表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

侍村井の怪獣退治

作者: 一飼 安美

「鮟鱇だ、食ってくれ」


 男は俺の土産の昆布締めの鮟鱇に手をつけた。まだ早かろう、と言う男だが、獲れたものは仕方がない、食わねば魚に悪いだろうと押しつける。身分はただの貧乏侍、食うに困る程度の男。断ることはないだろうと思っていたが、食うことには疑問を持たなかったようだ。こいつが飯をたかる程度の男なら、俺も用事はないのだが。


「雷獣を斬ったらしいな」


 鮟鱇を口に運んだ村井という男の手が、寸の間止まった。ただの噂か?と聞けば、取り逃がしたという。いずれまた悪さをするようなら俺の恥だ、とまた鮟鱇を食う。酒を勧めたが、気分が悪いと断られた。


 この男には、化け物殺しの噂がついて回る。村井某という侍が斬ったのは、物の怪とも妖ともつかぬ、鵺と呼ぶのも憚られる異形。それを斬ったのは、皆この男だという。下らぬ話が出回っているものだ、と村井は機嫌を崩した。まるで獣相手に辻斬りをしているよう、相手が人であろうと斬ればいいなどとは思っていない。だが、斬ったことがないのかと聞けば、答えはしなかった。俺は聞いてみた。作り話で構わぬ、聞かせてくれぬか、と。村井は、箸の先につまんだ鮟鱇を見つめた。


 村井は、海辺の町で生まれた。伊豆の町は海がよく見える。磯には、奇妙な姿の生き物がいくらでもいた。海月のような、海星のような、亀のような。どこかの町には、兜のような姿の蟹がいる、と聞いたことがあるという。美味くはないそうだ。だが、そんなことで驚いていては、やっていられない。もっと奇妙な物を、見ることがあるという。


 伊豆の町に現れた、一人の男。時の天下人を、陰で支えたという妙な触れ込みで町にやってきた。次の天下を取る男を、探しているという。この男がいるとお上に知られれば葵の御紋が黙っていない。あまりにも恐ろしく、あまりにも異様で、誰もその男を、止めることはなかったという。


「くだらぬ男だった」


 あんな者の相手は、童で十分だ。村井はその男を、童より情けない庄屋の店から追い出し、二度と招かぬよう釘を刺した。その晩、村井は妙なものを見たという。身の丈、六尺半ほどだろうか。おそらくは男が呼びつけた、仕舞いなのであろう、と思ったのだそうだ。


 目が赤い。肌も。そこここに黒い斑をつけた姿はまるで天道虫、あるいは……。名も知らぬ虫を思い出しながら、鯉口に手をかける。男が庄屋に吹き込んだ、夜の闇のように黒い、仕舞い。その異形は、醜く肥え太った姿を弾ませて、村井に向かってきた。飼い主と変わらず、くだらぬ者だ。村井は剣を抜いた。尾を切り落とし返す刀で角を落とした。にらみつけると悲鳴を上げて異形は逃げていき、空を飛んだか地に潜ったか、姿は見えなくなった。


 ……信じるか?そう聞かれれば、信じるとは言えなかった。あまりにも滑稽、茶を濁したのだろう。語らぬ程度ならばもうこの男に用はない。雷獣殺しなど噂に過ぎないのだ。ときに、と村井は土間の向こうを見た。お前の連れであろう、と誰かを指している。連れなど誰も来てはいない、何かの間違いだ。そう言ってやっても、最初からいたではないか、と当たり前のように言う。何奴か、姿を見せろ。そう言ってこちらが戸を開けておいて、動けないとは思わなかった。


 目の前にいる、人。人なのだろうか。真緑の蛙のようなそれと目が合い、刀にかけた手が動かず鯉口も切れない。蛙のような何かが、鉈を振り上げたが体が動かなかった。見えている。怖いわけではない。斬られるのもわかる。動けなかった。


 突然何かが、俺の真横を疾風のように通り過ぎた。剣を抜いた村井が、踏み込んだのだ。緑色の何かは、素首を切り落とされて泡と消えていった。磯には妙な生き物がいる。驚いていては、生きておれん。そう語る村井に、鳥肌が立った。緑色の何かは、なんだったのかと村井に聞いた。


「くだらぬものだ」


 それ以上村井は、何も答えなかった。

もちろん悪ふざけである。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