3 リーリンシ
3 リーリンシ
久しぶりに姿を現したタクラメオは、おさらいをしておこうと一同に確認した。
一行はザマスの砦を発ってモスコバのマハリの館に到着していた。マグヌも遠出から帰ってすぐの様子をしていた。後ろにフミッドから預かった若者二人が控えていた。すぐに軍議を始めた。
我らが大陸、グレイトグンドの北方中央にバイアスルがある。バイアスルの東にチェスタロット公のフラドンスキルがあり、バイアスルを取り囲むように、フラドンスキルの協力者の小国、領がある。大陸の中央やや北にヤグート盆地がある。その地を治めるのはサエルマータ女王のリーリンシ国。イル川の支流から水を引いて盆地を囲むように堀としている。ヤグート盆地そのものは、それほどの標高はないが東西は頂まで切り立った崖で、その方面から攻めるのは無理だ。リーリンシの入り口は北にあり、入ってすぐから中央にある社殿への参詣道が続いている。険しい坂であり階段が整備されている。反対側の南は泥沼地となっていて東西ほどではないが、上方は切り立った崖になっている。
治めているサエルマータは女帝にして魔女。盆地全体に結界を張っている。堀に低い土塀を巡らせて領域を示している。入り口の北には橋があり、橋のたもとの門で入山者をチェックする。少数だが兵も駐留している。それを越えると坂が始まり中央の階段となる。それと合わせて坂道も用意されている。地形に合わせて九十九折りになり階段の左右に蛇行している。階段、坂道どちらを利用しても、サエルマータの案内なしに進むと、幻を見たり息ができなくなる。女王の呪術だ。また南の泥沼地は、冬は全てが枯れて身を隠すところがなく、沼は薄く凍ってかえって突破し辛く、夏に攻めた兵たちはみな高熱を出して倒れていったそうだ。
そんなのは張ったりだろうとフミッドが口を挟む。いや、この地をものにしたいとフラドンスキルもモスコバの豪族も何度か兵を出したが、北からのフラドンスキル、南からのモスコバの兵、どちらもさっき言ったとおりが何度か繰り返されている。とタクラメオが言い、モスコバ出身のギリウウがうなずいた。
サエルマータは女帝で魔女。降霊をし、病を治し、結界を張って敵を退散させ、見ただけでその人物が誰でどんな人物か言い当て、助言も的確だそうだ。リーリンシは宗教国家で、盆地の至る所に温泉が湧いていて、それで湯治治療ができる。薬としての飲料にも適している。また洞窟に籠っての祈祷、夢幻のお告げもするそうだ。財としては、全国に信者がおり、巫女を全国に派遣して寄付を募ったり、代わりに薬や護符を配っている。盆地内でとれる硫黄や水銀も売っている。巫女や僧侶は兵でもある。グレイトグンドの各地に寄進された領地を持っているが、自ら打って出て領地を拡大するなどという気はない。全山要塞化した盆地に籠っての戦闘なので弓が主体だ。戦となると雨霰と浴びせてくる。まあ、こんなところかな。
戦に先立って、サフラメンシアの統率者と、ユークンからある程度の情報は得ている。
新港の計画が成って、その結果、今後国力を得るであろうケルバインを警戒して、フラドンスキルは様々な工作をしてくるだろう。まだまだ互角など程遠いが、最終的には衝突もあるかもしれない。ケルバインが海運力を強くしてサフラメンシアは当分、ケルバインで儲けることができる。新港の利権も得た。それをフラドンスキルに邪魔されたくない。統率者はリーリンシの情報を適当に流した。リーリンシも情報力の高い国であり、それが面白くない。情報は独占してこそ力を増す。そんな思いもあった。ユークンも適当な情報は流した。二人とも足と頭を使えば、いずれ手に入るくらいの情報をマグヌ達に与えた。彼らの情報理解力と応用力を試してみるつもりでもあった。
女帝のサエルマータに手紙を送ったかとマグヌは尋ねた。
会う気はない。どうしても会いたければ勝手に出向け。どんな歓迎になるかは分からぬがと言ってきた。
「こちらの魔法使い殿には何か策があるのかな? 」まだタクラメオとは会って日も浅く、なじみがないフミッドは、それでもマグヌが信頼しているのなら、何か考えがあるのだろうと、余裕を見せた態度と表情で質問をした。
「まず再確認ですが、戦は避けなければなりません。向こうは打って出る気はない。ただでさえ、こっちに兵力はありません。なのに籠城包囲戦など猶更不可能です。潜り込み、迅速に動いて女帝を捕らえ、人質にする。向こうは女帝が命ですから彼女さえ捉えれば何とかなる。というか、何もない我々の取れる作戦はこれしかない。相手は狭い領内、地形等知悉しています。しかしそれしかない。
まず、フミッドさんには、兵を率いて南から攻めてもらいます。今はもう寒くなりましたので、沼の水温は下がり、熱病の心配はないでしょう。草木は枯れて見張りからは丸見えなので、小班に分けて夜、少しづつ、薄い板を渡して侵入してもらいます。入ったらすぐその板を梯子にして登ってもらいます。ほどなく崖がせり出してきます。それを越しても、東西ほどではないですが、切り立った壁のようになってます。だから登って、崖に達したら東西に移動して、東西の崖の裏側に入ります。そこから領内となります。もちろん、南から東西に分かれる箇所は狭く、見張りもいますが、夜、少人数で少しづつ慎重に侵入してください。そこを抜けると、待機する場所に印をしております。そこで待機です。私とマグヌ様、ギリウウさんの三名は北から侵入します。信者の群れに混ざります。明後日は参詣日で全国から信者が集まります。紛れるのは容易です。我々と行動を共にする者は、あと数名欲しいですね。」
「魔女の呪いは解けるんだな。」
「ええ、大丈夫です。呪い返しをしています。」
疑うわけではないが、納得安心とも行かない。皆はタクラメオではなく、マグヌを信用することにした。マグヌが信用しているのなら大丈夫だろう。
マグヌはタクラメオと近く接しているせいか、魔法や魔術に対してあまり怖れを抱かぬようになっていた。それはある意味我々とは違う筋の通ったもののようだった。だからその筋を理解すれば何とかできる。そう思えるようになっていた。
