揺れない高層マンション生活
都内から程よい通勤のできる高層マンションに、私は夫と暮らすことにした。
子供の頃からの夢だった。小さな地方都市のおんぼろ長屋で暮らしていた私は、大人になったら、高層マンションで住むというのが一つの夢であった。最も夫の通勤圏という縛りがあったが、私自身、都内で働くという都合もあるので、それは大した問題ではない。
引っ越しも落ち着き、ゆっくりと夫婦の時間を持てるようになってきた。マンションの周りには、まだ田畑があったり、あるいは、大型ショッピングセンターの建設地と書かれた工事現場があったりと今後、発展していくのだろうな、という予感をさせた。であれば、この高層マンションもきっと価値が上がっていくだろう。
とくに沿岸部でもないので、津波とかの心配もない。来たる南海トラフ地震とかもこの高層マンションでは無縁だ。
と、思いたかった。
「なぁ、ヒロミ。こんなチラシが入ってたんだけど」
夫の真人がそう言って、夕方のコーヒーを飲んでいる時、テーブルの上にチラシを置いた。
それはこのあたりの地域での村祭りだった。
キラキラ・ドリームフェスタ。
と、書かれたそれは、この土地に昔から伝わるお祭りの名前を改めたものであるそうで、高層マンションの住民に対してもお知らせという形でチラシが回ってきたのである。しかし、私は、そのチラシの内容に嫌気がさした。と、いうのも、その内容は、普遍的な一般のお祭りであるのではあるが、一番の目玉としてあるのは、河川敷に大きな焚き火をするという内容であったからだ。
近隣のお守りやお札といったものを一挙に焚き上げるというもので、神聖な、由来あるものであるのは間違いないだろう。
しかし、その火が燃え広がったら?
私としては高層マンションに被害が出るのが予見されて嫌な気分になった。
「別に心配する必要ないよ」
と、真人は言うが、私はそこまで楽観的になれない。
だいたい、こんな祭りがあるというのは、今後、この土地の、マンションの価値を下げる要因になってしまうのではないか。
一晩、ゆっくりと考えた私は行動に移した。
「キラキラ・ドリームフェスタ、反対!」
「反対! 反対!」
高層マンション住民に声をかけて反対運動を起こしたのだ。さらに言うと、マスメディアを使い、私は一挙に攻勢に出た。巨大な焚き火を起こすという事が、地域社会に対してどれだけの脅威になるか、幸いな事にマンション住民の一部は私の危惧と同じことを考えていたらしく、積極的に動いてくれた。
そして、一番幸いだったのは、私たち、反対派が多かったことだ。もとより、地元住民は高齢化しており、さらにお祭りの実施には住民の賛成が必須でもあった。つまり、祭りに不参加の人が多ければ、自然と開催はできなく追い詰められるのだ。
結果として、一か月も経たずに祭りは中止に追い込むことができた。
真人はお祭りを楽しみにしていたようであるが、それでも、マンションを守るには仕方なかった。
「しかし、一体、何を祀るお祭りだったんだろうね」
真人は昔からこういう性格があった。もとより、学者のような感覚で生きているので、仕方ない。
「さぁ、つまらない事でしょ。五穀豊穣とか、なんとか」
「そういうものかなぁ。そうだ、せっかくだから、聞いてみようよ」
真人はそういうと、調べ物に熱中し始めた。まったくもって、困った性分である。もっとも、私としては当初の目的が果たせたのであるので、もうこれ以上、地元のお祭りについては関心を寄せなくなった。反対派運動もマンション自治会として団体として行えばいいので、十分なものである。
かくして私は平和な生活を手に入れた。そんなある日の夕食時、真人が、満足げに私に調べた祭りの由来を伝え始めた。
「あのお祭りは、どうやら、地震避けの祭りだったみたいだよ」
「地震避け?」
トンカツを一切れ、箸でつまみながら、私が聞き返す。
「うん。正確に言うと、昔、この辺りでは地震がよくあったらしくてね。その事を忘れないようにと祭りにしたみたいなんだ。で、名前は今風に合わせて、ちょっとずつ変えて行ったみたいだよ。、ま、お祭りをしないからって地震が起きるわけじゃないから大丈夫だと思うけど、ちょっと、ヒロミどうしたの?」
私は自然と立ちあがっていた。
地震が起きたら、このマンションの価値として下がるかもしれない。
遠くどこかで起きる南海トラフの津波はともかく、直下型で生活が困るのは非常に嫌だ。
「なんてこと、地震避けの祭りならしなきゃいけないじゃない!」
「えぇ……」
真人は、呆れた様子で口をぽかんと開けるのだった。