍と言うことになる。三本なら三倍だ。単純計算ではそうなる。しかし実際ではそううまくいかない。体格差のあるべーはそれを埋めるために工夫して稽古してその技を会得した。矢を二本取って中指を間にし、人差し指と薬指で矢を抑え、弓で射る。一瞬にして相手を見定め、二人の距離を指先で調整する。二人の間が離れすぎているときは親指と小指で射ることもあるそうだ。それで百発百中となるまでにどれほどの稽古があったことか。そして矢自身にも工夫がある。しかし相手には分厚い盾がある。戦になれば堀を掘り、柵を組んで馬の足を止めるだろう。数は向こうが圧倒的に多い。馬の数も限度がある。また平地でなければどうするか。兵士を鍛えながらマグヌは考える。フミッドはサフラメンシア、ケルバインと方々を回っている。金銭的な問題は全て彼に任せている。頼りになる。戦でも腕が立つ。しかし今、この場にはいない。ベーはいい戦士だが、経験が足りない。タクラメオは足に問題があり、戦場の最前線には立てられない。もう一人、兵を動かす者が欲しい。やがてベーナウでの戦いに参戦せよと言う命令がくるだろう。海戦の経験はない。どうすればいい。マグヌも考え込んでいる。

 タクラメオとピズがやってきた。こんなものを作ってみたと携えた物を見せる。弓だった。矢受けが二か所ついている。これなら誰でも矢を二本放つことができる。しかし、その矢受けの間に合った配置に相手が立ってくれなければ意味がない。だったら矢受けが動くようにするか。わざわざ調整している間に相手は動くだろう。使えない。では三本同時では。大して変わらない。いっそ、十本同時に放てないか。ちょっとそれは。あまりに現実的ではないと言えず、目を逸らす。タクラメオもベーナウの海戦を意識している。海上なら剣より弓矢だろう。しかし、馬上でなく、船上で弓は射れるのか。疑問は次々湧いてくる。

 チェルアに急ぎ参内せよと連絡が来た。いよいよかと思いながら馬を走らせる。到着するとすぐ宮殿奥に通された。サフラメンシアがハリアードの小国と国交を結んだらしい。小型の高速船でバッサイア海を渡り、話をまとめてきたらしい。ついては船団を送りたいのだが、協力してもらえないかとサフラメンシアから使いが来た。具体的に何をしてほしいとは書いてない。書けないのだろう。バイアスルの港は対岸がフラドンスキルだ。そのうえ、規模が小さい。とても船団は停泊できない。海軍もない。何ができると言うのか。海からフラドンスキルの眼をそらすため戦争しかけるなど以ての外だ。しかし、こんな書状を送るほどサフラメンシアも追いつめられている。

「地の利は明らかに向こうが有利です。せめて時の利を得ましょう。」とマグヌは言った。船団の出向は一月後とフミッドから連絡があった。冬になって海が荒れる前に出たい。そのひと月の間に護衛艦を仕立てる。進む船団の岸側には護衛艦を配備し、陸から出てくるベーナウの海賊に対する。一方こちらは陸からベーナウを攻め、挟み撃ちにする。彼らが海に出たところでこちらが動く。そんなところだろうが、まだ具体的にどんなことができるのか、想像できない。一月後の出航の日までに作戦をまとめますと言ってマグヌは退出した。実際、何も浮かばない。ひとまずネゴロテに帰還した。

 ネゴロテではタクラメオとピズが待っていた。これを見てほしいと言う。一度に五十本の矢を射られる道具だ。円筒の中に五十本の矢を射れ、綱を斬るとしなっていた銅板がもとに返ろうとし円筒下の板を強く推しだす。その力で矢が外に放たれる。これなら石でも飛ばせます。矢を十本一度に飛ばせないかと言われて、タクラメオが考えた装置にベーとビズが試し、口を挟み、改良して作り上げたものだ。まだまだ改良の余地はあるが面白い。他に、陶器の中に油や硫黄など発火性の高いものを入れた武器。縄がくびれた口の周りに結んである。縄を掴んで振り回すと投げるよりずっと遠くまで届くことができた。魔法使いの法と魔術師の技の結晶だ。これで兵力の差、海の上という相手の地の利の差は埋められるかもしれない。戦場となる地を理解して地図に興そう。ベーナウの地のすべてがフラドンスキルに付いたわけでもなかろう。こちらに付く水軍を捜そう。時間はないが、何かできそうだ。