今度、雇い入れた者の中で数名使えそうなのがいる。それを大将に回すから良いように使ってくれ。とフミッドはザマスの砦にいる時言った。そしてすぐ、マグヌのもとに五人の若者を出頭させた。三人はまだ少年だったが構わない。フミッドが使えるというのなら大丈夫だ。五人は将軍ということでマグヌの前で少し硬くなっている。と同時にフミッドに義理立てして、自分はフミッドを慕っている。彼が行けというから来ただけだという顔をしている。それでいい。すぐに誰にでも尾を振る者に用はない。とマグヌは思った。しかし、半日一緒に過ごすうち、五人はマグヌに懐いた。フミッドが信頼する意味を悟ったようだった。五人のうち三人は剣を徹底的に鍛えよう。マグヌの護衛に必要だ。あとの二人はタクラメオの手足になってもらう。フミッドは深い考えがあって五人を選んだわけではなかった。器用で頭がよく、義理を欠かない。そんなところを買ったのだろうが、タクラメオの見るところ、三人には戦闘の才があり、二人は気配を消す才があった。ゆっくり育てたいが時間がない。思えば、ケルバインの公都を発って、このザマスにも、マハリ族の砦にも二日ぐらいづつしか滞在していない。タクラメオはリーリンシの情報網を警戒していた。魔法とは情報だ。巫女はどこにでもいる。信者もどこにでもいる。
「確認しておきます。我々は、戦争はしない。我々には兵力がない。リーリンシは国と言いながら実際は同じ宗教を奉ずる集団、打って出る気はない。信念を持つ者が結束して立て籠ったらまず落とせない。しかも丘全体が領域で、統率する者がいる。打って出る気はない。覇権を目指す気はない。しかし、我々に協力すればフラドンスキルと敵対することになる。わざわざ強国と敵対してまで我々に協力する意味などない。ここは、彼女を説得する条件を用意しなければなりません。」
あるのかという問いに、サフラメンシアとユークンの情報からはじき出しましたという答えが返ってきた。リーリンシの信仰するリリシウという女神崇拝は大陸に広まっている。かつてフラドンスキルや、モスコバ豪族の連合軍がリーリンシを攻めた時も、長引いた後、自軍の兵内にいる信者が反乱を起こし、兵を引くしかなかった。今回もそうなるかもしれない。だから短期で結果を出さねばならない。三日後の朝、決行と決まった。フミッドは南から少数の兵を率いてヤグート盆地に侵入する。まだ寒く草木は枯れているので身を隠す所はない。夜陰に乗じる。草木が茂り、虫が発生していなければ、魔女の熱病の呪いは封じることができるとタクラメオは言った。崖が切り立って下がえぐれているので、夜、少数なら崖下に付くことは容易だ。人が組んで肩に乗り、頭に乗り、板を梯子にして登り、綱で次の者を引く。そうやって登り中腹まで来たら、リーリンシの見張りの兵士に見つからないよう分散して地に伏して合図を待つ。北ほどではないが、その辺りにも所々で毒の気を土地が吐いている。それは臭いで分かる。吸い込めば毒だ。近づかないよう気をつけろ。その時が来たら火をつけろ。毒の気は燃える。
マグヌ達は二日後の信者一行の参詣に紛れて盆地に入る。真ん中の階段を進む限りは大丈夫だ。幻覚や息のできないのは九十九折りの坂の数か所で、毒の気を吐くところがある。狭い階段は上から真下にまっすぐ伸びており、リーリンシの兵士は、武器はもっぱら弓だ。上から射下す矢は威力があって盾を割るほどだ。だから兵たちは九十九坂を登ることになるが急なうえ、曲がりくねっているので急げない。呼吸も荒くなる。そこに毒の気が充満していて、吸い込むことになり倒れていく。数人が倒れれば魔女の呪いは完遂する。怖れが兵たちをつかんで離さない。我々は信者から折を見て離脱し、毒の気を避けて拝殿奥の女王の館に進む。拝殿近くの宿泊所は、参詣人が集っており混雑している。兵士もいつものようにはいかない。好機は三日後の日の出時だ。その時を決行の時としよう。
三日目の時までにマグヌ達は拝殿奥の女王の館近くまで進み、時になると女王目指して進み、女王を人質にして話し合いに持ち込む。フミッド達は山に火をかけ、その鎮火にリーリンシの兵たちが走り回っている隙に、同じく館に入りマグヌ達を援護する。マグヌの連れている少年たちがその時になったら、フミッドのもとに走り、案内する手はずになっている。雑な計画だが、俊敏に動いて一気にケリをつける。サフラメンシアで新港の話をまとめ、ケルバインに戻ってから何度もこのリーリンシには潜入を繰り返した。作戦が練れて初めて、詳細な地図を作って全員に配った。目印もつけてある。できる限り戦闘は避けよ。我々はリーリンシに協力を求めに行くのだ。そう言って兵達を納得させた。
そして兵達を動かし、三日目の早暁、周りが白みだした。夜明けまであと半刻。いよいよ動き出す。
拝殿の裏に岩山があり、下に洞窟がある。女王の館は岩山の上にあるが拝殿からの出入りは洞窟からできるようになっている。マグヌ達はそこから侵入する。一方フミッド達は二手に分かれ、残った十名ほどは登ったヤグート盆地の最も南で木々に火をつける。そして、中央に移動して、合図があれば次の地点でまた火をつける。別れたもう一方の十人ほどは、日の出に間に合うように移動する。ヤグート盆地の南から中央の館まで小半刻かかる。見張りの眼をかい潜っての移動だが、詳細な書き込み地図通り行動すれば何とかなる。それはつまり、館近くの兵が火に気づいて駆けつけるには小半刻かかるということだ。もちろん南に駐留している兵士はいる。しかし、硫黄に点火して勢いのある火なら、消火は難しい。またこの地に住む兵士たちは、そんなこの地の条件を知っているはずだ。火をつけたフミッドの兵たちは様子を確認した後、中央に移動して、次の放火地点に移動する。合図があれば放火、そうでなければ館に急行する。
