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戦乱の大陸グレトグンドを統一しようとする、若い王子とその勇者たちの物語。

    1 ケルバイン


 大大陸の最西端に位置するグレトグンドと呼ばれる地域は、大大陸の西を占める地方の呼称である。北の海はパッサイア、南の海はイルクルメ、それらも含めて北西南をアポイ洋に囲まれ、東にはサンゼッカツ山脈があるため周囲と隔絶し独特の発展を遂げてきた。十分な広さがあり、後世には小大陸とも呼称された。東の山脈からは川が流れ、グレトグンド中央には低山に囲まれたヤグート盆地がある。冬には雪が降り、夏は暑く雨季もある。そのため植物がよく育ち草食動物も多い。多彩な食べ物が手に入るこの地に太古から人々は定住し、やがて集落からいくつかの王国に成長した。何代か、いくつかの王国が興り、滅びやがて今のバイアスル国がグレトグンドの覇者となる。王は太陽神「ア」の血を引く者でありバイアスルとは太陽神「ア」の血を引く者が統べる地という意味である。皇都チェルアは小大陸の中央ヤグート盆地よりやや北、遥か東の山脈から滔々と流れるイル川と西から流れるムガナキ川の合流地点にあった。

 何代かの皇帝の後、凶作、疫病、天変地異が一度に起こり、皇帝はまだ幼く、各地で反乱が起こり、王を僭称する者、王の権威の元、実際の権力を握ろうとする者で戦国時代となり、数十年が過ぎた。いつまでたっても国をまとめ上げるほどの権力者は出ず、一進一退のまま乱世は続いた。

 バイアスルの王都、チェルアからはるか西南西、海にほど近い地でマグヌは生まれた。小さな村で豊かではなかったが、何とか飢えは免れていた。海が近く、街道も走っていたので農村ではあったが、人の出入りもあり、開放的な気風を備えていた。豊かでなかったのが幸いしてこの村は群盗から目をつけられず、少年は戦乱を知らぬまま育つことができた。母は早くに亡くなったが、父はマグヌをしっかりと教育した。もともと皇族に使える武士だったが、怪我をして勤めができなくなり、流れるままにこの地にたどり着いた。そこで農民の女性と出会い、家をもち、マグヌが生まれた。産後すぐの流行り病で母はなくなったが赤ん坊は元気に育った。他所者で知り合いが少なく、この地の言語が得意でなく、人付き合いも器用でなかった男は我が子をよく相手して生活していた。読み書き計算や剣の使い方なども教えた。最もこの地での生活では必要のないものだったが。

 子供がそれなりに働けるようになり、少年と言える年齢になった時、長雨と洪水で、その村を含む広い地方で凶作となった年、父が珍しく寝込み、そのまま亡くなった。ほんの数日の間のことだった。一昨年、一二歳で成人し、二年たって大人びた体つきになりつつあったマグヌは父を埋葬するため山に入った。喪に服し帰ろうとすると天候が悪化して足止めを食らった。天候が回復し村に帰ってみると、まったくの別世界になっていた。大雨の後、津波が村を襲ったらしかった。大混乱の中、やはり天災ですべてを失った者たちが周辺を略奪し、後には荒れた土地と、津波を免れながらその後の略奪で廃屋となった数件の家、人の姿はなかった。