 サフラメンシアの船団が出航するまでに、すべきことはたくさんある。まず新しく工夫された兵器を使った作戦を考え、その作戦に合った動きを兵士に教えること。連日ネゴロテ近くの平原で兵士は鍛錬されていた。新兵器は平原で試せない。どこに敵の眼があるか分からない。山の中でこっそり試している。大量の矢を用意する必要がある。新兵器の改良、修理、変更に合わせた作戦の変更、兵士の動きの変更、ベーナウ近郊で海戦に使えそうな船の調達、敵の水軍の切り崩し、寝返りの誘い、まだ決めかねている者への誘い、ベーナウの地理を我が目で見てくる必要がある。他にすることは。マグヌはタクラメオ、ベー、ビズと共に日夜、兵の鍛錬に明け暮れながら、隙を見てはベーナウへの視察、山中の新兵器の出来なども確認していた。ネゴロテの市の立つ日が近づいてきた。市が終われば季節が変わる。本格的な春になり、海流が変わる。経験したことのない海戦の成否は全く予測がつかない。

 そんな慌ただしい日々の中で事件が起こった。ザマスの砦内で隊長のガーファンが同じく隊長のオデュットを刺したというのだ。急ぎ周囲の兵をまとめ、ザマスに駆け付ける。フミッドやタクラメオなど幹部は、残って兵の準備を続けさせた。

 駆けながら報告を聞く。今度の海戦に我々も参加すべきだと言うガーファンをオデュットが諫め、口論が高まって衝動的にガーファンがオデュットを刺したらしい。オデュットは意識はあるが重傷とのこと。もともと二人は親密ではなかったらしい。チェルア奪還の際も、オデュットの先駆けに対し、ガーファンは城で待機していた。これはマグヌの指示で、将軍が留守の間、ホーネツ、ケルバイン、モスコバへ睨みを聞かせられるのはガーファンだと判断したからだ。モスコバのモーハリ族の出であるガーファンなら何かあった時、出身部族の力を借りてモスコバをまとめられると考えていた。だが、ガーファンにすれば、今、ホーネツ、ケルバイン、モスコバに怪しい動きはない。兄とも慕い、思いを託されたギリウウの遺言である、マグヌの力になってくれと言う言葉に対し、自分は何もできていない。今、対フラドンスキル戦に備えてゾルンバラの防衛を強化しているが、そこにも参加していない。今回もまた戦場から遠く、このザマスの地で守備隊として残るのは遺憾だった。そのうえ、オデュットはフミッドに見いだされた結果、マグヌより、フミッドに忠義立てしているようにガーファンには見えた。報告は子細漏らさずフミッドに送られた。その報告はフミッドからマグヌに伝えられるのだが、我々が仕える主は誰かとガーファンは常々不満に思っていた。そんなこれまでの経緯から今回の事件が起こった。

 ザマスに到着した時、ガーファンはいなかった。事が起こって茫然としたガーファンだったがすぐ我に返り自決しようとした。何があろうと、自軍の兵に手を出すのは重要な軍律違反だからだ。上が範を示さないでどうして軍律が守れようか。しかし、ガーファンの近臣がガーファンを取り押さえた。彼らもガーファンの気持ちが痛いほど理解できた。気づけば、いつの間にかザマスはオデュット派とガーファン派に分かれていた。それはフミッド派とマグヌ派との対立ともいえるものだった。「手を放せ! 」と叫ぶガーファンを押さえ、まだ興奮気味の彼をひとまずモスコバのモーハリに送った。族長にガーファンの説得を委ねたのだった。しかし、これがまずかった。砦の長に刃を向けて切りつけ、自身は故郷へ逃亡したと見なされた。マグヌは急いでモーハリに向かう。砦の兵も後に続く。モーハリの館に到着した時、マグヌの手勢は二百ほどになっていた。すぐに館に出向こうとするマグヌに兵の一人が