十名の兵を残して出発したフミッド達は館の裏の入り口から侵入し女王を確保する。拝殿からの入り口で騒ぎが起これば、女王はさらに奥に移動する。岩山の館の裏から脱出するかもしれない。そこを押さえる。たぶん、女王の確保はフミッドの仕事となるだろう。マグヌはそう読んでいた。つまりマグヌ、ギリウウ、タクラメオが疑似餌ということになる。
事前につかんでいた情報によると、女王は二十年ほど前に戴冠している。二十年ほど前、先代の女王が亡くなり、現女王が四、五歳で後を継いだ。幼王となった現女王は、数年前成人したが、その後体調を崩し、ここ数年は人前に姿を見せていない。マグヌ達の作戦はその女王を表に出そうというのだ。もし治せる病ならタクラメオが治す。宗教国家のリーリンシでも、もしかしたら見落としている、あるいは情報が欠落している治癒があるかもしれない。女王の死を隠匿しているなら、それを晒してリーリンシを混乱させる。出たとこ勝負で心許ないが持ち駒の少ないバイアスルなら仕方ない。一応、決行日は伝えた。今セイリーの軍がヤグート盆地の北に潜んでいるはずだ。もし館に火が付いたら、門を破って階段を一気に駆け上がってもらいたいと言っている。たかが二百ほどの兵力だが、混乱した城内ならなんとかなるかもしれない。
時が来た。敵兵に動きがある。南の山火事の対応が始まったらしい。大岩下の洞窟入り口が手薄になっている。マグヌ達十数名は一気に駆け抜け洞窟内に潜入する。抵抗が異常に少ない。しまった。嵌められた。マグヌは己の慢心を悔いた。クロップ山の合戦にしろ、サフラメンシアの交渉にしろ、単に運がよかったに過ぎない。それを己の力と過信した。戻るには入り口に敵兵が山のようにいる。今となっては先に進んで女帝を人質に取るか、見越して避難しているなら奥の出口まで一気に駆けて抜けるしかない。大広間はすぐそこだった。入ると、壁際に兵がずらっと並び、出入り口すべてが閉ざされている。奥に妙齢の女性がいた。高官らしい。敵に危害を加える気はないらしい。敵の殺意のなさが、こちらの油断となった。何度考えてて無念だった。
相手もまた、こちらと交渉する気があるらしい。潜ませた兵が館近くで火を放てば、フミッドが女王を確保できれば一発逆転がある。お互いしばしの沈黙があった。
「こちらにおいでなさい。」女官が言った。
「私は女官長のシェーザです。
この状況では抵抗は無駄だと理解なさっているでしょう。投降なさい。危害を加える気はありませんから。」
マグヌは合図をして味方の兵の手を下げさせた。戦闘の構えは解いたがまだ手には剣がある。女官長の指示を待った。
「あなたがリーダーのマグヌですね。バイアスルの将軍。でも仕える皇太子アサリアはケルバインに亡命の身、あなたも将軍と言いながら統べる兵は百名ほどですね。
横にいるのが軍師格のタクラメオ。北の部族タオルの出ですね。メルビエウの反乱で一族皆殺しになり、後は幼少時から傭兵として各地を転々、エンリシスの戦で負傷し捕虜となり奴隷となった。その萎えた左足でよくもここまで頑張りましたが、今はもう立っているのもやっとでしょう。その椅子に掛けなさい。
なんですか? キョトンとした顔をして。目の前に立った者の過去、未来を見通すなど女王様でなくても、ここにいる者なら造作もないこと。」
なるほど、初見でここまで言い当てられては誰も恐れ入るわけだ。マグヌは魔女の底力を見せつけられた。マグヌは女官長の話を聞いてタクラメオの履歴を知った。よくもここまで調べ上げたものだ。メルビエウの反乱は北の大陸の話だ。タオルはそこの一部族。勇猛で戦闘を好むと聞く。北の帝国に制せられ、やせた土地で世過ぎの糧として傭兵をしていると聞いた。遠い地の話でどこまで本当かわからない話だ。リーリンシの情報網は侮れない。
「その横にいるのは、ギリウウですね。モスコバの豪族モーハリの長の一族に属する。でも宗家でなく傍流、しかも次男なので一族を率いることはまずないでしょう。それで出会ったマグヌに仕えて一旗揚げようと。でもマグヌに対する忠誠心は本物のようですね。
お見受けしたところ、こんなもんですかね。もっと細かく読み取ったことをお話ししてもようございますが、自分の事をとかく語られても退屈。さて、後はフミッドの登場を待って、話を始めましょう。」フミッドはマグヌも待ち望んでいたことだ。これで形勢は明らかになる。マグヌ達が入ってきた側の反対側にカーテンがかかっている。それが動いてフミッドが入ってきた。横に少女が誘われている。マグヌはほっとしてため息をつこうとしたが、その後に屈強な兵が現れた。槍でフミッドを牽制している。万策尽きた。
「この通りです。では、話を始めましょう。まずマグヌ、タクラメオ、ギリウウ、フミッドはこちらへ。外の兵はあちらへ。」屈強な兵たちに囲まれてマグヌの兵たちは対応をマグヌに目で尋ねた。
「心配いりません。殺す気などありません。しばらく捕らわれてもらいます。私たちと貴方たちの長マグヌとの話し合いがうまくいけば解放いたします。」どうやら嘘はなさそうだ。マグヌは兵たちに従うよう指示した。このままではどうせ皆殺しだ。生き残れるならそれでいい。
「まず、得物をテーブルの上にお置き下さい。」と女官長は言った。言葉はお願いであったが、もちろん有無を言わさぬ命令だった。
「彼らは年若く、まだ何も知らないままに兵としてここにやってきた。殺さないでやってほしい。我々は貴方達に従う。」武器を手放しながらマグヌは言った。
女王の元からフミッドがマグヌ達の方にやってきた。小声ですまない、しくじったと言った。「しくじったわけではなかろう、相手が一枚上手だったということだ。」「ああ、そういうことだな」
大広間のテーブルの向こうにマグヌ達は並んで立ち、その反対側に女官長、その後ろに女王らしい幼女。壁には兵たちが取り巻いている。
「まず、剣をテーブルの上に置いてください。」女官が再度言った。
「貴方たちが従えた兵と山に潜んでいた兵およそ三十名も捕らえて奥の竪穴に入ってもらった。別に危害を加えるつもりはないが、食料を与える気はない。水もないからどれほど、もつものか? 一週間? 十日? 」
「我々にどうしろと? 」