 見よう見まねで父の仕事の手伝いをしていたが、今は父がいなくても一人前に働けるようになっていた。しかし土地は泥をかぶり、家は倒壊し、今食べるものもなかった。どうしようと言う言葉だけが、頭の中で木霊のように繰り返されていた。やっと見つけた人々も生き残った自分の事で精いっぱいだった。茫然自失の後、やがて激しい怒りが湧いてきた。この理不尽さは何だ。温和で優しかった父と静かに暮らしていた。たぶん上手に生きられなかったのだろう、それでも誠実な父を慕った村の女がいたのだろう。父と自分の生活のように、きっと二人の生活もほとんど言葉がなく、それでも二人は満足していただろう。やがて子供が生まれたが、それで女が死んだ。父は男手ひとつで子どもを育て、やがて子供が一人前になった時、突然死んだ。なんだ、この理不尽は。マグヌは茫然自失した後、激しく怒り、やがてなんだか、おかしくなってきた。わからん。何も分からない。どうすればいいのか、何をしたらいいのか。生きる意味などあるのか。ふと、父が語ってくれた宝剣のことを思い出した。天変、地変、人変、すべての災厄を断つその宝剣があれば国は治まり、皆が安楽に暮らせるようになるという伝説だった。遥か昔、この国が乱れた時、宝剣も失われたとのことだった。父は笑いながら語っていたので、父自身そんなことを信じていなかったかもしれない。しかし、そんな宝剣があったらいいなと思っていたのかもしれない。マグヌは宝剣を見つけて王に献上し、この地を安楽にしてもらおうと考えた。今、村の家々は燃え落ちて食料の備蓄もすべて奪われ、この地にいても死ぬばかりだった。少ない知り合いもほぼ行方がわからず天涯孤独の身となった。村を出ることを止める者など誰もなかった。

 宝剣を探す当てなどなかったので、まず皇都チェルアを目指し、北東へ北東へと進んでいった。野宿して木の実、川で魚を取っては飢えをしのいだ。十分な食事が摂れず水で腹を膨らませることがしょっちゅうだったが、心は満ちていた。少なくとも今は目的だけはある。宝剣を探して皆を救いたいという気持ちがマグヌに生きる目標を与えた。生まれて初めて何かのために、誰かのために行動しようと思った。充実という言葉を知った。が、ひと月ほどかけてチェルアに近づいたかと思った時、賊に出くわし連れ去られた。父がバイアスル出身だったため、バイアスル語は読み書き話すことができたが、賊たちの言葉は違っていた。ただよく聞くと共通する語もあり、派生語か方言、同じ系統の言葉のようだった。マグヌは耳をそばだて、賊たちの語を理解しようとした。マグヌ達はどこかに連れていかれ、奴隷として売られるのだろう。大陸でいえばマグヌの生まれ育った西側の反対側、東南に進んでいるようだった。チェルアからどんどん離れていった。その間、食事は与えられた。奴隷として売るため血色の良い健康な少年でなくてはならない。賊たちは自分たちの分を減らしても、マグヌ達に食事を十分与え、マグヌは今の境遇に結構満足していた。飢えに苦しんだこのひと月ほどを思えば天国だった。実はその賊たちはまだ素人で、結構間抜けだったのだろう。マグヌ達が逆らわなかったからだが、殴る蹴るもなかった。賊は商品に傷をつける気はなかった。同じく、ほぼ同い年で捕らえられている少年がいた。彼は皇族の一人でアサリアと名乗った。「ア」の名が含まれている通り直系の皇子だった。

 帝国バイアスルは衰弱していた。隣接するフラドンスキル公領は本来山脈から流れるイル川の治水を皇国のためにしていたが、山脈からバイアスルまでの広大で肥沃な地を背景に力を蓄え、現当主、チェスタロットは皇帝に圧力を加え、バイアスルを取り巻く皇族、貴族と次々に盟約を交わし、あるいは支配下に入れ、わが身は宰相としてチェルアに入った。皇姫を妻にして我が子を次代の皇帝とするため、皇太子アサリアを廃位しようとした。アサリアは暗殺の危険から皇都を脱出し、最南の国ケルバインを目指した。ケルバインにも皇姫が輿入れしており、その縁を頼ったのだった。チェルアからケルバインに続くナシム街道を行く皇子一行を、フランドンスキルの命を受けて小国ホーネツが襲った。多勢に無勢で一行はバラバラになり、グラシアの森に逃げ込んだ皇太子はそこに居合わせた賊に拉致された。賊はケチな馬泥棒で、森に潜んでいるとき、立派な馬を見かけ、奪おうと近づいたらそれが皇太子だったわけだ。高貴な少年を手に入れて、人質家業に鞍替えした賊は街道を行く、金になりそうな少年も適当に捕まえた。それがマグヌだったわけで、皇太子と出会ったのだった。賊たちはケルバインが皇子を迎えると聞き、そこで交渉すれば金になると考えた。彼らはケルバインに向かっていた。その間、年少時から、あちらの人質こちらの人質とたらい回しにされ、無意味なプライドなどどこにもない王子はマグヌと何かと気さくに語った。