「まず私が参ります。動転している彼らの行動が読めません」と申し出た。最もなことなので、マグヌは彼に任せた。

 使者は丁寧に扱われた。後で聞くと族長は、

「ギリウウといい、ガーファンといい、まことに申し訳ないことと思っています。しかし、ガーファンから事の次第を聞くと、分からないでもない。もちろん、ガーファンが正しいとは申しません。しかし、すべてが、行き違った結果としか言いようがない。ガーファンのしたことは許されません。これを許せば軍が崩れてしまう。もう仲の良い身内のみの集団ではないのだから。しかし引き渡した後のことを考えると忍びない。ガーファンの始末は我々一族でつけさせてはもらえないだろうか。」

 使者は了解して自軍に戻ったが、報告を聞いたマグヌはすぐ兵に館に押し入り、ガーファンを捕らえるように命じた。族長と一族はガーファンを自害させるつもりだ。マグヌはそんなことを求めていなかった。一部の兵が動くと、マグヌの命の聞こえていなかった兵達も呼応して動いた。マグヌの命令を館に突進と捉えたらしかった。殺気だった兵が館に突進してくる。館ではこちらの思いが通じなかったと思った。マグヌもこの現場の雰囲気を察してすぐに「やめろ、動くな! 」と叫んだが、喧騒の中で声がかき消され、ただ叫んでいる姿だけが見える。

 ますますたけり狂った兵達が館になだれ込み、身内同士の殺し合いとなった。館に火がつけられ、マグヌ自身、叫喚の真ん中に入って鎮めようと奮闘していたが、手の付けようがなかった。すべてが落ち着いた時、館は焼け落ち、一族は族長と若者一人を残してすべて惨殺されていた。その惨たらしさにマグヌだけでなく、自ら手を下した者たちでさえ、我に返って茫然としていた。

 マグヌの前に引き立てられた族長は、「今となっては、もう何も言うことはありません。ただ、この者、ランドマのみは許していただきたい。これも死んでは我らの一族の血統が絶えまする。今回、不運が重なってこのような結果となりましたが、我ら一族がマグヌ殿に対し、不忠であったということではないことは、ご存じかと思います。もとより、この者は我らが一族に生まれたという罪以外は何もありません。お願いでございます。」これに対し、マグヌは

「申し訳ない。お互いの思いがすれ違った。お前たちの一族に罪がないことは重々承知している。この若者、ランドマを預からせてもらいたい。悪いようにはしない。ギリウウもガーファンも私にとってはどちらも大事な友であった。今携わっている件が落ち着けば、ガーファンはザマスの領主にして、このモスコバ一帯を抑えてもらおうと思っていたのだが、今となっては何を言っても遅すぎる。本当に申し訳ない。」とマグヌは深く頭を下げた。族長はにっこり笑って、

「それを聞いて安心しました。それではお頼み申し上げます」と言い、隠し持っていた小刀で自らの首の動脈を力強く引いた。血飛沫が上がる。止める暇はなかった。マグヌはがくんと項垂れた。

 兵を率いてネゴロテへ帰るマグヌはほとんど口を利かなかった。引き連れる兵士達にも、一仕事終えた充足感はなく、ただ、気怠さと徒労感のみがあった。

 決戦を前にして、ただ、いたずらに殺気立っている兵士たちを前にマグヌはどうしものかと考えていた。ガーファンの件は彼にも衝撃だった。あのギリウウに託された彼を、こんな形で失うのは本当に痛手だった。軍にとっても痛手だし、彼の心にも傷を与えた。しかし、そんな感傷に浸っている暇はなかった。まずは今目の前にいる兵達を何とかしなければ、これでは決戦に臨めない。タクラメオ、フミッドと話し合って、兵達に、ネゴロテの西の門の前に明後日、日の入りの一刻前に集合するよう命じた。明日は模擬戦闘訓練を休みにするとも伝えた。兵たちはそれぞれネゴロテで思い思いに過ごした。