その時、また違った奥の入り口から老女が現れた。女官長のシェーザがさっと緊張した様子が窺えた。
「元女官長のサイアムと申します。女官長のシェーザは有能で、こんな老人の出る幕もないのですが、老人には過去の縁やその時学んだ経験などがありまして、今私がここにいることで、双方の利益になると判断し、罷り越しました。私はマグヌ、あなたの父上を知っているのですよ。」穏やかな口調で老女は語り始めた。
「貴方達が当方の領地に潜入して、何かとしていたのは始めから分かっていました。外の地の潜入者に比べ、はるかにうまくやっていたと思いますが、我々はこの地に生まれ、すべてを知り尽くしています。用意の時間も足りなかったでしょう。残念ですが今回は無茶でしたね。
さて、貴方達が潜行していた時に警告していれば、今ここに貴方達はいなかった。我々は本来、そんな方法で戦を回避してきました。今回、こんな形での会談を用意したのには、理由があります。その前に、マグヌ、貴方の父上について、少しお話いたしましょう。あなたの父上との出会いは二十数年前に遡ります。フラドンスキルが勢力を伸ばし、バイアスルを傀儡政権にし、この大陸グレトグンドの北方をほぼ制圧し、中央の覇権を握ろうとしていました。いよいよこの大陸制覇に乗り出した訳です。リーリンシ攻略に取り掛かったのです。あなたの父上はバイアスル軍に所属し、隊長として部下を率いていました。フラドンスキルはバイアスルと同盟しているという態を装っていましたが、バイアスルの兵は、戦の先兵として捨て石同様に使われていました。無能なフラドンスキルの将軍の下で、策もないままに崖に取り付いては射られ、落とされ傷つき、殺されていました。貴方の父上は部下を思って激しく将軍に抗議しましたが、ただ無視され、作戦とも言えない無謀な突進を強要されていました。長として自ら先頭に立ち、最も危険な役を買って突進した父上でしたが、深手を負って捕虜になったところを私が介抱いたしました。その頃は女官長として女官達を指揮してこのリーリンシ領内まで攻め込みながら傷を負った兵たちを敵味方の区別なく介抱しておりました。それが我らの信仰でもありましたので。ただ貴方の父上については何か感じるものがありまして、将来奇縁がまためぐり合わせてくれる、それはこのリーリンシにとって不可欠な人物だという直感でした。
父上が回復された時、戦も、敵兵の熱病や兵糧の不足や領内での反乱などがあり、フラドンスキルは兵を退いていきました。そして覇権を握る南伐は中止されました。その後も小さな諍いはありましたが、大規模なものはありません。リーリンシー征伐は相当に懲りたようです。
さて父上ですが、回復の後、バイアスルには戻らず、西の地に去って行かれました。私たちに何度も感謝の言葉を述べ、命令とは言え攻めて無辜の民を傷つけたことを詫びられました。そして十年程過ぎ父上が亡くなられたと聞き、はて、あの時感じた縁は何だったのかと不審に思っていたのですが、今貴方を見て、ああ、これがあの方との縁であったかと得心いたしました。
貴方にしてもらいたいことがあるのです。」とサイアムは改めて視線をマグヌに向けた。
「どう説明したらいいか」とサイアムは話の始めを探している風だったが、彼女の言葉を遮るように王女が叫んだ。
「私の子を探してほしいのです。」そう言う人にに目をやると、どう見てもまだ、十数歳にしか見えない。
「失礼ですが女王様は今、何歳で、お子をいつお生みになられたのですか?」
マグヌの質問に、すかさず代わってサイアムが答えた。
「王女様は今、二十歳を越えておられます。
先代の女王様が亡くなられたのはもう二十年も前の事です。先ほど話したフラドンスキルとの役の後、半年も経った頃でした。もともと体のお弱い体質でいらして、戦の折も心労でお辛そうでございました。それでも戦時は気を強くなされて様々な指示も的確にお出しになり、皆とても心強く思っていたのですが、戦が終わってから寝付かれて、半年後に亡くなられました。その頃今の女王様は五つにおなりになったばかりで。幼王として即位されまして、始めの十年程は補佐する者もおり、私もお仕えいたしておりましたが、十五歳になられて、その数年前から様々な問題もそつなくこなされていたので、もう大丈夫となり成人なされ、補佐する者も引き、私も退任したのでございます。すべてを一新され、女王様の御代もますます栄えると思われた矢先、風邪を召され、それ以降、体調がすぐれず、奥の間にいらっしゃることが多くおなりになりました。数年前よりお子様のことをおっしゃられるようになったのですが、結婚はなさっておらず、幼王の頃より常に我々と共にあり、誰も思い至ることがないのでございます。ところが女王様は御覧の通り気もしっかりなさっていて、夢を見ていらっしゃるとか言う様子もございません。(ここは気がふれたとでも言いたいのだろうが、そうも言えず夢を見たなどとごまかしたのだろう。確かにその様子からただの騙り等とも思えなかった。)」
「我々に王女様のお子を探せとおっしゃっているのですか」マグヌの問いに、サイアムは、
「まあ、そうですね、この問題を解決してもらいたいのです。」
「我々は何も知りません。まず腹蔵なくすべてを晒していただけますか。今日初めて顔を見た者に難しいとは存じますが、この問いを解くためには必要であるだろうし、この問題、解けるのは我々しかいないと思われますので。」
「我々が無能だと!」シェーザが叫んだ。
「いえ、そうではございません。問題が起こった時点でその問題はもう解けないのです。解けるのなら、もともと問題など起こらないのです。解けない問題を解くのは、その問題が起こった場にいなかった者。問題を超えたところにいた者だからこそ、その問題は解けるのです。ところが今我々は捕らえられ、自由を失っています。この問題を解くためには、まず貴方達の協力が必要です。問題とは得てしてそのようなものです。」とタクラメオが言った。
「こちらの問題を解いたら、そちらの問題も解いてもらいたいと」サイアムは微笑んで答えた。