 さて皇子を迎える準備をしていたケルバインは皇子が奪われたと知り、奪還の触れを出した。数十人の賊に対し、ケルバインや周辺の豪族が集まり、数百の兵士が森を取り囲んだ。賊たちは風前の灯火となった。やけになって王子を殺して逃げようと言うのを聞き、マグヌは調停の使いになると申し出た。どうせ死ぬならチャンスにかけないかと賊たちをうまく言いくるめた。取り巻く兵士たちは、投降せよ、さもなくば皆殺しだとずっと威圧している。その語はケルバインの、賊たちの使う語と似ているが、バイアスルの語も混じっている。賊たちの説得にケルバイン語を使い、捕らえられている皇子に聞かせ安心させるためにバイアスル語を使っているようだった。二か国語を使えるマグヌには賊たちを説得する良い機会だった。賊たちはもともと兵士でない、戦で焼け出された少年たちの群れであり、こんなことで死にたくはない。賊たちはマグヌに賭けることにした。手元には皇子もいる。交渉に全く望みがないわけでもないだろう。賊を説得するマグヌは、必死とはいえ自分にこんな才能があるのかと自ら感心した。マグヌは長い木の枝に色とりどりの布をはためかせ、目立つ格好で賊を取り巻く兵士たちの陣に進んでいった。

 まだ子供と言える者が一人派手な旗のようなものを持って向かってくる。何事かと陣の兵たちは注目する。取り囲んでいた兵を率いていたのはバイアスルから皇太子に付き従っていた古参の老将だった。老将は皇太子とはぐれてしばらく部下数人と探索したのち、事の次第を理解してこの地の豪族の館に向かい、事情を説明して郷士を借り受けた。ケルバインにも連絡した。加勢した豪族や、ケルバインにしたら、賊とはいえ、村を焼かれ、行き場を無くした数十人の少年たちに過ぎず、多勢で取り囲めば他愛もない、すぐにケリがつく。兵が傷つくこともなかろう。そのうえ皇太子を救ったとあれば、後々何かと良いことがあるだろう。そんな計算があった。郷士たちは協力し、老将はにわかの軍勢を整えることができた。ケルバインからも兵士たちが到着した。そこにマグヌが参上し、自分の父はもとバイアスルの兵であったこと、人質の皇太子は元気で自分を信頼してくれていること、その証拠として皇太子から借り受けたベルトのバックルを差し出した。賊は老将が聞き及んでいた通りの少年たちの集まりであり、勝敗は決している。ただ、こんな経験の乏しい少年たちゆえ、やけになって皇太子に危害を加えないとも限らない、捕囚の間、我々は食事など十分にもてなされ、無礼など一切なかった。この際、賊を老将の軍に編入し、ケルバインの公都デットィまでの護衛に使ってはいかがだろうか。マグヌは捕らえられている間、皇子から現状を説明してもらっていた。それはこの大陸の現状を把握することだった。

 今回の賊は偶然だったが、ホーネツが皇太子に危害を加えようと襲ってきたのは事実であるし、これからも本気で皇太子を奪おう、殺そうと考える豪族や候,公などがいるだろう。軍は多いほどよく、うまく仕込めば若く、失うものはなく、生活の糧を求めている賊たちは他の兵以上に働くに違いない。死んでもそちらには痛くも痒くもない。マグヌは目覚めた交渉術をフルに発揮して老将を説得した。そして帰って賊たちを説得し、一見は落着した。