 二日後、ネゴロテの西門の外に、マグヌの兵士たちは集合した。ゾルンバラ、ザマス、モスコバにいた兵士たちも最低限を残して呼び寄せられたようで、約八千の兵が終結していた。ネゴロテの城内から車に乗せられた荷物がいくつも出された。馬や牛は繋がれていない。人が推し、引きして動かした。今から、ネゴロテからはるか望める平原のあの小高い地に移動すると伝えられた。これだけの荷物を伴っての大人数の移動だが、約半刻で着くだろう。

 ほぼ到着すると、マグヌはタクラメオ、フミッド、ベーを伴って小さく盛り上がっている岩に上がった。

「みんな、我々は今まで休みなく戦い続けてきた。ここには最初から行動を共にした者も、最近参加した者もいる。しかしこれから一緒に行動していくのは同じだ。まだまだ道は遠い。今日は皆で飲食を共にし、初心に還ろうではないか。肉や酒、量だけは十分に用意した。炭や薪も用意した。運んでもらったものがそうだ。今日、今から上下の区別を忘れ、同じ時間を過ごそうではないか。周囲のものと協力してそれぞれに炉を切ってほしい。用意ができた所から肉を焼き、酒を飲んでこれまでの疲れを癒し、これからの英気を養ってほしい。以上だ。」

 マグヌはこれだけ言うと岩を降りた。タクラメオやフミッド、ベーも続く。大地に腰を下ろし、それぞれの兵士がそれぞれ穴を掘って炉を作り、肉を焼き始めた。マグヌやフミッド、タクラメオ、ベーらが、兵士の間を回って、「肉は足りているか、酒は足りているか」と聞いて回る。時々立ち止まっては他の言葉もかける。最初、これまでの一連の出来事からまだまだぎくしゃくとしていた兵士たちも共に作業をし、腹が満たされると気も緩んできたようで、あちこちから談笑する声が聞こえる。気も心も、時間も緩んだように思えた時、先ほどマグヌ達が上った岩に詩人のボーモンが立った。名高い詩人が現れたので皆はそちらに注目し、一瞬、静寂が訪れる。目を瞑っていた詩人は目を開け、顔を挙げて詠じ始めた。


 生まれも異なる我々が、この地に集った。

 育ちを異にして、始めは言葉さえも違っていた。

 我々は幾日、幾年、共に暮らしただろう。

 いつか我々は本当の肉親のように

  互いを思い、思いは一つになった。

 なのに今、我々の心の片隅にある この影は何だろう。

 我々はこの地に集い、友となり、家族となった。

 しかし、この地の霊は、それを受けいれていなかったのか。

 この地は始め 人もまばらで 行きかう人も少なかった

 今、この地は様々な人が行きかい、集い、騒がしくしている

 この地の霊よ 我々はこの地を汚そうなどとは思っていない。

 ただ、この地で穏やかに、健やかに生きていきたいだけなのだ。

 やがて我らもこの地に眠り、この地の霊の一部となっていくだろう    

 だから我らを受け入れておくれ、我らの仲を ありもしない疑惑や昏迷で曇らせないでおくれ。

 我らを祝福しておくれ 我らがこの地を祝福するように。


 朗々と響く詩人の言葉は兵士たちの間を通り、遠くまで伸びていった。泣いている者がいる。心が静まって、さっきまでの、あの心の棘はなんだったのだろう、魔に付かれたのかと誰もがいぶかった。

 ベーが岩に上り、まず西の天に向かって矢を射った。先を潰して万一人に当たっても危害が及ばないようにしてある。羽根に工夫がして会って、弓弦の響く音の後、矢羽根の立てる音が夜空に響く。次に南へ、東へ、西へと矢を射る。矢は音を立て天空に飛んでいく。