「よろしくお願いします」マグヌも返答した。
サイアムはシェーザに、マグヌ達に全面的に協力するよう指示した。万一不都合があれば、すべてが解決したのち殺せばよい。そんなことも言ったのだろう。女王はあの一言を残してあとは何も語らずそのまま奥へ入った。
部屋が移され、マグヌ達は女官長に知るべきことを訪ねた。不満と憤りを隠して、しかしシェーザは包み隠さずマグヌ達の質問に答えた。二十数年前の時点でサイアムは女官長であり、全般を仕切っていたが、その頃シェーザは女王のそば近くに仕え、その頃の具体的な事情については、彼女の方が詳しかった。彼女はその当時の事から語り始めた。
前の女王はよくできた方で、呪術も長けていたが、体がお弱く、フラドンスキルとの戦の後は心労で床に就くことが多くなった。将来を憂えた女王は村を回って後継者を探した。女王は夫を娶ることもあったが、前の女王は体が弱く、若く、まだ夫はいなかった。そして今後のことは急務に思われたので、養女を求めたのだった。目星にかなったのが、今の女王。その頃はまだ五歳ほどの娘だった。ずば抜けた才能をその頃から見せていたが、そののち何があるか分からない、こればかりは魔女といえど見通せない。あと数名の童女を引き取り、女王自ら教育を始めた。呪術の祭儀、詔、立ち居振る舞い等、いつも身近において子供たちを教育したが、声高に語るでなく、手を出すことなどなく、母が子を慈しむ様に語り諭し、振舞ったそうな。子供たちもよく馴染み本当の親子のような生活だったそうだ。
しかし、そんな生活も半年ほどで終わりを遂げた。体調を崩した女王が床に就き、そのままどんどん体調が悪くなった。最初、子供たちは女王の傍に侍り、心配そうな様子を見せ、女王も、床の中からではあるが、子供たちにできることをしてやり、言葉もかけ、まだ言い残していたことなど伝えていたが、いよいよ駄目になって、子供たちは遠ざけられた。死という穢れというより、やはり、死という残酷を見せるにはまだ早いと考えたからだろう。また、女王の治療、療養に子供が邪魔だったことも当然ある。
心配そうな子供たちに、シェーザは女王様はよくなりますよ、心配せずに健やかになられることを祈りましょうと子供たちを祭祀の間に連れていき、祈祷をした。熱心な祈祷で流石に子供たちにはもう無理だろうと、祭祀の間から出して、自分は祈りを続け、後は他の女官に頼んだ。女官は子供たちの面倒を見て遊ばせていたが、その時事件が起こった。現女王がいなくなったのだ。第一の候補がいなくなれば、当然他の候補が第一になる。みな養女で中には親が有力な者もいる。第一の候補、現女王は身内に有力なものがおらず、今までは強く推す女王の力で守られてきた。第一候補に何もなければよいが、それを憂いていたのだが、今その女王の意識がない。今までもこんなことはリーリンシの歴史の中で、たびたび起こっていた。幼い女王が何人も亡くなっている。有力な女王候補も亡くなっている。だから、候補者は数人確保しなくてはならない。今女王の意識がなくとも、第一候補の指名は済んでいる。となればいなくなってもらわねば、他の子供に出番はない。
子供たちは幼いながら、自分たちで女王の回復を祈ろうと女王の座の裏にある窟に入った。と言っても結界が張られ、その奥はまさしく暗い穴であり、幼い子供たちにとっては恐ろしい場所でしかない。そこに現女王は一人で入っていったらしかった。らしかったとは、誰も見ていないからだ。祭祀の間を出された子供たちは最初、固まって静かにしていたが、やがて自分たちも何かしようと、外で花を摘んだり、水を汲んだりしたのち、窟屋の入り口にそれらを添えた。教えられた詔や祭文を唱えていたらしい。女官が夕食のために子供たちを呼びに行ったとき、現女王だけがいないことに気づいた。
現女王がいないことを報告されたサイアムは当然、女官達を指揮して捜索に当たらせた。館近くの茂みや井戸、館内の子供が潜めそうな所、窟屋の中、どこにもいなかった。他の子どもたちにその時の様子を聞いたが、要領を得なかった。近づいた不審者はいないようだが、病に伏せる女王のために宮殿内は騒然としていて、女官たちも右往左往しており、第一候補を連れ去るなど、誰にでもできそうだった。
その夜、女帝は亡くなり、葬儀となった。サイアムは葬儀を指揮しながら、一方でいなくなった子の捜索を続けた。亡くなった女帝を安置し、三日後にはその死を広く告げねばならない。それは次の女帝の即位でもあった。幼い子の捜索は続けられたが見つからず、三日目の朝が来て、もはやこれまでと思った時、現女帝が窟屋の入り口で見つかった。意識がなく、ぐったりしていたが、外傷はなかった。幼い子が三日も何も食べず無傷という奇跡だった。介抱の後、現女帝は意識を取り戻した。ただこの三日のことについては何も覚えていなかった。女帝の葬儀と次の女帝の即位が広く示され、践祚の儀は滞りなく終わった。
幼帝はもちろん、サイアムの補助を得てだが、翌日からすべての儀式を円滑に進め、周囲を安心させた。十年経ち、その前から一線を退いていたサイアムだったが、女王の成人の儀を持って正式に引退し、女官長はシェーザとなった。現女帝の健康に問題はなく、祭祀や一般的な判断すべてに問題はなく、リーリンシの将来は安泰かと思われたが、この五年ほど女帝が憂い顔を見せることが多くなり、女官長が聞き質したところ、先ほどの言、「わが子を捜したい」と言われたのだった。
「女帝が処女でなくてはならないというわけではない。歴代の女帝には結婚して子をなし、その子が次の女帝になった例もたくさんあります。ただ、現女帝は先ほど話した通り、この宮殿から離れたことがなく、もし男性と契るようなことがあれば、我々女官の知らないはずがないのです。まして出産となれば妊娠を一年近くも隠し通せるはずもなく、出産も。
女王が言う、我が子について、実際には何も語られません、というか、女王自身覚えがないようなのです。ただ、私には子どもがいたはずとだけ。