 いったん武装を解除した賊たちはまさしく年端も行かぬ少年たちでマグヌのほんの数歳年上は数名だけだった。数十人の賊の集団は最年長のフミッドに今まで通り預けて隊としての体裁を保たせた。フミッドは焼け出された少年たちをまとめて面倒を見ていただけあって、腕っぷしが立つうえ、面倒見がよく、少年たちは素直に従った。マグヌも彼を気安く感じ、デットィまでの旅の間、そこに良く顔を出し、マグヌが剣を教えて一緒に稽古したり話したりしているうちに、逆にマグヌこそがリーダーのようになっていった。公都まではさしたる危機もなく無事入城できたが、ケルバインは今、問題を抱えていた。

 隣接するホーネツはフラドンスキルと結び、ケルバインと敵対している。ホーネツは本来東にある山脈に住む山の民で放牧などを主な生活の糧としている。毎冬、山の生活が厳しくなると麓のケルバインを襲って食料などを奪っていたが、今年の冬は特に厳しく、飢えたホーネツの民は麓の村々を襲い、略奪の限りを尽くした。

 ケルバインは大陸の南東で東には山脈があり、南は海に接している。その東に位置するホーネツは小国で何かと諍いはあるが、小規模で兵を出せばすぐに退散し、両国の関係は比較的安定していた。たまに海から、他の大陸からの海賊が顔を出すこともあるが、まれで被害もそう多くない。バイアスルから最も遠い国の一つで、近ければフラドンスキル同様、バイアスルを征服するなり、名ばかりの皇帝を監禁して自分は宰相として活動するなどということもあったかもしれない。しかし、遠いゆえに手を出せず、ならばとバイアスルを庇護する役割にまわって権威を利用する手に出た。バイアスルは非力ゆえ、その申し出を受けることでお互い持ちつ持たれつの関係を築いていた。

 今、ホーネツの非道を前に今までの決着をつけようとケルバインの公は考えた。手のうちには皇子がいる。廃位されかけたとはいえ、それはフラドンスキルが勝手にしたこと、それをまだ認めていない国々はたくさんある。皇太子の兵がいれば戦に一層の本義が立つ。皇子の兵が動けば、それに同調する少なくとも異を唱える国を抑えることができるだろう。ケルバインはそれほど皇子の兵力には期待していなかった。自分たちだけで十分に補えた。ただ、皇軍の一員であるという旗印が欲しかっただけだ。 

 そして皇太子には情けないことに動かせる軍はなかった。兵はあまりに少数だ。老将は早速マグヌとフミッドの集団を自軍の正規兵として認め、それに近在のまだ若い騎士や兵士を集めて、百に満たない軍隊を編成し、息子のセイリーを将として出立させた。途中皇太子奪還の折、協力してくれたこの地の豪族マハリの若者にも声をかけ、なんとか百をぎりぎり超える部隊にまで仕立て上げたが、ただ数が揃ったというくらいのものだった。誰もが本当の戦を知らなかったが、しかし若く、足取り軽く、暗い顔をしている者は誰もなかった。セイリー、マグヌ、フミッド、マハリの長の親族、ギリウウはこの部隊で無法は固く禁じる誓いを立てた。若者ゆえの矜持や正義感だったが、やがてその清廉が身を救うことになる。ケルバインでは、客分としてもてなされた。もともと何の期待もされていない、建て前が欲しいだけの加勢の要請だった。しかし若者たちは腕を振るいたくてうずうずしていた。現状を尋ねたところ、今年の冬の地震と土砂崩れ等で十分な糧食が確保できなかったホーネツがケルバインに略奪にやってきた。例年になく激しく取り立て、村に火を放つなど目に余る暴挙に出た。討伐に出たがまともに食ってないのか、手応えがない。このままホーネツの奥深く進軍して、いっそ滅ぼしてしまえと全面戦争になった。連戦連勝でホーネツの首都も落とし、あと一歩と言うところまで迫ったが、彼らは山の中腹にある城に立て籠った。そこはもともとホーネツの旧都であり、彼らの故郷でもあった。山の民だったホーネツの一族が、そのふもとに降りてきて開墾開拓し、次第に領土を広げて、今のホーネツになって三世代ほどになる。老人たちはまだ山の暮らし、畜産等の生活も覚えている。山に籠って懐かしいのか、かえって勢いがついた気がするとのこと。山を登り、砦を攻めるのは難しい。と言って兵を引けばまた、せっかく制したふもとの村々も取り返されよう。何としても今回でケリをつけたいのだがと言うことだった。