 ふと見まわすと、兵士の集団を遠巻きにして街の人々がいる。ネゴロテの街から平原のはるか向こうで火が点々と灯されているように見えた。明日からの市の準備をしていて、それもある程度目度が付き、ふと上げた目に映ったそれは神々しく感じられた。引き寄せられるように街にいた人々も、ここに到着し集っていた。

「さあ、皆さんもどうぞ」マグヌの言葉に、一瞬静止していた場面が動き出した。兵士たちもにこやかに客人たちを迎え、火の傍に誘った。

 薪が足され、肉や酒が追加され、再び宴が始まった。さきほどの詩人の、格調高い、朗々とした吟唱でなく、嗄れ声、怒鳴り声の歌があちこちで始まった。それぞれの故郷、地の歌らしかった。そのうち他より一段声高く大きい歌が場を支配していった。それは伝統的な歌でなく、即興の歌らしかった。陽気で和やかなその歌は、


 ねえねえ、そこのお嬢さん、 

 せっかくだから、話をしませんか、

 いつもはおたがいしかつめ顔で

 興味のない振りしているが、

 本当は貴方の持っている果物が欲しくてたまらないのです

 私の持っている者と交換しませんか

 私は勇敢で働きものです

 きっとあなたも満足することでしょう。

 

 ざれ歌でちょっと卑猥な個所もある。それを陽気に語るように繰り返し謡う。歌えない者は滑稽な仕草で体をくねらせ始めた。

 ネゴロテの街から来た商人たちの集団の、女性の群れからだろう。返事の歌が歌われた。


 うまいこという男たちを山と見てきた。

 でも実際は、大したものなど持ってない。

 私たちばかり働かせて、自分たちは飲んで食うばかり、

 私たちを満足させるなんて十年早いよ。

 何なら証拠を見せてごらん


 笑いながら歌い叫ぶ女性たちも体をくねらせ、兵士たちに応じる。やがて兵士達の中から優雅に体を躍らせ、女性たちに近づくものが現れ、女性に手を差し出した。それを受ける女性がいて、二人は互いの動きに合わせた動きを始めた。見よう見まねで周囲が真似をする。やがて集団は周囲を巻き込み、大勢で同じ動きを繰り返し、踊り始めた。

 ベーの元に若い兵士がやって来た。「これ」と言って、さっきベーが射た矢を差し出す。「それはお守りとして持っておいて」「なんのお守りですか」「あなたがこれから、もっともっと活躍できるようにと言う、お守りです。」それを聞いていた近くの兵士が駆けだし、それを見た周囲の兵士も遅れぬようにと駆けだした。やがて、残り三本の矢も差し出され、同じ言葉のやり取りがあった。「ベー様、矢をもっと射てくれませんか、もっと遠くへ。」言われるままにベーは矢を射る。そのたびに若い兵士はそのもとへ走っていく。ベーもいつの間にか、美しい女性となっていた。マグヌは今それに気づいた。

 明け方近く、町に戻る者、火の回りで仮眠をとる兵士。様々な中で宴の終了を宣言した。岩に上ってマグヌは、兵達にこれまでのことを感謝し、今後のことを激励した。そして、来年の今宵、またこんな時間を持とうと誓わせた。若く力のある兵士が突然、走り出し、マグヌの登った岩の上に一抱えもある岩を乗せた。それを見て他の兵士も真似をして、マグヌの乗る岩はあっという間に多くの岩が積まれた碑となった。一同は新たにできた碑に再び来年もここで再会することを誓った。


 この宴会、祭りは、どこまで計算されたものか分からない。地霊の仕業として鎮めの祭りを行うことはタクラメオが計った。吟遊詩人ボーモンの詩、ベーの矢なども鎮めの儀式に欠かせない。しかし、その他のことは誰が計ったわけでもなかった。図ってどうかなるものもなかったろう。しかし、マグヌの一党がさらに結束するよい機会となったのはいうまでもない。

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