女王が我々の眼から逃れたのは、先の女王の葬儀の時だけ。その時何かあったのか。あの時女王はまだ五歳くらいであり、出産など当然考えられませんが、夢やお告げがあったのか。」
「女官長殿は今までどんなことをなさったのです? 」
「女王の傍近くに仕えた者から話を聞き、女王の歩いた地をくまなく調べました。」「くまなく? 」
「先ほど申した通り、女王は物心ついた時期よりこの館にお住まいで、この地より出たことがございません。ですから、このリーリンシの館の周辺だけが女王様の世界のすべてでございます。」
「我々にどうせよと」
「先ほどお会いして、それほどの時間をともにしなくとも、女王様は気がふれられたわけではないのは分かったと思う。お子様についても考えらえない。なぜ女王様がそんなことをおっしゃるのか、その訳を調べてもらいたいのだ。女王様がいらっしゃり、我々がまだ十分に調べておらぬ所が一つだけある。そこを調べてもらいたい。
先の女王、崩御の折、現女王は窟屋近くにいたらしい。その間誰かに連れ去られたとしても三日目、女王の座の裏の窟屋に再び現女王を戻すなど、葬儀その他で多くの者が立ち動いており、人目があってできることではない。となれば、女王は窟屋にいたことになる。しかし幼女が三日も窟屋の内を彷徨って帰ってこれるものか? 生きていられるものか? 我々は窟屋の入り口付近を入念に探索したが、思わしいものは何もなかった。
はるか昔は窟屋は女王が霊性を得る場としてあり、そこに数日滞留したりもしたそうだが、今は瘴気が強く、とても長時間いられるものではない。我ら女官は体力が続かず、何度も奥に行こうとし、途中で断念した。そなたたちは屈強な男たちなのでもっと先まで行けるであろう。何があるか分からぬが、もうそこしか探す当てがないのだ。」
ああ、そういうことか。あの霊性強い窟屋の奥まで探索いたしましたが、屈強な男たちでさえ耐えられるものではございませなんだ。残念ながら女王様の御子についてはこれ以上、お調べできません。この言葉を言いたいがための、我らなのだ。しかし、行くしかあるまい。兵隊は人質に取られ、周囲は敵兵で固められている。我らに否はない。
「判りました。窟屋の奥を探索いたしましょう。」とマグヌは答えた。
マグヌは一番年若いギリウウと博識のタクラメオを連れていくことにした。フミッドには人質の兵士たちに希望を捨てるなと激励する役を頼んだ。剣の所持を願ったら、
「剣は邪を払う一方で、邪を招きもします。くれぐれも使い方には気を付けて。特にあなたの持つ流星剣はこの世のものではありません。」とサイアムに念を押され、許可された。
女王の座の後ろ、今は大きな岩で封印されている窟屋に丸太を突っ込み敵兵たちの助けを借りて、わずかな隙間をこじ開けた。瘴気が漏れ出る。
「この手の瘴気は上に上がっていきます。姿勢を低くして進まなくてはなりません。子供が長くこの中にいられたのは、背が低かったからでしょうね。」タクラメオがそう言った。瘴気が流れ出たということは、わずかに風があるということか。油を浸した布に火をつけ、手元まで燃え移らぬように、水で溶いた土を、枝に塗った骨組みで持ち歩けるようにした光具を持って、まずギリウウが窟屋に潜り込んだ。続いてマグヌ、そしてタクラメオが続いた。緩やかな下りの坂道だが、上下左右と岩が突き出ており、手を前に出してゆっくり進む。20数年前に現女王がそこにいた痕跡を探して歩く。現女王以外の誰かの痕跡、それは木切れであったり、布の片であったりがたまに見つかる。最初かがんで歩いていたが、ただでさえ、屈むほどの高さしかなく、横幅も二人並んでは歩けない幅なので、注意も散漫になり、歩き方も雑になる。たまに急な大きい段差があって大きく下がったり、ちょっと登ったりするうちに少し開けた箇所に出た。足場も岩でなく、砂が堆積している。高さも背を優に越している。遮蔽物が無くなって光がぼんやりとだが周囲に広がっている。ここに進むまで、上下の大きな段差が何度かあった。幼い子供がここまで来れるだろうかと思いながら、しかし、ここは確かに昔、人々が集って籠った箇所だ。足元がいくらか整備され、草わらなどひいて横になったりしたのだろう。左右の岩壁に光具を置く個所もある。と、奥に動く何かがあった。目を凝らすとはるか向こうの岩陰からこちらを見ている者がいる。子供だ。女の子? 小さい。思わずマグヌはギリウウに目をやった。目の前の出来事が信じられず、ギリウウもこちらを見た。夢ではない。誰かいる。思わず、二人は走り出した。タクラメオは後ろで何があったか分からず、小声で二人に、何があった? 止まりなさいと言っているが、これはチャンスだ。逃してはならない。二人はできる限り少女に近づこうと懸命に急いだ。少女の姿が何とか捕らえられた時、向こうに、自分の姿が見えた。まるで水に映った自分の影が岩壁に立っている。そこが行き止まりになっていて、通路はそこから直角に右に折れている。少女は右に入り視界から消えた。行き止まりには間断なく水でも落ちていて、そこの影が映っているのだろうか?
近づくとそれは影でなく、男だった。全身に黒い服をまとっている。顔も隠している。近づくと剣を抜いた。
「お前にこの先を行く資格があるのか? 」と声をかけてきた。
「通してくれ、行かねばならぬ」というマグヌに、男は、では試してやろうと返事した。マグヌも剣を抜き、間合いまで進む。いきなり男が剣を振ってきた。一歩下がって剣で受ける。もう一歩下がって剣を振り上げ、一歩踏み出し剣を振り下ろす。男も一歩下がって剣を受け、さらに一歩下がって剣を振り上げ、一歩進み出て剣を振り下ろす。それが何度か繰り返された。繰り返すうちリズムができる。同じことを繰り返すが、違うことをすれば危ない。なぜギリウウは助けに来ない。タクラメオはまだ追いついていないのか?
同じ動作を繰り返すのはなぜだ? 男はこちらの消耗を狙っているのか? 様々な考えが浮かび、しかし、目の前の剣戟に集中しなければ危ない。まるで劇や舞踏のように型を打っているようだ。男は笑っている。嘲笑っているのか?