 援軍としてやってきたマグヌ達はどの部隊にも属していない。遊軍としてふもとに敷いた陣の片隅でぶらぶらしている。戦を知らないマグヌ達はまず情報を集めようと偵察に出ることにした。急峻な、もはや崖と言っていい坂を登る。一人二人ならいいが数人のグループで登ると何かと手古摺る。まして軍を進めるなど不可能だ。砦は険しい尾根の中腹に、ある程度ひらけた所があってそこに建てられている。周りを、丸太を組んだ柵で囲んだ簡単なものだが、出張ている分、下からの敵に対するならそれで十分だ。上は縦に深く切り込んで水が流れている。小さな滝とも小川とも言えるそれが砦の上まで流れ落ちてきて、砦近くで溜まっている。山の砦なら囲んで兵糧責めと行きたいところだが、砦の奥に深い洞窟があり、十分な糧食を蓄えているようだ。その上水がある。兵糧攻めは無駄だ。

 マグヌ達は山の頂近くまで登った。雪渓があってそれが溶けて下に水を供給しているらしい。急峻な坂を登って砦を迂回しても軍の溜まるところがない。登っていくルートも限りがある。何とか砦の上まで来ても足場が悪く集まれない。一方砦からなら狙い打てる箇所が山ほどある。マグヌ、フミッド、ギリウウ、セイリー達はどこかに付け入るスキはないかと広範囲にわたって、手分けして探索したが、そんなものはどこにもなかった。あればケルバインの兵たちがもうそこから攻めているだろう。夜遅く陣に戻った彼らはまず今日の探索を図に落としてみた。簡単な地図を書いて気づいたことを書き込んでいった。字の書けるマグヌが場を仕切るようになっていた。どう考えても下から攻め上るのは得策ではない。上の雪渓辺りはガレ場になっているが、足元が悪い。ガレ場の小石を落としても大した被害にならないだろう。間に貯水用の池もある。小さいが砦との間にあるのでいきなり攻めるのは難しい。地図をにらんでいたマグヌは

「この雪渓を砦に落とせないかな」と言い出した。山の頂上近くに溶け残った雪渓は大した量ではない。だが確かにあの雪渓が滑り落ちたら池は被害を受けるだろうし、そうすれば飲み水を断つこともできる。貯水池は手を入れて作ったらしく、水を貯めるための最低限の補強はしているだろうが、雪渓が落ちてきたら周りの土砂も崩れてそれなりに砦に被害を与えることはできそうだ。翌日もう一度皆で山に登ってみることにした。

 冬の天災で食料に困ったホーネツはケルバインに攻め込んだ。ケルバインからの反攻があって、今春になろうとしていた。積もった山の雪は下が溶け始めている。直下はガレ場でうまく誘導すれば砦に落とせるかもしれない。昨日今日と入念に探索して、その可能性があながちないではないと目途を立て、ケルバインの将に進言した。マハリの地も山に接していて毎年雪に悩まされ、ギリウウは雪について知悉していた。ケルバインの将は半信半疑でやるならやってみてもいいと消極的だった。人数がいればできるというものではない。適切な個所を削って崩せば雪渓は落ちるかもしれない。しかし、相手に与える被害は計算できない。縦に切り込み砦に水を供給しているせせらぎに沿って雪渓が滑り落ちると考えているが、そううまくいくとは限らない。いつまでも軍を敷いたままでお見合いをしていてもらちが明かない。攻めたいがケルバインの軍を山に潜める場はなく、方々に散らしても百人が限度だろう。だからマグヌ達は自分たちだけでやってみることにした。

 砦より上の、雪渓の近くと砦の貯水池の近くにそれぞれ三十人くらいづつ潜ませ、後は砦の周囲に配置した。何といっても兵の潜める地が少ない。潜めるところに少人数で潜むしかない。この数日、雪渓の周囲を削り、当日最後の掘り起こしで雪渓が滑り落ちたらそれに続いて砦に攻めかかる。呼応して砦の周囲に潜んでいる兵も攻撃せよと指示した。上方の兵はセイリーとバイアスルの兵、砦近くはフミッド達。マグヌはギリウウとマハリの兵と共に雪渓の上から攻める。ケルバインの将には一応、その直前に今日の深夜、奇襲をかけますと断っておいた。兵たちは早朝から山を登り、その後は深夜まで待機している。夕刻、ケルバインの将にもう一度断りを入れ、山を登ったマグヌは宵も深まったころ山頂に到着した。皆持参した兵食を取っている。冷たくて硬く、音をたてぬよう無理な姿勢でただ喉を通しただけだったが、やがて体が少し暖かくなる。勇気が出てきた。初めての経験で不安だらけだが、やるしかない。雪渓の上に立ち、その下に先を平たくした丸太を各自突っ込み、数十人で力を合わせ、下に押し出す。この数日周囲を掘ったりして、段取りは整えている。なかなか動かないが、やがて小さく、みしりと音がしてやがてズズと先ほどより大きい音、そしてざばーっと激しく大きな音がして雪渓が滑り始めた。始めは遅くやがて加速がついて周りを蹴散らし、巻き込みながら落ちていく。落ち始めてすぐに松明に火をつけた。周囲に潜んでいる兵に見えるよう大きく左右に揺らす。横の兵に松明を渡して合図を送らせ続け、マグヌは雪渓に続いて雄たけびを上げながら坂を駆け下った。ギリウウたちも遅れずについてくる。はるか下の先でどん、がん、ばしゃっと激しく当たり壊れる音が聞こえる。ギリウウたちは松明を持っている。坂が緩やかになり砦が見えた。雪渓で破壊された貯水池は滅茶苦茶になっている。思ったより効果があった。横目に見ながらそのまま砦に突入する。池と砦の間にあった柵や土塀は崩れている。兵たちは松明を投げ入れ、剣に替えた。

 マグヌとギリウウ達は待機の間に話し合った。我々は少人数で合戦の経験も少ない。まず兵器庫を抑えよう。無駄に人を殺めず、逃げたい者は逃がそう。女子供がいれば捨てておこう。まっしぐらに兵器庫を目指す。フミッド達も手順を確認していた。彼らは食糧庫と、もしあるなら、お宝を狙おうと考えていた。食料とお宝を手にしたらさっさと逃げよう。もともと助っ人としてきているのに、肝心のケルバインの兵がいない。そんな奴らのために戦っても仕方ない。セイリー達はどんな思惑だったかわからない。今回の作戦は偶然が味方した。今年は年が改まるやドカ雪が降り、大量の雪が積もった。しかしその後、暖冬で山頂近くにまとまった雪渓が残ったまま今になった。暖冬で雪渓の下にも水が流れ、いわば雪渓が浮いたような状態になっていた。砦の人々は豊富な水量を疑わず、これで安泰だと高をくくっていた。