リズムを変えねば。いつまでもこんな繰り返しの中で、千日手のようなことをしていても進めない。剣を受けて右に開いて下がっていたのを、体をひねって左に剣を上げ、右下に切り下す。相手の受けが変わる。相手もまたこちらを真似て、こちらの右を切ってくる。手のひらを返し、右の膝辺りで受ける。今度は真っ向から切り下す。次は受けたまま切り上げる。瞬時の変法にも相手はついてくる。いつか考えは消え、相手の男に集中している。相手の顔を見ながら次の手を考えている。これはどうだ、これならどうだ。
いつか体は全身が汗まみれになり、息も切れ始めた。相手は涼しい顔をしている。こちらも苦しい顔は見せられない。口を固く閉じ、息の乱れを察知されぬよう、涼しげな表情を見せながら、内心では歯を食いしばっている。かたをつけねばならぬ。相手に恨みはないが、相手が引かぬ以上、仕方がない。相手に対し、親近感を抱いていることに気づいた。どこの誰で何の目的か。シェーザの差し金だろうが、刺客というわけでもなさそうだ。何を教えてくれようとしているのか。
大きく飛び退って剣を構えた。切っ先を相手に向ける。相手は一息遅れて下がり、大きく構える。受けて立とうと姿勢で示した。わずかに腰が下がる。足先に力が入る。跳ぶ。すべての体重を剣に乗せて出足の速度で威力を増す。相手の受ける剣を吹き飛ばす力を籠める。相手は受けに出た剣を微妙に逸らしマグヌの剣を流して打って出る。マグヌは突き出した剣を左に巻いて相手の剣を受け、さらに剣を右に流して相手の顔を切りに行く。相手は踏み込んで二人は激突した。
気が付けばマグヌは仰向けに寝ていて上からギリウウとタクラメオが覗き込んでいる。慌てて起きようとするマグヌを制してタクラメオはマグヌの肩に手を置き、そのまま寝ていろと示す。
「男はどうした? 」と問うマグヌに二人は「男? 」と聞き返す。二人によると、マグヌはこの広間のようになった所に行きついた時、静かに中央に進み、突然剣を抜いて舞い始めたそうだ。止めようとするギリウウをタクラメオは制したそうだ。
ある村で見た成人儀礼の祭りで大人になった青年たちが舞っていたものとそっくりだったので、何か意味があるのかと見ていたという。水で顔を冷やししばらくしたら落ち着いた。この一年だけでもマグヌは背がぐんと伸びた。出会った頃はギリウウと同じほどだった身長が、今は他の大人と大して変わらないほどにまでなった。たぶん、天井辺りの瘴気をギリウウより吸うことになったのではないか。それでマグヌは幻覚を見たのではないかというのがタクラメオの考えだった。しかし、別条はないようなので、先に進もう。外に手はないのだからと言って、三人は立ち上がった。
ギリウウが「あっ」と叫んだ。指差している方を見る。さっきの少女だ。ギリウウはまた走り出した。まるで三人を誘導しているようだ。しかし、マグヌはその時、少女の姿を捕らえることができなかった。タクラメオと顔を合わせ、すぐギリウウを追った。
ここからは難所続きだった。狭くなったり、水が溜まっていて、一旦水に漬かって向こうに進むなど、少女が進める道ではない。しかし、行くしかない。どれほどの時間が経過したか定かではない。
やっと順路が平たんになり、道のようになった。整地されたようだ。向こうに広間様に開けた箇所がある。明かりを翳して様子を見る。祠のようなものがあって、どうやら、女神が安置されているようだ。これがリリシウ女神なのだろう。表面が激しく摩滅しているが優しい肩の線や胸の膨らみらしい様子で女性と見える。年の頃は分からない。母なのか、少女なのか。マグヌ達の腰の高さの台座の上に座っている女神は胡坐をかいて手をだらりと下げ、膝の上に手の甲を乗せて、手のひらは上を向いている。その手に人形らしいものが置いてある。人形は最近置かれたものらしい。子どもが遊びに使うものだ。端切れを集めて服を縫っている。本体は木を削って顔には彩色がしてあったようだが、よく遊んだのか、少し色が落ちてきている。
しばらく眺めていたマグヌは、
「たぶん、これが我々の求めていたものだろう」と言った。さっぱり分からぬという顔でマグヌの顔を見るギリウウに、
「いや私にもだ。ただこれがそれだと何となくわかるんだ。」
「ええ、そうでしょう。これでしょう。」とタクラメオも同意する。これを持って帰ろう。
整地されたような道はまだ続いている。中の様子を伝える必要からも先に進んで中の詳細を調べることにした。やはり随分な距離ではあったが、整地されたような道は続いている。昔はこちらが正式のルートだったのかもしれない。行きの三分の一ほどの距離で外に出た。森の中の古びた祠の傍だった。草が生い茂って入り口が見えなくなっているが、ここが入り口で昔はここに板か何かがあって、塞いでいたのだろう。
外の空気はおいしかった。新鮮な空気という経験を初めて三人はした。いや、タクラメオはどこかの牢獄などで、新鮮でない空気を経験したかもしれない。
外から館に戻ってきた三人をシェーザたちは驚いて出迎えた。マグヌ達は体を洗い、服を代えて館の大広間に参上した。竪穴に入って三日が経っていた。
「どうだった? 」というシェーザの問いに、「これを女王様にお渡し下さい。」と持ち帰った人形を差し出した。
「まあ、これは女王様が幼い頃、とても大事にしていた人形です。どこでこれを? 」という問いに「あの地下で」と手短に答えた。
半信半疑の態で、女王の元へシェーザが人形を持って向かい、ほどなく、「こちらへ」と招かれた。
玉座の前に伺候する。玉座の女王、シェーザ、サイアムが控えている。女王は「ありがとう。」とのみ、言った。マグヌ達一行は恭しく平伏し、もう言葉がないと分かり辞去した。
次の間で待機しているとシェーザ、サイアムがやってきた。
「ご苦労様でした。女王はとても感謝しておりました。
実のところ、私自身よく分からないのですが、この件はこれで落着したようです。女王様から貴方達に褒美を遣わせとの事。望みをかなえましょう。」ということで、バイアスルとリーリンシとの同盟と、フミッドほか、残りの兵士すべての釈放を願い出た。
兵士たちは釈放する。同盟に関しては、リーリンシは兵を領外に出さない。領外の戦で加勢はできないということ。しかし、バイアスルの者ならリーリンシは歓迎する。(それが兵士であっても)という語は明らかにされなかったが、黙約となった。これでマグヌの任は完了となった。
「それにしてもよくわかりません。」というギリウウに、