 砦になだれ込んだマグヌ達一行と時を同じくしてフミッド、セイリーの部隊も砦を襲った。武器庫に向かうマグヌ達とセイリーの部隊はほどなく合流し、何をしていいかわからないセイリー達はそのままマグヌ達に従った。行く先々で燃えるものに火をつけた。立ち向かってくる者は少数だった。何が起こったかわからず困惑しているようだった。賊を確認するのか、壊れた所を直すのか、婦女子等を守るのか。しかし奥深く入るにつれ、敵兵の数は増え、武将らしき者も出てくる。奇襲当初の勢いは鈍ってきた。次第に敵も押し返してくる。狭い城内なので少数でも不利ではないが、数に優る敵は倒しても倒しても出てくる。さてどうしたものかと思っていると下から新たな喚声が上がる。ケルバインの軍が到着したらしい。ケルバインの将、ラメリッグはマグヌから進言を受けながらどうしていいか分からず、任せたもののやはり気になり、今宵は夜戦の準備をして山を見ていた。深夜になって山に小さな灯が揺れ、やがて大音響とともに雪崩が起きて砦が煙に包まれた。よくわからないながら、砦への進軍の合図を出した。兵たちも砦に何か起こっているらしいと感じ、これは好機かと勇みだした。そして敵の妨害もなく各自登ってたどり着いたものから場内に進入した。

 砦ではホーネツの長、カキサイグと将軍ダラマスがよく戦ったが多勢に無勢、奇襲が功を奏して生け捕りにすることができた。手柄を立てたのはお宝を求めて殿の奥に入ったフミッド達だった。彼らは闇で出会い、分からぬまま槍を振り回して、それがうまくダラマスに当たり、思わず膝をついたところ、フミッドの部下たちがその上に何人も乗って押さえつけ、将が倒され観念したカキサイグが投降した。そこへセイリーが到着し、二人に縄をかけた。これが世に言う、雪渓落とし、クロップ山の合戦のすべてだ。

 山裾の陣にひかれた二人は顔を改められ、ケルバインの都、デットィの城へ引き立てられた。ケルバインでは王と将のラメリッグ、バイアスル側として皇子アサリア、老将、セイリー達でホーネツの王、カキサング、将のダラマスの処遇が検討された。ホーネツは肥沃な地でなく、山がちで産業も少ない。山中に住む民がたまに侵入してくるが、手に余る訳ではない。特に欲しい地でもないだろう。一応、カキサングはケルバインの王の末の王子を養子として王子とし、彼、シロシゲがホーネツを統治する。シロシゲはまだ幼く、ケルバインの王弟サザラーンが補佐する。カキサングはケルバインの都デットィで王の臣として仕えてもらう。ダラマスはラメリッグの預かりとした。これでケルバインは東からの脅威がなくなり、北と西のみ気にすればよくなった。

 フラドンスキルの王チェスタロットは、ケルバインの行動を盟約違反だと騒ぎ立てた。数十年前、戦国時代の幕開けの頃、各地で暴動が頻発し、王を僭称する者が多数現れた。バイアスルとその帝国で領を有していた貴族や王たちは集まって、バイアスルが認め帝国に入った国とその王のみ、正式の王、貴族と認め、それ以外の自認の王、貴族は認めない。今認められている王、貴族も今後他国を併合、消滅させてはならないという盟約を誓い、皇帝の詔勅として全国に発布した。これによって、現貴族、王以外の者が国を亡ぼす戦を禁じ、反逆者は、謀反人として討たれることになった。そして今回、ケルバインがホーネツに対して併合しながら国名だけは残した訳はその詔勅による。フラドンスキルはホーネツを傀儡にした。これは国を亡ぼすのと同じだと抗議したが、どう騒ごうと、では、ケルバイン討伐の連合軍が作れるかと言うとそれは無理だ。ケルバインは大陸の東南の端にあり、大国で戦になれば、攻める方も甚大な被害が出るだろう。そしてフラドンスキルがどう騒ごうとそんな戦をしておいしい国はホーネツ以外にない。無理しても大国の力を削ぎたい、もう一つの大国フラドンスキルだが、自国一国でケルバインまで遠征しては、国力に響く。しかし、ケルバインの行為を認めるか否かで、どちらに付くかと旗幟を鮮明にすることになった。つまり、フラドンスキルか、反フラドンスキルか。