「誰にも分からないさ」とタクラメオは言ったが、女王は先の女王の死に目に会えなかったことを、気にしていたのではないかと言い出した。女王は後継者と言われながら、肝心の終の別れのおり、その場にいなかった。先の女王から手づから王権を引き渡されなかった。その時、女王は地下にいて、リリシウ神からその権威を引き継いだ。リリシウ神に自分の一番大事にしている人形を差し出すことで彼女はリリシウ神になった。でも地上の、母ともいえる先の女王から後継者の証を得ることはなかった。今、女王になって地下の冥界にいた、リリシウ神に捧げた自分の人形は、自分の分身であり、飯事遊びの時するように、その人形は自分の子どもであり、リリシウ神に捧げられたことで、人形は神そのものとなった。捧げられた人形は母なる神であり、現女王の子どもでもあった。今、その人形がこの世に帰還して女王と人形は再びひとつになった。
まあ、そんなところですかな、とタクラメオは少しはにかむ様に笑った。まあそんなもので良いでしょうとサイアムは言った。
「良しにつけ、悪しきにつけ、呪いは次の影響をもたらす。だから、物事が起こったら言葉で区切りをつける。でないと、呪いは知らぬ間に次々と、さらなる事態を引き起こす。女王様に起こったことが何であったか、本当のところは誰にも分らんが、今タクラメオの言った、事鎮めの呪はそれでいいのではないか。」
「どうも魔法というのは、これだからややこしい。」とギリウウが言う。
「誰もが魔法を使っているのだ。ただ、皆は意識せずに使うから、先ほど、サイアム様のおっしゃった連鎖が起こる。一つ一つを事分けするのが、魔法使いだ。」
先ほどから黙っていたマグヌが口を開いた。どうやら外の事を考えていたようだ。
「地下で男と出会った。私と同じくらいの年齢で体格もそうだった。あれはシェーザ様、あるいはサイアム様がお遣わしになったのですか。」
二人は心底何を言ってるか分からぬと困った顔をした。
「何かと不思議なことがあったようですね。我ら魔法を使う者もすべてを知れるわけではない。
さあ、もうしばらくいてもらいたい。歓待したいのだが、用が済んだら急いで帰りたいだろう、止めはせぬ。行くがいい。餞別に、マグヌ、私からも、いくつか事分けの呪を進ぜよう。
ギリウウは心底お前を慕っている。忠義の厚い者だ。ただ、強く引くものは強く弾く。気持ちと行いは必ずしも双子ではない。
フミッドはそなたの生涯最後までの伴らしいな。これだけだ、私の見たことは。」
部屋を出て取り上げられてあったものを返してもらい、外に出ると、フミッドが囚われていた兵達と待っていた。マグヌ達が姿を現すと一斉に叫声が起こった。みな笑顔だが、泣いている者もいた。「さあ、帰ろう」というマグヌにフミッドは
「先に一応、知らせを走らせた。一足違いで我々も国に帰るだろうが、向こうも首を長くして待ってるだろうしな。」と今まで何事もなかったかのように返事した。
帰りの支度はリーリンシがしてくれていた。シェーザが事細かく指示したのだろう。抜かりはなかった。土産まで用意してくれていた。マグヌはアサリア皇子への親書を託された。
急ぎザマスの砦に帰国して、マグヌはアサリア皇子に事の次第を報告し、親書を手渡した。洞窟内での出来事はどう語ってよいか分からず、語らずにいた。隠すというより、語る話ではない気もしてきて、それでいいかと自ら納得した。
熱いねぎらいの言葉があったのは、言うまでもない。マグヌは久しぶりに寝床に入ってぐっすり眠った。翌日、フミッドがやってきた。会わせたい者がいるという。後ろに数名の兵士がいる。リーリンシ出身ということだ。
思ったより早く決着がついたが、もしもの時を思ってフミッドはリーリンシの兵舎等にしげく顔を出していた。フミッドは他の兵と違い、見張りはついていたが、適当に自由にさせてもらえていたらしい。きっとシェーザと話し、何かを渡したか、条件を出したのだろう。フミッドはリーリンシの外の世界を脚色して、胸躍る冒険の世界に仕立て、それを面白おかしく語って聞かせた。そしてついていきたいという若者数人をスカウトした。
「もしもの時は牢を破って脱出するときの道案内にもなると思って。」と抜け目のなさを見せた。もちろん帰国の折にはシェーザに断りを入れている。外の世界に魅せられた若者に興味はないらしい彼女は、思ったような抵抗もなく彼らの行動を許してくれた。信仰に目覚めたら帰ってきなさいとまで言ってくれたようだ。まあ、これでリーリンシとのつながりはできた。こちらの情報も漏れるだろうが仕方ない。次に会ったのは老人だった。詩人だとのこと。名は、ボーモン。武勲詩を吟じ始めた。グラシアの森という詩では、自然の驚異の前にすべてを失ったマグヌは、しかし希望を胸にバイアスルを目指す。しかし、途中で賊に捕まってしまう。そこで同じく賊に捕らえられていたフミッドと出会う。ちょうどその頃民を苦しめる賊を討とうと立ち上がったアサリア皇子はケルバインの助力を得て、賊と対決する。そこにマグヌ、フミッドも駆けつけ、グラシアの森で合戦。アサリアの軍は賊を倒し、マグヌ達は生涯の友となって、誰もが安楽に暮らせる国を作ろうと誓いを立てる。。
クロップ山の合戦では、バイアスルの佞臣フラドンスキルの公チェスタロットと通じていたホーネツは助力を得てケルバインを攻める。村を攻め民を悩ますホーネツを討とうと軍を進めるフラドンスキルだが、険しい山々に邪魔され、攻めあぐねていた。マグヌは、セイリー、フミッドと共に山に入り、雪渓を次々とホーネツの城々に落とし、攻略に成功する。
サフラメンシアでは統率者の出す難題を次々に解いて知恵を見せ、
リーリンシでは森に火を放ち、少人数で攻略しようとするマグヌの前に魔女の女帝が立ちはだかり、タクラメオの魔力で火を消す。それならばと毒虫を放ってくるが、魔法の薬草をいぶして退散させ、そんな魔術合戦のうちに女帝はマグヌの力を認め、同盟を組むというもの。事実とは全く違い、聞く分には面白かったが、どうしたものかと思っていると、このケルバインの大きな街で歌わせると大層な人気で、次いでサフラメンシアでも好評を博したとのこと。サフラメンシアでは統率者が苦い顔をしていたとか。それでボーモンは多くの詩人に詩を伝え、フミッド派全国に送り出した。
これからも、ボーモンはマグヌの武勲を称賛する詩を作り、それを弟子に伝授して全国に派遣する。これによってバイアスルの人気は上がる。バイアスルの人気を上げるためには英雄がいる。マグヌにはそれを演じてもらう。同時に全国を行く詩人たちには各国で聞いた情報をこちらに送ってもらう。詩を聞こうと各国の王たちは詩人を城に招くかもしれない。そうなれば一石二鳥だ。
それは誰の差し金だという問いにフミッドはタクラメオと考えました。ちょうどボーモンという素晴らしい詩人と出会えましたのでとしゃあしゃあと答えた。