 クロップ山の合戦とホーネツの併合をもって戦国時代は終わり、バイアスルの皇帝にして大陸の王、帝国バイアスルの再統一が始まろうとしていた。この年を持ってアサリアの征討運動が始まると後の歴史書は言う。しかし、実はそうまっすぐには歴史は動かない。アサリアが全国に布告を出し、北伐を開始するという。それを受けてケルバインの王はバイアスルの首都チェルアへ向けて進撃せよという。と言えば勇ましいが実のところ、ケルバインの公はそれほど欲深くなく、ホーネツを征討しただけで満足していた。アサリアは公に大陸平定を何度も進言したが、全国に布告を出すにはまだ、時期尚早だろう。笛を吹いてもまだ踊る者はいない。直下のケルバインでさえ、言を左右して動く様子がない。しかし、ケルバイン公の公子、タイドランは野望に燃えていた。アサリアを補佐して中央に打って出て、この大陸の覇者となる。フラドンスキルなど、何ほどのものか。タイドランはケルバイン公をうまく引退同然にして、兵を動かそうと画策し始めた。ケルバインの城内が突然、きな臭くなった。この先どうなろうと、次の一手は売っておく必要がある。バイアスルの老将はマグヌを呼んで西に赴けと命じた。ケルバインと並ぶ西の強国、サフラメンシアの抱き込みである。

 サフラメンシアは西南を海に臨み、交易で莫大な財を成していた。自ら海に出て積極的に外交をし、海の向こうの大陸とも親交があった。進取の気性があり、活気があった。ケルバインとサフラメンシア、南の二つの強国を抑えておこうというのである。ケルバイン城内でバイアスルの人数が減るのは心細いが、ここでサフラメンシアを抱き込み、外からケルバインに圧力をかければ、そして両国が皇子を担いでくれたら心強い。互いの牽制が互いの抑制にもなる。何としても成功させたい計画だった。皇子を奪還したときの交渉から老将はマグヌの手腕を高く評価していた。そして今回の戦で武功を立てた。老将は皇子アサリアに進言してマグヌに貴族と将軍の位を与え、サフラメンシアとの交渉にふさわしい地位にした。マグヌ将軍の副官にはフミッドとギリウウを当てた。しかし兵は百人ほどでとても将軍などと言えるものではなかったが。同様に息子のセイリーも将軍とした。同様の武功の賞である。位も同等とした。やはり兵員は百人と心細い限りだが。

 さて、随行する人員の選になった。正使としてセイリー、副使としてマグヌ。セイリーは自分の身の回りの世話を焼く者、相談役など数人を選び、マグヌはギリウウを自分の副官として連れていくことにした。フミッドはマグヌより数歳年上で農民上がりであり、それに引き換え、ギリウウは小部族とはいえ、マハリの王に繋がる者で幼い頃から武人として育てられた。今戦場に身を置く身となって、ギリウウは頼もしく、クロップ山の戦でも身近で戦った者として信が置けた。またギリウウもマグヌと年近く、先の戦いでマグヌの知恵と勇気に感心し、尊敬していた。二人は友情を感じていた。フミッドはその機転の利く性格その他を考慮して城に残した。万一に備えての連絡係である。何があるか分からないが、フミッドなら、その枠に捕らわれない発想で何とか場を持たせてくれるだろう。変なプライドがなく素直な性格ゆえに何かあればすぐマグヌに連絡をくれるだろう。ある意味でフミッドはやはり信のおける人物だった。

 サフラメンシアの出立に先立って、身の回りの世話をする者など数人を連れて、バイアスル側は十人ほどになった。それにケルバインからは、タイドランの命を受けた文官が数人、付くこととなった。ケルバインの文官が道案内をして陸路で一行はサフラメンシアを目指した。

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